ガス燈①

 コンコとリュウのふたりを雇う高島嘉右衛門は、横浜を開港し発展させるのに欠かせなかった人物である。


 江戸の材木商の家に生まれ、寺子屋通いで抜群の記憶力をあらわし、父の仕事を手伝うと商売の才覚を発揮、安政地震を予知して莫大な利益を生む。

 佐賀藩の要請で伊万里焼を販売することをきっかけに横浜へ進出。


 しかし金銀為替かわせの闇取引で牢獄に入る。

 罪を償ってから、再び材木商として横浜で活躍するようになる。

 異国人の建物を建設し、サロンを兼ねた旅館を作り、神奈川宿付近から横浜港付近までの海上に鉄道線路を作り上げた。

 すぐに火災で焼失してしまったが、洋式学校を作るなど教育にも関心がある。


 これだけの偉業を成し遂げながら財閥にも政界にも関心がなく、今は自ら築いた線路と横浜港をのぞむ高台に暮らし、ひとりで易断えきだんを楽しんでいるそうだ。


「このガス燈も、高島さんのお仕事なんだよ」

 コンコは自分のことのように誇らしげに言っているが、そんなことは知っているとリュウは冷めた目で燈火を見つめた。


 夕暮れ空が燃えるような色になった頃である。法被はっぴの点灯夫がガス燈を周り、火をけた竿を使って燈火をひとつひとつ灯している。

 夜は暗いのが当たり前と思っているので、ガス燈が灯る通りを歩くと眩しくて仕方ない。

 コンコもリュウも、慣れない灯りに目を細めていた。吊り目がちなコンコは狐らしく見える。


「それで、今日はどんな仕事なんだ?」

「ちょうどこの辺りで、夜になると海や川に落ちる人がたくさん出るんだ」

 また港かと、リュウはため息をついた。

 海坊主によってずぶ濡れにさせられて、潮水を洗い流すのに難儀したからだ。

 刀の潮を落としたり、自身の身体を洗うことよりも、恥ずかしがって身体を見せたがらないコンコに気を遣うのが、一番難儀した。


 中で洗いたいからと家を追い出され、リュウは外で、コンコは家の中で水垢離をした。

「リュウ、見てない!?」

「見てないよ」

 こっちだって洗っているのだ、見ているはずがなかろうと、やや呆れながらタライに入って潮を流した。

「本当に見てない?」

「見てない、わっ!」

 見ていないのか気になったコンコが、リュウを覗き込んできた。

「キャッ!」

と引っ込むと、見られたのはリュウの方であるにもかかわらず、見た見た助平と騒ぎ立てたのだ。

 結局、刀の潮をひとりで落とし、風呂屋に着くまでコンコに真っ赤な顔で睨みつけられた。

 仕方なく、おいなりさんを帰りに買って何とか機嫌を取ったのだ。


「酔っ払いじゃないのか?」

「酔った人もいるけど、そうじゃない人もいるんだよ」

 空は次第に暗くなり、ガス燈の効果がみるみる発揮されていった。

 ちょうど酔っ払った異国人が、聴いたことのない歌を歌いながらひとりでフラフラ歩いてきた。少し離れた場所ではあるが、ガス燈のお陰でその様子がよくわかる。

 そして海に落ちた。


「ね? 言ったとおりでしょう?」

「うむ、そうだな。ところで」

「なぁに?」

「助けなくていいのか?」

 コンコは慌てて異国人に駆け寄って、近くに綱や網はないかと左右をあたふた見渡した。

 やれやれまったくと刀を手渡し、リュウが海に飛び込んだ。


 異国の言葉で礼を言われて、着物を脱いで絞るリュウに、コンコは背中を向けていた。

「また潮水まみれじゃないか……」

「さっすがぁ! 格好良かったよ、リュウ」

 見られるのはともかく、他人の身体を見るのも恥ずかしいのか。稲荷狐に男女の区別はないそうだが、人間とは違う羞恥心があるのだろう。

 しかし、わざわざ背中を向けることはないだろう。こんなに暗いのだから、何も見えやしない。

 暗い、だと?


「コンコ! ガス燈が消えているぞ!」

 言われてコンコもハッとした。

 異国人が海に落ちた騒動と、慣れた宵闇だったので、ガス燈があったことなど忘れていたのだ。

 あの異国人は燈火をたどって歩いて落ちた。今その燈火は消えている。

 付近を見渡しても、点灯消灯かかわらずガス燈は1本も建っていない。

 すると、遠くの方からこちらに向かい、点火夫もなしにガス燈が灯りはじめた。

 あやかしだ!


 リュウが刀に手を掛けて、コンコは巫女装束に変化した。

「何奴!」

 ガス燈たちがケケケケケッと嘲笑あざわらった。この声は、まさか…

「お前ら、狐火だな!?」

 ガス燈の炎は、みんな白狐に姿を変えた。コンコの睨んだとおりである。


『さすが300年の稲荷狐、よくぞ見破った』

 あやかしらしい雰囲気に、リュウは刀のつばを押し上げた。さあ、いつでも抜けるぞ。

 しかしコンコは、手で制した。

「こんなバラバラにいるようじゃダメだ。ひとりずつ斬ったところで、ほとんどの狐火が逃げてしまう」

 確かに、ズラリと並んだ狐火をすべて斬るのは無理な話だ。

「僕に考えがある。だから斬らないでくれないか」

「わかった、コンコに任せる」

 任せてくれと言わんばかりに、鋭い目つきで笑ってみせた。

 巫女装束だが、キリッとすると男らしい。


「それで、念のため聞くが……」

「何だい」

「同じ狐だからって、情けは掛けていないよな」

 コンコは、ぷうっと膨れた。また怒らせてしまったようだ。

「狐火の奴らは、悪戯のことばかり考えているんだ。狐の風上にも置けないよ」

 なるほど、同じ狐でも神様とあやかしでは違うようだ。お互い、難しく複雑な感情があるのかも知れない。


「さあ、狐火たち! 僕に着いてきて!」

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