第6話 急転
「……くくっ、はは、はーはっはっはっは」
突然、笑い声をあげる男からはさっきまでの恐怖や怯えという感情が抜け落ち、愉悦のようなものが浮かび上がっていた。
「まさか、まさか、こんな小娘に足元を救われるとはね。この女ならいくらでも言い逃れが出来ると思ったんだがなぁ。ご名答。君の姉を殺したのは間違いなく僕だ。僕が憎いか。僕を殺したいか。さあ、やれ。一思いにやればいい。そこの狂人が、おあつらえ向きなことにいろんな道具を用意してくれている。ナイフを心臓に突き刺すか? それとも金槌を頭に振り下ろしてみるか? それともロープで首を締めてみるか。好きな道具を使うといい」
嗤いながら男は万屋と同じ言葉を口にする。
あまりの豹変ぶりに私は思わず後ずさった。縛られ身動き一つできない男に恐怖した。
「くくっ、もしかして今頃になって怖気づいたのかい? ダメだね。ぜーんぜんだめだ。君はもう後には引けない。だって僕と目を合わせてしまったんだ。そこの狂人が僕を解放することはないさ。僕はどのみち殺される。君がやろうがやるまいが、僕は死ぬ。だったら君がやりたまえ。姉の復讐を見事やり遂げるんだ。憎めよ。恨めよ。呪えよ。そのすべての感情を乗せて僕を殺せよ」
「……」
男の感情のうねりに耳を塞ぎたくなった。物理的には手の届かない距離にありながら、迫ってくるような圧を感じて一歩後ろの下がると、ステンレスのテーブルに腰が当たりカタンと金属音がした。男に永遠の沈黙を与えることのできる凶器が並んでいる。
恐怖から身を守るように思わず一番近くにあったナイフを手に取った。
「やめて。ヤメテ。止めてくれ。殺さないでくれ。僕じゃない。僕じゃないんだ。助けてくれ。僕はこんなことしたくなかったんだ。だけど、逆らえなかった。僕は僕で僕だけど。僕の中には僕にはどうすることもできない僕がいて。僕は止めようとしたんだ。こんなことしちゃダメだって。でも、止めることができなかった。ごめん。ごめんなさい。君のお姉さんを僕の中のぼくが殺したんだね。僕が殺してしまったんだね。許されるとは思わない。だから、警察に行くよ。だから、だから、殺さないで。お願いだ」
「これも演技だ」
人を見下すような目が一変して怯えになり、そして懇願してきた。多重人格だと言われれば信じてしまいそうな豹変に驚いていると、男を黙らせるように万屋が間に入り猿轡をつけなおし、さらには目隠しも施した。もごもごと何か言おうとしているが、口に詰め込まれた布の所為で言葉になっていなかった。
「もうわかっているだろう。この男が反省することはない。この男にとって死は何でもないことなんだろう。だから命乞いをすることもない。そんなことを期待していたのなら諦めた方がいい」
その通りなのかもしれない。私に向かって「殺せ」と吼えたときの男の方が本物の感情を見せていたように思う。私が本当に男を殺せるか楽しんでいたのだ。
もう、迷う必要はない。
この男こそが間違いなく姉を無残に殺した殺人鬼なのだ。
手元のナイフと男を交互に見比べた私は、ナイフを台の上に戻した。そして別の工具を手にしてみた。のこぎり、ペンチ、ハンマー、どれを手に取ってもどこか違和感があった。殺そうと決意したのに、これじゃないという感覚が支配する。
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