第一章  止まらない噂

 学校の広いグラウンドや体育館は、今まではバスケやバレー、サッカーなどのスポーツを楽しむ空間だった。しかし『言霊師』が発売され普及してからは、生徒同士のバトルが行われるゲーム会場となっていた。昼休みも放課後も関係なく、ましてや生徒も教師も関係ない。

 あまりの人気に部活として成立している学校も増えてきている。現在も二人の生徒が体育館でバトルを行なっていた。

「激っ、激っ! 撃!」

「隔壁!」

 互いに掌を向け合った二人の生徒が同時に叫ぶ。一瞬の間もなく二人の間で爆発が起こり、突風が襲い掛かった。それに一方が思わず怯み、腕で目を庇った。

 その一瞬の隙を突いてもう一方の少年が走り込む。相手が気付いて掌を向けるより先に、指先が付く程の近距離で叫ぶ。

「翔!」

「がっ…!」

 直後、決して軽くはない少年の体が衝撃を受けて飛んだ。一メートルほど後方へ飛び、音を立てて地面に落下する。

 ――ドサッ――

「つ、ぐぅ…、っ!」

 痛さに耐えて上体を起こした少年の目の前には、掌を向けて構える対戦相手がいた。

「…くそぉ、もう少しだと思ったのに…。参った、負けを認める」

 ――ピピ――

『勝者、決定。マサキ』

 負けた少年が相手を見上げながら、悔しそうに溜め息を吐いて言う。次の瞬間、機械音声で勝者が宣言され、その直後に周りから盛大な歓声が響いた。同時にシュウ、という音と共に、二人の少年を覆うように張られた電子の膜が回収される。

 膜を回収した機械は、カチャリと静かに着地し、駆け寄ってきた生徒に拾われた。そして敗けた少年へ、励ましの言葉と一緒に渡される。

「ほらよ。惜しかったな、もう少しで勝てたのに」

「まさか。コイツ、全然驚かねえんだもん。あの爆発に突っ込んでくるか、普通?」

 不貞腐れた顔で肩を竦める少年へ、勝った少年が強気に苦笑しながら否定した。

「あそこで決めなきゃ、お前に負けると思ったんだよ」

 彼らの会話もそこそこに、周りには観戦していた生徒たちが、押し寄せる波のように集まってきていた。

 いつの間にかグルリと囲まれていて、仲の良い友達や、そうでない生徒にも、もみくちゃにされてしまう。毎度の手厚いこの応援に、選手はもはや笑うしかない。

 観戦者たちからは、勝った方はもちろんの事、負けた方にも労いと賞賛が与えられ、彼らは一時的に、英雄さながらの注目と賛美を集めた。

 生徒たちは皆、興奮冷めやらぬ様子で英雄二人を連れ立って歩き始める。昼休みももう終わる頃で、五時間目の授業開始まであと五分もない。全員、授業に遅れないよう、いつもより足を速めている。

 こうした昼休みのバトルは何処の学校でも毎日行なわれており、レベルの近い者が優先的にバトルできるようになっていた。その為昼休みに行なわれるバトルは一度が限界で、しばしば授業に食い込む程の苛烈なバトルにもなる。

 一時は授業に支障を来たす為、昼休みのバトルが禁止になった事もある。だが生徒たちの希望が強すぎて、大勢で授業をボイコットまでされる羽目になり、結局許可する事となった。もちろん、授業に支障をきたせば、その生徒の持つ言霊師は没収されるという条件付きで。

 そうした騒動も多々ありながら、他の学校と同じように校内ランキングが出来るほどの人気を博していた。

 そしてランクトップの者は常に皆から挑戦され、その座を奪い合う。この中学校でのトップは先程の勝者であるマサキで、この地域では中学生で最強と名高い。おかげで中学生はもちろんの事、近くの高校生にまで試合を挑まれる始末である。

 見た目はどこにでもいる普通の少年で、特にスポーツを好んでいた訳でも体を鍛えていた訳でもない。だけど彼が言霊師では学校のトップに立つ程の実力の持ち主なのは事実である。

 何故なら言霊師は元来、力も必要なければ、大人らしさも必要ない。単純な言葉遊びの延長線上にある、子供の為のゲームだからだ。


 そもそも言霊師には、いくつものルールがある。

 まず、言霊師とは補聴器型の通信機―通常『イヤホン』―を耳にセットし、電子回路の組み込まれた手袋を着けて戦うゲームである。

 掌を前に向けて言葉を発する事で、攻撃や防御のみを行なう、至ってシンプルなアクションバトルゲーム。

 使う言霊は、パソコンで公式ホームページにアクセスし、言葉と声紋の登録、そしてデータ更新をして初めて使用可能となる。更新はどこのパソコンからでも可能で、専用のアダプターとアプリさえあれば、スマートフォンからでも更新は可能である。また、言霊師を売っている店には、更新用のパソコンを店内に設置している店も多いので、データ更新に困る事はない。

 そして言霊師は専用の空間でのみ使用可能で、その空間の事を結界という。しかし結界と呼ぶ者は少なく、殆どの者はフィールドと読んでいる。

 フィールドは、言霊師一つ一つに付属された、核と呼ばれる手の平ほどの小さな丸い機械によって作られる。この核に宣言の言霊を放ち、空に投げると最大直径三十メートルの半円形の電子の膜が張られる。バトルは、この内側でのみ可能となるのだ。

 核があればフィールドはどこにでも作れるが、建物などの障害物がある場合は、それを保護するように膜が張られる。つまり、障害物があればその分フィールドは狭まる。それを利用したバトルもあるが、一般的には通常の半円形のフィールドで行われる。

 基本は一対一のバトルだが、フィールド内には複数人が入る事も可能で、バトルロワイヤルのようにも出来る。ただし一度入れば勝敗が決まるまでは出る事は不可能。途中、バトルに参加する事は可能であるが、その為には中に居る者全員の許可が必要となる。

 また、言霊師には階級が存在し、その階級によって使える言霊と、強さが異なる。当然、階級が上であればある程、強力な言霊を使う事が出来る。そして極端な階級違いによるバトルは禁止とされ、差が二階級以内でなければ戦う事が出来ないよう設定されている。

 階級は全部で十二あり和風月名で表されるが、これもまた多くの者が月名ではなく、レベルとして単に数字で読んでいる。

 このレベルを上げる為には、同じレベルの者とのバトルに十五勝しなければならない。レベルの違うバトルでは、例え勝ってもカウントされないが、負けた場合のみカウントされる。その為、勝利を重ねている途中で一度でも負ければレベルは上がらず、また一から連勝を重ねる必要がある。そして、その際には不正防止の為、同じ人物からの勝利は一度しかカウントされず、必ず十五人と戦う事になっている。


 そうした細かいルールの上に成り立つのが言霊師というゲームである。戦うのが己自身という事も相まって、現在ではスポーツとしてやっている者も多い。

 ただし、ゲームとして年齢制限が設けられており、使えるのは中学生以上だけ。言霊師の購入者は、直ぐさまその場でパソコンによる個人登録が必要とされる。登録者以外の者が使おうとしても、言霊師は起動しない。

 ゲームとしてはルールも使用制限も厳しいのだが、それでも言霊師は発売当初から爆発的に売れた。三年経った今では、早くも国民的人気商品として普及している。

 しかし、人気が出れば出る程、また暗い噂も出回るものだ。


「マサキ、強くなるのは良いけど、あんまり強くなったら狙われるぞ?」

「ただの噂だろ? 大丈夫だって、気にする必要ないよ」

 笑って言うマサキに、友達である少年は心配して本当に大丈夫かとさらに問う。彼が心配しているのは最近広まってきた噂。一年ほど前から流れ始めた噂は、今では様々な学校で噂の的としてあがり、随分と広まってきた。

 それは、強い言霊師にのみ起こるという、事件ともつかない不思議な噂。

 どうにも、実力があり、名の通った言霊師が次々と行方を晦まし、中には遺体となって帰って来る者も居るらしい。また、生きて戻って来た者も居るが、大抵が大怪我を負っていて、怪我が治っても言霊師が出来なくなっているという。

 そんな噂が事実なら、警察が動いていても良さそうなものだが、なぜかニュースなどにも一切報じられず、噂だけが人の口を伝って広まっているのだ。

 誰しもが疑問に思うが、噂では怪我を負って帰って来た者も、少数ながら無事に戻ってきた者も、全員が何も言わず口を閉ざしているという。

 その所為で居なくなった時に何があったのかと憶測が飛び交い、余計、噂に尾ひれがついてしまった。今ではどこまでが事実で、どこまでが噂なのか、知っている者はいない。

 そうした理由もあってか、マサキのように単なる噂だとして信じていない者が多い。どこの学校でも噂が上って事実かという疑問が上がれば、必ず誰かがこう言う。

「死体まで出てニュースにならない訳ないじゃん。レベルが上の誰かが、これ以上ライバルが増えないようにって流してるデマだよ」

 最後は笑い話となって噂は広まっていく。


 **


 放課後も言霊師で戦い、夕暮れとなった六時過ぎに、マサキは友達数人と下校した。いつも通り途中で彼らと別れ、最後は一人で家までの路地を歩く。あと数百メートルで家に着くという所で、男に声を掛けられた。

「失礼、この地域での言霊師トップのマサキ様でしょうか?」

「え? そう、だけど…?」

 聞かれて思わず答えたが、知らない相手に眉を寄せて警戒する。男はスーツを着たサラリーマン風の格好だが、サングラスをしていて顔が見えない。

 警戒を露わに軽く睨んでみるが、男は全く気にせず、口元に笑みを浮かべながら話し始めた。

「若干 十五歳にして、僅か二年ほどで水無月にまで上り詰めた実力の持ち主。今では高校生にも試合を挑まれるほどだとか。…宜しければその実力、試してみませんか?」

「は?」

 急に何を言ってるんだと思い、マサキは眉を寄せた。そんなマサキに男は名刺を差し出す。

「言霊師のスポンサーをしております当社が大会を開いているのですが、その大会に出場する実力者を集めておりまして、よろしければそのお話を聞いていただけないでしょうか」

「はぁ…」

 名刺を見ながら男の話を聞き、バトル大会のスカウトかと納得したマサキは、まだ少し男を怪しみながら、それでも好奇心には勝てず頷いた。

「いいですよ、話を聞かせてください」

「ありがとうございます。それではご自宅までお送りしますので、車へどうぞ」

「え、いや、近くなんでいいですよ…」

「ここに車を置いていく訳にもいきませんし、マサキ様のご自宅まで案内をお願いしたいのですが」

「あー…」

 男の言い分に少し迷ったが、もう一度チラリと見た名刺を確認して、マサキは分かりましたと車に乗り込んだ。

(大手の会社だし、家も近いから大丈夫だろ)

 そんな軽い気持ちで乗り込んだマサキはその日、結局家に帰ることはなかった。母親は帰ってこない息子を心配して探したが誰もマサキの行方を知らず、そのまま行方不明となった。

 マサキのことは例の噂により死んだのではと囁かれ始め、その数日後、本当に遺体として発見された。死因は急性心不全とされ、両親の訴えも虚しく、マサキは夕方一人で空き家へ遊びに行った後、病死してしまったとして、警察が動くこともなく処理された。

 そうしてまた噂だけが広まっていく。


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言霊師 ~ in the Game ~ @MitsuruAoba

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