グレートレース②
鬼火が灯された深夜の競馬場に、サガリが首切れ馬に乗って悠々とやってきた。
『ヒュー! 生き馬の身体がないと、羽のように軽いぜ!』
リュウはと言えば白馬が歩くたびグラグラ揺れて、乗っているのがやっとである。
『ハハッ! なまくら刀に付け焼き刃、こいつは勝ったも同然だぜ』
サガリの挑発に言葉を返せないほど四苦八苦しているリュウに、コンコが歩み寄った。
「リュウ、最高の馬に来てもらったんだ。この子を信じて」
リュウは黙ってうなずいた。
余裕がなく口には出せなかったが、コンコを心から信頼していることが、その眼差しから覗えた。
『稲荷狐はどんな味かな? ヒェッヒェッヒェ』
「ええ!? 僕も食べちゃうの!?」
汚らしくよだれを垂らすサガリと、踊るように足踏みをする首切れ馬に、コンコは歯が鳴るほどにブルブルと震えだし、全身から不安と恐怖を滲ませた。
「コ…コンコ」
未だ白馬に苦戦して馬場をぐるぐる回っているリュウが、頼りなさそうな口調で声を掛けた。
「お前が見つけた馬だろう、大丈夫だ」
すると白馬は、リュウを受け入れるように落ち着いて、コンコを真っ直ぐ見つめた。
馬上のリュウも、真っ直ぐにコンコを見つめている。
今、人馬一体となったのだ。
「そうだね、君は日本一のお馬さんだよ」
パドックにはどちらも素直に入ったが、出走が待ち切れない首切れ馬は、興奮のあまり柵を何度も蹴っている。
挑発しているのかも知れず、並の馬ならこれでやられてしまうだろう。
しかし白馬は冷静に門が開くのを待っている。
開いた!!
生身の重さがない首切れ馬は、飛ぶように走っている。
いや、飛んでいるのだ。
はじめは立ち上った土煙が、最初のコーナーに差し掛かった頃には消えている。
「さっそく妖術か、汚いやつらめ……」
白馬は必死に追っているが、しがみつくだけで精一杯のリュウは制御することなどままならず、天命を任せるのみだった。
首切れ馬の軽さが仇となった。
普段の走りの力を出すと、コーナーを速く走りすぎて内側を攻められないのだ。
外へと膨らんでしまい、白馬との差を広げられないでいる。
この誤算にも、サガリは余裕の表情である。
直線で突き放せばいいのだ。
そうすれば、あの人間も稲荷狐も俺のものだ。
どう料理して食べようか。
それとも、とことんいたぶってやろうか。
サガリの口から溢れ出た粘っこいよだれが糸を引き、走る勢いになびいていた。
コンコの言うとおり、この白馬は速い。今までに見たことのない景色で走っている。
しかし宙を飛ぶ首切れ馬の速さは異常だ。
曲線の外周を走っているにもかかわらず、その差がまったく詰まらない。
首切れ馬が直線に入ると一気に加速して、みるみる小さくなっていく。
「お前は、あやかしよりも速く走れる! 信じているぞ! 頼む!!」
そのとき、馬の首が炎となって消えた。
まさか、こいつも首切れ馬か!?
再び炎が立ち上がり、首は元に戻った。
リュウの目に映ったのは首ではなく、女の背中だった。
「リュウ様、私にお任せください!」
白馬が直線に差し掛かると、女もリュウも前傾した。
「あああああ!!」
何故かコンコは、おかっぱを掴んで悲痛な叫び声を上げていた。
ピッタリとくっついた女とリュウに、何か思うところがあったらしい。
白馬は激しい土煙を上げながら猛然と加速し、じわじわと首切れ馬を追い詰める。
「よし、いいぞ! そのままだ!」
「いい走りよ! 頑張って!」
曲線では首切れ馬は外を、白馬は内を走った。
白馬の方が距離が短く有利なのは明白である。じわじわ迫りコーナー中央ではついに追い抜き、大量の土煙を首切れ馬に浴びせた。
サガリの目だけが頼りなので、首切れ馬は失速し、白馬との差を広げてしまう。
最後の直線でも、追いつくどころか差を詰めることさえままならず、土煙の切れ間に覗く白馬の後ろ姿を見ていることしかできなかった。
サガリと首切れ馬を封じた壺ふたつを、勝利の証として掲げるコンコは満面の笑みである。
リュウは、白馬と女に深々と頭を下げた。
「そなたらのお陰で、我々は命拾いした。心から感謝する」
「いいえ、私たちも久々に力一杯走れて、気持ちよかったわ。ね?」
「本当に遠いところ、ありがとうね。オシラ様」
その名を聞いて、リュウは感嘆した。
神様であるコンコが呼ぶのだ、神様であるのは当然のことだ。
一瞬でも、オシラ様を首切れ馬だと思った自分を恥じるリュウだった。
「せっかくなので、横浜をゆっくり周りますわ。コンコちゃん、呼んでくれてありがとうね。楽しかったわ」
オシラ様とあやかしをたぬおに託し、コンコとリュウは家路についた。
リュウは、昔聞かされたオシラ様の物語を思い出していた。
農家の娘と家の飼馬が恋に落ちて夫婦になる。父親は怒りのあまり、馬を殺して木に吊り下げると娘がすがりついて泣くものだから、父親は馬の首をはねてしまう。娘は馬の首に乗り、天へと昇りオシラ様になったとさ。
そして娘は両親の夢枕に立ち、養蚕を伝えたと言われているそうな。
生糸の輸出で栄える横浜に、オシラ様が訪れたのは何かの縁なのかも知れない。
「ねぇ、リュウ。馬と娘が夫婦になって、神様になったからオシラ様だよね」
そう、ふたり合わせてオシラ様なのだ。とても仲睦まじく、微笑ましい夫婦だった。
「神様と人が夫婦になったら、どうなるかな?」
ふたりは一瞬目が合うと、火花が散ったようにまぶしくてリュウは夜空を、コンコは路傍をじっと見つめた。
「さあ、どうなるのかな」
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