夢であいましょう②

 あやかしとおぼしき蝙蝠は、刀を振って当たるか当たらないかという高さを、右へ左へフラフラと重々しく飛んでいる。

 出遅れたにもかかわらず、あっという間に追いつくほどの遅さである。

「ずいぶん遅い蝙蝠だな」

「見て、お腹がパンパンだ」

 コンコの何気ない言葉を聞いて、リュウは何故かギクリとした。


 小走りと早歩きの間くらいの早足で蝙蝠を延々と追い続けたが、まったく止まる気配がない。

 のんびりした速さなのでコンコとリュウに疲れはないが、蝙蝠はいかにも辛そうである。

 石川町についた頃、蝙蝠は体力の限界のようで時々、地面に落ちそうになっている。

「見ていて可哀想になってきたよ」

「もう、はたき落としてとどめを刺すか?」

 リュウがスラリと刀を抜くと、最後の力を振り絞ってバタバタと舞い上がり、民家の窓をスゥッとすり抜けていった。


 誰かがのしかかるような感触があって、恐怖に怯えながら目を覚ました。

 もし暴漢であれば、どうしよう。

 黙っていては、好きなようにされてしまう。

 声を上げたら、何をされるかわからない。

 暴れたら、殺されてしまうかも知れない。

 震えながら闇の中を凝視していると、白っぽい人影が浮かび上がってきた。

「……コンコちゃん……?」


 見上げるコンコは薄く笑うと布団に潜り込み、滑るように身体を重ねてきた。

 細い腕が背中へ、腰へと回り込むと小さな唇が首筋へと当てられて、それは歩みを進めるように鎖骨に向かって降りていった。


 想定していなかった事態に、コンコは目を丸くして硬直した。

 女の上にいたはずなのに、一瞬にして自分が下になっていたのだ。


 被っていたはずの布団はどこかへ飛んでいき、ふたりが重なる姿は暗闇の中で露わになった。

 天井を背後にした女はコンコの手首をがっしりと掴み、艶めかしい微笑を浮かべて舌舐めずりをしていた。

 女はコンコに身体を重ね、肩に手を添えて薄い胸板をはだけさせた。

 荒い呼吸が耳をくすぐり、コンコは思わず仰け反ってしまった。


「いけない子ね、コンコちゃん」

 耳元で囁かれた声と吐息で、全身がゾクゾクとして抗う力を失ってしまった。

 女の手が脇腹をそっと撫でると、ギュッと結んていた唇が力なく開かれて、熱い吐息が漏れた。

 荒い息が混じった声が、女の耳をくすぐった。

 コンコは瞳を潤ませて、すがるように両手を女に伸ばしてきた。

「お願い……僕を受け入れて……」

 口角から垂れるよだれを拭い取り、にやけた顔はそのままに再び身体を重ねると、跳ねるように身体を離し目を見開いて、コンコの寝巻を一息に剥ぎ取った。


 甲高い悲鳴が聞こえた。

 ふすまを勢いよく開けると、想定していなかった事態が目に映ったので、コンコとリュウは呆然と立ち尽くしてしまった。


「なあコンコ。巫女に締め上げられて泡を吹いている男は、ひょっとして俺じゃないか?」

「うん、どう見てもリュウだね」

 白目を剥いて気絶したリュウに、般若の形相で馬乗りになっていた巫女は、コンコの声を聞いた途端に乙女の顔となり、涙とよだれを頬に伝わせコンコの胸に飛びついた。


「コンコちゃん! 私、ひどい目に遭ったの! もう、お嫁に行けない。だから私と添い遂げて」

 言っている意味がさっぱりわからないが、巫女があやかしに襲われたことだけは理解できた。

 そして今は、コンコを襲っている。

「俺の姿で襲ったのか。大丈夫だったか」

 猫のようにリュウを威嚇してから、事の顛末を話しはじめた。


「はじめはコンコちゃんに化けていたのよ。でもこいつが男の身体だって気付いたの」

 見られることを極端に嫌がっているから、どうなっているかは知らないが、稲荷狐のコンコは男でも女でもないそうだ。

 男の身体ならば偽物だ、巫女はそう判断したのだろう。


「何故、今は俺に化けているんだ」

「男と気付いた途端、あんたの顔が思い浮かんだのよ。お陰で遠慮なく……」

 言葉を濁し、開いた手を力強く握ってみせた。リュウは青ざめ、縮み上がった。


「巫女さん、これはあやかしなんだ。封じるから離れてくれないかな……」

 胸に擦り付けられていた顔が離れると、コンコが祝詞を唱えはじめた。

 刀を抜いたリュウは複雑な顔で躊躇している。

「俺が俺を斬るのか」

「早くしなさいよ! コンコちゃんが困っているじゃないの!」

 実はコンコも、リュウの姿のあやかしを封じることに罪悪感があり、畳の目を見つめていた。

 リュウは狙いを定めると、目を閉じてあやかしを一突きした。

 立ち上った煙が晴れると、目を回してピクピクしている蝙蝠が現れたので、コンコとリュウは胸を撫で下ろした。


「むま?」

 たぬおも初めて聞いた言葉のようで、壺を手にしたままキョトンとしていた。

「巫女が知っていたのだ。夢で誘惑をする西洋のあやかしで、男には女のサキュバス、女には男のインキュバスが現れるそうだ」

 何故、知っていたのかはわからないが、巫女の博識には感心した。真面目にあやかしを研究しているのかも知れない。


「そうですか。私の夢に出てくれたら、巫女さんと……ぬへへ」

「ダメだよ、たぬおさん。このあやかしは、赤ちゃんを作っちゃうんだから」

「それはひどい奴ですねぃ! 巫女さん、危ないところだったんですねぃ」

 たぬおが壺を埋めたところを見届けて、帰路についた。


 そう言えば、西洋のあやかしは初めてだ。

 いよいよ横浜も、百鬼夜行となってしまうのだろうか。

「リュウは、僕の夢だったんだね」

 リュウは再びギクリとした。

「コンコこそ、俺の夢だったろう」

 コンコは真っ赤になり、ギュッと唇を噛んだ。

「そう言えば、コンコは大丈夫だったのか?」


 コンコを襲った夢魔はリュウの姿を借りたものの、男のままでいいのか、女の姿に変わろうかと迷った末に帰ってしまったのだ。

 ただ、それまでのことを思い出すと、頭が沸騰してしまいそうになる。


「夢の中とは言え、僕に何てことをしてくれたのかな……」

 付かず離れず目を合わさず微妙な距離を保ったまま、夜道をトボトボと歩いていくのだった。

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