第2話
すでに門前には数年に一度も行われない、専属魔術師試験の受験者を一目見ようと、見たこともない程の人が押し寄せておりました。
どうにかその波を掻い潜り、受付を済ませ、案内された場所……バルコニーによって見下ろされる広場に辿り着くと、各々が自分の存在を自信ありげに曝け出しているようでした。
(やはり、私みたいな人間は、来るべきではなかったのでしょうか……)
引き下がりたくなりました。
逃げたくなりました。
家を出た時の決心なぞ、朝露のように消えそうになっていました。
あのお方の登場があと五秒でも遅かったならば、あっという間に、門前の人々に同化しにいったことでしょう。
「やあ!愛する僕の国民達……!」
その声を聞いた者は、男女問わず一斉に黄色い歓声をあげてしまう……そんな噂を聞いたことがありました。
この国家元首のご長男でいらっしゃる、アルベルト殿下が、どこからともなく、凛々しい顔をした馬を颯爽と乗りこなして、バルコニーに降り立ったのです。
殿下のお姿を見た門前の人々からは、一斉に
「アルベルト様―!」
「お美しいー!」
「結婚してー!」という声があがりました。
声の力は恐ろしいもので、声の量が多ければ多いほど、風の魔術を発動させてしまいます。
そのため、受験生の皆様は……僭越ながら私も……警戒心を強めておりました。
「ああ、我が可愛い民達よ、どうか僕の声が皆に届くよう、少しだけ大人しくしてくれるかな」
と、殿下が投げキッス付きで問いかけるものだから、皆様本当に黙り込んでしまいました。
受験生の皆様達の緊張も解けた様子でしたが。殿下は私達を一通り眺めました。
「この度は我が王宮の専属魔術師を目指してくれたこと、心から感謝するよ」
殿下がそう言った途端、息を飲む音が聞こえました。
この場にいるのはおよそ百人前後。
老若男女……下は十代半ばくらいから、上は八十は超えているであろう、生まれ育った環境も世代も何もかもがバラバラの人々は、今日この日、たった一つの目標の為に努力し、集まったと言っても過言ではないのです。
その緊張の糸が、ぴんっと再び張り巡らされていました。
王宮専属魔術師。
それは、数年〜数十年に一度募集される、王族の次に強い権力と名誉を与えられる称号。
この称号を手にするかしないかで、人生が一変するからです。
「早くしてくれよ!」
「こっちは、待ちくたびれてんだよ!」
聞いたことがある声が、その糸を見事に断ち切りました。
先ほどお会いしてしまった野蛮な二人組。
不敬罪で訴えられても不思議ではない殿下への挑発に、誰もがハラハラしておりました。
殿下はふっ、と微笑むだけでしたが。
「待ちすぎて、鳴いてしまっている子猫ちゃんもいるようだから……」
そう言ってすぐ、殿下が両手を掲げると、急に風の波がバルコニー側から押し寄せ、私達の頭上を通り抜けて行きました。
「諸君! これより王宮専属魔術師選抜試験を開始する!」
殿下が宣言したと同時に、門は閉じられ、殿下の背後から風に乗って、無数の紙が舞い落ちてきました。
受験生達は一斉に足元の紙をかき集めました。
しかしそこにあったのは……。
「何だよこれ!」
と、投げ捨てる者もいれば
「絶対家宝にするわ」
と胸に大事に抱える者もおりました。
ちなみに私はと言うと、初めて見るタイプの試験でしたので、対処法が分からず困惑しておりました。
普通なら
「この術を使って見せよ」
という実技タイプか
「この魔法の由来、歴史を百字以内で記述せよ」
という筆記のいずれか、もしくは両方だからです。
しかしこれは違います。
何故ならば、それは殿下のウインク姿が印刷されているだけだったから。
裏表を何度も確認したり、一枚隠されているのではないかと厚みを確認したり、隠れ文字がないか探してみましたが、どこにも試験の内容の記載がありません。
周囲を見渡してみますと、同じように紙を眺める者、地面に叩きつける者、持っていた飲み物を使って濡らす者など様々でした。
しかし、誰一人もその場から一歩も動かず、首を傾げるだけでした。
「ねえ」
突然背後から話しかけてきたのは、いかにも地元では優等生として評判だったのだとわかる風貌をした少年でした。
「あんた、わかる?」
馴れ馴れしくタメ口を使ってくるのが少しだけ気になりましたが、とりあえず首だけは振っておきました。
「そっか、わかった、ありがと」
そう言うと、少年はまた別の人間に次々と声をかけていきます。
(知らない人に声をあんな風にかけるなんて、私にはできません……)
少年の気さくな性格が、少しだけ羨ましくなりましたが、一度頭を整理するために、人の姿が見られないバルコニーの真下まで移動することにしました。
すると、先ほどのターバンの男性がそこにいたのです。
私は咄嗟に後退りしてしまいましたが、まだその人がこちらには気付く気配はありませんでした。
その人は、誰にも拾われていない紙を丁寧に拾い上げ、一枚一枚並べ、見比べております。
私は、感じていた恐怖心よりも、その人が何をしているのかという好奇心が勝り、近づいてしまいました。
私の一歩により、起きたほんの少しの風が、紙を一枚捲ってしまったことで、その人は近づいてくる私という存在に気づきました。
ほとんど見えないその人の顔の中で、唯一見える目が、先ほどのように、鋭く睨み付けているのが分かりました。
ですが、私も人生がかかっています。
「……何か、分かりましたか?」
尋ねても、何も返ってきませんでした。
(このままここにいれば、何か、分かるかもしれない)
確証もない、勘でしたが、どうせ他に何もできることが無いので、その人の動きを観察することにしたのですが……。
「おい」
こちらを向いての発言ではありませんでしたが、その声が私へのものだということは、周囲に誰もいないことで分かりました。
「は、はい!」
「どう思う?」
「……はい?」
「これ、どう思う?」
「……殿下の……お姿ですよね?」
私がそう言うと。その人は大きくため息をつき
「もう良い」
とだけ。
「もう良いって……今のは……ちょっと油断しただけで……」
私がそう言うと、その人はまたこちらに顔を向けました。と同時に
「きゃあ!」
その人はどこから出したのか、私の首筋に剣先をぴたりとくっつけていたのです。
「今すぐここから去れ。邪魔だ」
そう言い放ったその人は、私の手元から落ちた、殿下の紙を奪うように拾いました。
「返してください」
その人から紙を奪い返そうとしましたが、少しでも動くと剣先が首の皮膚入り込みそうになりましたので、私はほとんど体を動かせずにおりました。
「女の子いじめるなんて、男の風上にもおけないんじゃないの?」
先ほどの優等生の風貌をした先ほどの少年がひょいと現れ、私を引き寄せ、剣先から距離を取らせてくれました。
「……何か分かったの?」
少年がその人に尋ねました。ですが、返ってきたのは次の問い。
「火は使えるか?」
「基礎中の基礎じゃん」
少年は涼しい顔で、指先で空に円を何度か描きました。辞典も見ずに。すると、その人が並べた紙に向かって、空から火の粉が槍のように降ってきました。紙が小さく燃え始めたところに、その人は私が持っていた紙を落としました。
「何するんですか!」
私は急いで、水の術を使おうと、荷物を下ろしました。まだ辞典無しでは、私には魔術は使えませんので……。
そのタイムロスが生じたことが、私の生命を救うことになるなど、この時は知る由もありませんでしたが。
「やはりか……」
その人が呟くと同時に、私の紙に描かれていた殿下の顔が、全く別のものに変わっていくのが見えました。
「何ですか……これ……」
「これが、選抜試験、ってことか」
私の独り言のような問いかけを拾ったのは少年の方でしたが、私はこの言葉に気づかされました。
私達は魔術師の選抜を受けている。
魔術をいついかなる時も使わなくては全く意味がないのです。
何故、この時まで全く気づけなかったのでしょう。
他の紙も、火に焼かれることによって大きく変化していきます。
火で消えていったのは、殿下の顔。そうして現れたのは……。
「薔薇……?」
炎に焼かれた紙から、ぐんぐんと薔薇が咲き誇り始めたのです。
これほどまでに深い赤色をした薔薇を、私は人生で一度もお目にかかったことはございませんでした。
試験でなければ、炎に包まれた薔薇という、美しい情景を飽きるまで眺めていたかったものです。
と、その時、炎をあっという間にかき消す、大量の水が、私達も巻き込み襲いかかりました。
「へっへっへ」
「ったく、こういうのは誰かのアイディアをパクるのに限るよな」
先ほどの野蛮二人組でした。
いつからいたのでしょう。
「何か仕掛けがあると思っちゃいたが、燃やすなんてのは、さすがに勇気が出なかったぜ」
「それなー!」
下品な笑いを浮かべながら、二人組が薔薇へと近づこうとします。
そしてその様子を遠巻きで見ていたであろう、他の受験生達も次から次へと現れました。
私と少年も、先を越されてはいけないと薔薇に手を伸ばそうとしましたが、その人は一向に動く気配がありませんでした。少年は、野蛮な二人組と同じように生まれた薔薇を手にしましたが、私は、その人の微動だにせず、ただ観察している様子が気になってしまいました。
その人は、何もしないことを選んだ私に向かって言いました。
「少しは、学んだか」
「え?」
「油断、しないんだな」
初めて気づきました。
「油断をする」は、私がつい空気を吸うように使ってしまう言葉。
使ったことを忘れてしまう言葉。
悪気もなく、自らを正当化するのに一番楽な言葉だと誰もが思うのか、何か悪いことが起きるたびに周囲にいた大人達が挨拶のように繰り返し使っていました。
この言葉を言えば「次からは本気でやれよな」で誰もが許されておりました。それを見ておりましたので、私もいつの間にか失敗した直後に使う癖がついていたのでしょう。
「……できません……油断なんて……」
自分の人生の全てを賭けているのですから。
「そうか」
その人は、一言そう言うだけで、そのまま四つん這いになり、両手を地面へ置きました。マントから、シワだらけで骸骨のように肉がない手が現れました。
「何を……」
しているのかと私が聞く前に
「土の準備!」
「え?」
「早く!グズグズするな!」
「え?あ、あの?」
一体何を意味しているのか、私には分かりませんでしたが、その人は、祈りを組み立て始めました。それを見て、何らかの魔術を意味していることが分かりましたので、私は辞典を取り出そうとしましたが。
「遅い!こっちに来い!」
その人が私を引っ張ったと同時に、それが起きました。
轟音と共に、私とその人を包み込む土の壁ができました。
盾の土術。
魔術を志す最初に身につけるべき術であると、かつて教えてくれた人がおりました。
そんな思い出を引き出したのも束の間で、土の轟音と一緒に聞こえてきたのは、無数の人々の叫びでした。
そして、何かが宙を、物凄いスピードで走り抜けているのが、風の音で分かりました。
ぽたりぽたりと、どろりとした液体が地面に落とされるのも分かりました。
私は、何が起きているのか確かめたくとも、体を押さえつけられているために顔をあげることすら出来ません。
「ば、化物……!」
聞き慣れた少年の声が聞こえてきました。少年はすぐに術を唱えていました。しかし唇が震えているのか、何の術か全く分かりません。助けなくては。そう思ったのも束の間
「うわあああああああああああああ」
という少年の叫びと同時に、肉が裂かれる音が聞こえました。それに続くように、叫びが重なり、そしていつしか、宙を走る、何かの音だけになり、
「今回の受験者は、植物術に水をかけると、力を増幅させる事も知らないのか……」
と、真横の人の悔しそうな呟きが、直後にはっきり聞こえました。
信じられますか?ほんの十五分前まで、互いの肉体、体力自慢をするような屈強な人々が、彼ら自身ですら、全く予想もしていなかった方法……美しく咲き誇る薔薇によって、瞬きすることすら許されずに命を刈り取られているという事実を。
それは地獄絵図でした。
いえ……それよりも、もっと酷いのかもしれません。
人だった何かが無残に引き裂かれていたり、原型を留めていないものもありました。ドス黒い血が、より薔薇の美しさを際立たせていました。
足元を見ますと、目を見開いたまま、その輝きを奪われた少年の首が転がっていました。
薔薇の蔓が絡まった自らの武器によって、磔にされた野蛮な二人組の腕と足だけが残っていました。他にも、かろうじて人の形は保っているものの、顔が判別できないほどの傷をつけられた者もおりました。
そして今、この場に残っているのは、私を含めて、僅か数名程までに減っておりました。
険しい顔をしている者は
「全く……忌々しい」
と吐き捨てるように言いました。表情が全く変わらない者は
「で、これで終わりなの?」
と、つまらなそうに言いました。
私はと言いますと、血の匂いが、頭を強く揺すぶってくるので、こみ上げてくる吐き気を抑えるので精一杯です。
匂いの流れが、変わったのが分かりました。
背後から、避けられないスピードで何かが私に近づいて来るのが分かります。
あ、私もああなるのか、と本能で分かりました。
私は無我夢中で手を上げていました。
「風よ!助けよ!」
すると、突風が吹き、背後の……人の太腿ほどはある薔薇の刺を弾き飛ばしました。地面の血も舞い上がり、私達の衣服に染みを作りました。
ぱからっぱからっ。馬の蹄の音が遠くからやってきました。
「やあやあ、愛する僕の国民達。いかがだったかな?」
殿下が、颯爽と現れました。先ほどと違うのは、もう、殿下が登場しても、誰一人として感嘆の声を漏らすことがなかったこと。
殿下はあえて、肉片が散らばった血の海に馬を止め、華麗に飛び降りました。肉が潰れる音がしました。
「ひい、ふう、みい……んー四人か。随分と残っちゃったな。君達凄いね。見事だ」
殿下は、大袈裟な動作で拍手をしています。
「いかがだったかな?僕の可愛いスイートローズちゃん」
「スイートローズ……ですか?」
つい、口を挟んでしまったことを後悔し、私は口を抑えましたが、殿下は私がその質問をしたことで、高らかに笑い出しました。
「美しい僕にふさわしい魔術だと思わないか?」
「そ、そうです……ね……」
私は自分が発した言葉で、自分が目の前にいる為政者に怯え、恐怖していることに気づきました。声がうまく出せません。歯がぶつかり合い、カチカチと口から音が出ます。たった今、自らの魔術によりあっという間に人を人でなくした殿下が、とても不気味に思えたのです。殿下は、私の震える手を取りました。
「この手が、僕のスイートローズちゃんを……やったんだね」
殿下の声のトーンが一気に下がりました。やった、というのは先ほどの風のことでしょう。
殿下は私の手の甲に、触れるだけの軽い口づけを落とし、ゆったりと離れました。私はその瞬間、足から崩れ落ち、地べたに座り込みました。力が入らなくなりました。殿下はそんな私の様子を全て見届け、微笑を浮かべています。
「まあ、ここで全滅になっても面白くないからね」
殿下がそう言うと、今度は地面が割れる音がしました。広場が二つに割れ、地下へ続く階段が現れたのです。
「早速、次へ進んでもらおうか。僕の愛する国民達よ」
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