06

「ガッコー? 嗚呼、そう言えば同じ服装の人間がぞろぞろと大きな建物に入っていくのを見たわ。レイヤもそれに行くのね。楽しそう」



 能天気に笑うリレイアに零八は盛大に顔を顰める。彼にとってたくさんの他人と同じ空間で長時間過ごすのは、最早拷問と同じだった。

 零八は学校を度々サボっているが何とか留年しない程度を保っている。勉強は出来るが、面倒くさがってテストを白紙で出すことも珍しくない。

 彼にとっては進路も勉強も全てかどうでもよいのだ。


 零八には分からない。想像が、出来ない。

 普通の人間として生きていくことが。


 彼には悪魔の血が混ざっている。親も殺され、自分も人を何人も殺した。そして今は毎夜戦場に立つ。人間と悪魔、そのの自分が、普通の人間らしい生活を送る未来なんて全く想像が出来なかった。

 彼は自分の罪の重さを知っている。

 だから普通の人間と同じ生活を送るなど、彼自身が望まなかった。


 零八はその生涯を「狩り師」として費やすことを決めたのだ。彼は一生、刀を振るい続ける。


 今、零八は十八歳。

 高校生の年齢である限り、一応昼間は一般人を装うようにはしているが​─────



「良いなあ、学校。私もついて行こうかしら」


「それだけは絶対に辞めろ」



 そんなことされてはたまったもんじゃない、と零八はリレイアを睨む。

 彼女は肩を竦めて、「はいはい」、と両手を上に上げた。



「朝御飯も食べずに行くの? 育ち盛りなんだし、ちゃんと食べなきゃ駄目じゃない」


「五月蝿い。放っておけ」



 早足で零八は玄関へと向かう。そんな零八を見送ろうとリレイアはついてくる。

 彼は靴を履いてもう一度、リレイアに向き合って言った。



「良いか、お前は絶対に外には出るな。・・・・・・いや、言い間違えたな。死にたいなら出ても良いし、そのまま帰ってこなくても良い」


「もう。追い出そうとしないでよ」



 リレイアは頬を膨らませる。


 いくら人を食べないからと言って彼女一人で街を歩かせるには危険だ。リレイアが、というよりは彼が心配しているのは市民だった。

 彼女に捕食衝動が出た瞬間に彼女を殺すという契約を彼らは結んでいる。そのためには、常にリレイアを見張っている必要があるのだ。


 彼女を放置して、何かあってからでは遅い。だから一人で外には出せられない。

 その上他の悪魔殺しに見つかる可能性だってある。リレイアは相手が零八だったからこそ見逃されたものの、他の狩り師やDAFなら問答無用で首を落とされていたところだ。


 零八は玄関の扉を開ける。



「行ってらっしゃい、レイヤ」



 彼女の微笑みに何も返さず、零八は学校へ向かっていくのだった。




***




「さて。どうしようかしら」



 口元に手を当て、予定を脳内で組み込みながらリレイアは廊下の窓を開ける。

 見上げた空は雲一つない晴天だった。彼女は大きく息を吸い込んで、太陽の眩しさに目を細めた。



「まずは部屋の掃除ね。どの部屋も好きなように使って良いって言われたけれど・・・・・・」



 リレイアは呟きながら、まず手始めに自分のすぐ側の部屋の扉を開けてみる。

 そこは何に使っていた部屋なのか、大きな机が置いてあり、その上には難しそうな本が積まれていた。本棚は机のすぐ隣に置いてあるというのに、本は戻されずにそのまま机の上に出しっぱなしであった。

 見た感じ勉強部屋などに思えるが、もうずっと使われている痕跡は見当たらない。


 リレイアは大きな溜息を吐いて、その隣の部屋の扉を開けた。

 目に飛び込んできた光景に、リレイアは唖然とする。


 今度は一部屋丸ごと物置部屋のようになっていた。否、ように、ではなく、本当に物置部屋として使っているのかもしれないが、それにしても彼女が開けた部屋は散らかり放題だった。

 大きな段ボールがいくつも積まれ、この部屋にもまた、見たことの無い文字で書かれた本が床にばらまいてあった。

 リレイアは段ボールの中身をちらりと覗き込む。入っていたのは何かが細かく書き込まれた紙類や望遠鏡、そして世界地図まで入っていた。

 彼女の指先が、描かれた世界をそっとなぞる。



「ニホン・・・・・・私がいるのはこの国なのよね」



 そう呟いて眺めては、飽きてまた元の位置へ返した。



「なんでこうも散らかすのよ、あの子は・・・・・・!」



 散らばる物たちに足を取られそうになりながら、リレイアは三つ目の部屋の扉を開ける。この部屋は零八が使っている部屋の斜め左に位置していた。


 相変わらずここも散らかっているが、彼女が見てきた中で一番マシな程度には片付いていた。

 リレイアは目を丸くしながら、部屋を見渡す。


 部屋の隅には大きなベッドが置いてあり、その隣には机と本棚、クローゼットが設置してあった。

 そして窓際にはまた、明らかに高価そうな花瓶が置いてある。やはり花が刺さってるなんてことはなく、花瓶が花瓶として使われていなかった。

 壁際には全身鏡や、白色のヨーロピアンなデザインなドレッサーまであったが、埃が被っていた。


 それを見てリレイアは、心の中にとある予感が生まれる。


 今度はドレッサーの横の収納ラックに目をやると、最上段の写真立てには古ぼけた写真が飾られてあった。

 そこには、銀色の髪を生やした優しい顔立ちをした男性と、口元のほくろが特徴的な、穏やかな表情を浮かべた女性が映っていた。



「これ・・・・・・レイヤのお父様と、お母様・・・・・・?」



 写真の男性と同じ銀色の、零八の髪。

 彼の目元は、その隣で微笑む女性にそっくりだった。



「じゃあ、この部屋はきっと、レイヤのお母様のお部屋だったのね」



 リレイアの美しい指先が、優しく写真の淵をなぞる。

 彼女もまた、二人のようにあたたかな笑みを浮かべていた。



「レイヤのお父様、お母様。私は昨日、あの人と契約を結びました。そして、貴方たちの子は今日も元気です。この家にもレイヤにも、これからたっくさんお世話になります」



 リレイアはそう写真に話しかけては、一層を笑みを深めたのだった。


 そしてくるりとダンスをするように、部屋の中央でターンをしたあと、「よし」、と彼女は呟いた。



「ベッドもあるし、私、ここを使わせて貰おう」



 写真を元の位置に戻して、リレイアは頬を勢いよく叩いて気合を入れる。

 白い頬はじんじんと赤くなっている。



「まずは、この部屋をお掃除しなくっちゃ。・・・・・・ええ、頑張りましょう。やっぱりとっても散らかっているけれど・・・・・・!」



 部屋の隅で、高く積んである箱から、丸まった紙が、ころりと小さな音を立て転がった。


 その音を合図に、リレイアの大掃除が始まるのだった。

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