第9話 白いカーネーション
「お母さんの好きな花とか色、何か分かる?」
贈り物の花束を作る際、大樹は必ずこの手の質問を客にする。花束をもらう側の気持ちを考えてみると、自分のお気に入りの花が含まれていれば、もらった時の喜びもひとしおだからだ。
「……トルコキキョウ。色は、落ち着いたものが好きみたいです」
陽向は束の間黙り込んでから、バケツに活けられた紫のトルコキキョウに目をやって答えた。
他に花束へ加えたい花はあるかとたずねると、陽向は「あとは、おまかせします」と例の控えめな声で大樹に一切を委ねる旨を告げた。
「この子、まだちょっと手際の悪さは残ってるけど、センスだけはいいからお客さんからの評判もいいのよ。だから陽向くんも安心して、できあがりを待っててね」
あまりにも大人しい客の様子を見て気を遣ったのか、梢が優しい声を出す。
トルコキキョウを念頭に置いて他にどの花を使おうか考えていた大樹は内心、母が陽向の名前まで知っていることに驚いていた。そして、即座にこうも思う。
どうして俺じゃなくて母さんが先に、あの子の名前を呼んでいるんだ。
彼の名前を知ってからというもの、心の中で何度も反芻していたのに、どうして俺はまだ一度も声に出して呼べていないのか、と。
不満の気持ちで、集中力が落ちる。
指先に力が入って、つかんでいる花茎を折ってしまいそうだ。
「センスがいいなって、前から思ってました」
「……え」
背後から聞こえたやわらかい声音に、大樹は作業中ということも忘れて陽向の方を振り返った。
色白で、ユリのような気品さえ漂わせる顔に浮かんでいるのは、穏やかな微笑。
「晴れた日にお店の前に並べられてる鉢花の彩り、いつもとても綺麗で。色の選び方も好みで……、だから、お兄さんに頼みたかったんです」
好み、という短くさり気ない一言が、大樹の耳の奥でしつこく繰り返される。
ほんの一瞬、陽向と目が合う。だが彼はすぐ、やはり気まずそうに大樹から視線をそらしてしまった。称賛の言葉に喜んでいいのか、それとも陽向の素気のない反応に落胆すべきなのか。どちらが正解かは大樹にも分からなかった。
だが、息子を褒められた母親は、喜びの気持ちを素直に表へ出した。
「まあ! 店先の花を見てそこまで思ってくれてたなんて……。よかったわねぇ、大樹。こんなに可愛いファンができて」
背中を力強く叩かれ、大樹は「うぐっ」と小さくうめいた。腰の上辺りにじんわりと広がる痛みを感じながら「分かったから、作業させてくれ……」と消え入りそうな声で呟く。
一喜一憂している場合ではない。
息を深く吐くと、大樹は再び花の選別に取りかかった。他でもない、陽向が大切な人に贈る花束。その作成を自分はまかされているのだ。陽向にとってみれば脇役をまかせたつもりでも、大樹にとっては大役をまかされたに等しい。
失敗はできない。もとい、何が失敗なのかさえ大樹には分からないのだが、一つだけ確かなことがあった。
いつだって顔の見えない相手を想って、花束を作ること。
花の色彩と香り、その奥に浮かぶ笑顔にまで思いを馳せて花を選ぶ。まだ目にしたことのない陽向の満面の笑みにまで想像は及んだが、この時は不思議と動揺はせずに手元と花にだけ集中することができた。
「――こんな感じで、どうかな」
数分後。選んだ花を束にして陽向へ見せる。
紫のトルコキキョウを筆頭に、母の日定番のカーネーション、カスミソウ、ブルースターを周りにあしらい、陽向の性格に合わせてボリュームと色合いは控えめに仕上げた。ボリュームを抑えたのは、高校生の懐事情も鑑みての判断だ。
「あら素敵。やっぱりトルコキキョウがあると上品な仕上がりになるわね」
「母さんが先に感想を言ってどうするんだよ……」
職業病な母親を一言たしなめ、大樹は陽向に注目する。
陽向の両目と意識は、花束へ一心に注がれていた。食い入る、というよりは惹きつけられたように花を見つめている。品定めをしているようでもないが、喜ぶにしても反応が乏しく、大樹は少し不安になった。
「それで、どう……かな。あ、変えたい花があったら遠慮なく言ってね。色だって別のがあるし」
「……き、です」
「え?」
陽向が小さな声で何かを言ったようだったが、自分の声に遮られてしまい大樹にはよく聞こえなかった。
「素敵、です。とても」
呟くように発せられた声は、何処かうっとりとした響きを含んでいた。細められた黒い瞳に白い花の影が映り込んでいる。
自分の腕にいまいち自信がない大樹は、陽向の言葉をすんなりと受け入れられなかった。もしかしたら、本当は気に入らないのに気を遣っているのではないかと、あらぬ疑いを胸に抱いてしまったほどに。
「ほ、ほんと? ちょっと地味じゃない? カーネーションも定番の赤やピンクじゃなくて、白だし……」
「むしろ僕は、この白いカーネーションがいいなと思いました。トルコキキョウを引き立ててくれているし、それでいてちゃんと存在感もあって。全体的に落ち着いた色合いですし、……僕は好きです」
一通り感想を述べた後、陽向は「もちろん、母も好きだと思います」と付け加えた。隣りで梢が何やらうんうんとうなずいている。
とにかく、気に入ってもらえたようだ。大樹はほっと胸を撫で下ろす。
「……よかった。じゃあ、この組み合わせで包んじゃうから、ちょっと待ってて」
「待ってる間、おばさんの話し相手になってくれたら嬉しいわぁ」
「母さん、ひまだからってお客さんにちょっかい出すなよ」
「ちょっかいだなんて、嫌な言い方ね。それに陽向くんはただのお客さんじゃないでしょ、大樹のファンなんだから」
「そのファンってやつ、やめてくれよ。恥ずかしいから」
親し気に陽向へ話しかける梢の声を聞きながら、作業台に向かう。余分な葉や花茎を切り落とし、ラッピングを施していく。
陽向の母親はどんな人なのだろう。作業をしながら何気なく考える。
きっと梢とは似ても似つかない性格をしていて、けれど容姿は陽向とよく似た美しい女性なのではないか。試しに、横目で盗み見た陽向の横顔をベースに頭の中で女性らしく変身させてみると、清楚な女性像が浮かび上がってきた。
もし陽向くんが女の子だったら、こういう感じになるのかな……。
想像の矛先が別の方へ向きそうになり、大樹はあわてて思考を停止させた。思い浮かべた陽向の姿があまりにも可愛らしいもので、自ら想像したにもかかわらず困惑する。顔や態度に出てしまってはいないかと雑談をしている二人の様子をうかがうが、杞憂に終わった。
「花束、完成したの?」
最も苦手なリボンを結ぶ作業に取りかかっていた時、いつの間にか店内へ戻って来ていた友花が大樹の手元を覗き込んだ。
「今ラッピング中」
「いい感じね。控えめな色合いが、大人しいあの子にもピッタリで」
「騒がしいお前には似合わない組み合わせってことだな」
「失礼ね、というか大樹に言われるとなおさら癪なんだけど!」
台の正面で仁王立ちをして仏頂面を浮かべる友花。その奥、こちらに向けられている視線に大樹は気がつく。
何処か遠くを見つめるような瞳で、陽向は大樹の方を見ていた。
正確には大樹と目が合った訳ではなく、彼がいる作業台の風景を大まかに見ているようだった。よそ見の時間は短く、大樹が視線に気がついた三秒後には陽向の意識は再び梢の方へ向けられた。
何事もなかったように会話が再開される。物静かな雰囲気の陽向だが、梢の話にはしっかりと耳を傾け時折、相づちを打って応えている。
今のは何だったんだろう。
刹那、垣間見た陽向の表情、瞳の色。それはどれも、大樹が目にしたことのないものだった。儚げ、または切なそうといった様子にも当てはまるようで、大樹は落ち着かない気持ちになりながらリボンの結び目を整えた。
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