10
今度は獅婁から零八のほうへ飛びかかり、蜘蛛の長い脚が振るわれる。八本の触手が零八の胴体を吹き飛ばすそうとやってくるが、彼は地面に手をついて、くるくると後転して避ける。
一本、二本。同時に左右から来る脚を、刀を大きく振るって斬り、間合いを詰める。
三本、四本。今度は正面から。零八は再び後方へと飛ぶ。
しかし。刀を、振るわなかった。
その行動に獅婁は違和感を覚える。思考を巡らせて数秒、彼はようやく意味を理解した。
「────成程。触手の長さを測っていましたか」
ぎらりと光る瞳を零八に向けた。
「お前の触手は伸びて最大七メートル弱。攻撃動作の癖、隙、死角。────これで全て分かったぞ、獅婁」
零八は刃を向ける。
彼は今までただ攻撃を捌いていたわけではなかった。目の前の情報を的確に処理し、計算し、策を練っていた。
圧倒的な身体能力は勿論、零八は判断力と洞察力がずば抜けて優れていた。これは混血の彼だからという理由ではなく、ただ
彼がその強さたる所以は、頭の回転の速さでもあるのだ。
まさに狩り師になるために生まれてきたような男だった。
獅婁は目を見開かせたあと────大きく口を開け、天を仰いで笑った。
「く・・・・・・っははは! はははは! 嗚呼、なんたることか! よもやあの追いかけっこにそのような計算もあったとは!」
「思ったよりも時間がかかった。こんなにかかったのは久しぶりだ」
刃を向けたまま、緩い速度で一歩、二歩。
獅婁の触手がやってくる。
三歩目。零八は触手に飛び乗った。
足を着けている時間は瞬き一つにも満たない。零八は次から次へと迫り来る触手に飛び移り、間合いへとぬるりと入る。
触手は一度も切り落とさず、ただ攻撃の上に飛び乗って、足場として使用する。
獅婁の正面へと移る。彼は目を見開いていた。
首へと刃が届くまであと三歩、二歩。
そして。
「────終わりだ、蜘蛛男。お前は、人間を殺しすぎた」
刀を振り上げる。
獅婁が間合いから抜けようとするよりも先に、彼の刃が首に届いた。
「・・・・・・・・・・・・嗚呼、見事です─────」
掠れた呟きを残して、獅婁の首は落ちる。鮮やかな鮮血を撒き散らして、どしゃりと胴体が零八の足元に倒れ込んだ。
最後の最後まで、獅婁は笑っていた。
再び、橋の上に静寂が訪れる。
零八は鞘に刀をしまう。
─────街を恐怖に陥れていた悪魔、獅婁と、最強の悪魔狩り師、天桐零八の闘いは、ここに終結したのだった。
***
「あ、戻ってきた。おかえりなさいレイヤ。早かったわね」
「・・・・・・いや。時間がかかった」
零八の姿を見るなり、ひょっこりと電柱の影からリレイアは姿を現した。
傷一つと無い彼の様子に、彼女は胸を撫で下ろす。
「無事に退治、出来たのね」
「ああ」
「良かった」
安心するようにリレイアは笑った。
優しい瞳を向けたまま、彼女は続ける。
「随分と遠くで闘ってたみたいね。しかもたくさんヒトを食べてた悪魔だし・・・・・・」
「・・・・・・いや。確かに厄介ではあったが、強さは大したことはない」
「そりゃあ貴方からしたら大抵の悪魔は、大したことないんじゃないのかしら」
零八は何も返さなかった。
本当に凶悪で強い悪魔は、この世界にいる。それこそ獅婁など比べ物にならないほどに、だ。
やがてリレイアはそっと口元を引き締めると、無惨な姿へと変わり果てた死体へと歩いていった。
首と、両脚が切断されたむごい姿。全て、獅婁という残忍非道な悪魔が犯した罪だ。
リレイアはひどく痛々しげな表情を浮かべたまま、そっと犠牲者の傍にしゃがみ込む。
「どうか、貴方の魂が救われますように」
そっと手を合わせて、彼女はそう呟いた。
悪魔が人間に手を合わせているという事実に、零八はなんとも言えない気持ちになった。
そんな感情をぶら下げたまま、彼はポケットに手を突っ込む。入れっぱなしだった壊れたままの十字架のペンダントが、ひやりと冷たかった。
零八は、彼女のように知らない誰かの追悼など、したこともなかったのだ。
「・・・・・・・・・・・・お前は、俺よりも人間らしいな」
消え入るような零八の呟きは、リレイアの耳には届かなかった。
彼は彼女の後ろ姿を見つめていた。弱い風がさわさわと、ホワイトブロンドの長い髪を揺らす。
しばらくしてリレイアは立ち上がると、零八の元へと歩いてくる。
「ところで、遺体とか・・・・・・悪魔の死体って、どうするの?」
「放っておけ。それは俺の仕事じゃない。そのうち警察やDAFが見回りに来るから、そいつらが処理をする」
狩り師の仕事は、あくまでも悪魔を殺すことだけだ。事後処理は国家機関に任せている。
リレイアは微かに瞳を揺らしたあと、静かに頷いた。
「そう、なのね・・・・・・ええ、分かった」
零八の任務は完了した。
彼だけではない。リレイアもまた、ナビゲーターとして良い動きを見せてくれた。
彼らは天桐邸へと歩き出す。
街はまだ寝静まっている時間帯だ。
二人分の影がゆっくりと、夜道を進んでいく。
***
柔らかな朝日がリビングの窓へと射し込んでいる。今朝も昨日と同じ、コーヒーの匂いが部屋に漂っている。
リレイアがつけたテレビからは、獅婁のことがニュースに取り上げられていた。
『東京都××区で、男性の遺体が発見されました。遺体には首と両脚が無く、連続捕食事件犯人である悪魔の犯行と分かりました』
女性のニュースキャスターが、淡々と事件の内容を話している。
『現場から数キロ離れた、
零八は鼻を鳴らした。
ついに連続捕食事件の幕は閉じた。もう周辺地域の民間人が獅婁に怯える必要はないだろう。
「もうニュースになってる。流石、早いわね・・・・・・」
リレイアはテレビ画面を見つめながらそう零す。
DAFは二十四時間、隊員が街中の見回りを行っている。それだけでなく、至る所に彼らが用意した専用の特殊カメラまでも設置してある。
東京はいつだってDAFの監視下にある。悪魔は身を隠すのに、毎日とてつもないほど必死なのだ。
獅婁の死体はおそらくDAFが見廻りをしたときに見付けたのだろう。たまたま見つけた悪魔の死体が、あの連続事件の犯人と分かった時はさぞ驚いたに違いない。
だが、零八が先にあの外道悪魔を退治したのは正解だった。いくらDAFと言えど、獅婁の相手をするのは組織の上位に位置する者しか不可能だ。並の隊員では、きっと無駄死をすることになっていただろう。
「ところでレイヤ。今、昨日出てった時間よりも過ぎちゃってるけど大丈夫なの? 学校は?」
リレイアはカップを握り締めたまま、振り向いて彼に問うた。
零八は首を振って答える。
「今日は行かない」
「? どうして?」
「別に。行く必要が無いからだ」
昨日行った零八は、今日は行かないと決めていた。当然のように無断欠席である。
留年しないラインギリギリで彼は学校をサボっているのであった。
リレイアは金色の目を細めて、「悪い子ね」、と言った。
零八は気にすることもなく、カップに残っていたブラックコーヒーを飲み干した。
「じゃあ、今日はどうするの?」
首を傾げるリレイアに、零八はいつもの変わらない、無表情のまま告げた。
「今から繁華街へ行くぞ。お前もついてこい」
「・・・・・・へ?」
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