ホテル・ザ・シキ②

 ベッドに押し倒されたコンコは、赤面しながら必死の抵抗をしていたが、日頃から武芸の鍛錬に勤しんでいるリュウの力は凄まじく、まったく身動きが取れなかった。

 無理に動いたものだから服がはだけてしまい、薄い肩が露わになった。

 胸元にかかる熱い吐息と恥ずかしさから、唇を噛み、潤んだ目を閉じ、仰け反ってしまった。

「ちょっと…リュウ、やめて…あっ…」


 我に返ったリュウは飛びのいて、ベッドの端で深々と頭を下げた。

「すまぬ、幽霊だけはダメなのだ」

 もう…と言いながら、はだけたシャツを整えて人影の方を見つめると、額をベッドに押し付けるリュウの肩を、コンコがそっと撫でた。

「安心して、幽霊じゃないよ」

 恐る恐る人影を見ると、それは子供の姿をしていた。

『ふたりとも、熱いねぇ。へへっ』

 座敷わらしだったのだ。


 あやかしと言うよりは神に近いのだそうで、見た目も歳も近いコンコが、座敷わらしの話を聞くことになった。

「君は、どうしてホテルに住んでいるの?」

『美味しいものが毎日出るし、慣れればベッドは快適だし、掃除だって毎日してくれるんだよ! こんな家は、他にはないよ!』

 確かに上げ膳据え膳で、客が部屋を出るたびに何事もなかったかのように部屋を元通りに戻す。商売とは言え、滅多にない部屋には違いない。


「出るのは、この部屋だけなの?」

『オイラはこの部屋に住んでいるからな。でも、すべての部屋に座敷わらしが住んでいるぜ』

「すべての部屋!? 部屋の数だけ、座敷わらしがいるっていうこと!?」

 座敷わらしとは、そんなにたくさんいるのかと驚いてしまった。

 快適なホテルができたので、増えているということはないだろうか。

『いい家があるって、田舎の仲間に教えてやったんだ。そうしたら次から次へと押しかけて、田舎じゃあ空きを待っているのがいるくらいだ』

 しかし彼に出る気はなさそうだ。ということは横浜にホテルが建つたびに、座敷わらしがやってくるのだろう。


 リュウにも疑問が湧いてきた。幽霊でないなら怖くなく、あやかしどころか神に近いなら恐れることはないだろう。

「飯はどうしている。西洋人は座敷わらしに供物くもつなど、しないのではないか?」

『1日1回、泊まりにきた客の後ろに着いていけば、勝手に出てくるんだよ』

「その金は、その客が払っているのか?」

『心配になって様子を見たら、ホテルの勘違いになっていたよ』

 部屋の数だけの子供の食事が供されて、ホテルが負担していたというなら、相当な金額の行方が謎になっているのだろう。


 それではホテルの経営は火の車だろう、と思いきや毎日満室、横浜では一番の売り上げなのだ。

『もらってばかりじゃ申し訳ないから、商売繁盛を祈っているんだ。ちゃんと願いが通じて一安心だよ』

 これが、あやかしでありながら神に近いという理由か。願いが通じたのではなく、座敷わらしの霊力かも知れない。

『こんな快適なところ、潰れてもらっちゃあ困るしね。1日でも長く過ごしていたいよ』


 そのとき、扉を叩く音がした。開けるとホテルマンが一礼をし、食事の準備ができたと告げた。

 すると座敷わらしが各部屋から大食堂へと駆け出していった。

「壮観だな……」

「お元気ですよね。子供は、ああでないと」

 すっかり騙されているホテルマンは、ニッコリ笑ってふたりを大食堂へと案内した。


 西洋人に混じって、四苦八苦しながら西洋料理を口にした。

 いい見世物になってしまったと思いつつ、ヘトヘトになって食べ終えた。

 各組の間に割り込んだ座敷わらしの方が上手く食べていた。西洋人の生活に、すっかり馴染んでしまっている。これでは、もう田舎へは帰れないだろう。


 大食堂を後にして、コンコとリュウが支配人に事情を説明すると、腕を組んで悩んでしまった。

「勘定が合わないから、ずっと妙だと思っておりましたが、そういうことでしたか」

「座敷わらしが住んでいれば、このホテルの商売繁盛は間違いないんだ」

「もし追い出してしまえば、ここはあっという間にすたれてしまうぞ」


 うむむっと唸った末、支配人は覚悟を決めて顔を上げた。

「わかりました。座敷わらしには、ここに住んで頂きましょう」

 いつの間にやら集まっていた座敷わらしが、大喜びで飛び跳ねていた。

「ただ混乱を防ぐため、座敷わらしの食事時間を設けます。君たち、それでいいよね?」

 座敷わらしは、揃ってうなずいた。この子たちは、行儀がいいのだ。

「お客様には、各部屋に日本の神様がいること、ないがしろにしてはならないことを説明します」

 コンコが嬉しそうな顔をして、座敷わらしに「よかったね、よかったね」と言っていた。

 神様が神様としてあがたてまつられることが、稲荷狐として喜ばしいのだ。


 しかしリュウには心配なことがあった。泊まりにくるのは、いい客ばかりではないはずだ。

「不気味に思うやからがいるかも知れぬ、大丈夫か」

 しかし支配人は、あっけらかんと言い放った。

「大丈夫でしょう。特にイギリス人は幽霊好きと言いますから、きっと喜ぶに違いありません」

 幽霊と聞いて、青い顔をしてブルリと震えた。

 イギリス人は幽霊好きだと?

 やはり西洋人の考えは、理解ができぬ。


 支配人との話が終わり、ふたりで部屋へと戻る途中のこと。

「なぁ、コンコ」

 リュウがそっぽを見つめながら声を掛けた。

「布団をひとつ、座敷わらしに空けてやろうと思うのだが」

 コンコはハッとしてから赤く染まった頬に手を当てて、潤んだ流し目でリュウを見つめた。

「僕の布団で…一緒に、寝る?」

 そう言ってからニシシと笑って、コンコは部屋へと走っていった。

「俺は床で寝ると言おうとしたんだ!」


 リュウが真っ赤な顔で追い掛けると、異国人がドアを開けて「Shut Up!!」と叫んだ。

 しかしふたりに英語は通じず、座敷わらしたちは騒がしそうな夜に、やれやれという顔だった。

 

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