01
この世界には、「悪魔」と呼ばれる生き物がいる。
悪魔────それは、人間の血肉を貪り生きる存在。本来なら普通の人間と見た目で判別はつかないものの、極度の飢餓状態や理性が失われると、その姿はたちまちただの怪物へと変える。
また、人間とは比べ物にならないほどの身体能力も持つ。
人間の肉を喰えば喰うほど悪魔としての能力は上がり、さっきの悪魔のように身体を自由に変貌させ、攻撃することが可能である。
悪魔は、正しく人類の敵だ。
ただの人間では、悪魔に立ち向かうことさえ無謀である。
だが恐ろしい悪魔がいれば、それを殺す存在もある。
日本における対・悪魔機関、悪魔殲滅部隊────通称、「DAF」である。Devil Annihilation Forceの略称だ。
全国各地に支部が置いてあり、二十四時間厳重体制で地域の見回りを行っている。本部は東京に置いてあり、その人数は東京だけでも二千人は超える。
人口に比例するように、東京には悪魔の数が多いのだ。
そんな大都会の外れの小さな街、悪魔を狩る一人の青年の姿があった。
彼の名は
ストレートの銀色の髪に、海のような深い青色の瞳が特徴的な、十八歳の少年だった。
彼は一振の刀を手にして、夜の街を蹂躙する。
零八が刀を振れば最後、人類の驚異である悪魔は殺される。
辞めろ。死にたくない。許してくれ。
そんな命乞いの言葉はもう、うんざりするほどに聞き飽きていた。
そんな零八は、しかしDAFには所属していない。
国家組織であるDAF以外で、悪魔狩りをするごく僅かな人間は、「狩り師」と呼ばれる者たちだ。
天桐零八は、秀でた才能を持つ一流の狩り師だった。
DAFから入隊を何度も誘われたこともあったが、零八は全て断った。
膨大な利益も頂点の地位も彼には必要が無いし、その上絶対に関われない理由があるからだ。
だから一人でただ黙々と、零八はこうして真夜中に悪魔狩りを行うのみ。
夜が明けて太陽が登れば、彼は一般人の仮面を付けて過ごしていく。
「ねえ、貴方」
今日もいつも通りに狩りの仕事を終えた零八の耳に、突然届いたのは少女の明るい声だった。
彼は瞬時に刀を構えて、振り向いて声の主に視線を向ける。
夜は悪魔が動く時間帯だ。それはこの街の人間はよく知っていて、だから住人は必要最低限こんな時間に出歩くことはそうそうないのだ。
満月の光で、少女の姿はハッキリと見えた。
腰にまで届く長さのホワイトブロンドの髪。目が合った者を魅入らせるような金色の瞳。格好は装飾のない純白のドレス姿で、整った顔立ちにはいまだあどけなさが残っている。
震えるほどに美しい少女は笑みを浮かべて、零八を見ていた。
「・・・・・・お前も悪魔か」
「そうだけれど、そう殺気を向けられると私、とても怖いわ」
「なら、大人しくしていろ。苦痛もなく殺してやる」
零八は少女を睨みつける。ただでさえ鋭い目付きが敵意を纏い、見る者を震え上がらせてしまうような冷たさがあった。
だが少女は臆することなく、真っ直ぐに零八を見ている。
「私、死にたくないわ。実は私、記憶を失っているの。まだ取り戻せていないの」
「は・・・・・・悪魔が記憶喪失?」
笑わせる。嘘でも本当でも彼にとってはどうでもいいことだった。
どうせ悪魔は人間を食べ、死体を踏み荒らす生き物。人類の脅威。生かしてはおけない。
刀を向け、一瞬で距離を詰める。首元に刃が届こうとした────瞬間、彼女の言葉が鼓膜を撫ぜた。
「これ。さっき落としてたわよ」
ぴたりと、首元で刃が止まる。
彼女が突然差し出したのは、十字架のペンダントだった。
それは零八がいつも肌身離さず着けていたものだ。
反射的に零八は自分の胸元に触れるが、そこには確かにいつもあったはずの存在は無かった。
「貴方のでしょう? 私、これを届けに来たの」
零八は思わず舌打ちをする。
少女はそんな彼の様子を見て不満げな声音で言った。
「ちょっと。せっかく拾ってあげたのに何その態度」
「違う。お前に舌打ちしたんじゃない。気付かなかった自分に舌打ちをしたんだ」
「でも御礼くらい言うのが礼儀でしょう。それとも私が悪魔だから?」
「嗚呼、そうだ」
この女の首一つ落とす行為は、あまりにも容易だ。
零八は少女からペンダントを受け取ろうと手を伸ばす。だが彼女は腕を高く上げてそれを躱わした。
は?
と一音だけを零して、零八は少女を再び睨みつけた。
「そんなんじゃ私、返す気になれない」
「お前、自分の立場を分かっているのか?」
「分かってるわよ。さっきの戦い、見てたから。貴方がとっても強い悪魔狩りの人間だってことも」
今返してもらえなくても、悪魔ならどうせ殺す生き物だ。その時に奪い返せばいいと思い、零八は刀を握る手に力を込める。
「────でも、残念。私、確かに悪魔だけれど、ヒトを食べたりしないわ!」
彼女は声高にそう叫んだ。突然の姿に零八は一瞬だけ唖然としたが、すぐに鼻で笑い返した。
信用するわけがない。今まで同じような嘘をついた悪魔が、数え切れないほどにいたからだ。
本当に人間を食べない悪魔など、今まで殺してきたなかで一度たりとも居なかった。もし奇跡的にいたとしても、そんな生き物はほぼ人間と変わらないではないか。
飢餓状態になれば彼らは理性をなくし、見境なくその場にいる人間を喰おうとする生き物。
悪魔は飢えに逆らえない。
そうして零八は、あることを閃いた。
馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、彼は刃を少女の首から自分の手首へと向ける。
「ペンダントの礼だ。殺す前に、本当にお前がヒトを喰わない悪魔か確かめてやる」
そう言って、零八は手首を切った。
傷口からボタボタと鮮血が滴り落ちる。地面に赤色の模様が出来ていく。
悪魔にとってのご馳走が今、少女の目の前に差し出される。
さあ、本性を見せろ。醜い悪魔め。
零八は自分に飛びついた瞬間に、少女の細い首を瞬時に刎ねるつもりでいた。
だが、その瞬間はいつまで経っても来なかった。
「馬鹿じゃないの!? 何してるのよ! 自分の腕を切るなんて・・・・・・!」
少女は彼の行動に驚くも、すぐに意を決した表情でドレスの裾を破いた。
今度は零八が彼女の行動に愕然とする。
「どういうつもりか知らないけれど、とにかくこれで抑えて!」
少女は傷口に破ったばかりのドレスの裾を押し付け、止血させることに専念する。真っ白のドレスは血で色を変える。
零八はこの光景に目を見開いていた。
意味が、分からない。
今、彼の脳内を支配するのはそんな言葉。
何故、この悪魔は自分を喰おうとしないのか。
天桐零八は普通の人間とはつくりが違う。彼の血を目の前にした悪魔は空腹中枢を刺激され、理性をなくし食らいつこうとしてくるはずたというのに。
何故。
「お前は一体・・・・・・何故俺を喰おうとしない?」
「貴方を食べる? 笑わせないで。貴方なんかよりも、あそこのお店の食べ物のほうがよっぽど美味しそうだわ」
少女は指を指す。その先には、屋根の赤色が目立つ小さな店がある。
昔から存在する、地元では人気のたい焼き屋だった。
悪魔の彼女は、主食である人間の肉よりも人間の食べ物を欲しがったのだ。
「お前は本当に悪魔なのか?」
「あら。そんなことを思うなら私を殺さなければいいじゃない。貴方、殺人犯になってしまうわよ」
「・・・・・・いや。お前は悪魔だ。俺には分かる」
静かに彼は刀を鞘にしまう。
「・・・・・・今だけは見逃してやる。だが、次に会ったらお前を殺す」
彼女が他の悪魔とは違うことは分かる。だが所詮、悪魔は悪魔だ。悪魔として彼女が存在している限り、狩り師である零八は殺さなくてはならない。
少女が声をかけた相手がDAFや他の狩り師だったなら、有無を言わさず殺されていたに違いがない。
だがペンダントを拾われた恩が零八にはある。これはせめてもの恩返しのつもりだった。
生きてまた会うことがあったなら、彼は彼女の首を容赦なく刎ねるが─────
「そんな恩の返し方、納得出来ないわ」
長い指を零八に突きつける。
凛とした美しい声で彼女は言う。
「ねえ。私、お金も住むところも、それどころか記憶も無い」
「・・・・・・だから何だ」
「────私を、貴方の家に住まわせて欲しい」
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