心のままに

弓の人

第1話プロローグ

視界がぼそぼそと霞み、朧げでまともに見るということができない。しかし、そもそも自身と他を識別することさえ難しい暗闇の中にいては視界が霞もうが霞れまいが恐らく差異はないだろう。


だから視界で情報を得ることはできない。だが聴覚は違った。目よりも正常な耳は早くに暗闇の中に潜む何者かの存在を私に伝えていた。


小さくとても聞こえづらいが、だがたしかにいるのだ。この暗闇の中に潜む者の音が。


ずりずり、ずりずりと音を立てて動いている。正確ではないが私との距離は三十歩ぐらいだろう。その者はただ何もせず山の中を動き回るだけを繰り返している。


おおよそまともではないこの状況で私は少し平静を保てなくなり、とにかくあの得体の知れない者から離れようと四つん這いで後退した。同じようにずりずりと。


すると音を聞きつけ、あの者が私のいる場所へと向かい始めたのだ。探り探りで別方向へ向くこともあるが、しかし確実に自身の目的地へと歩を進めている。


あの者の足音が近づいてくるのを察知した私はいっそう恐ろしくなり、自分がどのような場所にいるかさえもわかっていないが、がむしゃらに逃げた。ただ後ろへまっすぐ逃げた。


そして、すぐに行き当たりにぶつかり逃走を止められた。逃げ場を無くした私の恐れは最高潮に達し、この場からどう逃げればいいかを必死に考えようするのだが、恐怖に染まった私の脳は考えようとしても真っ白にしかならないのだ。


真っ白な思考で動きが鈍った私はまだ襲われていないという事実により、束の間の平静を取り戻したのだが。その束の間が私を更なる恐怖へとおとしめたのだ。


一瞬の正常、その間に感じとったのは先ほどよりも大きくなったあの足音だった。


まだ追われている、まだ続くいや終わりが近い。焦らされまるまると肥されられた私の恐怖心はとうとう閾値を突破した。


「わぁああぁあ!!!来るなっ!!来るなぁっ!!!!」


叫び、あの者への拒絶を声を大にして喚くがそんなものはおかまいなしといわんばかりに、あの音を立ててちかづくのだ。ずりずり、ずりずりと。


そして腕ニ本分程の距離まで近づかれたその時、やつの動きに釘付けにされた私は目を凝らしていた。そして捉えたのだ、もぞもぞと上半身を蠢かせている影の輪郭が、暗闇の中で動いているのを捉えたのだ。


その影の輪郭は私の上背ー私は成人男性の平均身長だーよりも大きく、そして体をうごうごとランダムに形を変えていた。


闇に潜んでいた者が人ならざる者だと気づいた私は思わず息を呑み込んだ。


そしてやつは恐れている私へ一直線に飛び込んできた。先程までの、のっそりした遅い動きではない。まるで山に生きる狼のように俊敏に私へ飛びかかってきたのだ。


飛びかかられた私は黒い害虫よりも強い、これを我が身から外したいという欲求に駆られ、腕や足を振り回す。それは私の身を守る私自身の本能によるものだろう。


だが、私の願いからは裏腹にやつはその体を自在にねじ曲げ、伸ばし私を自身の体の内側に取り込もうとしていた。


私は死にたくないがために必死で抵抗をするが、その特異な体による増える手数には勝てず、全身を包み込まれてしまった。


耐えがたい不快感。耐えがたい恐怖に身を支配された私は包まれた今でも暴れ続けた。


だがやつは何もしてこない。体中を触手のようなもので触られるだけであって、噛むだとか、ひっかくなどはやってこない。


危険な生き物ではないのか。襲ってこない様子からそう判断した私はひどく安心した。心が幾分か軽くなったような気分だ。


しかし、触手による接触は続くし、そもそもやつの内側に取り込まれたままだ。再び外へ出ようともがき始めたその時だった。


やつの触手が私の目に触れた。すると今までとは違い何度も何度も目を触ってくる。すぐに他の場所へ触る場所を移さず目だけを執拗に触ってくる。やつの不可解な行動にまたも私は怯えさせられたのはいうまでもないだろう。


そして気付く。やつの私の目に対する触り方。化け物の考えなどひとっつもわかりはしないが、それはまるで何かを確認するかのような感じで…。


そう感じた瞬間、やつの触手が私の目を貫いた!


「あ?あぁあぁあああぁああああ!!!!」


ぐちゅり、と音を立てた私の眼窩へどんどん触手が入り込んでいく。自分の体だからわかる、やつの触手が私の中を掘り進んでいくこの感触が!まるで不慣れな性行のように異物感と不快感を与えながら私の体を貪っていく。


私は声も出ず、ただただこの地獄が終わるのを待っていた。この身におこる不幸を呪い、そしてついに残った脳へとー何故意識があるのか全く理解できないがー触手が押し込んだところで私の意識はブラックアウトした。






ぴちょんぴちょんと水滴の響く音が聞こえ、私は目を覚ました。


先程のは、夢…なの、だろうか?


あまりにも鮮明で鮮烈なあの感覚と光景を私は全て覚えている。思わず体の温度がスッと引くような感覚に襲われる。


だが、現になんともない。体に異常は、それこそ目はなんともなかった。


やはり夢は夢なのだろう。

そう解釈して私はこの記憶にけりをつけた。


それはそうとここはどこなのだろう?


夢のことで気を取られ、あまり周囲を見渡せてないが記憶にある部屋の温もりそして臭いがまったく違う。ここは肌寒くて酷い悪臭ー腐肉のようなーがする。まるで記憶と真逆だ。


首をぐるっと廻らせると信じがたい光景が目に映った。苔などが生えぬめりけを帯びた石畳の床に同じく苔そして蜘蛛の巣がついた石煉瓦の壁。そして度重なる雨漏りで変色した石造の天井。


全てが石で作られた空間いや壁の一面だけは錆びた鉄格子が嵌められている。


まるでこれは牢屋だ。


いや、まるでじゃなくてそうなのだ。鉄格子の外にいる人相の悪い男が椅子に座っている。


男は私が起きたことに気づくとこちらへ寄ってきて、私に怒鳴り声を上げた。


「おい、お前ェ!起きたんならさっさとこっち来い!手間ァかけさせんな!」


急に怒鳴られ、ビクッと身をすくめた私は咄嗟に動くことができなかった。それがまた男をいらつかせた。


「だぁから来いっつってんだ!言うこと聞け!この屑野郎!!」


怒り心頭といった男はその勢いのまま鉄格子を片足で蹴りつけた。よほど短気なんだろう。私はこれ以上彼に怒られたら何をされるかわからないので言うとうりに従った。


彼は荒々しく鉄格子の扉を開け放ち、私に外へ出るよう促した。外へ出ると彼に胸倉を掴まれた。


「さっさと出ろっつったよなぁ俺。なんでそんなこともわかんねぇんだよてめぇはよぉ!!」


そのまま彼は私を放り投げ腰についていた棒のようなものを取り出した。


彼は怒った顔のまま棒で左手の籠手を叩いた。すると金属の音ではなく熱せられた油のようなパチパチといった音がした。


「このクソッタレがっ!俺に迷惑かけやがって!!」


彼はおもいっきり棒を私に向けてフルスイングした。


私の左腕に当たった棒はべちん!と肉を叩く鈍い音とジュウと焼ける音を出した。


あ、熱い!熱い熱い!!熱いィィ!!


まるで焼きごてのような高温になった棒は私の皮膚を安易に焼いた。


棒で殴られた痛みと棒で焼かれた痛み、両方が襲いかかり私の額からは大量の脂汗が出た。


痛みにうめき蹲った私を男が睨みつけている。


「なぁんでそれくらいでしゃがんでんだ、ああ!?!甘えたんじゃねぇぞてめぇ!!」


怒り狂った男はまたも私に向けてあの棒を振おうとしている。彼の腕が彼の耳の後ろまで下がったその時、


「おい、もうよせ。そいつはまだ殺しちゃいけないやつだ」


別の男ー今度は無表情の男だーが怒り狂った男の腕を止めた。人相の悪い男は一瞬反抗的な目を向けたが、舌打ちをして彼から腕を振り払った。


「離せよ!わかってんだよ、そんなことぐらい」


「そうか、そうは見えなかったが。まあいいそいつを医務室へ連れて行け。お前の責任だ」


無表情の男はそいつと言ったときに私を見たが、嫌悪の気持ちとほんの少しの怯えを目に浮かべていた。私のことを気持ちの悪いものとしてしか見ていない、いわば人として見ていない目だった。


私が一体、何をしたと言うのだろうか。


「ちっ、わかったよ連れてきゃいいんだろ。クソがっ」


人相の悪い男は渋々了承し、私を医務室へと連れていくようだ。


こいつに連れて行かれるのか…、クソッ最悪だ。


先程までの怒鳴り声と暴力で私は心底この男が嫌いになった。そんな男と医務室に向かうというのはとてもストレスがかかるが私のこの怪我を治すために我慢するしかない。


まずは怪我を治すのが最優先だ。




































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