第4話 イベントって⋯⋯何?

「ほら、乗って、送るよ」

「巡回馬車で帰れるわよ。ここなら停留所の場所分かるし」

「⋯⋯今日くらいは送らせてよ」


 キャラスティが停留所へ行こうとしたその腕を取られ、半ば無理矢理に押し込まれた馬車はさすが侯爵家の馬車だ。広くてソファーはフカフカで車内は藤の花の香りがする。

 キャラスティは扉に近い端っこに座り、対面に逃がさないと言わんばかりに腕と足を組んだレトニスが座った。黒髪の隙間から覗くその深緑の瞳は不機嫌そうに細められている。


──居心地が凄く⋯⋯悪い。


 手がかかる。面倒をかけられた。そう思っているのなら放っておけば良いものを。幼馴染だからと気を使ってくれているのならキャラスティから言わなくてはならない。自分は大丈夫、もう迷惑をかけないと。


「本当に大丈夫だから途中で降ろし──」

「何が大丈夫なの? 迷ったり知らない人に付いて行ったりしたんだよね?」


 意を決したキャラスティが顔を上げて降ろして欲しいと伝えても返って来た言葉は初っ端から「何が大丈夫なのか」だった。


 レトニスは盛大に溜息を吐き「言っておかなければならない」ものがあると、怒っているようでもあり、不安そうでもある目でキャラスティを見据え、その深緑の視線にキャラスティは動けなくなってしまった。


「⋯⋯たまたま、あの二人は助けてくれたけれど、貴族を良く思わない人だっているんだよ。爵位がどうとか、関係ないんだ。貴族って括りでしかない。キャラは貴族なんだよ。それはしっかり自覚して欲しい」

「⋯⋯はい」

「怒ってる訳じゃないんだ⋯⋯居るはずの場所に居なくて、待っても来なくて、心配だった。不安だったよ」

「⋯⋯ごめんなさい」


 迷惑に思っているのにどうしてそこまで心配をするのか。ただ少なくとも今、この時点ではレトニスは本気で心配してくれているように思える。そんなレトニスにキャラスティはどうして良いのか分からなくなって来た。


「迷惑かけちゃったけど、これからはレトに迷惑をかけないように──」

「どうして迷惑だなんて思うんだよ⋯⋯もっと、頼って欲しいと思ってる。相談だってして欲しい」


 アルバートの所に行ったと聞いてそれなら馬車を使ったと思い、ロータリーに行けばスコアがキャラスティに断られたと苦笑していた。

 今から出ればアルバートの店からの帰りを拾えると行ってみればまだ着いてないと言う。やっと着いたと思えば裏通りで引ったくりに遭っていた。

 「心配」と「不安」で待っていたのに当の本人はどこ吹く風。

 それからの感情はぐちゃぐちゃになった。

 アルバートには触れられても怯えない。

 アルバートには相談をする。

 アルバートには会いにいく。

 いよいよレトニスは「嫉妬」と「苛立ち」が抑えられなくなった。


 キャラスティはレトニスのいつもと違う厳しい雰囲気に緊張して膝の上に置いた手を握り締める。

 レトニスがその握った手の上に手を重ねて来たのに驚いて引っ込めようとするが逃さないと言わんばかりの強さで掴まれた。


「いたっ⋯⋯いよ⋯⋯」

「その顔、ずっと考えていたんだ⋯⋯どうして怯えるの? どうして避けるの?」


 キャラスティが人の目が無い所で二人きりになるのを避けていたのと同じくレトニスは人の目が無い所で二人きりになれるのを窺っていた。

 明らかに避けられていた。やっと会えても余所余所しく、会話も最小限に切り上げられてしまう。話がしたい。理由が知りたい。


「⋯⋯何が怖いのか話して欲しい」

「レトは侯爵家の跡取りよ。私は貴族でも子爵位の家、立場が違うもの今までの様にはいかないでしょう⋯⋯レトが気にしなくても私は気になるの」

「誤魔化さないで」


 身分が違う、立場が違う。何度もやり取りした事のある今更の言い訳だと不機嫌を含んだ声色だった。

 レトニスには何故、避けられているのか原因が見当たらないのだ。やっと出来た機会に必死にもなる。


「誘っても断られる。触れる事を拒まれる。今だって逃げようとしてる」


 レトニスの深緑の瞳が揺れ、熱が籠った。

 本人に自覚はないが、レトニスは物腰も柔らかく紳士的。身分も良ければ容姿も良い。

 成績、身分、容姿が揃っていなければ入れない生徒会の一員でもあるし、派手な印象は無くても黒髪と深緑の瞳は色気を含み、整った顔立ち、品の良さ、高身長と目を惹いて学園で憧れている令嬢も多いのだ。

 そんな彼の深緑の瞳に見つめられるとそれが熱を持ったものであれば大抵の人は絆され、勘違いするだろう。


 ただ、今のキャラスティにはレトニスの深緑の瞳は不安要素であり、緊張の原因でしかなかった。

 一向に答えないキャラスティにレトニスは溜息を吐いた。


「⋯⋯ちょっと、傷付く、かな⋯⋯いつからそんなに嫌われていたのかな⋯⋯」


 昔は「レト兄様」と付いて来ていたのに返事をしたくない程に、少しは好かれていると思っていたのにそんなに自分が嫌いかとレトニスに自嘲が零れた。

 何をしてしまったから、何をしなかったから嫌われたのか見当も付かない。なのにずっと我慢している想いを告げる事が出来ないまま、自分の元から離れて行く。どうしようもない不安がレトニスに広がって行く。


「嫌いだなんて、思った事もないわよ」


 普段、穏やかなレトニスが感情を露わにするのは珍しい。

 「夢」のレトニスが怖いだけで目の前のレトニスが怖い訳ではない。それなのにキャラスティは拒絶されるのが嫌だと言いつつ、レトニスを拒絶している事に気付き申し訳なくなった。


「なら、なんで避けるの? 俺、何かしちゃったのかな?」

「⋯⋯レトは何もしていない、避けていたのも否定しない⋯⋯でもレトが嫌いなんじゃない。気を悪くしないでね? なんて言えばいいか⋯⋯ちょっと緊張するの」

「緊張? 俺に? なんで?」

「⋯⋯落ち着かない、と言うか⋯⋯」


 レトニスに迷惑がられていると「夢」で見たからとは言えない。


「それって⋯⋯期待してもいい、こと?」

「あっ、ちょっと、違うっ、違うからっ、そう言う緊張じゃない、と、思う」

「違うんだ⋯⋯」


 「そんなに否定しなくても」と、肩を落として落胆するレトニスに何を期待したのかとキャラスティは慌てるが、レトニスは切なく笑う。


「だったら、嫌いじゃ無いなら⋯⋯離れようとしないでよ⋯⋯」


 僅かに憂いを帯び、色気付いた深緑の瞳に射抜かれて動けなくなった。雰囲気の変わったレトニスにもう一人のキャラスティが「チカヅクナ」と警告する。


 手を伸ばすレトニスにキャラスティの視界が白く霞んだ。一人の女の子が現れ、彼女を守る様に囲む影が浮かんで言い知れない寒気にキャラスティは目を閉じた。

 フワリと瞼に触れられる感触で何をされたのか目を開けると、目の前に傅いたレトニスの掌が頰を滑り首筋に触れられ、キャラスティの身体が強張った。


 近くにある弱い笑顔。この幼馴染の表情を見たことがある。

 何処でだったのか⋯⋯。


──あ⋯⋯「好感度」が上がる「イベント」⋯⋯迷子になった「ヒロイン」を攻略対象者が送る「迷子イベント」だ。何故「キャラスティ」で発生して⋯⋯あれ? 何、好感度? ヒロイン? イベント⋯⋯。


 流れ込んで来た記憶に頭がクラクラする。飲まれる意識に抵抗すると記憶は頭痛に遮られた。


「あ⋯⋯の、ごめんなさいレト、少し頭が痛い⋯⋯」

「──あっ⋯⋯」


「⋯⋯坊ちゃん、着きましたよ」


 馬車の扉が開かれ御者のスコアが「何してるんですか」と呆れた顔で覗き込んだ。


 首筋から手の感触が離れ肩の力が抜けてキャラスティは安堵の息を吐く。


 ほっとしたのも束の間、無言のまま立ち上がったレトニスに少々強引に手を取られ、勢いが付いていた所為でフラついた所を抱き留められた形でキャラスティは馬車から降りた。


 外に出ると夜の冷えた風が通り、憂鬱な頭痛を緩和してくれる。頭に浮かんだ言葉に疑問は残るが考えを続けると痛みが振り返して来そうだとキャラスティは軽く頭を押さえ、軽い深呼吸を数回繰り返した。


「そろそろ、手⋯⋯」


 見上げて話しかけるがレトニスは考え込んでいるのか繋がれた手を見つめるだけで返答はなく、振りほどく訳にもいかず、かと言ってレトニスを見つめる訳にもいかずキャラスティは仕方なくロータリーを見回した。

 日が落ち切ったこの時間、流石にお迎え馬車は少ない。その中の一台に乗り込もうとしていた人物と目が合い慌ててキャラスティがレトニスの影に隠れると、目が合ったその人物は乗り込むのをやめ、足を向けて近付いて来た。


「あれ? レトニス?」

「⋯⋯テラードか」

「用事があるって帰ったんじゃなかったのか?」

「ああ⋯⋯それはもう済んだよ」


 テラードはレトニスに取られた手に視線を投げ、口元を緩めると「なるほどねぇ」と笑い、眉をひそめて不服そうな表情のレトニスをチラリと見て挨拶の為にキャラスティの空いている方の手をするりと取った。


「俺はテラード・グリフィス。レトニスの友人です。テラードと呼んでください。宜しければお名前を教えていただけませんか?」

「キャラスティ・ラサークです」

「キャラスティ⋯⋯ああ、レトニスの幼馴染だよね。やっと会えたって訳だ」

「余計な事を言うな。ほら手を離せ、帰るんじゃないのか」

「レトニスこそ、いつまで握ってんの? キャラスティ嬢これからよろしくね」


 眉間を寄せて苛つきを隠さないレトニスにテラードは肩を竦めると癖のある赤茶色の髪を揺らし、髪と同じ色の目を細めて人懐っこい笑顔を見せた。


「キャラスティ嬢は寮? 送るよ」

「お気遣いありがとうございます。直ぐそこですし、大丈夫です。レトニス様、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。今日はありがとうございました」

「えっ⋯⋯」

「テラード様、レトニス様、失礼いたします」


 馬車内と違って「様」付けに戻るキャラスティにレトニスの表情が曇ったが、不安と緊張の他にどうしても人の目に付くところでレトニスに付き纏っていると見られたくないキャラスティは挨拶をして早々に寮へと走り出した。


「ちょっと、キャラ? もう大丈夫なの? ちょっと待って。寮まで送る。送らせて──あぁ⋯⋯」

「またねー⋯⋯⋯⋯⋯⋯なあ、レトニスお前、フラれたな?」

「⋯⋯そう言う関係じゃないよ⋯⋯まだ」

「いいや、フラれた。フラれてる。お前、口説くのヘタそうだもん」

「⋯⋯⋯⋯」


 ヘラっと揶揄うテラードを睨んでレトニスが肩を落とした所にスコアからダメ押しが入った。


「⋯⋯坊ちゃん。自分もそう思います」

「スコア⋯⋯」


 「あれは無いです」とスコアが首を振る。この日最大の溜息はスコアが吐いた。

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