08
夜が深くなっていく。
今夜も大きな月が、煌々と輝きを放っている。
悪魔狩りの時間がやってきた。
零八はホルダーを腰に着け、鞘を固定した。服装は汚れが目立たない黒のシャツだ。ネクタイはしていない。そしてシャツと同じように真っ黒の手袋を嵌めて、玄関へと向かう。
これが狩りをする時の、いつもの格好であった。
準備を済ませ、玄関の扉を開けようとする瞬間、明るい声が零八を鼓膜を撫ぜた。
「レイヤ。悪魔狩りに行くの?」
リビングにいたらしいリレイアが、ひょっこり廊下に顔を出して彼に問うた。
「・・・・・・見ての通りだが」
「じゃあ、私も行こうかしら」
「お前は邪魔になる。家で大人しくしていろ」
乱暴に言い放って扉を開ける。
だがリレイアはとことこと小走りで彼の元へとやって来た。
「私だって記憶を取り戻したいもの。家にいるばかりでは駄目でしょう? それに、思い出せば情報だって貴方に言えるもの」
顔を覗き込むリレイアに、零八は盛大に舌打ちをして、「勝手にしろ」、とだけ答えた。
広い庭に出れば、相変わらず伸びきった草が風に揺られてさわさわと音を立てている。そんな音に耳を傾けながら、リレイアは外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
日中よりも風が出てきたようだ。
血の匂いが、強い風に乗ってやってくるかもしれない。
そんなことを零八は思いながら、門を潜り抜けた。
坂を降り、二人は夜の街を歩く。
辺りはしんと静まり返っていた。ここ毎日のようにずっと騒がれている、凶悪な悪魔の快楽殺人事件の影響か、出歩いている人の姿は一人も見当たらなかった。全体的に活気を感じず、重たい空気が街を包んでいる。
だが今夜はこの街から少し離れた場所へ行く予定だ。見回る場所は隣の地区である。
何故なら────。
「あの悪い悪魔を殺しに行くのね」
零八は頷いた。
警察もDAFも、あの連続殺人の調査に手を焼いている。早く悪魔の首を取らなければ、同じ惨劇はこれからも続いていくだろう。
それを止めるためにも、「狩り師」である零八も凶悪悪魔を探し出す必要がある。
出来れば今夜中に、彼は事件に終止符を打つつもりだ。
「見つけらるかしら。勿論、私も協力するけれど」
「・・・・・・そう言えば、悪魔は感覚器官も優れているんだったな」
「そうよ。だから少しは役に立てるのよ、私」
リレイアは胸を張る。
そんな得意げな彼女に、零八は問いかける。
「なら、戦闘は?」
「あ、それは無理」
即答だった。
零八は分かりきっていた答えに、聞いた自分が馬鹿だったと溜息を吐いた。
リレイアは不満げな顔をして言い返す。
「何、私がいなきゃ悪魔に勝てないって言うの?」
「・・・・・・は、安い挑発だ」
零八が鼻で笑うと、リレイアもまた満足したように笑い返した。
────
最強の悪魔殺し。悪魔と人間の混血。どちらでもなく、そのどちらも超えたモノ。
彼が刀を振るえば、首の繋げて帰れる悪魔はいない。
「・・・・・・私には、きっと戦う勇気は無いわ。傷付くのも傷付けられるのも、やっぱり怖い」
リレイアは静かにそう零す。
悪魔は、身体のつくり以外は人間とそう変わらない。彼らは通常の外見は人間と同じのため、息を潜めて人間社会で生きている。
しかし、人間を食べることでしか生きられない悪魔は、その過酷な環境の影響もあってか、精神性が歪んでいく個体も多いのだ。だから今回の快楽殺人事件のような行為に及ぶ悪魔が存在する。
人間をただの食べ物だと考えたり、弱い生き物だと弄ぶようになった悪魔は、まさに人類の敵と呼ぶに相応しい。
「・・・・・・でも、これが言えるのは私が人間を食べないからだっていうのも、分かってる」
リレイアは異例の悪魔である。人を食べなくても、生きていける。
そんな彼女は思う。
もしも自分が普通の悪魔と同じ、人間を食べて生きていたらと。
人間が牛や豚を食べるように、悪魔は人間の肉を喰らう。たまたま悪魔という生き物に産まれてしまったから、生きていくには人を口にするしか無いのだ。
悲しき生き物だと語るのは、傲慢だろうか?
けれどリレイアはそう思えてならなかった。
この世界は、悪魔の存在を許さない。
悪魔はいつだって、世界からの排除対象だ。常に後ろ指を指され、命を狙われる。
人を食べることで壊れていく精神性を、リレイアは理解出来てしまっていた。
自分も普通の悪魔と同じだったなら、きっと自分も心が壊れていたのではないかと思っているのだ。
心を壊さなくては、生きていけないのでは────
と。リレイアは考える。
「悪魔は、きっと人間を羨んでるの」
もしも人間に産まれていれば、こんな風に生きていく必要も無かったのに、と。
「全部の悪魔がそうという訳ではないでしょうけれど。でもやっぱり、心を作るのはいつだって環境だと私は思ってるのよ」
リレイアの傍で、零八はずっと黙っていた。
否定も肯定もせず、ただ聞いているだけであった。
何の感情も見せない顔。だが、それでも笑い飛ばしたりはしなかった。
彼は半分が悪魔だ。だからこそ、思うところは確かにあるのだ。
「私は・・・・・・本当に幸せ者なのね」
目を伏せながら、リレイアは静かに言う。その美しい声は掠れていた。月に照らされる横顔は憂いを帯びていて、それは彼女が初めて見せる弱々しい表情だった。
けれど、そんな表情もすぐに消して、リレイアは数歩先の街灯の真下に行く。真ん丸の光が、彼女をスポットライトのように照らしている。
リレイアは後ろで手を組んで、零八に言った。
「でもだからって、悪戯にヒトを傷付けては絶対に駄目よ。そんな行為、許してはいけない」
芯の通った声で、彼女は言った。金色の眼差しは強い。
そう。例えどんなに悪魔に過酷な環境があろうと、人の命を弄ぶ行為は絶対に許してはならないのだから。
尊ぶべき命を残虐に奪う行為は、誰がなんと言おうと「悪」である。
零八は静かに頷いて、首肯を返すのみだった。
そんな会話をしながら歩いているうちに、目的の地区へと到着した。
やはり惨劇のあった地域となれば、余計に空気が重たく感じる。当然のように人通りは無い。住民は地域外に避難している人もいるのか、ちらほらと灯りの点いていない家も見られた。
悪魔の気配は感じられない。まだ二人は探ってみる必要があるようだ。
「何か違和感を感じたらすぐに報告しろ。分かったな?」
「ええ。感覚を研ぎ澄ますわ」
リレイアはきっと目を鋭くして、辺りに視線を送る。
零八も注意を向けつつ、いつでも抜刀出来るようにしていた。
────そのときだった。
強い風が吹いた。
リレイアの長いホワイトブロンド髪が大きくなびく。
そして、二人で顔を見合せた。
「血の匂いだわ・・・・・・!」
強い風に乗って、生臭い匂いが彼らの鼻腔を刺激した。
リレイアは東の方角に向かって、「こっちからするわね」、と指を指した。
瞬時に零八は彼女の言った方へ走り出した。壁を蹴り、屋根を踏み、匂いの元へとただひたすらに走る。再び風が吹くと、匂いは一層強まった。
急がなければ。
嫌な予感が零八の脚をさらに速めた。
彼自身が風が如く、宵闇を駆け抜ける。
そうして匂いと元へと辿って行くうちにふと、視界は開けた。
住宅地に繋がる広い通りだった。その割に街灯の数は多いと言えず、辺りはまっ暗闇である。
そんな道の脇にあるゴミ捨て場の真横、街灯の遠い光でそれはぼんやりと目に映った。
─────首と、両脚の無い死体が。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます