02
一瞬、何を言われたか零八は理解出来なかった。
どうして得体の知れない悪魔と同棲しなくてはならないのか。
彼は、やはり今ここで彼女を殺しておくべきかと再び刀に手をかける。
「・・・・・・お前にそんなことをして、俺に一体何の得がある」
「何だってするわ。料理は・・・・・・出来ないかもだけれど、掃除とか洗濯とか色んな雑用、出来る限りは何でもする」
「俺にはそんなもの必要ない」
「私はまわりとは違う悪魔よ。けれど、悪魔としての情報を、貴方に差し出せるわ」
零八指先がピクリと反応する。
悪魔は未だ生態や身体のつくりなど、まだ分からないことだらけで、不可解な点も多くある。そしてDAFは悪魔の研究も行っているため、それに所属していない零八もまた彼らほどの知識を持ち合わせていないのだ。
悪魔殺しの職業である狩り師にとって、彼女が差し出した条件は十分の価値があると言える。
だが、さっき彼女はあることを口に出していた。嘘でも本当でもどうでもいいと聞き流していたもの。それを彼は思い出して少女に問うた。
「お前、さっき記憶が無いとか言ってただろう」
ぎくりとした顔をして、少女は目を逸らす。
明らかに誤魔化そうとする態度に、零八は呆れ返った。
「・・・・・・なら、」
「ち、違うの! 別に全部の記憶をなくしてる訳じゃないし? ところどころは覚えてるのよ。本当よ?」
「・・・・・・」
「でも、これから徐々に思い出すかもしれないし? 重要な情報も貴方は手に入るかもしれないわよ?」
焦ったように少女は零八に詰め寄った。
他の種別とは違うらしい彼女からは、何か特別な情報が得られる可能性は確かにあった。
ヒトを喰わない悪魔。
もしかしたら、DAFも未だ掴めていない情報を、手に入れられるのかもしれない。
だが問題は別にある。しかも山積みに。疑問だって尽きないのだ。
「・・・・・・にわかに信じ難いな。本当に記憶をなくしているのか? お前」
「ええ。三日前にこの街に来たはずなんだけれど、それ以前の記憶を、覚えていないの」
「どうして」
「それが、自分でも分からないのよ。思い出そうとしても、靄がかかったように上手く思い出せないの。でも、言えることは一つ。私は他の悪魔のように、人間を食べないし、食べたいとも思わない」
ハッキリとした口調で言い切った。金色の瞳には一切の淀みがない。
彼女には折れる気配が全くなかった。
そしてその目を細めて、彼女は続ける。
「そんなに信用がないなら、契約を結びましょう。私が人間を傷付けたり、食べようとしたなら、その瞬間に私の首を刀で斬って」
「どうして、そんなに必死に・・・・・・」
「たまたま私が貴方のペンダントを拾って、貴方は私のことを逃そうとしてくれた。他の人だったなら、きっと私は殺されてた。今逃げたとしても、他の人にこれから殺されるかもしれない。でも、そんなの嫌」
彼女は首を振る。
ホワイトブロンドの長い髪が揺れ動き、月光に照らされる姿はまるで女神にも思える。
「私は自分の記憶を取り戻したい。そして、自分が何者なのかを知りたい」
先程までの慌てふためく姿はどこへやら、彼女は別人のように凛とした態度で零八を見た。
背筋を伸ばし、真っ直ぐに彼を見つめる姿はまわりから見たら息が止まるほどに美しい。
零八は思わず押し黙った。美しさに見蕩れたわけではない。ただ、少女の強い意志は本物だと感じ取れたからだ。
悪魔は人間を食べる生き物である。そんな常識を覆す悪魔が今、狩り師である天桐零八の目の前にいる。
信じるか否か。
確かに本人もヒトを喰うことを否定しているし、通常の悪魔なら飛びかかってくる場面でも彼女は平然としていた。
だが、「その時」が来たらどうだろうか。
人間を喰ってからでは遅い。誰かに貧乏くじを引かせるような行為は絶対に許されない。
天桐零八は。この悪魔の手を取るのか。
「────嗚呼、取るさ」
ならば、理性をなくした瞬間のその一瞬で、この刃で彼女の首を斬り落とす。
人間を超えた零八なら、それが出来る。
真っ直ぐに見つめ返した彼を見て、少女は満足そうに頷いた。
そして、小さな手に握られていた十字架のペンダントを零八に差し出した。
「私の名前はリレイア・ステファノス。貴方に殺されないように頑張るわ」
「・・・・・・俺は
「そう、レイヤ。良い響きね。あ、ちょっと私と名前似てない?」
「やめろ」
零八はペンダントを受け取り、乱暴にポケットに突っ込んだ。金具部分が外れて壊れていた。
「・・・・・・初めに言っておくが、俺はお前を利用したいだけだ。本当に思い出すんだろうな?」
「そ、それは分からないけれど、ええ、きっと大丈夫。私、頑張るから。途中で心変わりとかして殺さないでね?」
「・・・・・・お前がヒトを喰わない限り」
「ええ、ええ。そのときが来たら、私をちゃんと殺してね。躊躇わないで」
そう告げたリレイアの顔は、笑顔だった。最後の言葉はやけにハッキリと、零八の耳に届いた。
彼は一瞬顔を顰めるが、すぐに背を向けて歩き出した。
そんな彼を追いかけて、リレイアもまた彼の隣を歩く。二人の行く先は零八の家だ。
「ねえ。さっきの戦い、凄かったわね」
契約が成立したのが嬉しいのか、リレイアは笑顔で零八に言う。
零八は何も返さない。
「私、木の影から見ててビックリしちゃった。あんなに早く、あの大きな悪魔を一瞬でバラバラにしちゃうんだもん」
当然だ。
零八にとってはあの程度の悪魔などすぐに殺せる。
「あの悪魔だってとっても強いはずなのに、貴方はもっと上なのね。凄いわ」
リレイアは踊るようにくるりとその場でターンした。長い髪がふわりと宙に舞う。
そんな上機嫌のリレイアのことを、相変わらず零八は華麗に無視したままだった。
それに不満を持ったのか彼女はむくれた顔で零八の前に立つ。
「なんでさっきから何も言わないのよ」
「俺は喋るのが得意じゃない」
「もー。つれないわね」
立ち塞がるリレイアの横を気にせず零八は通り抜ける。零八は歩くのがかなり速い。もたもたしていては置いてかれる。
リレイアは慌てて彼のあとを追う。今度は一歩分離れて二人歩く姿は、親鳥と雛鳥のようにも見える。
零八は他人と話すことどころか、関わること自体が苦手なのだ。
苦手、というか、拒絶している、と言った方がきっと正解だ。彼は自分からまわりと距離を置いている。
彼は、文字通りただの人間ではないからだ。
そんな彼を知る人間が今の状況を見たら、きっと驚きに椅子から転がり落ちるに違いない。
「貴方の家まで、あとどれくらいあるの?」
「・・・・・・・・・・・・もうすぐだ。そこを曲がれば、見えてくる」
会話をすることが嫌そうな態度を少しも隠そうともせずに彼はそう答えた。
坂道を登りきった先には、塀に囲まれた大きな屋敷が見えた。
西洋館のようなつくりの彼の家は、ブラウンを基調としたデザインと、二階の中央部分のバルコニーが一際目を引く。
壁にはところどころ蔦が絡み、古さも相まってか少しだけ不気味な雰囲気を纏っていた。
だがリレイアは興味津々と言った様子で見た瞬間に目を輝かせ、興奮した声音で零八に詰め寄った。
「す、すごいわっ! 貴方、あんなに立派な豪邸に住んでいたの!?」
「・・・・・・父親が遺したヤツだ」
鬱陶しげな顔で零八は答える。
彼は財閥の息子だった。だからDAFの勧誘にいくら金を積まれても、ソレでは零八を動かせない。
金には困ってないから、フリーの狩り師として生きている。
そんな零八の返答に、リレイアは更に目を輝かせていた。
「じゃあ、貴方はいつから悪魔狩りをしているの?」
「・・・・・・・・・・・・」
「その刃物、誰に作ってもらってるの? 何で悪魔狩りをしているの?」
「・・・・・・・・・・・・」
零八は舌打ちをした。
「も〜! ちょっとくらい教えてくれても良いじゃないっ! じゃあ、貴方の両親は?」
ここでようやく、零八はリレイアのほうを見た。
そして温度のない声で、突き放すように言った。
「とっくに死んでるよ」
彼の言葉にリレイアははっとした表情を見せたあと、目を伏せて俯いた。
「そう、なのね」
と、掠れた声で呟いた。金色の瞳に長い睫毛の影が落ちる。
それから互いに黙り込んで、残り距離の短かった坂道を、二人は会話することなく登りきった。
彼らの前に、高い塀に囲まれた大きな屋敷が佇んでいる。零八は慣れた手つきで門を開けると、ギイ、と重々しい音が響き渡った。
広い庭は手入れがされてなく、背の高い草が生い茂っている。荒れた庭と蔦の張るこの古い屋敷は、まわりの人間から見たらまるで幽霊屋敷だと思うだろう。
「お邪魔します」、とリレイアは呟いて、天桐家の敷地内に足を踏み入れた。彼女の足取りは少しだけ辿々しく、顔も浮かない表情をしていた。
零八は彼女を振り返ることもなく、さっさと家に入ろうと玄関を開こうとした途端、リレイアは静かな声音で口を開いた。
「・・・・・・ねえ」
零八の指先はドアノブにかけられたまま、そこで静止する。
彼はその先に続く言葉を分かっていた。
「ずっと気になっていたんだけど、どうして、貴方から悪魔の匂いがするの?」
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