牛の首①

 夜道怪を封じたことを告げるコンコの様子が、また変だ。

 話の端々で、もごもごと口ごもってはリュウにチラチラと目をやり、頬を染めて小さくなる。

 何があったかと高島が尋ねると、コンコが横目で睨みつけ、話そうとするリュウを制している。


 またうぶな稲荷狐が原因だろうが、ふたりの間がギスギスしては、あやかし退治もままならない。

 雇い主の責務として、ふたりの仲を取り持とうと高島が提案をした。

「日頃の慰労を込めて、美味いものでも食べてもらいたいのだが、どうだい?」

 美味いものという一言に、コンコの狐耳がピクリと立った。不機嫌そうにしているが、耳と尻尾のお陰でわかりやすい。

「そうだなぁ。近頃、落ち着いて食べられる店も出来たことだし、天ぷらはどうだい? 天ぷらにするのが一番な魚もある。きすなんかは……」

と言いかけると、リュウは目を逸らし、コンコは耳も尻尾も吊り上げて、真っ赤な顔で両手をバタバタさせていた。


 そんなわけで、牛鍋屋へ行くことになった。

 そして案の定、コンコの機嫌が治った。さすが農業の神、食べることが好きなのだ。

「今更言うのも変な話だが、リュウさんは牛肉に抵抗がないんだね。ほら、臭いと言って嫌う者も多いじゃないか」

「肩肘張らなければよいのです。それにこれは、味噌で匂いを消している」

「そういえば、牛に味噌と言ったら近江で古くからあったな」

 ふとした高島の一言に、リュウの眉がピクリと跳ねて、その場の空気が張りつめた。


 しまった、彼の過去に触れてしまったようだ。

 上野の山で一度死んだ身のリュウは、触れられたくない話が多いのだ。話題を変えなければと、高島は慌てて口を開いた。

「日本人に馴染みある味をと、牡丹鍋を元にして味噌仕立てにしたんだよ」

 コンコは箸を咥えたまま止まり、ふたりの間に気まずい空気が流れた。七沢でのことが思い出されたのだ。


 あやかし退治では頼りになるが、このふたりはどうも扱いづらいところがある。

 ふたりを扱う?

 いや、違う。

 雇い主ではあるが、依頼する立場でしかなく、断られる覚悟もある。

 まぁ、いい。今は目の前のふたりが大事だ。


 また話題を変えなければと、高島は女中に声を掛けた。しばらくして届いたのは、白い陶器の瓶である。

「リュウさん、ひとつどうだい?」

「それは?」

「ビールだよ。牛鍋に合うよ、飲んだことはないかい?」

「申し訳ない、酒はやらんので……」

と、頭を下げされてしまった。酒乱よりか遥かにいいが、これも過去に何かあったのだろうか。


 コンコはというと、ビール瓶を興味津々に見つめていた。

 300年生きた稲荷狐だ、御神酒も飲む。いける口かも知れないが、10歳ばかりの見た目が良くない。

「コンコ、今はダメだよ」

「わかっているよぅ……」

 とても残念そうな素振りから、子供っぽい割に酒好きだというのがわかる。

「高島さん、どうぞ」

「すまないね、リュウさん」

 瓶から出てきた泡立つ黄色い液体に、コンコもリュウもゲッと顔を引きつらせた。

「安心してくれ! こういう酒なんだ!」


 店を出るなりリュウは「車夫を呼ぶ」と言って関内の方へと向かっていった。

「ああ、行ってしまった。かえって気を遣わせてしまったのかな」

「高島さんがリュウの主君なんだから、いいんだって」

 なるほど主君かと苦笑してから、リュウの居ぬ間にとコンコに真面目な顔を向けてみせた。

「彼は、どういう思想だろう。西洋人の仕事は、あまり好まなかったようだが……」

「開国には賛成みたいだよ。国を食い物にしたりされたりが、許せないみたいなんだ」

「国同士対等であれ、と考えているのか」

 強国にとって有利な条約を締結し、発展させると約束し支配するのが当たり前の時代だ。

 薩長が牛耳る新政府に元彰義隊士が加わるなど到底不可能な話だが、出来ることならリュウを表舞台に立たせたい。

 何とかならないかと、高島は考えを巡らせた。


 そのとき、遠くの方から悲鳴が聞こえ、それが次第に近づくに連れ、重く荒い足音が轟いた。

「暴れ牛だ!!」「逃げろー!!」

 伊勢佐木町に牛……?

 コンコも高島も、耳を疑った。


 立ち上る土煙に気付くと同時に、牛の姿が目に入った。角を突き出し正面を睨み、通りを猛然と走る黒牛だ。

「牛じゃない、牛鬼だ!」

 頭も身体も牛そのものだが、脚は横向きに6本生えており、ひづめは鋭く尖っている。そんなものが虫のようにヒタヒタヒタと走っているのだ。

「高島さん! 逃げて!」

「コンコも逃げなさい!」

 互いへの気遣いが裏目に出た。牛鬼は凄まじい速さで牛鍋屋へと迫っている。店に逃げるのも、横へ飛ぶのも間に合わない。

 消極的な覚悟を決めて、ふたりはキュッと身をすくめた。


 ガキィン!!……


 まぶたを開き、ゆっくりと顔を上げると、そこにはリュウがいた。

 牛鬼の角を刀で受け止めていたのだ。

 コンコが祝詞を唱えるが、リュウは猛烈な力で押されるばかりだ。刀を一寸たりとも動かせず、じりじりと足跡を伸ばすことしか出来ずにいる。


 ぶん! と牛鬼が首を振ると、リュウは軽々と投げ飛ばされた。そして牛鍋屋へと向き直り、荒い鼻息を吹いている。

「きっと、牛を食べたから怒っているんだ!」

「牛鍋屋を潰そうっていうのか!?」

 そうとわかると、牛鬼を取り囲んだ野次馬たちは蜘蛛の子を散らすよう消えていき、牛鍋屋の客たちは裏の窓から飛び降りていった。

 牛鬼は土を蹴って身を屈め、突進せんと尖った蹄を突き立てた。視線も角も牛鍋屋、それを阻むコンコと高島に向けられて、ピクリと動くこともない。

 そう、狙いが定まったのだ。

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