第2話 雨宿りの少年


 花屋の仕事は、体力を使うものが多い。水を張ったバケツの移動は一日に何度も行うし、配達もある。大樹にまかされる仕事は、重いものを運ぶ作業と配達が大半を占めている。店が忙しい時には花束のラッピングやフラワーアレンジメントも行うが、細かい作業が苦手な彼にとってはあまり楽しい仕事ではない。花屋での勤務を希望する者がまずやりたがる作業なのに、その花屋の店員である自分は渋々やっているだけ。リボンを結んだり、花を短く切って並べたりするよりも、水やりや掃除といった地味な作業の方が好きだ。


 「元気ないな」


 誰もいない店内に大樹の声が反響する。彼は鉢植えに水をやりながら、花に話しかけていた。梢いわく、人間や動物を相手にするように花へ話しかけると、病気にかかりにくくなるのだという。大樹は母の言葉をいまいち信じられないながらも、この時は店に一人きりでひまなこともあり花を話し相手に選ぶことにした。


 大樹が話しかけた鉢には「ラナンキュラス」という植物名が書かれた札がつけられていた。蛙の足に似た形をした新緑色の葉を持ち、細い茎の先端では黄色の花が咲いている。紙でできているかのように薄い花びらが、心なしかしおれているように大樹には見えた。


 札の裏には花の特性や育て方などの情報が簡単に記載されている。開花時期の欄を見ると、花が咲くのは三月~四月の間らしい。


 「そろそろ花が終わる時期なのか。花が咲いているうちに、誰かに買ってもらえたらいいんだけど」


 店頭に並んでいる植物は、花や葉が枯れたり長い期間売れ残ったものから順に処分しなければならない。値引きしても売れないものは問答無用で捨てられる。避けようのない宿命だが、誰にも手に取ってもらえないまま一生を終えるのだと思うと、なんとも形容しがたい気持ちになる。


 できれば売れ残りを出したくない。花屋の仕事を好きになりきれずにいる大樹だが、懸命に生きている植物たちの命を無下に扱いたくないという思いやりはそれなりに持っていた。


 「他に水が必要なやつは……」


 視線をさまよわせていると、店の入り口に人影があることに気がついた。


 ガラス扉の向こう側、外に誰か立っている。店内の灯りが反射して分かりづらいが、その人物はこちらに背を向けているらしい。

 

 店に用があるわけではないのだろうか。客ならば真っ先に店内を覗くはずだが……。


 雨宿り、か?


 ちょうどオーニングテントの真下にいることから大樹はそう察した。見たところ、傘も持っていない様子だ。


 これはチャンスかもしれない。さり気なく中に誘導して、商品を見てもらえば購買意欲を刺激させられるのではないか。自然とそんなことを企むのだから、俺にも少なからず商売人の素質はありそうだ、と大樹は思った。


 「結構、降ってますね」


 行動あるのみ、と引き戸を開けて外にいる人物に声をかける。


 だがすぐに、この計画は上手くいきそうもないと感じた。声をかけた相手が、制服を着ていたからだ。


 突然、後ろから声をかけられたせいか、振り向きざまに大樹を視界に捉えた黒い瞳は丸く見開かれていた。とっさにあとずさりをしかけたところを見ると、よほど驚いたらしい。


 高校生、だろうか。大樹より年下であるのは間違いない。


 うなじの下辺りで綺麗に切り揃えられた髪は、しっとりと濡れている。紺色のズボンの裾は、泥水のせいで黒く汚れてしまっていた。


 「雨宿り?」


 「あ……はい。えっと、すみません、傘持ってなくて」


 「気にしなくていいよ。急に降ってきたもんね。今朝の天気予報では、降水確率十パーセントって言ってたのに、あれは外れだな」


 苦笑する大樹の隣りで、少年は「はぁ……」と曖昧にうなずいた。急に話しかけられて戸惑っているようだ。悪いことしたかな、と思いつつ、今度は親切心で言葉を続ける。


 「よかったら、中に入りなよ」


 「……でも僕、お金あんまり持ってないし……」


 「いや、別に何か買ってくれって意味じゃないからね。春とはいえ、濡れたまま外にいたら身体が冷えるし。風邪をひかないようにさ」


 戸を大きく開いて「どうぞ」と手で促してみる。


 すると、少年は大樹に頭を下げながら「じゃあ、ちょっとだけ……」と店の中に入った。おずおずとした足取りから、警戒心を抱いていることが窺える。やはり何か買わされると思っているのか。


 客人を招き入れた直後、遠くの方から聞こえる着信音に気づいた。鳴っているのは店のではなく、自宅の電話の方らしい。


 「ちょっと待ってて」


 断りを入れ、二階へ上がる。


 電話をかけてきたのは、友花の母――大樹の叔母だった。友花が店にいるかどうかの確認と、あとで車で迎えに行くから待っていろと伝言して欲しいと頼まれた。了承して電話を切るまで三十秒もかからなかった。雨の日にはよくあるやり取りなのだ。


 タンスから適当に引っ張り出したタオルを手に店へ戻ると、少年の姿はショーケースの前にあった。


 並んだ花々を見つめるまなざしは優しく、心なしか口元が緩んでいるようだ。


 先ほどまで覗かせていた警戒心は、すっかりやわらいでいる。


 「もしかして、花が好きなの?」


 濡れた制服を身につけた肩がビクッと揺れた。またも驚かせてしまったらしい。


 「えっ。ああ、……まあ」


 「そうなんだ。今時の若い子は、花に興味なんてないと思ってた」


 「お兄さんも若い、と思いますけど」


 「そう? まあ、さすがにまだ〝おじさん〟って呼ばれたことはないから、若者のうちに入るのかな」


 苦笑しながらタオルを差し出すと、少年はきょとんとした表情で瞳を瞬かせ、何かを問いかけたそうに大樹を見上げた。


 「これ使って。濡れたままだと、本当に風邪ひくから」


 「ああ……、ありがとうございます」


 少年はタオルを受け取り、店の隅の方へ移動して頭を拭き始めた。

 

 艶やかな黒髪に散りばめられた水滴が取り除かれていく。何気なく「水も滴るいい男」というを思い浮かべたが、実際、少年の容姿は整っていた。


 顔の輪郭は細く、余計な肉がついていない。色白なことも相まって、逆さまにした卵を連想させる。穏やかな目つきからは思慮深さを感じ、だがそれでいて浮かぶ表情には微かに冷ややかなものも含まれていた。


 美人だけど、あまり人を寄せつけたくなさそうな子だな。


 少年の無駄のない動きを観察しながら、大樹はそんな印象を抱いた。と、ふいに彼と目が合う。


 視線が交わった瞬間、鋭利な刃物を突きつけられているような心地になった。


 表情は落ち着いている。けれど、視線には明らかに大樹へ対する負の感情が込められていた。


 非難、だろうか。それとも怒りか。


 じろじろ見るな、という意味だと思った。


 「ご、ごめん。もう見ないから」


 笑いながら言うが、自分でも口元がひきつっているのが分かった。


 作業に戻ろう。気まずさを感じたせいか、身体は自然と少年がいる位置から遠ざかろうとする。大樹は、店の奥側にある作業台の方へ逃げた。特にやることもなかったが、何かしら作業をしなければ仕事をさぼっていると思われそうだ。そこで大樹は、作業台の周辺を掃除するふりをした。


 幸いなことに、先ほどの剪定作業で出た花の不要な部分がそのまま残されていたので、まずはそれを片づける。ひまなことを誤魔化せるし、母の好感度を上げられそうなので、一石二鳥だ。


 それから少しの間、大樹は少年の存在も忘れて再び雑用に専念した。

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