第15話 吐露


 「え。い、いつから……?」


 「……初めて逢った時から、ずっと気になってました」


 「嘘。だって……あの日のきみ、すごく機嫌悪そうだったじゃないか。俺のこと睨んできたりして。だから、絶対に嫌われてると思ってたのに」


 「睨んだ?」


 不思議そうな問いかけの後、陽向の頭が傾ぐ。心当たりがないといった様子だ。


 大樹は陽向が店の前に姿を現したあの雨の日、タオルで頭を拭く様子を眺めていたら睨まれた時のことを、なるべく簡潔に説明した。大樹の話を聞いても、やはり陽向は浮かない表情をしていた。当時のことをよくおぼえていないようだったが、やがて何か思い当たる節があるといった様子でため息をつき、「そうでしたか」と呟いた。


 「すみません。無意識にしたことで、よくおぼえてなくて」


 「え、俺……無意識に睨まれたんだ。きみのこと、よっぽどじろじろ見ちゃってたんだな……。で、でも! 悪気とか、下心はなかったんだよ。それだけは分かって欲しい」


 「分かってます。それに、大樹さんのせいじゃありません。ただ単に僕が変なくせを身につけてしまっているってだけで……」


 言いにくそうに言葉を濁し、陽向がうつむく。伏せられた瞳には、微かに哀し気な色が浮かんでいて、ブルースターの淡い青色を大樹に想起させた。


 室内が、再び静まり返る。陽向が物静かな性格であることは大樹も承知しているが、この時の沈黙には何か特別な意味が秘められているように感じられた。探ってもいいのだろうかと思案しかけ、ふと思い至る。


 多忙で家に帰ってくることが少ない父親。物言わぬ母親。陽向は、誰かと会話をする機会が少ないのではないか。


 子供が親と他愛無い会話を交わし、時には相談をして問題を解決する。平凡な家庭で生まれ育った大樹にとってはそれが普通のことであり、必要なことであるとも感じていた。だが、陽向の家庭環境は大樹の家とは異なり、大人と接する機会があまりにも少ない。陽向の話を聞いた限りでは、春日井親子の間には少なからずの溝がある。人生相談はおろか、世間話をする余裕すらあるのかも疑わしい。


 ならば、学校での陽向はどうなのだろう。大人しい彼は、周囲の人間と上手く接することができているのだろうか。


 陽向の前髪が、少し前までは目を覆うほどに長かったことを思い出す。


 嫌な想像が頭の中を駆け巡る。ただの思い過ごしであって欲しいと願いながら、大樹は恐る恐る問いかけた。


 「……もしかして、学校でいじめられてたりしないよね」


 陽向は変わらずに黙りこくっていた。が、問われた瞬間、二つの黒い瞳がわずかに揺らいだのを大樹は見逃さなかった。核心に触れたと分かると、居ても立ってもいられない気持ちになる。


 「俺でよかったら話を聞くよ。何なら、一緒に学校まで行って先生に相談してもいいし。力になれることがあれば、何でもするから」


 「えっと……、いじめられているというか、ちょっと距離を置かれているというか……。別に、暴力を振るわれている訳でもないし、大したことじゃないんです」


 「大したことじゃないって……。でも、きみは嫌なんでしょ?」


 「まあ、ちょっと教室に居づらいなとは、思いますけど」


 「どうしてそう思うの?」


 口ごもる。やはり話しにくいようだ。


 だが「無理に話さなくてもいいよ」と気遣う大樹の優しさに心を動かされたらしい。微かに笑みを浮かべてみせると、陽向は再び口を開いた。


 「僕、女の人よりも男の人に惹かれるみたいなんです。元々、花が好きってだけでクラスメイトや友達から『女の子みたい』って言われることが多かったし、ずっと違和感みたいなものを持ってて……。多分、周りはそれを何となく察してるんだと思います。だから、たまに好奇の目で見られたり面白くもない冗談を言われたりして」


 「そう……なんだ」


 「何か言われても、大抵は無視を決め込むんですけど、たまに思わず反応しちゃう時があって……。そのうち、あからさまな視線を送られると、つい相手を睨むようになってしまったんです。タオルを貸してもらった時も、視線を感じたから無意識に睨んでたんだと思います」


 申し訳なさそうな声で「すみませんでした」と謝り、陽向は大樹の方へ頭を下げた。謝罪を予期していなかった大樹はうろたえ、すぐに頭を上げて欲しいと頼んだ。


 「謝らなくていいよ。ちょっと気になってただけだからさ。俺の方こそ、じっと見たりしてごめんね。これからは気をつけるから」


 「いえ……大樹さんに、好きな人に見つめられるのは平気ですから」


 「ほんとに平気?」


 「はい。ちょっと、……恥ずかしいですけど」


 照れ臭そうに笑う陽向を見ていると、つられて顔がほころび幸せな気持ちになる。


 俺はこの子のことが本当に好きなんだなと、大樹は恋をする喜びを心の底から味わった。こうして陽向と話す時間が、何よりも愛しいものに感じられた。


 「陽向くんは受験の時、どうして今通ってる高校を選んだの?」


 まだ話していたいという気持ちから、雑談を持ちかける。


 大樹は、前に一度だけ校内を歩いたことがある高校の外観を思い出しながら問いかけた。親や家庭に関するものは避けて話題を選ぶとすれば、学生の陽向が話しやすいのは学校のことだろう。


 「園芸部があるって知ったからです。でも入部してみると部員は女の子ばかりで、男は僕一人だけでした。そういうのも周りから見れば『変わってる』んでしょうけど、部のみんなは仲良くしてくれるので部活は楽しんでます。とっても」


 「……そっか。それならよかった」


 陽向にも居心地のいい居場所があると知り、ひとまず安心する。高校生にもなれば物事の分別もつくはずだ。陽向の周りの生徒たちも、彼に怪我をさせるような真似はしないだろう。


 それでも、まだ納得のいかない部分は残されている。


 陽向の性的指向がどうであれ、それをとやかく言う権利など誰にもない。彼を嘲笑する者たちのことを大樹は許すことができなかった。


 不満の気持ちと一緒に、学生時代の懐かしい記憶がよみがえる。よいものばかりではなく苦痛を伴うもの、思い出したくなくて記憶の奥底に押し込めていたものも混じっている。


 戸惑いや葛藤。止められない感情を前にして立ち尽くす自分の姿。


 どうやっても前に進めず、引き返すことさえできないことがあると知った、遠い日々。当時の自分と陽向の姿が、大樹には重なって見えた。


 重なるからこそ、してやれることがあるはず。


 「俺さ、実家が花屋だから、小さい時はよく周りの男の子たちに馬鹿にされてたんだ。それこそ『男なのに花屋の息子なんて、かわいそうだな』って、こっちの事情なんてまるで知らないやつから憐れみの言葉をかけられたりしてさ。それがたまらなく悔しくて、言い返して殴り合いの喧嘩になった時もあったなぁ」


 気がつけば、自ずと口を開き、思い出話を始めていた。


 子供の頃の自分は、感情の赴くままに行動していた。気に入らなければ駄々をこね、痛ければ泣き叫ぶ。陽向のように口をつぐむという手段を取ることもなければ、そんな方法があると気づきもしなかった。


 幼少期の大樹は、子供らしい子供だったのだ。思い返すと苦笑したくなるほどに。


 「実家が花屋だっていう現実が嫌で仕方ない時期もあった。特に、就職を諦めなくちゃいけなくなった時はね。でも、どんなに自分の運命を恨んでも、花だけは嫌いになれなかったんだ。小さくても健気に咲いている花が可愛くて、何よりも母さんが愛情を込めて育てている姿をずっと見てきたから、嫌いになることも憎むこともできなかったんだと思う。最近は『花屋で仕事ができてよかったかも』って、心から思えるようになってきたんだ」


 言葉を切り、陽向が淹れてくれた茶で喉を潤す。


 ほうじ茶の香ばしい香りと温かさが全身に染みわたる。自然と、伝えたい言葉が声となって出てくるのを感じた。


 「特にそう思えたのは一ヶ月前、きみと出逢った時だよ」


 ソファーから身を乗り出し、湯呑みをテーブルに置くと大樹は改めて陽向の顔を見つめた。白い頬が、ほんのりと薄紅色に染まる。わずかに強張ったそこに手で触れると、指先に弾力を感じた。


 この温もりと感触を忘れたくない。陽向にもおぼえていて欲しいと強く思う。


 「あの雨の日、きみが店の前に立っててくれて、本当によかった」


 「大樹さん……」


 「周りがどう思っても関係ない。陽向くんは、陽向くんのままでいいんだよ。花が大好きで、優しくて、お母さん想いな陽向くんが、俺は好きだから」


 親指で肌をなぞる。きゅっと、薄い唇が微かに噛みしめられた。


 大樹の手の上に、ひとまわり小柄な手が重ねられた。蕾が水の重さに耐えきれず頭をもたげるように、陽向がうつむく。黒髪の合間から覗いた耳先が、ほんのりと赤みを帯びている。


 繊細な白い指が大樹の手を包んだ。すがりつくというよりも、ただ、我慢できず触れるように。


 「……ありがとうございます」


 小さな声は戦慄わななき、かすれていた。

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