撃たれる淑女。

 嗤う男。


 燃え上がる建物。

 焔に絡まれる少女。


 塔は崩れ、悪魔は嗤う。


 ねばる煙が絡み付き、少女の口を塞ぐ。

 嗤う男を庇う女。

 悪魔は淑女が撃たれるのを嗤う。


 塔は怒り雷を放ち、放たれる。

 神と悪魔が同居する。




「起きて下さい。ミツルギ先生。来客です」

 無機質な少女の声。


「ぁあ……ああ…ぁあ」

 御剣はナナミの方へは向かず、膝の上に短剣を持ち、人間工学に基づいたリクライニングチェアに横たわったまま、視線だけで天井のあちこちを探す。

1426ヒトヨンフタロク時です。先生」

 天井は無機質に鉄筋コンクリートの梁が行き交い、配線とエアダクトが規則正しく有機的に這い回っている。そこから、シーリングファンの回転音と共に、アールヌーボーを模倣したガラスカバーからの明かりが部屋を照らしていた。

 外光を取入れる部分が殆ど無く、昼なのか夜なのかも判らない。


「エージェントか?」

「今回は半分正解よ。相変わらず詩集は形にならないけどもね」

 御剣の質問には間木が応えた。

「だいたい、出版業界のエージェントが公設セーフハウスの場所や入り方を知っている訳ないでしょ?今回は重要参考人への聞き取りと『探偵』のお仕事のお話よ」

 御剣はその話を聞きながら身を起こすと、椅子もそれに連動して形を変えて行く。

「今回は、本当に自信があるのだけれどなぁ……」

 探偵は膝の上に置いてあった短剣をサイドボードに置き、身を屈めると内羽式のアンクルブーツの紐を絞め直す。

「前にも言ったけど、せめて本名で出せば面白がって買ってくれる人も出るだろうに」

 間木はため息まじりに御剣の準備が終わるのを待つ。

「マーケティングやコマーシャリズム的にはそれで良いのだろうけれど、芸術活動としては、ね……」

 御剣は胴衣のポケットからカフリンクスを取出し、ダブルカフスのシャツを留めようとする。

「スーティヴン・キングみたいなこと言って。ラブクラフトみたいなことになっても知らないからね?」

 間木の言葉を聞きつつ、ダブルフェイスのカフリンクスと格闘する。

 寝起きの為か、上手く鎖がボタンホールを通らない。

「今回の糊付、強すぎないか?」

「いつも通りです。先生」

 御剣が手間取っているとナナミが自動的に袖を取り、機械的にカフリンクスを通し始める。

「ああ、ありがとう」

 御剣はカフリンクスがちゃんと留ったかを確認しながら礼を言う。

「いえ。ではお茶を淹れてきます」

 ナナミはそのまま給湯室に向かった。


「相変わらずね。いい加減、もっと現代に適用しなさいな」

「現代だって、相変わらず近代の延長だろう?」

「なら、近代的にもっと合理化しなさい」

「それがアウシュヴィッツや先の戦争を導いたのだろう?で、お仕事のお話は?エージェントさん?」

 それを聞き、間木はため息をついてから天井を見ると、再び視線を御剣に落とし、書類ケース型端末を差出す。

「今回は重要参考人と探偵が同じ人だから楽ね。この前の爆発の件よ」

「ああ、だろうね。仕事を少しでも楽にできてよかったよ」

 御剣は渡された端末をそのまま横にあるサイドボードに置くと、その上に置いておいた短剣を取り柄を間木に向けて渡す。


「爆破現場に識別章を置き忘れる犯罪組織……って、どう思う?」


 

「……間抜けね。これがそうなの?」

 間木は渡された短剣を、呆れた顔のまま、まじまじと見る。

 中央と口辺からフックを掛ける丸環が出た金属製の鞘に納まり、両刃には刃がきちんと付けられていた。

「そこじゃなくて柄だよ」

 御剣にそう言われ、間木は柄に視線を移す。

 そこには地球儀に見立てた髑髏を咥える蜷局を巻いた蛇の紋章が着いていた。

「あらこれ。メディコ一家のじゃない」

「ああ、やっぱり?」

 そこへアールグレイを淹れたナナミが戻ってくる。

「あなた、彼等からお仕事受けたことあったの?」

 間木はピュアティーを飲みながら訊ねる。

「いや?彼等が上海ここで動き始めたのは僕が引退した後だし、僕と関ったことがあればあんなことしないだろうし、何より僕は薬物が嫌いだからね」

 御剣はナナミから受け取ったミルクティーをゆっくりと見詰めてから飲む。

「いつもダウナー系キメてそうな顔してるのにね」

「寝不足なんだよ」

「なら、カモミールにすることね」

「疑うなら記録を参照すれば分るよ。僕からは薬物反応は出ないし、もし僕が彼等と関っていたら、今頃2課の仕事は半分になって、職員はもっと家族との時間を有意義に過ごせていたはずさ」

「ふーん」

「で、メディコ一家と敵対関係にある組織とかはあるかい?」

「それはもう、いっぱい。元々は戦後の混乱期に米国東海岸から台頭した組織で、欧州・北南米の三点を軸に動く国際シンジゲートに成長、大西洋・カリブ海を好き勝手に廻るから『ネオバッカニア』とも呼ばれているわ」

 間木はそこで紅茶を一口飲む。

「最近では人口回復著しいアジア圏にも拠点を置き、かなり乱暴にやっているみたい」

「特に上海ここでは?」

「ここだと、元からいた港湾系ギャングの五竜会ウーロンウイとの衝突が激しいわね。この会は最初は名前の通り茶葉を扱っていた5つの港湾労働組合組の連合だったんだけど、葉っぱとの相性の良さと戦後の混乱から薬物も取扱うようになり、その資金を基に現在は経済面でも黒社会に影響のある地域密着型ね」

「僕の事務所の入ってた建物って、彼等と関係ある?」

「ないわ。もし有ったらそんな面倒なこと、とっくに6課が妨害しているわよ」

 それを聞き、御剣は思わず笑い出す。

「そんなこと、お得意の夢で見たらいいのに」

「前にも言ったけれど、あれは夢だから曖昧だし、しかも全部悪夢で出てくるから疲れてしょうがないんだよ」

 御剣はここでまたミルクティーを一口飲む。

「その短剣からだって、酷いのが流れてくるし……」

 先程の夢が流れ込む。

「他には、何かあるかな?」

「さぁ?ここまではただの基礎情報。むしろ、あなたの方が五竜会関係の仕事とか受けてないの?」

「さっきも言ったけれど、僕は薬物は嫌いだからね。独立前は、仕事を受ける受けないも最初は組織が決めてたし、特に気にしてなかったからなぁ……」

 御剣は天井を見ると、立ち上がり、伸びをする。

「仕方ない。ここから先は足で稼ぐ、か……行こう。ナナミ」

 そう言いながら後ろに掛けてあったジャケットを羽織る。

 ナナミは「はい。先生」とだけ返すとそのまま片付けを始める。

「ちょっと。勝手に動かないでよ。後、この短剣、どこで入手したの?」

 間木は短剣を鞘ごと教鞭の様に振る。

「最初に言ったろう?僕の事務所跡」

「そう言うのはちゃんと警察に出しなさいよ」

 間木は御剣の素っ気なさに苛立つ様に噛み付く。

「今出してるじゃないか」

 御剣はそれを受けることなく返す。

「私は国家警察所属でここには出向よ。しかも分析業務の方で捜査課とは別系統。ちゃんと自治警を通して出しなさい」

「縦割りだなぁ。面倒だから、君から出しておいて欲しいな」

 これを聞き、間木は大きくため息をつき、頭を振る。

「あのねぇ、警察は行政なんだから、きちんと手続きプロトコルを踏んでよ」

 そう言うと御剣を睨みつけた後に天井を見る。

「そうでなくったって租界は外交面もあって色々面倒だし、あんな爆発があったから軍警察も動いてるの!省庁間でのやり取りとか、書類だけでいつもの3倍なんだからね?」

「それは僕に言われても困るなぁ……一応は被害者だし……」

「あなたは重要参考人!かなり特殊な、ね」

 ここまでを大きい声で言ってから間木は目頭抑え、諦めた様に息を吐く。

「まあ良いわ。後でで良いから、とにかくこれはあなたから自治警に出してね」

 そう言うと短剣を御剣に渡す。

「いい?ちゃんと出してね?」

「とにかく、お仕事行ってきます」

 御剣は短剣をしまってからそう言うと、手を振りながらガレージに繋がる出入り口に向かった。



×



「わたしね、母さんとの思い出が血塗れなの……」

 毛布に包まれたカレンは、位部屋の中、燃え盛る暖炉の前で震えながらそう述べる。

 たったこれだけのことを口にするのに、丸一日以上の時間が必要であった。


 あの爆発から一日。

 活発だったカレンは乖離症状を示していた。

 それは「塔」にとって苛立たしいことであると同時に「護衛対象」が動けないことになり好都合でもあった。


「まあ、これでも飲め」

 ジュスティーノは蜂蜜がたっぷり入ったホットミルクをカレンに渡す。

 「家族とは何か?」そんな人生の初歩的なことさえ理解する機会を奪われた少女がPTSDに震え、踞っていることが好都合である自身に酷い自嘲を覚えつつ、今後のことも考えていた。

 炎が幾重にも彼の眼孔に影を落とす。


「ありがとう」

 カレンはホットミルクを受け取り、反射的に、酷く機械的に礼を述べると、ホットミルクの湯気を自身の瞼に当てる。

 ホットミルクに張られた薄膜は、その上から降り注ぐ涙で幾度も破られた。


「多少の塩分は『甘い人生ドルチェ・ヴィータ』の良い隠し味になる……」

 「多少の塩分」が加えられるホットミルクを見て、ジュスティーノは思わず口に出してしまう。

 その一言は、カレンをからくり人形の様に振り向かせ、煉獄の炎で埋め尽くされた瞳を「塔」に向けさせた。

 業火の様に燃える暖炉の逆光の中、目だけが光っている。

 ジュスティーノは、それを見て酷い後悔を覚えた。

 その瞳は暫く「塔」の物見櫓を見つめると、なんとか一言だけ絞り出した。

「ジュスティーノには、あなたの『甘美な人生』には、どんな『塩っけ』が加えられたの?」

 「塔」は少女の業火の瞳から目を逸らすと、暖炉の炎を更に踊らさせているブランデーオゥ・ダ・ヴィに視線を移す。

「俺のは……」

 ブランデーに反射した炎が目に移る。

「いや……止めておこう」

 「あの日」の炎が脳裏に浮かぶ。

 ここで留置くのは、彼の善意であった。

「聞かせて?」

 しかし、少女にはその「善意」は通じない。

 それが「善意」なことすら通じない。

「お願い」

 カレンはさらに瞳を近づけてくる。

 それを見て、ジュスティーノはブランデーを一息に飲干す。

「……わかった」

 口の中に発酵した葡萄の芳醇な香りと一抹の渋みが広がる。

 豊かな味は、長年樽の暗闇に押し込められた故だろう。

 胃も気道も脳も、その香りとアルコールの刺激に浸される。

「俺の姉は、姉と言っても血は繋がっていないのだが、とにかく俺にとって代えの利かない姉は、ある事件に巻込まれて死んだ……俺の目の前で……」

 アルコールに侵された神経には、痛みは後からやって来る。

 しかし、その痛みを自覚した時には遅過ぎた。

「……これで良いか?」

「まだ、わたしの話した分より少ないわ」

 苦痛に歪むジュスティーノの顔に炎に歪む少女の影が落ちる。

 ジュスティーノは、金色に歪む少女の瞳を暫く見詰めた。

「……わかった」

 少女は涙を流しながら睨みつける。

「だが、ホットミルクがホットミルクな内に飲んでから、だ」

 ジュスティーノはカレンの瞳を外し、カップを指差す。

「人の親切は、親切な内に受け取っておけ」

 そう指摘され、カレンはホットミルクが温いウォームミルクな内に飲干す。

 蜂蜜が、喉を刺した。

「これで良い?」

 少女は飲干したカップの底を護衛に見せる。

「君は少し『恩』とは何か、を知った方が良いな」

「カレンって呼んで、って言ったでしょう?」

 ジュスティーノの抗議はカレンの異議に打ち消された。

 ジュスティーノは歯を食いしばると、ブランデーをもう一杯注ぎ、その香りを確かめる。

「……わかった……カレン」

「うん。お話、して?」

 ようやく諦めたジュスティーノに、カレンは毛布にくるまったまま背を向けると、ジュスティーノに身を預けた。

「俺の姉は、共に孤児院の出身で、そこで俺たちは出逢ったんだ……」

 ジュスティーノが語り始めた過去は、およそ次の通りであった。


 孤児院で身寄りのない中、互いを姉弟と認め合った2人は、将来をともに過ごすことを約束する。

 しかしある日姉の方は、その美貌故にとある組織の長に身請けされ、いつ、どことも知らされず孤児院を去って行った。

 幼年は、その喪失感から自暴自棄になり、孤児院を抜出すと暗殺集団の一員となり訓練を受けることにした。

 通常であれば余りにも過酷な訓練であったが、元々が迂遠な自殺目的で組織に入った少年にとってそれは喪失感を補う達成感を覚えるものとなった。

 そうして訓練を修了し、順調にキャリアを積み成長した少年にある日暗殺依頼が来る。

 それは、いつもと変わらない仕事になるはずだった——

 その日、少年はいつもの様に対象の行動を向かいのビルから見張っていた。

 もっとも油断する瞬間——「商談」が成功し、安全圏に出るその時を待って。

 商談相手が現れたときとき、少年の目は、体は、動かなくなった。

 そこに連れられていた女は、少年の「姉」だったのである。

 動悸が早くなることを感じた少年は、必死に自分に言い聞かせた。

「早く。確実に。この仕事を終えるだけでいい」と

 しかし、ここでアクシデントが起きる。

 暗殺対象が商談内容に不満を覚えたのか激高し拳銃を取出した。

 「姉」は商談相手をかばいその前に出る。

 そして、スコープ越しに見ていた少年の眼前で撃たれた。

 少年は、そのまま引金を引く。

 何度も。何度も。何度も。

 弾倉が空になるまで。

 スナイパーにはあってはならない行動である。

 その後のことは良く憶えていないが、少年は必死で逃げ出し、組織から折檻を受け、一つ、仕事の方針を決めた。

 自分は、『プロ専門の殺し屋』になろう——と。


「いつまでも、いつまでも——」

 ジュスティーノはここまでを、殆ど一方的に語った。

「ねえ、その『お姉さん』、黒髪だった?」

 黙って聞いていたカレンの反応は、ジュスティーノが予想したものとはやや異なるものだった。

「あ、ああ……それが?」

「もしかして、撃たれた後、その建物は爆破されなかった?」

「いや……俺が憶えているのは、対象を撃ったところまでで、その後は現場から逃げるので必死だったからよく憶えてはいないな……」

「そう……わたしの母さんも、父さんをかばって撃たれた後、爆破されて死んだの……」

 それを聞いたとき、ジュスティーノの中であのときの「商談相手」の笑顔が思い出された。

 それは、あんな状況なのにジュスティーノのスコープに向けて笑顔で親指を立てていた。

 そして、その顔は、今回の依頼主の顔をしていた。


「ねえ。怖い人達をみんなやっつけたら……私は自由になれる?」

 ジュスティーノが過去を見ていると、カレンが未来の質問をした。

「どこに行こうと大して変わらん。地獄が続くだけだ」

 「塔」は暖炉の方を見ながら応える。

「天国に行こうが、自分の中の業火が地獄に変えてしまうからな」

 ジュスティーノは瞳に暖炉の炎を映しながらそう結論した。

「そっか……」

「だが……」

 腕の中で更に小さくなるカレンを感じ、ジュスティーノは話を続けてしまう。

「何か『善い事』をすれば、煉獄くらいには変えられる……かもしれん」

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