第5話
彼の成長を見守り、彼に魔術を与え、私を導いた大切な辞典。私はもう一度頭の序章を読み直します。
「魔術は、人の為、平和の為に使うべし……」
そう、確かに書かれておりました、その言葉を彼も、私も信じてここまで来ました。しかし、
事実はそうではなかった……。
私は、拭い去れなかった嫌な仮説が再びよぎりました。
まさか、彼も……あんな風になったのではないでしょうか……。そう思うと、いてもたってもいられませんでした。
炎が、間も無く消えようとしています。辞典を開き「炎よ、灯れ」と呪文を唱えましたが、炎はちっとも元気を取り戻しませんでした。……薪も足りないのでしょう。私は木の根を再び取る為に、ほんの少しだけ移動しました。
その時でした。
「ぎゃあああああああああ」
これが、誰かの断末魔であることがわかる程に、私は命が終わる瞬間にたった一日で立ち合いすぎていました。
そして、地面が激しく揺れ始めました。立っているのが難しいほどで、私はしゃがみ込んでしまいました。
その人は、眠ったままでした。。
地震の振動で、焚き火が消えました。闇が戻りました。
(まずい)
そう思った時にはすでに遅し……。巨大な気配が、私の背後に忍びよってきました。
私の鼻先を、何かが掠めて落ちました、べちゃりと、地面に叩きつけられました。何かが、私の太腿に乗りました。私は腰を抜かしたまま、それを払い落とします。明らかにそれは、人の指でした。
私は「炎よ!」と強く念じました。直前に見たばかりでしたので、頭に瞬時に思い浮かんだのです。目の前にばちりと、火花が散り、偶然その何かに当たりました。それが服だと分かったのは、それが燃え上がり、一面明るくなったから。
服と、服の持ち主の頭髪と皮膚が燃えていました。落ちてきたのは、あの無表情の受験者。
私はそのグロテスクな焚き火を見たくなく、後退りをしようと試みました。しかし、明るくなったことで、背後に大きな影にも気づいてしまいました。
振り返ると、そこには大きな鱗に包まれた、巨大なドラゴンが、よだれをたらしながら口を開け、血塗れの牙を私に見せていました。
「あ……」
叫びが、声になりません。
ドラゴンの顔が、じわじわと私ににじり寄ります。ここで逃げなければ、私は確実に牙に貫かれます。ですが、足が、もう思うように動けないのです。震えて、力がもう入りません。
その時「ほっほっほっ」と笑う声が頭上から聞こえてきました。
「……陛下……?」
「何じゃ、その顔は、わしがいる事が、そんなに不思議か?」
「お部屋に、お戻りになったのでは……」
確かに、王は階段で地上に上がったはずです。
「それがのぉ……ちょっとこやつの事がとっても気になってな、餌だけあげにきたんじゃよ」
なぜ、そんな所にいるでしょう。
「餌?」
「そうじゃ」
王はドラゴンの肩の上に、確かに座っています。そして、ドラゴンの耳を撫でながら、耳打ちをしています。
「ほーら、美味しそうな餌じゃろ」
「何を……」
「こやつの好物はな、魔術の力を持つ人間での、なかなか食べさせてやれないから、興奮しておる」
「そんな……。どうして、受験生にこんなことを……」
「専属魔術師なぞ、使える奴、たった一人いれば良い。……使える奴は、わしら王族の役に立ってくれればそれでいいし、使えない奴も、こうして使える奴に、なる」
「こうして?」
「この子はなぁ……世界平和のために必要なんじゃよ。この子の存在を他国にほんの少しだけチラつかせるだけで、他国はワシらに屈服し、何もかも差し出す。この子は、世界の戦争を防ぐのに、大いに役に立っている。長生きしてもらわなくては、困るからな。……魔力を持つ人間の味を覚えて、それ以外を拒否するようになってしまったしなぁ……。これくらいの多少の我儘は聞いてやらない、とな」
「まさか……私達はそのために……」
陛下は何も答えません。そして大きな声で笑います。
「さあ、こやつが最後だ。……それとも、魔術で対抗するか?」
(最後?私が?……まさか、私が知らない間に……あの人も……?)
「生き残って我が国に仕えるか?ドラゴンの力となるか?ははははは」
ドラゴンが一気に私に近づきます。
私は無我夢中で、手をかざします。
ドラゴンは、口を大きく開けます。ヨダレが頭に降ってきます。
私は、口を開けます。
ドラゴンは私の頭を口で包みます。
私は、叫びます。
「炎よ、放て!」
よりにもよって、最も苦手な炎の魔術にしてしまったのか。
ひゅ〜んと、悲しい音を立てて、無数の小さな火の粉がドラゴンに向かっています。お灸程度の火の粉。もう、別の魔法を使う時間のゆとりはありません。
(もうダメだ!)
その時
「スノウ!」
私の名前が呼ばれました。
体がグイッと引き寄せられ抱きしめられました。
あの人でした。ドラゴンと私の間に入ってきました。
私の火の粉が当たってしまいました。
「ああ!」
火の粉を人間に当てるなんて、私は何と言うことをしたのでしょう。苦しそうな呻き声上げています。打ちどころが悪かったのかもしれません。殺してしまったかもしれません。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
その時、その人のシワだらけの顔と、骸骨のような手が徐々に若々しくなっているのが見えました。そして、
「氷よ!貫け!」
そのドラゴンの大きな口に、氷の刃が下から脳天貫いて突き刺さります。
ぎゃああああああああああと、ドラゴンが暴れ出します。
その人が、私を抱えて、あっという間にドラゴンから距離を取ります。……その顔は……。
「レイン」
陛下が、その名を呼びます。
「まさか……お前……元に戻れたと言うのか」
「……お陰様で、と、言っておきましょう……か……」
精悍な体つき。少し低くなった、懐かしい声。
腰を抜かし、完全に寄りかかっている私を見つめる彼の顔は、間違いなく記憶の彼……レインでした。
「レイン?レインなのですか……!本当に……?」
私は、本物なのか確かめたくて、手を彼の頬に伸ばしますが、彼に手を掴まれ、そのまま下ろされました。
「話は後だ、スノウ、捕まってろ」
そう言うと、レインはドラゴンに向き直ります。ドラゴンは、レインの刃で苦しんでいます。レインは、私の肩を抱いたまま、一歩、二歩と下がりました。
「可哀想なことを……。……よくもしてくれたねぇ、レイン」
陛下は、そう言いながら、ドラゴンの肩から涼しい顔で飛び降ります。……地面に辿り着くスピードを、風の力で緩やかにしたのでしょう。優雅に着地しておりました。
ドラゴンは陛下が着地したのを見届けたかのように、その場で崩れ落ちました。
「はっはっはっ。……お前はもう、死を待つだけだと思っていたからなぁ……」
「俺だって、そう思っていましたよ」
「三年前、お前がこの王都に来てから、せっかくわしが目をかけてやったと言うのに……よくもこんな真似ができたな。次の後継者を見届けてから死にたいだろうと、わざわざ、この選抜試験の監視役につかせては見たものの……まさか、こんな風に肉体が戻るなんて、な。……本来なら、即斬首したいところだったが」
陛下が、一瞬私を見て、不気味な笑みを浮かべました。
「嬉しい誤算が見られたから、良しとする、か」
「陛下……どこまで魔術師を愚弄すれば気が済むのですか」
「愚弄?どこが?ちゃんと、役割を果たさせてあげているではないか」
「選抜試験と言う名目で、魔術師を惨殺することが、か」
「王の為に尽くすという、お前らの望みを叶えてやったではないか」
「陛下や殿下の正体を知っていたら、決して目指したりはしなかった。誰もな」
「しかし、お前は、あの試験でたった一人、生き残った。実に、見事だった」
「レイン、どういうことですか?どうして、あんな姿に……?」
「ほう、其方らは知り合い……以上の関係のようじゃな」
「やめろ、スノウには手を出すな」
「そうもいかないな……」
呪い。老化。確かに、陛下はそう言った。
ふと、さっき聞いたばかりの話を思い出しました。あるべき論理、古くからの必然を根底から変えてしまうということは、どこかに大きな歪みが起こる……と。そしてその歪みが、災害を引き起こしたと……。
「まさか……レイン、さっきの話……」
「言うな!スノウ!」
「え?」
「ほう?まさか……話したのか?レイン。この娘に」
「話してなどいな……げほっ」
レインは、激しく咳き込み始めました。
「レイン、レイン!」
レインの体が、少しずつ小さくなっていきます。
「……どうしたのですか、レイン……レイン!」
レインの手が、再び骸骨のようになっていきます。胸を抑え、とても苦しそうに息を吐いています。私は、どうにかレインの苦しさを緩和してあげたくて、背中をさすりました。どんどん背が丸くなっていきます。このままだと、本当に……」
「や、やだ……レイン……!」
せっかく、また会えたのに、どうしてこんなに苦しんでいる様子を見なくてはいけないのでしょう?
「ほう……効果は、一過性のものであったか……だが……なかなか興味深い……」
舌舐めずりをして、陛下が近づいてきます。
怖い。
これが、あの賑やかな王都の人々が崇める人。
「娘、何を聞いた……?」
私は首を振りました。レインが、私の手を必死に握っています。言ってはならぬと、レインの心の声が聞こえたから。
「ははは。まあ良い、そんな些細な事」
「さ、些細な事って……」
「もうお前を逃す気はないからのぉ、娘」
「そうはいかない」
完全に元の姿……今にも倒れそうな、老爺の姿に戻ったレインが、私と陛下の間に立ち上がりました。足が、震えていました。
「娘、知りたくないか?何故こいつがこんな姿になったか」
そう言うと、王は両手をあげて
「面白いものを見せてくれた礼に、見せてやろう……!」
陛下が手をかざします。レインの体が緊張で硬直したのが分かりました。私は嫌な予感がして、レインの体を守るように抱きしめました。手に力が篭ります。
「燃えろ!」
陛下が呪文を唱えると、勢いよく殿下の手から炎が湧き上がります。その時、レインが体を震わせ、口から唾を吐き出しています。
「な、何で……!」
陛下は、不気味な笑みを浮かべながら、炎を、ドラゴンに向けて放ちます。炎はあっという間にドラゴンを包みます。すると、ドラゴンを突き刺した氷が溶け、ドラゴンの傷があっという間に塞がりました。大きく羽を広げたドラゴンは、あっという間に広間を低空飛行したと思うと、あっという間に廊下の奥に消えてしました。
ドラゴンが元気になるのと対照的に、レインは、跪き、立ち上がれなくなっていました。
「どうして……!陛下が魔術を使って、どうしてレインが苦しんでいるのですか?」
「それはな、娘、この男は王族の為にとても尊い役目を担ってくれているからじゃよ」
言葉とは明らかに反対の意味を含む言い方をする陛下に、私はレインを近付かせたくありませんでした。私は必死で。
「炎よ!炎よ!」
と、火の粉を出しましたが、陛下はその火の粉を片手で握り潰していました。「
「ほう」
と、嬉しそうに笑みを浮かべました。
「これはこれは……やはり……思った通りじゃ」
陛下はそう言うと、私にご自身の掌を見せます。両方の掌
「娘。やはりお前を返すことは、できなくなった」
殿下の掌は、片方はレインと同じように歳を重ねていることがわかる皮膚、もう片方が、ぴんっと張り詰めた、若々しい皮膚皮膚でした。
「な……何それ……」
「思った通り。娘、お前の火の魔法こそが、この国の呪いを解く鍵になるようじゃ」
「だから、呪いって何ですか!」
「魔術は……」
レインが、苦しそうに話し出しました。
「魔術は、自然を冒涜するもの……歪ませた自然のエネルギーは、呪いとなって……王家を蝕もうとした……」
「何それ……」
「暗黒の時代、王家は一時期、謎の死を遂げる者が多かった……。海の事故、山の事故、火の
事故……始めはただの偶然だと誰もが思った……違った……。自然が……理を作り替えた者に……王家に復讐を始めた。それこそが、あの災害の真の理由。それを、王家は隠蔽しようとした」
「で、でもその時に、確かに専属魔術師が……」
「……身代わりじゃ」
陛下が楽しそうに話し始めます。
「……え?」
「王家は魔術を、確かに操れた。誰よりもな。その力の反動に、自然の呪いが副作用として存在する。じゃが、王家は滅亡さえてはならぬ。決してな。だから、同じだけ……いや、それよりも強大な魔術力を持つ人間に、代わりに反動を受けてもらうことにしたそうじゃが……これが、実に良い。この世界も穏やかになった。わしら王族も、誰一人死ななくなった。素晴らしい世の中になった」
「身代わりの……魔術師の人はどうなったんですか……」
「そこにほれ、丁度いい見本がおるじゃろ」
陛下はレインを指差します。
「あらゆる反動を体に受け止め、細胞が破壊され、内臓も皮膚も、あっという間に枯らし……それでも強い魔力ゆえ、生命だけは維持し続けておる……」
レインは、そんな責務を担わされていたというのですか?私が専属魔術師をそういうものだと知らずに、レインを追いかける為だけに必死に目指していたあの時間の全てで……。
「何故、レインだったのですか」
「魔術師の中で唯一生き残ったからじゃ」
「それだけ……?」
「それが、重要なんじゃよ。どんなに厳しい環境でも生きてもらわなくては、王家の存亡に関わるからな。ははは」
「そんな……でも身代わりってどうやって」
「生き残った魔術師に、わしらの血を入れるのじゃ」
「血……」
「王の最も濃い血と、強い魔力に、呪いは反応するからじゃな。まあこれは、最初の身代わりのおかげで、わかったことじゃがな」
陛下はそう言うと、。腰から小さな小刀を取り出し、自分の指に傷をつけました。つうっと、一滴二滴と、血の滴が落ちます。
「とは言っても、すぐに壊れるから……だいたい、一年……三年……もって五年……?まあ、そこはそれぞれじゃな」
そう言うと陛下はレインを蹴り倒しました。
「やめて!」
私はレインを抱きしめます。もう、レインに苦しい思いはさせたくない。
「安心せい、ただ呪いを受けるだけのそいつは、もう用済みじゃ」
「え」
「ただ受け身。何もせず平穏無事に過ごす。わしはいい加減飽きておった。そもそも専属魔術師の仕組みも、わしが作ったものではない。わしの父の……もっと前の王が作ったもの。それに従うのは、実につまらん。そう、思っていたんじゃよ」
陛下はそう言うと、私の口の前に自分の血が滴る指を当てます。
「舐めろ」
「嫌っ」
「足元を見ろ」
レインが、首にナイフを突き立てられていました。
「言うことを聞かねば、切るぞ」
あれだけの惨殺をあっという間に行う陛下ですから、その言葉には、嘘はないのでしょう。
私は血を唇につけないように、顔を逸らします。
「呪いを一身に受け、老化が止まらなかったレインが、何故、その姿を束の間で取り戻したのか……分かるかのぉ?」
「いえ……分かりません」
「さっきも見せたじゃろ……お前の炎じゃ」
「炎?」
「お前の炎は、エネルギーを戻す力があるようじゃな……」
陛下は、レインの首筋に刃先をほんの少し入れます。レインがうめき声をあげました。
「わしは、呪いを受け取るだけの器にもう用はない。お前の力で、わしにもう一度、かつての……若く……力に満ち溢れたあの時代を……取り戻させておくれ……」
「やめ……」
陛下が、無理やり指を私の口の中に入れようとします。私は必死で抵抗しましたが、すればするほど、陛下が指をねじ込もうとします。歯に指が当たりました。私は、無我夢中で陛下の指を噛みました。
「何をするんじゃ!」
私は陛下によって払われ、地面に叩きつけられました。レオンの首から剣先が抜けました。私は急いで唱えます。
「炎よ!レインを、助けてー!」
私の手から出た、蛍のような炎が、レインの体を包みました。と同時に、私は陛下に床に押し付けられました。陛下は、血走った目で、私を見ています。
「少し優しくしてやれば……調子にのるから良くないのぉ……。わしが躾し直してやるぞ」
陛下は私に馬乗りになり、出血していない方の手で私の顎を抑え、指を口の中に入れようとしました。
「喜べ。私の為に、死ぬまで、役立たせてやるぞ」
(もう、だめ……!)
「うわああああああ」
強風が吹き、氷の刃が無数、私の真上を走って行きました。陛下が、あっという間に吹き飛ばされました。指が、数本、宙に浮いていました。私は、血を浴びてしまいました。目に、鼻に、口に、大量の血が染み込みました、陛下の血が。
私は、ゆっくりと起き上がります。手が差し伸べられました。私はその手を取りました。私は引っ張り上げられ、そのまま抱きしめられました。
「元に……戻ったのですか……」
また、かつてのレインに戻っていました。レインは、泣いていました。
「……すまない、スノウ。俺のせいで……」
「何を言っているんですか?」
待ち望んでいた人に会えたのです。それがどんなに嬉しいことか、幸せなことか……。私はレインを抱きしめ返します。
「スノウ、魔術師は、国を救うヒーローなんかじゃなかったんだ……」
「はい……」
「……それなのに……俺のせいで……」
レインも、気づいたのでしょう。私が、もう後戻りできない事に。
「私は、大丈夫です」
レインの体が、また少しずつ戻っていきます。抱きしめている手の力が、だんだん弱くなっていくのが分かります。背が曲がり、私より小さくなっていきます。
私は、この先自分に待ち受けている苦しみよりも、これまでこの人に会えなかった悲しみの方がずっと重かったので、この人と一緒に苦しみを味わえる事が嬉しかったのかもしれません。
レインは、もう私の側から離れることはありません。
王の傀儡となる事の地獄を選んででも、私はレインを助けることができます。
私は、確かになりたかった専属魔術師になる事が、できたのです。
「今日から、私はあなたの専属です」
とある弱小魔術師が国を支えるために採用試験を受けたら、殺戮ゲームに巻き込まれました 和泉杏咲(いずみあずさ) @izumiazusa2020
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