Scene 4 Epilogue
新期が始まろうと、人事異動があろうと、今日も百貨店の売り場フロアは混雑をしている。
4月1日から勤めているフロアマネージャーとしての業務も、それなりに板についてきたある日のことだ。
【技能マップの作成と更新をお願いします】というメールが、各フロアを統括する上司から俺のPCに送付されてきていた。
3月までは渡瀬が作成・更新をしていたが、今後はこのフロアに勤める俺を含めた従業員の分を、更新していかねばならない。
ざっと目を通すと、接客や在庫管理について分類し、細々とした項目に並べてある。
無論相沢の分もあるが、フロアマネージャーに就くための項目は、まだ幾つかの項目で満たせていない。
逆にこの責務を相沢に渡したいなら、項目を埋めるよう教育やフォローをし、文字通りに人事を尽くして人事異動を待つしかない。
しかしながら、現段階で渡したとしても、あまり意味は無い。渡瀬がそうしたように、職場や業務をより良くした上で渡してやらないと可哀想だ。
渡瀬ほど俺は技能マップに興味はないが(渡瀬本人と比較すれば技能マップなど取るに足らないことと、渡瀬明日香ほど技能マップに熱心ではないというダブルミーニング)、これも業務と割り切り、手早く更新をしていく。
「すいません。ここが分からないので教えて頂きたいのですが」
「いいよ。どこのことだ?」
技能マップを幾つか更新していると、4月から配属された女子新入社員が質問をしてくる。
管理業務にフロアの仕事と、後輩への教育をしていると、日々あっという間に時間が溶けていく。
ひとしきり教えると、新入社員の女子は、探るように質問をしてきた。
「……あの、高菜先輩。品質保証課の渡瀬さんと付き合ってるって、本当ですか?」
「え?」
と、そんな質問をされて答えに窮する。
新入社員の子たちの間で噂になっていて、気になったのでと、女子新入社員は言い訳のように付け足した。
オフィスラブとは俺が生まれる前……元号が昭和の頃からある古い言葉らしいが、渡瀬がそれほどでもないだけで、曲りなりにオフィスに勤める女子社員にとって、その手の話題は気になるものなのかも知れない。
前期末の三月に渡瀬から有給休暇を取得して欲しいと打診があったが、実はあの時、渡瀬も規定取得日の五日を満たしていなかった。
じゃあ、どうせなら同日取得して、美味しいものでも食べて、のんびりした一日を過ごそうと示し合わせたのがつい最近だ。
そんな噂が、期を跨いで新入社員の耳にも入ったらしい。
誤魔化してもいいが、なんとなくいい機会だし、いっそ噂に乗っかるかと腹を決めた。
「うん、付き合ってる。遠距離恋愛だけどな」
自分のジョークに照れくさくなり、ハハハと笑い飛ばすと、
「そう、ですよね。勤務中の上、ぶしつけな質問失礼しました!」
フロアに戻りますと、まるで逃げるように女子新入社員は事務所を出て行った。
何か応対を間違っただろうかと呆然としていると、入れ替わるように相沢が事務所にやって来た。
「4月から配属になったあの子、泣いてたけど大丈夫か?」
「どうやら俺のジョークがよほど面白くなかったらしい」
「は?」
疑問符を浮かべる相沢に、今のやりとりを手短に説明してやると、
「推察だが、あの子にとって、社会人となり初めての恋が終わった瞬間だったんだな」
「は? そんなことあるのか? まだ一ヶ月たってないぞ?」
「大変だなあ、フロアマネージャーは。まあ頑張れ。できる範囲でフォローはする」
などと人ごとのように笑う相沢が今は恨めしい。
銭湯の一件から、相沢良介とは時々遅い夕飯を食べに行ったり、また別の銭湯に連れて行ってもらったりしている。
この、どこかつかみ所のない男とも、それなりに交流を深められている。
フロアに相沢が戻り、再び一人となった事務所で、気を取り直して技能マップに集中する。
重ねて俺は渡瀬ほど技能マップに興味はないが、俺自身がこれから身につけねばならない技能はひとつ候補に上げている。
それは【渡瀬明日香を守ること】だ。
俺への好意の真偽はともかく、渡瀬との関係の噂を利用しようと思ったのはそのためだ。
俺と渡瀬がそういう関係と暗黙に了承されれば、不当に渡瀬を困らせ、傷つけるような輩がもしいれば、圧力を与えられることになるし、俺のいる部署とも関係が悪くなる。
いわゆる政治であり、それこそオフィスラブ全盛の昭和時代は、民間企業の派閥争いで政治が横行したらしい。
今の世にそんな余裕はないし、そんな企業は端から倒れていくこと必至だが、個々人を守るために政治を利用してもバチは当たるまい。
今はまだその項目は埋められない。まだその取り組みは始まったばかりだ。
きっとその項目が達成されたときが、高菜恭太と渡瀬明日香のゴール地点であり、また新たなる関係のスタートする時となるだろう。
<ワーカホリック気味の女の子に惚れた、恋愛体質の男の子の話 完>
ワーカホリック気味の女の子に惚れた、恋愛体質の男の子の話 佐原 @tkynzt
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ふたりは40代/佐原
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 11話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます