09
時すでに遅し。
強い血の匂いを嗅いだ瞬間から分かりきっていたことだが、こうも無惨な姿で見つかるとは零八は予想もしていなかった。
それでも零八は何の感情も見せない顔で、辺りを見渡した。彼は腰の刀に手をかける。
「・・・・・・レイヤ」
遅れてリレイアがやってきた。震えるほどに美しい顔立ちは、今は悲しげに歪んでいる。彼女もその死体に目をやるが、あまりにも悲惨な光景に口元を抑えてすぐに視線を逸らしていた。
八人目の犠牲を、止められなかった。
誤算だった。完全に予想外というわけではないが、悪魔のほうが一歩早かった。狩る前に犠牲者が出てしまった。
死体からは血が溢れ切っていて、地面を真っ赤に染め上げている。
「こんな、残忍な殺し方・・・・・・」
しゃがみ込んだリレイアがそう零した────瞬間だった。
零八の刀が一閃、彼女の背後を斬る。
「────・・・・・・レ、」
「────これはこれは。世にも珍しい匂いの悪魔がいると思えば、そちらの貴方も混血の者でありましたか」
呆然とするリレイアの背後、暗闇から現れたのは一人の悪魔だ。
口元を血で染めあげて、手には片脚が抱えてある。
今の一撃を避けた事実に、零八は瞳を微かに見開かせた。
男は一歩彼らに近づいて、街灯の光で二人はようやくその姿を見ることが出来た。
「全く。不思議なこともあるものですねえ。────有り得ざる例外に位置する者たちよ」
若い、男だった。
白のコートに身を包んでいるが、それは真っ赤な血で色を変えている。
一見、穏やかな顔立ちをしているように見えるが、ぎらりと光る双眸には確かな狂気を宿していた。
男は口元に笑みを浮かべながら、零八とリレイアの顔を交互に見る。
「はて。とんと理解出来ませんなぁ。
男が言い終える前に、零八は一瞬で間合いを詰めて刀を振るう。
「お前に話すことは無い。俺はお前を殺す」
「ハッ、これはこれは」
悪魔は身を捻り、彼の太刀から逃れられた─────かと思いきや、ごろりと右腕の肘から先が、地面を転がった。
狙ったのは首だが、すんでのところで躱された。零八は不快そうに舌打ちを零す。
「実に見事。混血の子とは、斯様に化け物じみているのですか。いやはや、人間たちもきっと貴方を恐れおののくに違いないでしょうに」
「俺を化け物と呼ぶか、外道」
零八が睨みつけると、悪魔は笑みを深める。そのまま切れた腕を前にだすと、瞬時にそこから再生する。
短期間で人を多く喰ったことが理由か、再生力は一般的な悪魔と比べ物にならなかった。
「嗚呼、自己紹介がまだでしたね。私は
わざとらしい演技で、獅婁と名乗った男は胸に手を当てお辞儀をする。抱えていた脚を放り投げて、それはごろごろと死体の横に転がっていった。
今まで沈黙していたリレイアは、彼を睨み付けながら問うた。金色の瞳には強い敵意が滲んでいる。
「何故・・・・・・何故こんなに沢山、人を殺すの?」
「何故と申されても・・・・・・人間だって、美味であるものを求めることに理由がありましょうか」
「・・・・・・っ、食べ比べしてたってこと!? 生きるためではなく、娯楽のために命を踏み付けにしていたと、貴方は・・・・・・っ」
「ええ。私はたまたま悪魔に産まれてきた。悪魔の食材もまた、たまたま人間だったというだけですよ」
激昂したリレイアが一歩踏み出すよりも先に、刀を構えた零八が前に出る。
ぎらりと月明かりに照らされて、鋼は銀色の光を放っていた。
最早言葉など不要。
この悪意と狂気に塗れた悪魔は、この世に生かしてはおけない。
静かな宵闇に包まれながら、悪魔と悪魔狩りは対峙する。
一触即発の雰囲気のなかで、ふと一陣の風が吹いた。
「────嗚呼、混血の貴方は、果たしてどんな味がするのでしょうねえ」
風がおさまったあと、獅婁のそんな低い声が二人の耳に届いたとき、彼の姿はみるみるうちに変わっていった。
目は赤く染まり、背中からは蜘蛛の脚のような長い触手が生える。先が尖り、人を傷つけるためだけに特化されたその凶悪な触手は、八本も存在していた。
蜘蛛の脚が最大限まで伸びきったあと、獅婁は口を横に引き伸ばし、悪辣な笑みを浮かべる。
とうとう彼は、文字通りの化け物へと姿を変えた。これが、悪魔である彼の真の姿だった。
喉の奥が焼けるような獅婁の殺意に、リレイアの足は竦み、動かなくなる。
「お前はそこにいろ。邪魔になる。決して動くな」
リレイアは眉間に皺を寄せながらも、小さく頷いた。
「く、くく────かはは! 悪魔と! 悪魔狩りが! 共存などと笑わせる!」
零八は何も返さず、ただ大きく息を吸った。
そして、踏み込んだ瞬間、悪魔は跳躍する。
狂気的な笑みを浮かべながら、背中から生える蜘蛛脚の触手を零八に向ける。
彼は刀を振り、触手を切り刻む。獅婁との距離を瞬時に詰めて、振るった刃は首元まで届こうとしたが、再び蜘蛛の脚が零八に襲いかかっては阻まれる。
「その再生力────お前、この街に来る前にも大量に人を喰っていたな?」
「はは! あらゆる人間、あらゆる部位を食しましたとも! 不味い肉はその辺に捨て置きましたが!」
「そうか。ならば、今日が最後の晩餐だ」
四方八方からの攻撃。
零八は身体を捻り、一回転しながら刀を振るい、悉くを切り刻む。触手は霧散するが、再生スピードが速くすぐに新しい触手の攻撃が来る。
煩わしさに舌打ちをする零八を見て、獅婁は口元を歪ませた。
「く、ははは────貴方の肉は大層美味なのでしょうね! 一口、二口! いいや、足りぬ、足りぬ! 丸ごと喰ろうてやりましょう!」
最早この悪魔に理性は無く、己の欲望を剥き出しにして零八を襲う。
殺し、奪い、ただ喰らうのみの化け物が、大きな口を開けて笑う。
蜘蛛のような脚で攻撃するだけでなく、獅婁は器用に、本当に脚として使っていた。蜘蛛の脚で、彼はあらゆる所へ、飛ぶ、飛ぶ。
屋根の上へ、その次はマンションの壁へ。そして今この瞬間、獅婁は川に架かる大橋へと降り立った。
零八は追い掛ける。速さは獅婁にも引けを取らない。
そうして気が付いたときにはリレイアのいる場所から随分と遠く離れていた。
彼は刀を振るいながら夜闇を駆ける。銀色の髪が空中で踊る。
「常に攻撃を斬り落としつつもなお落ちない速度、お見事! その強さ、人間でも悪魔でも見たことがありません!」
背後から二本、その次は右方向から触手が零八の元へとやってくる。
彼は左へ身を捩って回避。後方へ跳躍して欄干に着地した。
そしてすぐに零八は刃を振り上げて、獅婁の首を斬りに迫る。蜘蛛脚を一瞬で切り刻み、避けながら彼の真横へと回り込んで間合いに入ったが、獅婁は脚を束にして刃を弾いた。
彼のそんな触手でコンクリートの表面は深く抉れ、砂煙が舞っている。視界が隠れたせいで零八は舌打ちを零しつつ、間合いの外へと飛びずさった。
「いやはや、闘い慣れしていますねぇ。・・・・・・互いに」
零八の軽い身のこなしは人間は勿論、悪魔ですら凌駕する。未だに零八の身体にはかすり傷の一つも作られていなかった。
────だが、闘いはおよそ平行線のままである。
互いに致命傷となる傷をつけられず、隙ですら獅婁はもう作らせなかった。
別の町で人を喰い漁っても足りず、男はこの街でも殺戮と捕食を八回繰り返した。
一般的には人一人食えば悪魔は二、三カ月は持つところ、彼はおよそ数週間で八人もの人間を喰っている。
悪魔は食べた量と比例するように、その個体の能力値が上昇する。だから獅婁もまた、他の悪魔よりも遥かに再生力が高いのだ。斬っても斬ってもまた、背中から生える蜘蛛の脚は再生する。
このままでは長期戦になってしまう。
零八一人だけならまだしも、少し離れた場所にはリレイアがいる。あのまま彼女を一人にしておくと、DAFや狩り師に殺害される可能性がある。
もうそろそろ決着をつけるべきだ、と零八は刀を握り直した。
「・・・・・・不思議なヒトですねぇ。貴方は人ならざる身でありながら、外面だけただの人間として生きて、その上ソレらを守ろうとする。一体何故です?」
間合いの外で、獅婁は首を傾げてそう問いかける。
零八はそんな彼の言葉をばっさりと切り捨てて、再び戦闘態勢に入る。
「くどい。お前と話すことなど無い。そろそろ終いだ、蜘蛛男」
「つれないですねぇ。ですが、ええ、そうですね。この獅婁、貴方の肉を早く喰らってやりたいと思っていました、よ────!」
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