第5話 麦畑へ行きたくて

 王都に邸を持たない生徒の在学中の家となるハリアード学園の寮は爵位で分けられている。

 個室は寝室、居室、サービスルームで三部屋。

共有スペースにはサロンや食堂、来客用の応接室、パウダールーム、個室の浴室。

 侍女や執事を連れて来る者もいるが連れてこない者の為に学園付きの侍女と執事が生徒の身の回りを世話をする。

 また、上位爵位は大体が王都に邸を持っている為、学園の寮に入っている者は少ない。学園での休憩用に寮を使っている程度らしい。


「キャラスティ様、お帰りなさいませ」

「ただいま、ユノ。リリックとベヨネッタに帰ったと伝えてもらえる? それと、お茶を三人分お願いします」

「畏まりました。軽い食事も一緒にお部屋の方へお持ちしますね」


 自分の担当侍女に伝言をした後キャラスティは自室に帰りベッドに倒れこんだ。


「疲れたあ──⋯⋯」


 キャラスティは倒れ込んだまま目を閉じる。思い浮かべたのは馬車での出来事。あんなに感情を露わにするレトニスは初めてだった。

 それに、ただの幼馴染に対しては些か過剰な感情だったようにも思えた。


──あれじゃまるで⋯⋯って、え?あれ?


 自意識過剰な考えが浮かんでキャラスティは飛び起きた。

 そう、避けようが逃げようがただの幼馴染なら気にするものでは無い。昔馴染みと言うものは同性ならまだしも少しずつ距離が出来ていくものだ。


──もっと、頼って欲しいと思ってる。相談だってして欲しい──

──嫌いじゃ無いなら⋯⋯離れようとしないでよ⋯⋯──


 あれはとても「どうでもいい」相手に言う事ではないし持つ感情でもない。

 思い出したレトニスの言葉に顔が熱くなった。


「ありえない⋯⋯んあーっ!」


 キャラスティは悲鳴をあげそうになり枕に顔を押し付けた。バタバタと足をバタつかせゴロゴロと悶える。心臓が壊れそうだ。


暫く悶えたキャラスティはパタリと動きを止め、呆然とする。


「すき⋯⋯だから? んあーっ!」


 口にして再び恥ずかしさに悶えた。

 ハッキリとは言われていない。自意識過剰な考えだ。しかし、思い返す今までのレトニスの言動は「好意」を表している。


──学園内でもわざわざでないと合わない様な場所で会ったり、わざわざ合わせないと会わない時間に会ってた⋯⋯。


 一通り動揺すると冷静になるものでキャラスティは枕に抱きついたまま溜息を吐いた。

 次期侯爵のレトニスが「好意」を持つべきなのは何も無い自分にではない。レトニスとトレイル家の益になる「特別」な相手が相応しい。

 自分はいずれ家を出て「貴族」では無くなる。

たとえ、貴族であり続けてもラサーク家とトレイル家の益の為だけだ。

 それに、キャラスティを「好き」なのであれば「夢」の様な未来にはならないはずだ。


──昔から付き纏わられて迷惑だったよ──


 「夢」のレトニスはキャラスティにそう告げる。

 その隣にはふわりとした雰囲気を纏った小さくて愛らしく、可愛いらしくて美しい女の子が寄り添っいた。

「私の祝福を貴方に」

 鈴のようなコロコロとした声。容姿が可愛ければ声すら可愛い。彼女が「ヒロイン」だ。

 その「ヒロイン」の為にレトニスはキャラスティを迷惑だと突き放した。


──レトは幼馴染への感情を「好意」だと勘違いしているだけ。

レトに好かれてるなんて勘違いしたらダメだ。


 まだレトニスは彼女とは出会っていないだけなのだからこれからも距離を保つ事に変わりはない。少しずつでも離れないとならないのだ。


 疑問が残るのはレトニスの様子がおかしくなった「迷子イベント」それがキャラスティで起きてしまったのは何故なのか。

 いや「ヒロイン」とか「イベント」とは一体なんなのか⋯⋯。

 もっと思い出そうとするとズキリと頭痛が起きる。キャラスティはそこで思考を止めた。


「キャラスティ様、お連れしました」


 キャラスティはドアのノックの音で慌ててベッドを降りた。


「やだ、髪がボサボサよ? 何をしていたの?」

「ちょっと悶えてた⋯⋯」

「も、だ? なんで?」

「い、いいから。座って」


 不思議そうな表情のリリックとベヨネッタを部屋に招き入れ、ベヨネッタに紅茶を渡した後は三人だけの小さなお茶会になった。

 

 話題は最近の流行りや覗いた店の話。アルバートの店の様子。会話に花を咲かせながらもキャラスティが入り込んだ裏通りの話ではリリックとベヨネッタが眉を潜めた。


「噂でしか知らないけれど裏通りは危ない所なのね」

「軽率だったって反省してるわ。マッツさんとリズさんが助けてくれて改めてお礼するつもりよ」

「アルバートさんも変わりなさそうね」

「叔父様の店で⋯⋯レトにも会ったわ」


 自分から口にしておきながらレトニスの名前に気恥ずかしさが込み上がる。


「あー⋯⋯やっぱりアルバートさんの店に行ったのね」

「やっぱり?」


 リリックが苦笑いをしながら何故レトニスがアルバートの店に居たのかを語った。

 リリックは講義が終わった後、教員室で日直の仕事をしているとレトニスと会い、キャラスティの居場所を聞かれた為「アルバートさんの店に行ったわよ」と答えると生徒会に伝言を頼まれた。

 それからレトニスは直ぐにアルバートの店へ向かったらしい。


「生徒会の人達へ用事が出来たと伝言を頼まれてね、初めて生徒会長と話したわ」


 「美形が揃っているのは圧巻ね」とリリックは陽気に笑う。ベヨネッタとキャラスティは肝の座ったリリックに苦笑する。


「生徒会長ってこの国の王子様よね」

「そうよ⋯⋯さすがリリー」

「ちょっと! ちゃんと礼儀は尽くしたわよ。あんな高位の人達に目をつけられたくないもの」


 再従姉妹なだけあり、リリックもキャラスティと似た所がある。貴族社会の窮屈さは二人の共通意見で平和で平凡な学園生活を遂行したい。


「それにしても、レトニス様はよほど心配だったのねえ」

「心配してくれてるのはありがたいと思ってはいるけれど、心配症過ぎるのよ⋯⋯」

「そうなのよね⋯⋯色々ヘタになったと言うか、まさか迎えにいくなんて──」

「⋯⋯レトはわざわざ迎えに来たの?」

「えっ、知らないの?いつもキャラを探してるわよ。レトは重いわよぉ」

「ええぇぇ⋯⋯」


 頭を抱えるキャラスティと揶揄うリリックにベヨネッタはクスクスと可笑しそうに笑う。

 レトニスの「好意」についてリリックは知っていて面白がってる節がある。

 本人に上手く伝えられていないレトニスを「不甲斐ない」とリリックはよく零していた。


「レトニス様に憧れてる方も多いのに二人には重たがられてるのは少し気の毒に思うわね」

「⋯⋯探さないでもらえるように頼めば止めてくれるかな⋯⋯」


 「それは無理な話だわね」とベヨネッタが呟くとリリックはコクコクと頷いた。「拗れなければいいのだけど」とリリックが呟くとベヨネッタは「一途そうだものね」と返してクスクスと笑い合う。


「何よ、二人とも⋯⋯」

「何でもないわよ?⋯⋯紅茶、本当にありがとう。手紙と一緒に送らせてもらうわね」

「ベネの実家って北の地方だったわよね」

「どんな所なの?」


 ベヨネッタの実家、ムードン家はハリアード王国北。凍える寒さではないけれど王都に比べると冷涼で乾燥した地域。

 平地には麦畑が広がり高地に馬や牛が放牧された長閑な所だ。


「産業は酪農とか麦かしら」


 ムードン家は主に麦畑を有し、王都に麦を卸している。ベヨネッタが語るムードンの産業にキャラスティは飛びついた。


「麦!」

「ええ、小麦とか大麦ね。あと、品種改良したりしているの」

「ねえ⋯⋯ベネ、お願いがあるの。その、麦畑を見てみたいの!」


 ベヨネッタは紅茶を飲んでいた喉が引き攣るかと思うほどに驚いた。「ご、め、んなさい驚いてむせてしまったわ」とケホケホしながらキャラスティを見ると素の情がわかる顔でベヨネッタを見ている。

 普段、無表情程では無いが表情を変えることが少ない友人の憧れと喜びを浮かべた表情に、彼女もこんな顔もするのかと二度驚いた。


「驚いたわ。キャラもそんな顔するのね」

「だって、ベネ、麦畑を持ってて、もしかして、ビール麦もあるの? って思ったら──」

「ビール麦?キャラなんでそんな麦を⋯⋯」

「あるわよ? 卸している商会で醸造してるから」

「醸造所まで知ってるの!? ベネ素敵だわっ。見学したいのお願い。ベネが帰省する時に一緒に連れて行って欲しいの」

「ちょっと、ちょっと、キャラ、どうしたの急に」


 今度はリリックが驚いた。興味があるものがあったんだなと言う感想となんでビールなんだろうかと言う驚きだ。

 一年前までは大人しい訳では無いけれど、「少し吊り目だし自分は地味だから」と思い込んで自己肯定感が低く、どちらかと言うと流されやすかった再従姉妹の幼馴染。

 学園に来てから元々可愛い系よりも美人系だったのもあって大人びて来ていた。

 大人びてもまだ大人では無い。何が切っ掛けで一応貴族の令嬢がビールに興味を持ったのか意味が解らない。何かあったのかと思い返しても面白い程に「何も無い」のだ。


「キャラ⋯⋯な、何があったの、捻くれちゃダメ⋯⋯私もベネもそれにレトだって居るから!」

「?。何も無いわよ?」

「だって、ビールって⋯⋯」

「あ⋯⋯そう、だよね突然だよね」


 「前世」の事が言えるはずもなく、成人になったら「飲んでみたいもの」として興味が出た。お酒のお供に美味しいものがあればと思っている。等々、言い訳をして何とか二人に説明するが、どうしてそこまで自分がビールを欲しているのか解らないのもありどんどん苦しい言い訳になっていくのが居た堪れなくなって来てキャラスティの声が小さくなる。


「ただ、興味が出ちゃって⋯⋯」

「⋯⋯それで原料の麦の畑と醸造する所が見たいと」

「ふふっ。捻くれた訳じゃ無いのね」

「ビックリしたわよ、もー」


 興味があるのは本当の事だから嘘は言っていないがなんとなく隠し事をしている後ろめたさを感じてキャラスティは眉を寄せた。


「⋯⋯ふふっ。ふふっ、やだ、キャラって偶におかしな事をやり出すのね。ふふ」

「キャラ、それ、レトに言わない方が良いわ。私達、強制的にトレイル邸に入れられるから」


 一通り笑ったベヨネッタが紅茶を飲み終えたのを頃合いに三人のお喋りの時間がお開きになった。

 寮の消灯は特に決められていないが、自主的に規律ある生活をする事も学園の方針だ。


「そろそろ部屋に帰るわね。ムードンの見学はまた話しましょう」

「ありがとうベネ。リリーはどうする?」

「私もムードン行きたいわ。しばらく実家に帰る予定してないもの」

「大歓迎よ。じゃあ、キャラ、リリー、お休みなさい」

「お休みなさい」


 部屋に帰るベヨネッタを見送ってリリックが「あっ」と声をあげた。


「ムードンに行く事レトに話したら付いてくるとか言い出さない?」


 ワゴンに紅茶を片付けていたキャラスティも「あ⋯⋯」と声を上げた。「すっかり忘れてた」と唖然として二人は顔を見合わせた。


「黙って行くわけにもいかないわよね」

「まあ、私達の友人の所に行くのだから⋯⋯」


 苦笑いを交わして「私も休むわ。お休みなさい」と、リリックも部屋に帰った。


 疲れた一日だったが麦畑も醸造所も見られるかも知れないと思うと楽しみが出来た。


 平凡で良い。平坦で良い。リリックとベヨネッタとお喋りするだけで良い。

「前世」だの「イベント」や「ヒロイン」は自分とは関係ない話だと思えば良い。


──関係なくなるようにすれば良い──


 キャラスティは小さく欠伸をしてベッドに入ると直ぐに眠気がやってきて深い眠りに落ちた。

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