第3話 洋品店のアルバート

 マッツとリズが帰りアルバートにトランクを渡した後、応接室で紅茶を出された。渇いた喉は小さなカップの一杯では満たされず直ぐに二杯目のお代わりをしてやっと一息吐けた。


 飲み終わるまで誰もが無言でチラリと二人を見るとアルバートは呆れ顔でレトニスは眉間を寄せたままじっとキャラスティを見ていた。


──見られても何も出ないし何も言えない。


 街に出て浮かれていたのは弁解出来ないが、裏通りに入ったのは不可抗力だ。


「落ち着いた?」


 優しくアルバートが「怖かったね」とキャラスティの髪を撫でる。

 祖母に叱られる度に泣き付くと慰てくれた優しい叔父。アルバートが王都に行くと決まった時は一緒に行くと大泣きして困らせた。今でも優しく、いつまでも子供扱いされている照れくささと漸く安心できた事で泣きそうになった。


「心配掛けて、ごめんなさい」

「うん。ほら、君もいつまでもそんな顔してないで。無事だったんだし。ね?」


 アルバートの大人の余裕か持ち前の特技か柔らかい笑みに「そう、ですね」と漸くレトニスに苦笑いが溢れた。


 「そう言えば」とレトニスを見て疑問が浮かぶ。

何故彼がここに居るのだろうか。

 ここは洋品店なのだから仕立てを注文しに来ていてもおかしくはないが、出かける前に会ったトレイル家の御者スコアは「坊ちゃんは遅くなる」という話をしていたのに。


「本当に、無事で良かった」

「え? あっ、えーと⋯⋯ごめんなさい?」

「何で疑問形なの⋯⋯」


 視線が合うと優しく微笑まれ、慌てた。

 レトニスは時折、憂いを含んだ笑顔を見せる。子供の頃には見せなかった表情は何となく直視出来ずキャラスティは俯いてしまった。

 昔から今に至るまでレトニスは嫌な顔一つせず相手をしてくれている。もしそれが迷惑になっていたとしたら、幼馴染だからと邪険に出来ないのが憂いとなるのも分かる。


──昔から付き纏わられて迷惑だったよ──


 そもそも、認識がおかしかったのかも知れない。「夢」が「前世」では無く、これからの事だとしたらやはり近くに居るべきではない。


 「あっち」の世界の自分は進んだ文明の社会で働いていた。働いてビールを飲んでまた働く女性だった。それを「前世」と言うのなら、たまに見る「こっち」の世界は「未来」なのではないかと。

 これまで幼馴染だからと甘えていた部分があるのも確かでそれがあの「未来」になるのなら迷惑だと言われる前に距離を置くべきなのだろう。


──早く離れないと。


 考えに手が震え、カップを落としそうになりキャラスティは我に返った。

 また心配そうに見てくる二人の視線を受けて曖昧に笑う。


「新しい紅茶淹れてくるね」


 キャラスティがそそくさと台所へ逃げる様に消えるのを見送ってアルバートは深く座り直すと大きな溜息を吐いた。


「ごめんね。心配させてばかりで。学園でも君に頼りきっているんでしょ? いつもありがとう」

「⋯⋯いえ、何でも一人でやっている様で頼られたいくらいですよ」


 心なしか切なげに笑う従甥に「おや?」とアルバートは首を傾げた。

 スラー家のリリックとキャラスティはレトニスを「兄様」と呼び後をついて遊ぶ仲の良い三人組だったと記憶している。

 あの頃は爵位も何も気にする事はなかったのだろうが学園に来ればそうも言えなくなったと言う所だろうか。

 加えて、兄のラサーク子爵には五年前に念願の嫡男が産まれた。それによりキャラスティは家と家系の利益の為にいずれは家を出る立場になった。

 貴族のままか平民になるかは「家」の采配次第。それを分かっていて次期侯爵のレトニスと距離を置き始めたとしてもおかしくはない。


 ただ、レトニスの様子は少なからずもキャラスティに好意があるようにも見える。

 他の侯爵家なら望みはあるが、トレイル家は「東の砦」と呼ばれる特別な侯爵家だ。

 特に婚姻は貴族社会のバランスや国政が優先され、干渉される。彼はそんな面倒な侯爵家の跡取り。


──まあ、貴族は愛人、妾何でもありだけど。この子達に愛人の選択をさせるのは複雑だな。拗れなきゃいいが。


「君は侯爵を継ぐ立場で、僕の様にあの子はいずれ子爵家を出る。母さん⋯⋯ウィズリ伯爵夫人は貴族の誰かに嫁がせるって写し絵を集めているみたいだけど、貴族ではなく平民になるかも知れないからね。自分で出来ることはやる様になったんじゃないかな」

「大叔母様はそれで一度帰らせようとしているんですね⋯⋯」


 エリザベート・ウィズリ伯爵夫人、アルバートの母親でレトニスの大叔母でキャラスティの祖母。

 アルバートはキャラスティを待っている間に何度かエリザベートからトレイル家に手紙が届いていると聞かされた。キャラスティに送っても王都と自領の距離がある事を良い事に、エリザベートの言う通りにしないのを見越してトレイル家に送っていると想像が付く。エリザベートにとっては今でもトレイル家が絶対だ。トレイル家嫡子であるレトニスの指示にキャラスティも従うと思っているのだろう。


「お祖母様がどうかした?」


 「どうもしないよ?」とアルバートが答えるとキャラスティは特に興味が無い様子で首を傾げただけで新しい紅茶を淹れ始めた。トレーに乗せてきたポットから蒸された甘い香りが立ち部屋を華やかに満たす。

 「来る途中で買って来たの。フレーバーティーって言うんだって」と手渡されたカップ越しにアルバートは二人を観察する。


 努めて冷静を装っている風ではなく自然にキャラスティはレトニスの隣に座る。

 紅茶のカップを手渡す仕草にも違和感はない。


「それ、いい色だね」

「あ、ありがとう⋯⋯好きな色、なの」

「知ってるよ。良く似合ってる」

「お世辞は恥ずかしいからやめて、欲しい」

「お世辞じゃないよ。褒めてるんだから素直に受け取ってよ」


 会話を交わす姿は昔と何ら変わりがないように見えた。

 ただ、二人の間に「変わった」ものがあるとしたら、キャラスティはどこか遠慮がちに、レトニスは愛し気に互いを見ている様だった。


「ねえ、叔父様、荷物が届いた時だけじゃ無くてもここに来てもいい?相談したい事もあって⋯⋯」

「遊びに来るのは歓迎するけど、学園での生活が優先だよ」


 アルバートはレトニスの紅茶を飲む手が止まるのを目の端で捉え確信する。

──うん、キャラは何かの理由で距離を置き始めているね。


 相談事なら普段から顔を合わせるレトニスにすれば良いものを、わざわざアルバートに相談したいと言う。それはレトニスに相談出来ないもの、本人に関するか知られたくない何らかの悩みだ。


「分かってる。突然来ても大丈夫?いつもは日時決めて連絡していたけど」

「ああ、構わないよ。ただし、僕が来過ぎだと判断したら控えるように」

「ありがとうっ叔父様!」


 溜息を小さく吐いて目を伏せたレトニスがカップをテーブルに置くのと同じにカチリと小さな音が鳴り振り子時計が時刻を告げた。


「もう帰らないと」

「夕飯食べていけば?簡単な物しかないけど」

「今日はさすがに大人しく帰る⋯⋯」


 テーブルを片付け、帰り支度をしながらキャラスティは首を振った。来る時が来る時だった為、遅くはなりたくない。巡回馬車も本数が少なくなる。


「帰りは送るよ」

「えっ! いいわよ。貴族街と反対でしょ? 学園にまた行く必要ないでしょう?」

「送ってもらいなさい」

「でも、叔父様⋯⋯」

「でも、じゃ無いよ」


 アルバートの手がレトニスがしたようにキャラスティの頭に乗せられた。

 髪や頭に触れられる事が嫌なのならその瞳には怯えが浮かぶはずだった。


 恥ずかしそうな表情を浮かべたキャラスティにレトニスは目を閉じた。

 

 何故、アルバートは良いのかと「嫉妬」が芽生える。

 何故、自分には怯えるのかと「苛立ち」を覚える。

 滲むように広がる感情が溢れないように、表に出ないようにレトニスは必死に抑え込んだ。


「レトニス君?」


 呼び掛けられて我に返るとキャラスティは既に身支度を終えて入り口のショーウィンドウを眺めて居た。


「顔色が良くないけど大丈夫かい?」

「⋯⋯すいません。大丈夫です」

「そう? ⋯⋯君達に何があったかは分からないけど、ちゃんと話をする事を勧めるよ」

「アルバートさん⋯⋯」

「キャラを頼むね。君もまたおいで。僕は元貴族の平民だけど話し相手にはなれるだろうから」


 レトニスは仄暗く抱いた気持ちを解してくれる柔らかい笑みを浮かべたアルバートの包容力にまだこの人には敵わないと思い知り、ぎこちなく笑い返した。

 

「お邪魔しました。また来るね」

「失礼します」

「うん。たまには一緒においで。また迷子にならないようにさ」


 アルバートは意味深な笑顔で見送り、見送られる二人は顔を見合わせて返事代わりに曖昧な笑顔を返した。

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