05

 零八は洗面所に行き、水で適当に顔を洗う。冷たい水はまだ残っていた眠気を一瞬で吹き飛ばした。だが、鏡に映る彼の顔は陰鬱な表情をしていた。

 悪い目付き、眉間に寄る皺。これがいつもの零八の顔だ。


 部屋に戻り、制服のシャツに腕を通し、ネクタイを締める。

 普通の一般人と何も変わらない姿がそこにはあった。刀は夜以外には装備しないが、昼間は改造したポケットに折り畳み式のナイフを入れる。これもまた彼が昔から愛用しているナイフだった。


 零八は悪魔狩りは基本的に夜に行っているが、悪魔自体は昼夜構わずに動き回っているため、遭遇時にいつでも彼らを殺せるようにナイフは持って歩いているのだ。


 身支度が済んだ零八は廊下を進む。いつもなら物音一つしないこの屋敷からは音が溢れ、白熱電球はいくつもの光を放っている。

 リビングにはテレビを見ているリレイアの姿があった。家に来て早々に寛ぐ彼女に零八は突っ込む元気も無く、キッチンでヤカンに水を入れ、湯を沸かし始めた。

 いつも使っている白色のカップにインスタントコーヒーの瓶を傾け、湯が沸くのを待ちながらテレビに目を向けた。


 リレイアが見ていたのはニュース番組だった。ニュースキャスターは無機質な声で、悪魔に関連する事件の詳細を話している。



『今日未明、東京××区の繁華街で男性一人の遺体が発見されました。男性は両腕が無い状態で見つかり、警察は事件と悪魔の捕食との両方で周辺の調査を行っています』



 遺体が発見された場所は、零八たちの住む家からほど近い地域だった。

 リレイアはニュースの内容に眉をさげ、黙って画面を見つめている。


 そしてしばらくすると自称悪魔研究者の男がキャスターに話題を振られ、態とらしい口調でゆったりと話しだした。



『今回の事件は悪魔絡みと言っても間違いが無いでしょう。現場に残された足跡が四日前××区で見つかった変死体と一致しています。これで同じような遺体が見つかったのは七回目ですね。警察と共に、悪魔殲滅部隊​────通称DAFも調査を進めていますが・・・・・・未だ足を掴めていないのが現状のようですね』


鷹森たかもり先生、悪魔は我々人間の肉を食べることでしか生きられない存在だと聞いていますが、何故この超短期間で悪魔は捕食行動を繰り返したのでしょうか? それも遺体によってなくなった部位が様々でありますが・・・・・・』


『そうですねぇ。個体差によりますが、悪魔は平均的な数字を言うと、彼らは特有の器官を有していて、一人の人間を食べればあとは二〜三ヶ月は絶食しても生きることが可能だと言われています。殺害を主とした犯行と捕食・・・・・・おそらく愉快犯と同じ精神性を持つ悪魔だと思われますね』



 零八はまるで路上の吐瀉物でも見つけたような表情で、自称悪魔研究者の男を見つめていた。

 女性のキャスターは変わらない声音で続ける。



『このような事件が相次ぎ、住人の方々の疲れも出てきています。地域の皆様、安全を第一に、くれぐれも夜には不要不急の外出を控えるようにお願いします​────』



 そこで湯が沸騰した。

 零八はカップに湯だけを入れる。ミルクも砂糖も何もいれない、ブラックコーヒーだ。



「あ、私も飲みたい。ミルクとお砂糖たっぷりでお願いね」


「・・・・・・」



 零八は盛大に顔を顰めながらも、ちょうど湯はあとコップ一杯分余っていることに気が付いた。渋々といった様子で、彼は甘いカフェオレを作って渡す。



「ありがと」



 彼女の礼に零八は目だけで首肯を返し、ブラックコーヒーを一口啜る。二人分のコーヒーの良い香りがリビングに漂った。



「何だか、嫌な事件が起きているのね。物騒で怖いわ」


「お前が言うのか」


「私は人を食べたりしませんー!」



 リレイアは足元をバタバタさせる。

 彼女は指先をあたためるように両手でカップを持っていた。


 零八はソファの後ろで突っ立ったまま、彼女に問いかける。



「最初の質問だ。悪魔は人間の食事は食べられるのか?」


「食べられるか食べられないかで言ったら、食べられるわ。けれど栄養として少しも吸収されないの。飢えも満たされない。そして、ほとんど味を感じない」


「お前は?」


「味はするわ。でも、貴方と感じるものと違うかもしれない。少しだけ薄いのよ、味が」



 思ったよりもまともな答えが返ってきたことに零八は思わず目を見開いた。

 悪魔狩りを行っている以上、彼らの情報は多いに越したことは無い。



「あ、でも。こうしてコーヒーを飲んだり、人間の食べ物を食べたりするのは興味があるわ。たとえ栄養にならなくても、ね」



 たっぷり入れたミルクも砂糖もあまり役には立たないようだが、リレイアの表情は嬉しそうだった。人間の食料を食べること、あるいは飲むこと、その行為自体に楽しみを見出しているようだ。


 ただ一つ、彼女の生命活動として大きな疑問が生まれる。



「じゃあ、人も喰わないお前はどうやって生きてるんだ?」


「さあ?」


「はあ・・・・・・腹は空かないのか」



 零八は眉の皺を深めながら彼女に問うた。

 リレイアは口元に手を当てて考え込む。



「うーん。空腹を感じたことはないわね。少なくとも記憶をなくしてからの三日は何も食べてないけれど・・・・・・さっきセンモンカ? の人が言ってたわよね? 人一人食べれば二、三ヶ月は持つって・・・・・・でも人間を食べたいと思ったことは一度も無いけれどね」


「俺の血は特殊だ。俺の血の匂いを嗅げば悪魔は神経が刺激され空腹を感じて理性をなくす。だがリレイア、お前は飛びついて来なかっただろう」


「そうね。私は何ともなかったわ。目の前で奇行に走られたことにはビックリしちゃったけれど」


「奇行って言うな、殺すぞ」



 零八はリレイアを睨むが、悪戯っぽくクスクスと笑うだけであった。その様子に彼は舌打ちを零し、残りのコーヒーを全部喉に流し込んだ。



「まだまだ悪魔の情報が欲しい。そこは手を借りるぞ」


「ええ、分かった」



 悪魔の生態もそうだが、リレイアという異質な体質のことも知る必要がある。まだまだ彼女と過ごす必要があるなと考えては、零八は頭が痛そうな顔でこめかみを押さえた。

 嫌がっている場合ではない。優先順位があるのだ。

 なんとか我慢して彼はリレイアと共にいることを選ぶ。



「・・・・・・じゃあ、この事件の悪魔のことはどう見る?」


「どうも何も、こんなの許せないわ。この悪魔は自分が生きるためじゃなくて、ただいたぶって殺すことを楽しんでる。最低な悪魔よ」



 リレイアは形の良い眉を釣り上げてそう言った。


 愉快犯の悪魔。そんな悪魔の犠牲者と言われる人数は七名だ。

 こんなに犠牲が出ているのに未だ警察とDAFは犯人を突き止められていない。よほど上手く隠れているか、もしくは手練の悪魔か。いずれにせよ、厄介な相手であることには変わりはないだろう。

 ​─────零八以外にとっては。



「・・・・・・ねえレイヤ。DAFは、みんな普通の人間なんでしょう?」


「・・・・・・そうだな。だが全員が特殊な訓練と特殊な武器で、悪魔とやり合えるだけの戦闘力を持っている。中には化け物じみた奴だっている」


「へえ、凄いわね。人のために、頑張っているんだわ」



 発展した化学技術はこの国の対・悪魔機関に多大な貢献をしている。DAFの存在がなければほとんどの国民は悪魔に喰われていると言っても過言ではない。

 零八と違って、彼らは純正の人間だ。

 悪魔という人類の脅威と闘う以上、DAFの隊員もたくさんの犠牲が出ているが、そんな彼らの中でもがいるのだ。

 そういう人間が上にいて彼らを引っ張っているからこそ、DAFという国家組織は成り立っている。


 だがそれ故に、悪魔の零八の父親は殺された。そして零八もDAFの隊員をたくさん殺した。

 零八は今でも彼らを恨み、また、恨まれる関係なのだ。


 そんなことを思いながら時計に目を向けると、時間が迫っていることに気が付いた。零八は鞄をひったくるように持つと、リビングの扉へと向かっていく。



「レイヤ? どこ行くの?」


「・・・・・・学校」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る