転生令嬢は平凡なので悪役に向いていないようです ──前世を思い出した令嬢は幼馴染からの断罪を回避して「いつもの一杯」を所望する──

京泉

第一章 始まりの前

第1話 とある令嬢の一日

──喉を冷たい黄金色の液体が通ると追いかけてチリチリとした刺激と苦味が広がってゆく。

暫くしてゾクゾクとした感覚が全身を走り抜けた──


 夕方特有の涼しい風が通り意識が現実へと戻る。

 目を開けると橙色の世界に濃くなった影が花壇に落ち始めていた。


──ああ⋯⋯ビールで一杯してみたい。


 橙色から紺色に入れ替わる空を見上げてごちているているのはキャラスティ・ラサーク。

 貴族が通うハリアード学園最奥にあるこの中庭でぼんやりとする事が彼女の日課になっている。


 祖母の「王都の学園に通いなさい」の一言で貴族が通うハリアード学園に放り込まれて約一年。二学年に上がり王都の生活も慣れて来た。


 祖母はハリアード王国の東一帯を統括するトレイル侯爵家の出身。根っからの貴族で気位が高く「貴女には侯爵家の血が流れている」が口癖だった。

 それ故にラサーク領にある領地の子供達が通う小さな学校に行くことを許さず、先にトレイル家の嫡子が学園に通っていることもあり拒否権無しに王都に送り出された。


 いくら祖母の出が侯爵家だろうが気位が高かろうが貴族ばかりの学園では子爵は下位爵位。上位爵位のような制限も求められる品位もそれほど厳しくない。学園の中で囁かれる王子の妃選びにも側近選びにもほぼ引っかからない。


 祖父のウィズリ伯爵が持っていた子爵位をキャラスティの父親が継承したサラーク家は領地が王都からそこそこに近くてほどほどに遠い。

 父親の弟が王都に店を構えているのもあり王都での仕事の時はその店を拠点としている為、子爵家としての邸を王都に持っていない。

 学園に来る際、何故かトレイル家が王都に持つ邸から通えば良いと提案してくれたが折角学園に寮があるのだからと丁重に辞退し寮生活をしている。

 自分の事は自分で出来るし、学園付きの侍女と執事がいるおかげでなんの不便も感じていない。


 無い無い尽くしも気楽といえば気楽。

 平民になるならいつでもなれる立場にも今までの生活も全く問題は無く、考えようによっては祖母の目が無い王都は実家よりも自由だ。


 そんな平凡に満足しているキャラスティは誰にも話せない誰にも相談できない面倒な「夢」を見る様になっていた。


──今より進んだ文明の違う国の「夢」──


 十六歳になった辺りから「夢」を見始め現在の十七歳に至るまで一年掛けてゆっくりと「あちらの世界」を見ている。

 最初の頃はおかしな「夢」だとしか思っていなかった。連続性の無い状態で流れ込んでくるだけ。

 「あちらの世界」では今の自分よりずっと年上で仕事をしている女性だった。

 たまに「こっち」の世界らしきものを見るのだが起きると「見た」事は覚えていても部分的にしか覚えていなかった。


 なんて中途半端な「夢」だと思う。全部見せるか、全く見せないか、どちらかにはっきりしてくれと「夢」を見た朝は気分が落ち込んだ。

 だからと言って平凡な自分が何をどうこうできるものでなく「夢の世界」の話だと落ち着かせる事しか出来ないでいた。


 もし「夢の世界」それが「前世」だとしたら、その世界の自分が余程好きだったのか鮮明に質感を持ってキャラスティに衝撃を与えたのがビールだ。


 「前世」の自分が日々楽しみにし、何やら大変そうな生活をしているにも関わらず一日の終わりにビールを「この一杯が堪らんっ」と全身で味わっていた。


 学園の休暇に実家へ帰った際、この世界のビールを飲んでみたいと町の酒場を見に行き酒場の入り口を覗いている所を町歩きをしていた母親に目撃され、娘の奇行に母親は大変激怒した。

 即、話を聞いた祖母からこってりとしたお説教と付きっきりの淑女教育を受け、休暇の半分を伯爵家で過ごす羽目になったのは自業自得とは言えここ最近で一番の苦行の思い出となっている。


 この国の成人は十八歳。当時はまだ十七歳になったばかりだった。

 成人まであと半年。何も予定が無い手帳の誕生月に「ビール」と書く程、日に日に募るビールでの一杯。

 一日の授業が終われば図書室に近く、手入れがされているのに生徒達に気付かれにくい学園最奥にあるこの中庭でビールについて想いを馳せるまでに募っていた。


──「前世」の自分は夕暮れに「ビールが飲みたい」と良く呟いていたのよね。


 仕事を切り上げ、行きつけの店に駆け込み、上機嫌で帰っていく。生きる世界が違うと人目を気にせず自由に生きられるのかと、学園で目にする貴族社会に「窮屈」さと「疲れ」を感じているキャラスティには非現実的な「前世」は憧れとなっていた。


 学園での生活は可もなく不可もなく。

 基礎となる勉強は苦ではないが、ハリアード学園は卒業後に国の仕事に就く事を前提としており、貴族としての振る舞いを始め、国の歴史、王家の歴史、貴族家の歴史、各地の産業が大部分を占める授業内容となっている。

 その他に学園は集う令息と令嬢の貴族同士の婚姻、王家との婚姻教育も兼ねられている⋯⋯らしい。

 貴族同士の婚姻は身近なものだが、王家の婚姻は家格、その家の力が重要になるのだからキャラスティには尚更興味が薄く他人事だった。


 それ故王家も爵位の高い貴族も「窮屈」でしかなく、貴族社会に疲れているキャラスティには学園の授業があまり面白いとは感じないのだ。

 だから卒業後は街で働くか、上位爵位の家や王宮で侍女の仕事に就ければ良い方だと考えていた。

 祖母が知ったらそれこそさっさと祖母のお眼鏡に叶うどこかの貴族と結婚させられるだろうが。


──まあ、それはそれで楽なのだろうけど。


「あれ? キャラ?」


 陽も大分傾き、いい加減帰ろうと中庭を出た所で名前を呼ばれ、キャラスティが声の方向に振り向くと図書室を背にし、歩みを進めて来たのは黒髪に深緑の瞳の貴族然とした上品で綺麗な顔立ちの一つ上の幼馴染だ。

 「やっと見つけた」と溢す笑顔が美人すぎてキャラスティは身を固くした。


「⋯⋯レト、ニス様」

「また「様」を付ける⋯⋯」

 

 隣に並ばれ「他人行儀に感じるから好きじゃない」と笑顔を曇らせるレトニスに罪悪感が湧かないわけでは無いがキャラスティは学園内では意図して距離を置いている。

 気に掛けてくれているとは分かっていてもキャラスティとレトニスは立場が違う。人の目も正直なところキャラスティには気になるもので、周りに付き纏っていると取られたくない心情が大きかった。

 出来れば人の目がある所で声を掛けられたくないとキャラスティは思っていた。


「図書室には居なかったよね? どこに居たの?」

「ちょっと、ね。考え事ができる所に」

「⋯⋯、何かあるなら相談してくれればいいのに」

「私自身の事だから気にしないで」


 キャラスティの突き放した口調にレトニスは切な気に眉を顰めた。

 幼馴染のキャラスティとレトニスは愛称で呼び合う程度には親しい間だったはず。それが学園に入ってからの一年で余所余所しくなっていると。

 学年が違い、交流する層が違い顔を合わせる機会が少ないからこそ、良くいる場所が図書室だと聞いてからレトニスは合間が出来れば図書室に立ち寄る様にしている。

 それでも空振りになる事が殆どで少ない機会を作る努力がなかなか報われない。

 そんな彼の努力を知らないキャラスティはレトニスが近付けば後ずさる。近付かないでいるとキャラスティから近付いてくる事はなく、出来た距離は何もしないでいると離れる一方。


 それを嫌だと思い、許せないと思う事が何の意味を持つのかをレトニス自身が一番分かってはいても伝える事が出来ないまま一年が過ぎていた。


 キャラスティを見やると視線を合わさず真っ直ぐ進行方向を向いたその横顔からは何も読み取れなかった。


「どうかした?」


 ふと、視線が合う。不思議そうな表情でやっと見てくれたのは見知ったいつもの幼馴染でレトニスはやっと安心する。


「あっ⋯⋯いや、何でもない。ねえ、一度家に来ない? 大叔母様から様子伺いの手紙が来てるよ」

「お祖母様ったら寮に送れば良いのに⋯⋯レト、ニス様に迷惑かけて」

「⋯⋯キャラ、「様」は止めて欲しいと何度も言ってるよね」

「でも⋯⋯」

「でも、じゃ無いよ」


 レトニスが何気なく「ぽん」と頭に手を乗せるとキャラスティの肩が跳ねた。

 レトニスにとっては「幼馴染に今までと同じ事」をしただけなのに、払いのけられる事は無かったが大袈裟過ぎるくらいに怯えた表情を見せられ反射的に手を引っ込めた。


「ごめん。嫌だった、かな」

「⋯⋯ビックリしただけよ、驚きすぎたみたい。私の方こそごめんなさい」


 チリッとした胸の痛み。嫌がられたと覚悟してみたものの、表された小さすぎる笑顔にレトニスは言いようのない不安を感じずにはいられなかった。

 

「じゃあ、ここで」

「あ⋯⋯あのさ、寮まで送るよ? 敷地内と言っても暗くなって来てるから」

「寮はすぐそこよ? ここで良いから。迎えの馬車待たせてるんでしょ」


 寮は学園の敷地内にあり、ロータリー中心の噴水がいつもの分かれ道になっている。

 レトニスが毎回送ると言っては断られるのもいつもの事だった。


「やっぱり寮じゃなくてトレイル邸から通わない? 王都に来る時そのつもりだったんだよ? 心配事も減るし」

「寮の方が学園に管理されている分、心配事は少ないはずよ」

「近くに居た方が安心なんだけどな⋯⋯」

「それに、トレイル家には何かとお世話になってるから充分よ」


 キャラスティが学園に来る際、トレイル邸に下宿しないかと打診したのはレトニスだった。

 侯爵位をレトニスの父親に継承させ、大老を名乗る今も現役で権限を持つ祖父が可愛がっているキャラスティともう一人の再従妹が学園に通うと決まった際「知っている者が近くに居た方が安心できるだろう」と賛同し、各家もトレイル家が良いのならと承諾を得てやっと手元に置いておけると楽しみにしていたのに、結局は寮に入られてしまったのだ。


「おやすみなさい」

「うん、おやすみ⋯⋯また、明日」


 また、明日。会えた日には必ず言っても「明日」に「また」会えるのは必ずではないのがもどかしい。


「強引にでも引き入れてしまえばよかったな⋯⋯」


 溜息を吐きながら呟くレトニスに罪悪感がない訳でもない。

 常に気遣ってくれている事に感謝はあれど「夢」を見始めてからレトニスに何かがあったわけでも、何をされたわけでもないのに「離れるべきだ」と、キャラスティは漠然とした不安を持ち始めていた。

 勝手に不安を思い込んで悪いとは思っていても会うとその不安が大きくなりどうしても緊張するのだ。

 夢の中でキャラスティは少女を守るように並ぶ影の前に立たされていた。

 自分の他に数名の令嬢が並び一人一人拒絶の言葉を受けている景色。

 今までそんな状況に立った事は無い。

 けれど、話を聞かない彼らへの苛立ちを「知っている」。

「昔から付き纏わられて迷惑だったよ」

 言われた事は無い。

 けれど、憎しみの表情を浮かべたレトニスをキャラスティは覚えている。

 薄ら寒さを感じて頭を振る。

 キャラスティは寮への曲がり角で振り返ると律儀にまだ見送っているレトニスに「ごめんね」と呟いて手を振った。



「キャラスティ様お帰りなさいませ」

「ただいま、ユノ」

「リリック様よりお帰りになったらお部屋の方に来て欲しいと言伝がございましたよ」

「ありがとう」

 

 部屋に帰る前にもう一人の再従姉妹リリックの元へ向かう。

 リリックはスラー家の長女でこのままであればスラー家を継ぐ同じ十七歳の子爵令嬢。

 暗い紫紺色の髪に同じ紫紺色で少しつり目のキャラスティとは違い、リリックはストレートの髪は明るい茶色。髪と同じ色の大きな瞳の幼馴染。

 家同士が親しい事もあり子供の頃から姉妹のように育ち、彼女も自領の学校に行くつもりだったのをキャラスティが学園に行かされると決まると「キャラだけだと心配」だと一緒に来てくれた。


「お帰りなさい。はいこれ、家の料理長から渡して欲しいって届いたの」

「ありがとう。待っていたのよ」

「それ料理のレシピよね」

「スラー家の食事って美味しいから簡単に作れる料理長のオススメを教えて欲しいってお願いしてたの」

「簡単にって所が重要よね。まあ、確かに家の食事は美味しかったわよね」


 渡されたレシピをパラパラと捲ると絵まで付けてくれている。料理長の律儀さがよくわかる。


「明日、叔父様の所に行くついでに街に寄ってみるわ」

「一緒に行きたいけど明日は日直なの。日を改めない?」

「一人で大丈夫よ」

「そう? じゃあ、帰ったらちゃんと声掛けてね?」

「解ってるわ⋯⋯心配し過ぎ。そんなに頼りないかなあ」

「だって⋯⋯レトにも頼まれてるから」

「レト? もう、二人とも心配性なんだから」


キャラスティは笑うがリリックは困った表情をして言葉を濁した。

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