人力車テンマツ②

 朧車には隠れてもらい、建物の陰で震えていた車夫に人力車を返した。

「もう、あやかしはいなくなったぞ」

「ありがてえ、ありがてえ。私を見掛けたら声を掛けて下さい、タダで乗せて差し上げます」

 米つきバッタのようにペコペコと頭を下げて、商売しなきゃと車を引いて、夜の街へと飛んでいった。


 車夫の姿が見えなくなると、入れ替わりに朧車がゴロゴロと車輪を鳴らして現れた。

 牛車いっぱいの顔は、しょんぼりとしていた。

『悪いことをしちゃったなぁ。人力車の椅子に、今まで拾った金目のものを置いたけど、あの車夫は気付いてくれますかね』

「まさか、物取りではないだろうな」

 すると、牛車ごとブンブンと頭を振った。

 人力車より大きいので、ぶつかってしまいそうになり、コンコとリュウは後ろへ飛び退いた。


『違います! 違います! あっしが驚かせたら落としたもので、返せなかったものでさぁ』

「返すこともあるのか、案外律儀だな」

『ビックリさせれば満足ですから、返せるものはキッチリ返します』

 朧車のように、驚かせるだけのあやかしは沢山いるのだ。悪さと言えば悪さだが、封じるか否かは悩むところだ。


「どうして人力車に取り憑いたの?」

『そんなの決まっているじゃねぇですか! 牛車なんて、今どきどこにも走ってねぇ』

 確かにその通りだ。公家がわんさかいた頃の、かつての京都ならいざ知らず、貴族華族の明治では横浜はもちろん東京にだって、どこを探しても牛車はいない。


『牛車が段々珍しくなり、街角にいるだけで不審に思われるようになりました。簾を開けて、顔を見せるまでもないんです』

 朧車にとって、不遇の時代が長年続いたというわけだ。道端に牛車がポツンといるだけで、朧車だと気付かれてしまうこともあっただろう。


『そうしたら、牛車によく似た人力車が現れた。これに取り憑けば、もう一花咲かせると思ったんです』

「しかし人力車には生活がかかっている。車夫が可哀想だから、もうやめろ」

 すると朧車は泣きそうな顔で、リュウの鼻先に迫ろうとした。またぶつかりそうになったので、慌てて飛び退いた。


『それじゃあ、あっしは用済みですか!? 行き場がないから、封じられるしかありませんか!?』

 巨大な顔が大粒の涙を流しはじめた。ごつごつした頬を伝うと、埃っぽい地面に大きな水溜りを作った。

 このままだと、自ら封じられる雰囲気である。

 それはそれで構わないが、この世に未練が残るには違いない。

 泣き止んだ頃を見計らい、朧車に尋ねてみた。

「封じるのは構わんが、それでいいか?」

『へぇ。あっしはもう用済みで、どこにも行き場はございません。一思いに封じてください』


 コンコが虚空から素焼きの壺を取り出したが、なんとなく躊躇しているように見えた。

 見守っていた天領が開港後の発展で町になり、忘れ去られて祠が荒れ果てた自身に重なるものがあったのだ。

 リュウだって、新政府に用済みとされた侍だ。上野の山で抗って、吹き飛ばされてせったのちに五稜郭陥落の報を耳にして、武士の世の終わりを知って愕然とした。

 時代に取り残された、と言われてしまえばそれまでだ。しかし思いが強ければ強いほど、生き方を変えるのは楽ではない。


 しかし、用もなく為す術もない生涯は、きっとつらいことだろう。

 コンコも高島と会っていなければ、どうなっていたかわからない。

 リュウだって、遊郭の用心棒として雇われず、あやかし退治に誘われなければ、今頃どうなっていただろう。

 朧車に活躍の場を与えてやりたい気もするが、どうにも思いつかないし、封印を望んでしまっている。

 リュウが苦々しく刀を構えると、コンコが寂しそうに祝詞を唱えはじめた。


 すると、宵闇の中から感嘆する声が響いた。

 西洋人の紳士が、嬉しそうに両手を広げて朧車に近付いてきたのだ。

 朧車は、これは好機だ驚かそうと簾を降ろしてみたものの、紳士は牛車の周りをぐるぐる回り、ワォワォと感動し続けていた。

「Beautiful!!」


 コンコとリュウは、キョトンとした。

 しかし、まじまじと見つめれば漆塗りで黒光りする牛車は、ところどころに金細工や螺鈿があしらわれており、日本の美が詰まっている。

 ずいぶん凝ったものに化けたものだ。


 紳士は牛車と自身を交互に指差し、興奮して

「Please! Please! How much!?」

と言っていた。

「何を言っておるのだ?」

「わからないけど、欲しいんじゃないの?」

 コンコとリュウが朧車をちらりと見ると、簾をちょっとだけ開けて、輝く瞳を覗かせていた。


 どうぞどうぞ遠慮なくと手の平を差し出すと、大喜びで朧車に飛びついて、ポケットからありったけの金を出し、リュウに握らせた。

 紳士が引いて帰ろうとすると、朧車はひとりで転がりついていったので、紳士は益々感激した。

「Wow……Fantastic!」


 手の平いっぱいに掴まされた金を見て、リュウは戸惑っていた。

「コンコ、この金はどうする。こんなもの、受け取れないぞ」

「さっきの車夫にあげたら? 迷惑を掛けたお詫びに朧車が置いていったことにしようよ」

「そうだな、それがいい。さっそく探して、今日は人力車に乗って帰ろう」

 コンコとリュウは、車夫が走っていった方向に歩き出した。


 数日後、簾を降ろし大人しくしている朧車を、港で見掛けた。

 ふたりの姿に気付いて、朧車は簾を上げて巨大な顔を見せた。ごつごつして腫れぼったい不気味な顔は、旅立ちを前に晴れやかである。

『旦那、お狐様、この度はお世話になりました』

 朧車はギシギシと音を立てて、頭を下げた。


「世話などしておらん。結局、異国に行くのか」

「綺麗にした甲斐があったね。どこへ行くの?」

『なんでも、イギリスとか言う国だそうですが、どんな国かご存知ですか?』

「イギリスと言えば、陸蒸気を作った国だ」

『へぇ、そうですか。陸蒸気ねぇ……』

 何を考えているのか知らないが、朧車は頭の上に浮かび上がった光景を見つめていた。


「異国に行っても元気でね」

「達者でな。悪さはするなよ」

『もちろんですとも。喜んで引き取られたのは、初めてですから。驚かしてばかりでしたが、喜ばれるってのは、いいものですねぇ』

 朧車は、ひとりで艀に乗り込んだ。

 遠くイギリスで何をしようと考えたのかは、誰にもわからない。

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