人力車テンマツ①

 あやかし退治に協力してくれたお礼にと、巫女を食事に招待した。

 神社から近く、たぬおの顔が利くので、中華街の料理屋に決めた。


 しかしコンコは街に入るのをためらっていた。

「ここ、結界が張られている……」

「美味しいご飯が待っていますよぅ」

「お前は神様なんだろう、大丈夫だ」

「街が斜めになっているでしょう? これは風水に基づいているの。コンコちゃん、怖くないからおいで」

 巫女が言う風水思想というのは間違いで、元の海岸線の跡なのだ。妙な町割りで中華街だから、そのような誤解が生じたのである。

 目を固く閉じてピョン! と飛んで街に入り、何事も起きなかったことにホッとしていた。


「まずは、こちらの神様にご挨拶しましょう!」

 たぬおに案内されて行った関帝廟の壮麗な建物に圧倒された。ここに住まう中国人の寄附で作られたそうだが、これに敵うのは東照宮くらいではないか。

 宮司と巫女、更には稲荷狐が中国の神を拝んでいるのは妙な光景だが、礼を欠いてはならないと作法にのっとり参拝をした。


「さぁ、ご飯を食べましょう!」

 軽い足取りのたぬおと対照的に、コンコは肩を丸めてズルズルと歩いていた。たぬおの足が短いので置いて行かれることはないが、いつもの元気は微塵も感じない。

「コンコ、大丈夫か?」

「こんなに強い結界なら、この街は大丈夫だね。強い神様に会って、ちょっと疲れただけだよ」


 しかし現金なもので、初めての中華料理を前にしたコンコは、目を輝かせて舌鼓を打っていた。

「コンコちゃん、美味しい?」

「うん! どれも美味しい! あ、巫女さんへのお礼なんだよ、食べて食べて!」

「ありがとう。でも私にはコンコちゃんが一番のご馳走よ」

 それは比喩なのか、そうではないのかと考えたコンコの箸がピタリと止まった。


「夢魔は憎たらしいけど、素敵な夢だったわ…。眠る私にコンコちゃんが……」

 コンコがわぁわぁと、話の続きをかき消した。あやかしが化けてしたことでも、コンコにとっては嫌なことのようだ。

 確かに、泡を吹いて白目を剥いて気絶した自分自身を見るのも斬るのも嫌であったと、リュウは納得していた。


「依頼があって封じたあやかしではないが、高島は何か言っていたか?」

 するとコンコは、うっ…とうめいて押し黙った。

「まさか、まだ高島に伝えていないのか!?」

 だって! と言うと唇を噛んで黙り込み、頬を染めてうつむいてしまった。

 そうだ、稲荷狐の身体に何もできず立ち去ったにしろ、コンコも夢魔に襲われたのだ。だから、報告するのが恥ずかしいのだろう。

「ならば、たまには俺がひとりで行くか」

 コンコはパッと顔を上げると「お願いします」と、しおらしく頭を下げた。


 元町に帰るたぬおと巫女を見送って、コンコとリュウも太田の家に帰ることにした。

「はぁー、みんな美味しかったねぇ」

「コンコに似た料理があったろう、薄い皮で餡を包んだ狐色の揚げ物が」

「似てないよ!」

「お前の寝相にそっくりだぞ? おいなりさんが好きだから、布団の簀巻きになるのか?」


 わいわいと歩いていると、あばら家ならば吹き飛んでしまいそうな深いため息が聞こえ、ふたりは思わず足を止めてしまった。

 人力車夫がしゃがんで、吐き出す息のすべてをため息にしていたのだ。

 声を掛けずにはいられない、と言うよりは声を掛けてほしくてやっているようだ。

「どうした」

 渋い顔をリュウに向け、どうもこうもありませんよ、を枕に話がはじまった。


「近頃までは旅をしながら様々ものを売っていましたが、老いた母が身体を壊しちまったもんで、旅で鍛えた健脚を活かせる人力車夫に商売替えをしたんでさぁ」

 なるほど、それは大変だとリュウは顔色ひとつ変えずに聞いていた。


「ところが昼間は母をなきゃならねぇ。あっしが走れるのは夜だけってことになるんです」

 夜は客が少なく商売にならないのが、ため息の根源なのだろうか。


「ところが最近、上がりがパッタリなくなって、これじゃ暮らしもままならぬ。待っている場所が悪いのかって? そんなこたぁねぇ。駅や港や、呑み屋の前にだって行きまさぁ」

 しかし、どうして生活相談のようなことをしているのだろう。


「周りの奴らはホイホイ乗せるが、あっしの車は客がつかずに、いつまで経っても動けやしねえ。どういうわけだか誰も彼もが気味悪がって、尻尾を巻いて逃げやがる」

 人に避けられる人力車とは、何とも不可解な話である。


「ねぇ旦那。人助けと思って、乗ってくれやしませんか。安くしますぜ」

「なるほどなぁ。そうしたいのは山々なのだが、どうも先約があるようだ」

 はぁ? と言って車を見ると、人力車夫は悲鳴を上げて、遥か遠くへ逃げていった。


 人力車には、巨大な顔が乗っていたのだ。

 リュウが刀を抜くと、巨大な顔が怯えだした。

『旦那、あっしを斬るおつもりで!?』

「そうだ、車夫の話を聞いただろう。お前のせいで、商売も生活もままならなくなっておるのだ」

 すると人力車は、ひとりでに後ずさって顔を、いや身体を、もとい人力車ごと横に振った。


『あっしはただ人を驚かせたかっただけで、車夫を困らそうとか、困っているとか、そんなことは知らなかったんですよ』

 コンコとリュウは、顔を見合わせた。どうやら悪い奴ではなさそうだ。

「もしかして、人力車から降りられたりする?」

 巨大な顔は歯を食いしばり、腫れぼったい目を見開いて、ふんふんと言って顔だけを左右に振りはじめた。


 ふん! と鼻息を吹くとゴットン! と重たい音がして、人力車は無人になった。

朧車おぼろぐるまだ」

 人力車の前に、巨大な顔が乗った牛車が現れたのだ。

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