第2話 酒場のマッツとリズ

 ハリアード学園は貴族学校ならではの時間割が組まれ、お茶会を開いたり夜会に出る生徒の為に午後は選択科目になり、授業は遅くても十五時頃には終わる。

 キャラスティも付き合いが無い訳ではないがお茶会や夜会を開く層との付き合いは殆どない。

 せいぜい寮のサロンで寮友と過ごす付き合いがあるくらいがキャラスティにはちょうど良いのだ。


 一日の授業が終わり、予定していた街に出ようと足早に寮へ帰ったキャラスティは藤色に緑の蔦と小さな白い花を捺染したシャツワンピースに着替え、トランクに服を詰めた。


 ラサーク家は養蚕や綿花、麻の栽培と染色や織物を生業としており、新色、新作の生地が出来ると実家から普段着が送られてくる。

 寮のクローゼットに入りきらない量の新作が届くと、それを王都で洋品店を営む叔父の所へ生地や染めのサンプルとして利用してもらう為に持って行くのがキャラスティの王都での「お手伝い」。


 今回の荷物に入っていたこの藤色のシャツワンピースは貴族令嬢が着るには地味でも街の女性が着る事を想定した動きやすい仕立と華やかさのある色合いが気に入り早速着てみたのだ。


「あら、キャラ。外出?」

「お帰りなさいベネ。叔父様のお店に行ってくるの」


 寮のエントランスで寮友のベヨネッタに呼び止められ叔父の所に持っていくトランクを見せると「いつものね」とベヨネッタは頷き、キャラスティのシャツワンピースに気付いた。


「そのワンピースは新作? 素敵な色ね。それに動きやすそう」

「本当? 私も気に入っちゃって折角だから着てみたの」


 クルリと回るとフレアーになっている裾が朝顔のように広がった。意外と広がるものだと慌てて押さえてキャラスティは照れたように笑う。


「少し子供っぽい行動だったわね」

「ふふ、そんな事ないわよ? 服の機能を見せるには回らないと見えないでしょ」


 「そうだわ」とベヨネッタが小さな紅茶のラベルを手渡してきた。


「街に出るならこれと同じ紅茶を買ってきてもらえないかしら」


 差し出されたのは学園のサロンにも寮のサロンにも常備されている銘柄の紅茶。


「今、実家に手紙を書いているのだけれど、一緒に送ってあげたいなって。お願い出来るかしら⋯⋯」

「もちろん。それじゃ、行ってきます」

「行ってらっしゃい、気をつけてね」


 ベヨネッタに手を振りキャラスティは馬車の停留所へ向かう。

 

 お迎え馬車が並ぶロータリーに差し掛かるとトレイル家の御者が機嫌を取るように馬の毛並みを撫でていた。

 あれは子供の頃から知っているスコアだ。


「こんにちはスコアさん」

「おや、キャラスティお嬢。お声をかけていただくなんて恐縮です」

「⋯⋯そんな堅苦しくなくても」

「いやいやダメですよ貴族のお嬢さんなんですから。お出かけですか?」

「叔父の所にです」

「でしたら乗せていきますよ? 坊ちゃんは遅くなるそうですから」

「まさかっ、そんなのお願い出来ませんよ。巡回馬車があるし大丈夫」


 キャラスティはスコアの申し出を全力で辞退する。レトニスからも必要ならトレイル家の馬車を使うようにと言われていても極力使いたくない。

 侯爵家の紋章が付いている馬車なんかに乗ったらどんな噂が立つか想像に容易い。ロータリーのお迎え馬車は大体が上位爵位の物でスコアと話している間も居心地の悪い視線が向けられて気が気ではなかったのだから。


「そうですか? お気をつけて」

「はい。行ってきます」


 スコアと別れ学園前からの巡回馬車に乗り込み最初に紅茶の店、ウインドーショッピングしながら叔父の店を回ろうかとキャラスティは予定を立てる。

 王都に来て一年経ってもニ、三ヶ月に一回のペースで叔父の店に行くついでくらいしか街へは出ない。折角出るのだから色々見て回りたかった。


 まずは紅茶の店近くで巡回馬車を降り、紅茶を購入した所までは順調でキャラスティの気が抜けたのかも知れない。

 次はウインドーショッピングだといろいろ見て回ったせいか、ふと気付いた時には覚えのない通りで立ち竦んでしまった。


「あれ? 叔父さんの店はこの先だったかな⋯⋯」


 目的地までのを思い出す。隣は赤い三角屋根だったか、洋菓子店の向かいだったか⋯⋯あっちだこっちだと迷いながら気付くと、裏通りに入り込んでしまったようで心なしか薄暗い。


 誰かに道を聞こうにもすれ違う人の目がどことなく好意的ではなく、道端に座り込んでいる人は上から下をなめる様に見て来て声を掛けるには躊躇するものだった。


──早く大通りに出ないと。


 怯えを隠して早足になる。曲がれば表通りに出られるだろうと言う期待も益々細く暗い路地があり落胆に変わる。

 来た道を戻ろうと振り返った時、キャラスティのトランクが引っ張られ何とか耐えたものの、トランクの先にある誰かの腕に恐怖が込み上げた。


「は、離してくーだーさいっ!」


 踏ん張っても力の差があり過ぎて引釣られ、このままでは転んでしまうだろう。


──このまま渡してしまった方が良いのかも。


「人のものは奪うもんじゃねぇな」


 いっそ渡してしまおうかと考えが過ぎると同時に引っ張られる力が無くなりキャラスティは後ろに蹈鞴を踏んだ。

 「危なかったね。大丈夫かい?」と女性の声に背中を支えられ驚きのあまり首を縦に振って答えた。

 

 引っ張られた方向を見れば大柄の男に追い払われた人が逃げて行っていた。


「助けていただいて、ありがとうございます」


 背中を支えてくれている女性に優しく背中を摩られながらドキドキしている胸を押さえたキャラスティはカラカラの喉で声を出すが恐らく震えていた。


「⋯⋯お嬢さん貴族様か? こんな所に来たんじゃ襲ってくれって言ってるようなもんだ。危ない所だったな」

「すいません⋯⋯道に迷ってしまって⋯⋯本当にありがとうございます」

「何処に行こうとしてたんだい? 裏通りに来るような用事なんてないだろ?」

「アルバート洋品店に⋯⋯」

「アルバート!?」

「そりゃ反対側だし二本違う通りだ」


 「方向音痴か」と大柄の男が笑い「笑うことないだろっ」と女性が男の脇腹に一撃を入れたがダメージはなさ気だった。


「アルバートなら知り合いだ」

「こんな所でウロウロしたら危ないね。案内するからついといで」

「⋯⋯ありがとうございます」


 女性がニッコリと頷く。真っ赤な口紅に長い睫毛と切れ長の目、ウェーブのかかった黒髪に身体のラインピッタリの赤のドレス。一見派手だがその笑顔はとても綺麗だ。


 男性の方はマッツで女性の方はリズ。二人は夫婦で酒場をやっていると言う。


「酒場っ! マッツさんのお店ではどんなビールがあるんですか?」


 キャラスティにとって憧れのビール。

 裏通りで怯えていた「お嬢さん」から発せられた言葉にキョトンとした二人は顔を見合わせ苦笑した。


「貴族のお嬢さんがビールって⋯⋯もっと美味いもん飲んでんだろ?」

「それにまだ飲める歳じゃないんじゃない?」

「あ、えっと⋯⋯私、ビールに興味があって⋯⋯まだ飲めませんけど」


 「前世」での大好物です。とは言えなく、興味と言うしかない。二人は益々珍しい物を見る目をキャラスティに向ける。


「貴族様が一人で裏通りに来て、ビールなんて言い出して⋯⋯お嬢さん、貴族様なら少し警戒心持っときなよ。誰もが優しい訳じゃねえんだから」

「マッツの言う通りさ、貴族にいい感情を持っている奴らばかりじゃないんだ。気をつけるに越した事はないよ」

「⋯⋯はい」

「あーあー、怒ってる訳じゃねえんだ」

「こんな所で会った縁だけど、心配してんだよ」

「はい。ありがとうございます。あの、私キャラスティ・ラサークです。助けていただいた上に叔父の店まで案内してただいて感謝してます」

「おじ?アルバートの姪っ子か」

「言われれば似てるかもね。あいつも何処か品があるしね」


 「やっぱり良いとこのお嬢さんだね」とリズが笑う。

自分は貴族は貴族でも下の方の貴族です。なんて説明したところで貴族には違いないと返される。貴族として扱ってくれるのなら素直に受け取るべきだろう。


 二人のお陰で絡まれることも無く表通りに戻って来ると、綺麗に着飾った婦人が歩き、明るい店舗で高級品を紳士が選んでいる。

 裏通りの様な暗く汚れた街並みが同じ所にあるのが嘘のようだ。


「ほら、着いたよ。アルバート、姪っ子さん連れてきたぞ」


 赤い三角屋根の隣、茶色と黒を基調とした店構えのアルバート洋品店。扉をあけてマッツが店主を呼ぶと奥の応接室から焦げ茶色の癖毛に眼鏡を掛けた叔父のアルバートが柔らかい笑顔で出てきた。


「ああ、良かったキャラ、なかなか来ないから心配していたんだよ」

「ごめんなさい叔父様、迷っちゃってマッツさんとリズさんに助けてもらったの」

「助けてもらったって⋯⋯マッツ、何があった?」


 バツが悪そうにマッツがリズを見ると「仕方ないね」とリズがキャラスティに出会った経緯を話すとアルバートは額に手を当てて「裏通りに入り込んだのか」と溜息を吐いた。


 王都は城壁が円形に作られ、大きく分けて「表通り」「中通り」「裏通り」がある。

 北に位置する王宮まで真っ直ぐ貫いている大きな通りが「表通り」。

 宝飾店、被服店、レストラン、劇場などが並び王宮に近い程、高級店となる。

 アルバートの店は「表通り」の中間エリアに位置している。


 一本入った通りは「中通り」と呼ばれ城壁に沿って円を描く通りになっている。そこには市場や工場、手頃な価格帯の店が並ぶ。中間層の生活圏でもあり、一番活気がある。


 「裏通り」は城壁側に人が集まりいつの間にか出来た通りで表通りの建物と城壁の影に入り込んで一日中薄暗く、極端に治安が悪い。


 「ああ、もう一人心配してた人がいるよ」とアルバートが応接室に声をかけると、思っても居なかった人物が現れた。


「引ったくり⋯⋯って、何処も怪我してない? 他に何かされてない?」

「えっ、どうしてレトが居るの? あっちょっと、やだ、本当に何もなかったからっ」


 両腕を掴まれて全身を調べられる気恥ずかしさにレトニスを押しのけた。アルバートは安心したようにキャラスティの顔を覗き込んで頷く。


「うん、怪我も無いし何もなくて良かったよ、ありがとうマッツ、リズ。何かお礼を⋯⋯」

「いいよ、いいよ、そんなの。また飲みに来てくれればそれでいいよ」

「それじゃあな。そろそろ店開けないとな」

「じゃあねキャラスティ様、これからは気をつけるんだよ」

「リズさん、マッツさん! 本当に、ありがとうございました」


 トラブルはあったが無事に辿り着けたと頭を下げるキャラスティにヒラヒラと手を振りながら立ち去るマッツとリズ。


 ドアが閉まる隙間から振り返った二人はにんまりと笑ってくれた。

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