舞・フェア・レディ①

 陸蒸気の三等車で浮かない顔をするリュウを、コンコが心配そうに横目で見ていた。


 恥ずかしいからとコンコが嫌がるので、夢魔と朧車の話をリュウひとりで高島に伝えに行くと、謝礼とともに次の仕事の相談がなされた。

 しかし、高島は言いづらそうにしている。

「申し訳ないが、次の仕事は東京なのだ」

「…東…京…」

「浜離宮の延遼館だ。政府が西洋の要人を迎える接待所なのだが、婦人が倒れる事態が起きているそうだ」


 仕事のつながりで相談を受けたものの、場所は東京。しかも不平士族から西洋人を守る施設で、新政府のために働くのだ。

 元彰義隊士のリュウには避けたい仕事だろうと高島は思った。

 だから、今回は断られることを承知の上で依頼した。

 しかし、リュウは期待を裏切った。

「引き受けよう。ただし、条件がある」


 新橋駅に着くと、夜には浜離宮へ行くと言ってリュウは立ち去った。

 コンコは、その後をコッソリついていく。

 たどり着いたのは、上野だ。

 上野参りをする時間を確保することが、リュウが提示した条件だったのだ。


 リュウは近くの民家に入ったが、まったく出てくる気配がなく、待ちくたびれたコンコは不忍池の端で時間を潰すことにした。

『おや、稲荷狐じゃないか。こんなところに何の用だぇ?』

 コンコの隣に現れたのは、弁天様だ。流し目をして艶っぽく寝そべっている。

 事情を話すと、弁天様は池の水を指先でツンと突いて、リュウが入った家の中を映し出した。

『気に病むくらいなら、見たらどうかぇ?』


 遠慮がちに水面を覗くと、嬉しそうに涙を流す老夫婦に頭を下げるリュウの姿があった。

 この人たちがリュウの命を救ったに違いない。

『あれは、ひどいいくさだったのぅ。これが吹き飛ばされたのも、よう覚えておる』


 家を出たのでコンコが迎えに行こうとしたが、弁天様が裾を掴んで引き止めた。

『古傷じゃ、そっとしておいてやれ』

 リュウは、上野山の崖を見上げていた。

 アームストロング砲の爆風に遭いながら、五体満足で命まで助かったことは、奇跡としか言えなかった。


 弁天様が水面を指でなぞり、親指と人差し指を広げてリュウの顔を大写しにした。

「弁天様、見るのがつらいよ……」

『ならば見なければええ、わらわは見たい』

 弁天様は目を皿のようにして食い入るように、コンコは一歩離れてチラチラと水面を見ていた。


 その顔は、命があることを悔いていた。

 元服前にも関わらず彰義隊に参加して、親には迷惑を掛けまいと名前を捨てて死んだことにしておきながら、こうして生き残ってしまったのだ。

 リュウは、その場で手を合わせた。

 一緒に吹き飛ばされて、亡くなった人もいたのだろう。

 戦い抜くことも、救うことも、死ぬことさえもできなかった無念が、胸を掻きむしっていた。


 これで最後になるだろう、人目を忍んで彰義隊士の墓を参った。

 ひざまずいて手を合わせると、リュウの背中がブルブルと震えだした。

 弁天様がコンコの背中をポンと叩いた。

『稲荷狐の出番じゃぞ』

 コンコが山に向かって駆け出したが、弁天様は寝そべったまま脚をパタパタさせて、水面をじっと見つめていた。


 墓の前で背中を丸めるリュウを見つけてコンコが駆け寄ろうとした。

 しかし、そこに警官が現れてウオッホン! と咳払いをした。

 まだ彰義隊は、江戸を荒らした賊軍なのだ。

 あの警官も、新政府軍にいたのかも知れない。

 下手をすれば、昔のリュウを知っている。

 助けなきゃ! そう思いコンコがギュッと踏み込むと、リュウを取り囲むように幽霊が現れて、警官の周りを舐めるように回りはじめた。

 一瞬にして青ざめてガチガチと震えだした警官は、尻尾を巻いて上野の山を駆け降りていった。

 幽霊たちはリュウを慈しむように見つめた末、黄色がかった空の彼方へと消えていった。


「リュウ! ここにいたんだ!」

 目頭を押さえてからリュウは振り返った。

「コンコ! 来ていたのか。せっかくだ、俺の昔の仲間たちに挨拶をしてくれないか」

 コンコも墓に手を合わせ、頃合いだからと山を降りて浜離宮に向かっていった。

「リュウ、もう幽霊は怖くない?」

「何のことだ?」

 かつての仲間たちが会いにきたことに、リュウは気付いていないようだった。


 浜離宮は甲府徳川家下屋敷、将軍家別邸を経て幕末には幕府海軍伝習屯所になった。榎本武揚が五稜郭を目指した船は、幕府海軍の船だった。

 戦い抜いて生き残ったならば、リュウもその船に乗っていたのかも知れない。


 明治政府が樹立すると、ここにあった寺社風で木骨石造の建物を改装して明治2年、外国人接待所として使用することとなった。

 これが延遼館である。

 かの有名な鹿鳴館の建設開始が明治13年で、完成するのは明治16年。今は明治9年だから、影も形もない。


 リュウはタキシード。まとわりつくような洋装にまだ慣れず、眉をひそめている。

 コンコは真っ赤なドレスを身にまとう。久々に可愛らしい格好ができて、嬉しそうである。

「参りましょう、お嬢様」

「いざ参らん、延遼館へ!!」

 コンコがビシッと指を差したので、リュウは顔を歪めてそっと耳打ちをした。

「コンコ、言葉遣いが変だ。真面目にやれ」

「リュウこそ、僕をお嬢様なんて言うから……」


 今回はコンコが高島の令嬢で、リュウが従者という設定なのだ。小屋のような家に住むふたりにとって雲の上のような世界なので、振る舞い方がわからず調子が狂っているようだ。

 そんなこんなをやりながら、ギクシャクしつつ延遼館へと入っていった。

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