第6話 日常

「今日、退院できるって。着替え持ってきて損しちゃった。お兄様のために持ってきたのに~。」


茶目っ気たっぷりに妹の二葉が言った。

俺はベッドから少し体を起こすと呆れ口調で反応する。


「その呼び方やめろって。全く。」

「ニヒヒヒ。お兄ちゃんのほうがよかった?」


黒髪に落ち着いた服装。

これが二葉の今のお気に入りのファッションだ。

少し前までは金髪で派手なギャル風の服装を好んでいたが、今のマイブームはこれらしい。

二葉は熱しやすく冷めやすい。


「でも・・・。本当に心配したんだよ。」


黒色に戻した髪をいじりながら二葉は目をそむけた。

兄妹の仲は良好だと思う。

二葉は、表裏のない性格で素直な思考回路の持ち主だ。

その素直さを付け込まれて騙されたこともある。

俺にとってはとても大事な妹だ。

ちゃんと守ってやりたい。

気持ち悪いと言われない程度の距離感で・・・。


「ん?どしたの?」

「あー。いや、何でもないよ。」


慌てて俺は二葉から目を反らした。

気づかないうちに二葉を食い入るように見てしまっていたようだ。

気恥ずかしくて赤面する。

改めて妹との関係を頭で整理するなんて何年ぶりだろう。普段は当然ながらこんなことはしない。

随分と会っていなかったような思いに気づく。

事故にあったせいだけではない。

やはり、あの出来事のせいだろう。


視界にはあの”円球”が見える。

未だにあるのだ。あの円球が。


俺の身に起きたあの出来事は、紛れもない現実だったと認識せざるを得ない。


「心停止したって言われた時はこっちの心臓もやばかったわよ。」


そう。俺は確かにあの時免れることができない死に直面していたのだろう。

医者の話だと、あの状態から回復する事例はほとんどない、非常にレアケースだということだった。


レアケース。


そんな言葉では片付かない超常的なものを感じていた。

あの女性の言葉。


”今回持ち帰るものはあなたの命です。”


あのダンジョンのクリア条件を満たしたことで命を持ち帰れた。

状況がそうであると言っている。

そういう意味だと随所で頭の中にアナウンスしてきたあの女性・・・ダンジョンの管理者と言ったらいいのだろうか、彼女は命の恩人ということになる。


超常の体験だった。

この世界とは明らかに異なる法則で物理現象が起きていた。

密度の濃い体験があの時あった。

そして、最後に会ったあの女性。

声が違っていたし、アナウンスする女性とは別人だろう。

未だにわからないことだらけだが、あのダンジョンと縁を切れたとはとても思えない。これから何かしらの干渉行動があるのだろうか。

この円球。まだ、あのダンジョンに捕らわれている。そんな気がしてならない。

俺は円球に触れてコマンドメニューを開いた。

lvは1に戻っていた。


「二葉。」

「なあに?」


反応なし・・・か。他人には見えないということだろうか。


「いや、なんでもない。」


二葉が大げさにずっこける仕草を見せる。


「って・・・、なんもないんかーい。ふふふ。」


反応が愛らしいなあ。変な男に捕まるなよ、二葉。


「そういえばさー。着信が何回かあったよ。」

二葉は俺のスマートフォンを取り出した。


「小川優子さん。彼女さんなのかなと思ったけど・・・。」

「げげっ。いやその人は、会社の違う部署の先輩で剣道仲間って感じでって・・・。えーい。とにかくスマホ。」


俺は慌てて二葉からスマートフォンを奪い取る。


「へへ。ごゆっくり~。」

二葉は手を振りながら病室を出て行った。


焦って俺は電話をかけた。


「すみません、澤村です。」


澤村一希(さわむらいつき)。俺の名前だ。


「あっ。澤村君、大丈夫?心配したんだから。剣道の稽古休んでてて・・・、それで。」

心底、心配してくれている声だ。


「ご心配おかけしてすみません。なんか今日退院できるみたいで。」

「えっ!そうなの?重傷って聞いてたけど。」


重傷。そうだよね、あんな事故だったら普通そうだ。


「いや、なんか私もよくわからないのですが、奇跡的に回復したみたいで。体快調なんですよ。少し様子は見ますが、明日は出社しようかなって思ってます。」

「ほんっっとうによかったー。今日退院ってことはバタバタしてるでしょ?明日会えたらいろいろ話聞かせてー。」

「ありがとうございます。明日、出社したら顔見せに伺います。」

「はいはーい。それじゃあね~。」


小川さん、心配かけてすみません。

俺は、スマホの着信履歴を確認し、順番に電話をかけ直して事情を説明していくことにした。

いろんな人に余計な心配かけちゃったなあ。


一息つくと、俺は身の回りを整理し、お世話になった医者や看護師に別れを告げて退院した。


タクシーで自宅に着く。

この家も妙に懐かしい。

俺は、荷物を置き、風呂に入った。

風呂ではいろいろな出来事を考え込んでしまい、ついつい長風呂になってしまった。

風呂からあがり、パジャマに着替えてさっさと就寝しようとした時だった。


唐突にあの円球が赤く点滅を始めた。

頭の中にあの声が聞こえる。


”3分後にベースタウンへ転送されます。

周囲の人に見られない位置へご移動下さい。”


何が始まった?転送?

円球に触れると表示の右上にタイマー表示が出現していた。

この表示が0になったら転送されるということだろう。


抵抗の手段は・・・少なくとも3分では到底思いつかない。

俺は、転送に備えて、動きやすい服装に着替え、靴を履いた。

何か持ち込めるのだろうか。

ベースタウン・・・。

ダンジョンではない?

いや、もう時間がない。

あっという間にタイマーは0となった。

視界が真っ白になる。


”サブイベント「チュートリアル」が始まりました。”

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