『さあ、私はどこにいるでしょう?』


 くぐもった少女の声。

 摩天楼の様な高層住宅の内部を、幾重にもエレベーターを乗り継いぎ、何枚かの分厚い金属製の扉を潜った先に現れた、チェストナットの扉を開けて「塔」が最初にかけられた言葉がそれであった。

 ブーツの底が完全に埋まる毛足の絨毯の上で、ダークグレイのトレンチコートを羽織った「塔」は大いに顔を歪ませ、眉間に皺を寄せる。

 少し首を動かし、廊下に置かれた洋簞笥や絵画の額から伸びる光の入り具合を確認すると、声の聞こえてきた奥の部屋にそのまま真っすぐ進んでいく。

 部屋の扉の廊下の左右、扉の上下を確認すると、ドアノブを握る前に懐から取出した安物のペンで軽く触れ、様子を見る。

 扉からは青白い火花が舞った。

 ペンのゴムグリップが絶縁体になる。

 「塔」はそれを見下ろす様に方眉を上げると、壁に身を移し、ペンでドアノブを押し下げ、つま先でドアを内側に蹴り開ける。


 破裂音。


「パーティクラッカー?」

 その音は余りにも軽く、飛び出た僅かばかりの紙吹雪が舞う。


『さぁすがプロ専門。早いね。さて、私はどこにいるでしょう?早く見つけて』


 またしてもくぐもった少女の声。

 「塔」は大きく首を横に振るとため息をつき、ペンを部屋の中に放り込む。


 パァン

 パァン

 パァン


 安物のペンは安物の紙吹雪の中を凱旋していった。


 もう一つため息を吐き、部屋の中に入る。


 そこは寝室だった。

 外光は間接的に室内に入る設計になっておりプライバシーに配慮されている。

 大人が4人は眠れるであろう天蓋付きの大きなベッドが部屋の扉からは見難い位置に置かれ、その右手にはワードローブ、反対側の壁にはマントルピース上面を鏡で飾られた暖炉が据えられていた。

『早く早くぅ!』


 その声はワードローブからする。

 銀髪の男はポケットに手を突っ込むと、呆れた様に鼻から息を抜く。

 先程放り投げたペンを拾うと、今度はワードローブに投げ付ける。


 パァン!


 今度はやや大きめの破裂音と共に、ワードローブの前に横断幕が垂れ下がってくる。


「ようこそ!殺し屋の護衛さん!よろしくね!」

 横断幕にはその様に書かれ、どこか可愛らしいイラストで囲まれていた。


 「塔」は俯き、目を抑え、再度大きく頭を振ると、トレンチコートの肩章に挿してあった手袋を取出し、嵌める。

 そのまま先程よりも深い毛並みの絨毯の中を進むと、鏡の横で立ち止まる。

 マントルピース上の燭台等の装飾品を一通り目視で確認すると、鏡の前に立つ。

 そこには青白い肌に痩せた頬、片目が隠れる程の銀髪の男の顔が映っていた。


 「塔」は鏡をノックする。

「鏡よ、鏡よ、鏡さん?俺は自分の顔を見るのが好きじゃないんだ。直ぐに出てきてくれると助かるんだがね、お嬢さんシニョーラ?」

 鏡からは返事がない。

「生憎と、この世界に黙秘権は無いのだよ。そちらがダメなら、こちらから失礼つかまつるよ?お嬢さんシニョーラ?」


『わぁぉ!スゴいね!さっすがプロ!』

 ワードロープの中からくぐもった少女の声が聞こえると、暖炉の片側の柱が横にずれ、そこから二十歳前後の女が出てくる。

 それは、依頼主に渡された写真に写っていた「護衛対象」であった。


「はい、初めまして!私カトリーヌ!カレンって呼んでね?殺し屋の護衛さんミスター・キラーガード

 金髪の少女、カレンは一方的に自己紹介をする。

 それを見た銀髪の男は暫く黙ってカレンを見ていた。

「あぁ、初めまして、お嬢さん……」

「待って!カレンって呼んでって言ったでしょ?お嬢さんシニョーラお嬢さんレディも禁止!いい?」

 カレンは「塔」の言葉を遮り、さらに一方的に条件を加えた。

 「塔」は少々左方向に目線を送ると、鼻でため息をつく。

了解、お嬢さんウィ、マドゥモァゼル

 そのまま、言いつけ通りに言いつけを破った。

「あなた、嫌味な人って言われない?」

「そちらはキラービーとか呼ばれるのかな?」

 カレンは目線で抗議する。

「まあいいわ。腕が立つのは分ったし」

「あんな程度で俺を試したつもりか?」

「別に?悪戯が好きなだけよ」

 カレンは腕を組みそっぽを向いてしまう。

「悪戯が過ぎたから俺が呼ばれた訳か……シッターも他に頼んでおくべきだったな」

「とにかく、よろしくね?ええっとぉ……あなたは何て呼べば良いの?」

「ただ、『ラ・トルレ』と」

「違うわ。それはただの商標でしょ?そうじゃなくて、私が知りたいのはあなたの『お名前』」

「名前なんてただの識別信号だ。何でも構わなんだろう」

 カレンはただ「塔」を睨みつける。

「どうしても気になるなら、好きに呼びたまえ」

 「塔」はそっけなく返す。

「ダメよ。あなたが決めて」

 これに関してカレンは一方的にではなく、説得する様に話し掛けてくる。

「名前を自分で決めるのはアイデンティティに関る大事な事だわ」

 「塔」は方眉を上げてカレンの目を見る。

 暫く瞳を見たのち、僅かに口角を上げ、返答する。

「そうだな……」

 そう呟くと「塔」は左上を見てから嘲笑うかの様に息を漏らすと、自分の「呼称」を思いつく。

「『狂人イル・モット』……」

「また一般名詞。あなたは本当にあなたがそう言う人だと思っているの?」

 だが、カレンはその嗤いを赦さなかった。

 「狂人」は左下を向く

「では……ジュスティーノ……」

「『正義の人』!?良い名前じゃない!」



「処で、そちらは何故アメリカ式の呼名を?父親が気にするだろうに」

「あら、大丈夫よ。どうせウチアワーファミリーはアメリカ系だから」

 ここでカレンは少し息継ぎをする。

「父さんは移民1世で、一応はコルシカに『凱旋』した形だけど、結局今は上海ここだしね」

「何をやっているか、は知っているのか?」

「何となく、はね。多分、あなたが怒る様な事でしょ」

「何故俺が怒ると思うんだ?」

「それも、何となく、ね」

 この返答にジュスティーノは眉根を寄せるも、そのまま視線を落とし、軽く微笑んだ。

「何となく……ねぇ……」


「そんなことより、気分がへこんだから、どこかカフェでも行かない?私、気になっている処があるの!イギリス式で、三段スイーツがすっごいんだって!」

 カレンの急激な変化にジュスティーノは僅かに戸惑う。

「護衛対象に街中を歩かれるのは、厄介なのだがね?」

「だからあなたが来たんでしょ?」





「ねえ、見て、このチョコレートケーキ!フィンガーサイズのオペラになってるよ!」


 目の前ではしゃぐ少女をジュスティーノは据わった目で見ていた。

 自分の命など顧みず、テラス席で食べたい等と言い出し、何とか店内に案内しても真ん中の方が良いと駄々をこねる「護衛対象」を何とか壁際の席に持込み、ようやく店内を見渡せる席に着く。

 大げさな動きで甘味を楽しむ少女の向こうには、この場所には似つかわしく無いメイドの様な格好の無表情な少女を連れた男女の三人組みが見える。

 声の調子から男女とは判るが、男の方は観葉植物の影に隠れて姿がよく見えなかった。

 もしこの男に何らかの心得があってそこに座っているなら、随分と腕が立つのだろうな、とも思ってしまう。


「ねぇ、もっと楽しそうにしたら?」

 状況を観察している「塔」にカレンは不満そうに話し掛ける。

「仕事中、なのでね」

「仕事だって楽しんでやった方がいいでしょ?人生全部がお葬式なの?」

「人生は、生まれた瞬間から死に向かう壮大な葬列さ」

「パレードは楽しい方が良いわ」

 ジュスティーノには、自分のパレードが「楽しく」できる足場を意識していない様に見える少女が、少し苛立たしいモノに見えた。


「生憎、喪中なんだ」

 そう返答すると「塔」は向こうの席の女が何かを取出した様子を見て思わず反応するも、取出されたのはカードデッキだったようで、また観察を周囲に移す。


「喪中、って、何かあったの?」

 しかし、「塔」の観察は「護衛対象」によって妨害される。

「……いや?」

 やや、言いよどむ。

「人生が壮大な葬列なら、我々の前にはその行進を終えた者がいたし、それは後にも続くだけ、それだけだ」

 カレンは目を細め、ジュスティーノの瞳の更に向こうを見る様に何かを眺めている。

「ふぅん」

 それから、紅茶を一口飲むと、一息を入れ、わずかに固まる。

「わたしね、母さんがいないの……」

「だろうな」

「分るの?」

「あの父親だ、まあ、色々有りそうなのは察しがつく」

「うん。『あの父親』だから、『家族』っていうのもよく解らなくて……」

 カレンはここでふと思い出す。

「あ、もちろん、メンバーのみんなは良くしてくれるよ?荒いけど」

 その後、逡巡した様に口を開く。

「それでね……あの……」

 閃光



 爆発音

 衝撃波


 ジュスティーノは脇に置いてあったトレンチコートで素早くカレンに覆うと、懐の小型拳銃に手をかけ、反対の手でカレンをテーブルの下に引き込む。


 周囲を見渡すと、多くの客がおののき伏せる以外は何もできない状態であった。

 唯一、カードの三人組みだけはテーブルに座ったままである。

 腕が立つかとも思ったが、恐らく偶然「良い場所」にいただけなのだろう。衝撃波が来る窓との間に大きな柱があったのは、彼等にとっては幸運だった。


「怪我はないか?」

 ジュスティーノがトレンチコートの隙間からカレンの様子をみると、カレンは小刻みに振るえ、何か呟き続けている。瞳孔は大きく開き焦点があっていない様であった。


「そんな……また……母さん……」

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