おおぞらのゆめ②

『本日休業』

 かたんと音を立てて看板をかける。明かりも灯っていないと、いつもより一層店が小さく見える。

 レキシアの羽織った暗い外套は、少し日の傾いた街によく馴染んでいた。杖を持った魔術師たちが、等間隔に並ぶ街灯にひとつひとつ火を灯していく。レンガに落ちる、やわらかい円弧が重なり合い、ほの赤く街を染めていく。

 ソラは幼い少年だ。夕暮れが迫っていることに焦っているのだろう。靴裏を石畳にたたきつけるようにしながら、人の合間を縫って進んでいく。足は遅いが、やはり小回りの利く身体は追いかけにくい。レキシアがそんなことを思っていたとき、ふと彼が足を止めた。

 距離を詰めないために、レキシアも慌てて足を止める。その横顔が輝きと幼い好奇心に満ちていることを感じたのも束の間、はやく帰らなければいけないことを思い出したのだろう。彼はまた走り出した。

 レキシアはそれを追いながら、ちらりと横目で、彼の興味を引いたものに目をやる。幼い子どもが目を輝かせるということは、玩具だとか、華々しいものだろう。そう思っていた彼女の意に反して、そこに置かれていたのは武骨に作られた箒たちだった。とはいえひとつひとつ、魔法具職人の手によって作られた至高の一品であることは想像に難くない。塗料の塗られ方も、木の削り方も、ひとつひとつとってみても一級品だった。

 ――でも、どうしてソラくんが。

 疑問に思ったが、彼を追いかけなければ。見失ってしまう。レキシアは目立つ水色の頭を見つけると、再び追いかけ始めた。


   ◆   ◆


 ――ここがソラくんの家……?


 彼が足をとめて、静かに入って言った家は、こじんまりとした一軒家だった。立派とは言い難いが、どこか可愛らしい印象を受ける。家まで彼らしいなと思いを馳せながら、レキシアは静かに窓に近付いた。

 小さな家の中には一通りの家具。どれも――言っては悪いが――高級とは思えない。しかしそんな室内で、唯一レキシアの目を引くものがあった。ひとつだけ、圧倒的に格のちがうものが置いてあったのだ。


 ――箒ですね。


 先ほど、ソラのお陰で店を覗いたからか、多少目が肥えていた。ごく普通の家の中、目を引くほどに立派な箒が立てかけてあったのだ。ソラはそれを大切そうに手に取り、ごちゃごちゃと色々なものが乗っているテーブルに向き直った。一体何をしているのだろうか。レキシアは慎重に目を凝らす。

 ソラはひとつの蓋を開くと、中に入ったクリーム状のものを布に取った。それを箒にこすりつけるように動かす。一目見て、彼が“箒の手入れ”をしていることが分かった。次に羽箒を取り出し、枝が集まる部分から丁寧にごみを取り払う。手つきは少年のものとは思えないし、その大きな箒が少年のものとも思えない。


――もしかして、家の人の手伝い?


 そんなことを思っていたとき、レキシアの鼓膜を力強く怒号が叩いた。

「何をしているの!?」

「おかあさん……」

 あれが、ソラの母親。最近元気がないと彼は表現していたが……それよりも、怒りっぽいという印象が強い。彼とはちがう、柔らかな色合いの茶髪を頭の後ろで束ね、怒りを顔に容赦なく貼り付けながらソラに詰め寄る。

「もうやめなさいと言ったでしょ!」

「だって、これはおとうさんの……」

「やめて!」

 そして彼女はソラの手から箒をひったくる。

「こんなもの……っ」

ソラが目を見開き、彼女を制するように口を開いた。細まる瞳にレキシアは声を上げそうになって、あわてて口元を抑え、堪える。

 ばきっ。

 ガラス越しでもよく聞こえてくるくらい、大きな音が響いた。木製の箒が、柄の部分で真っ二つに折れひしゃげている。彼の心が軋む音が聞こえてくるような気がした。

「おかあ……さん……」

 よほど大切なものだったのだろう。彼が手入れをしたという事実だけでなく、その眼差しを見れば一目でわかる。

 母親は、箒をへし折った本人とは思えないような表情を浮かべていた。涙を目いっぱいに溜めて、ソラをぎゅうと抱きしめながら絞り出すような声を上げる。

「お願い、もうやめて」

「おかあさん……」

「お願い、お願いよ……あなたまで失いたくないの……」

「……」

 レキシアは窓から顔を離すと、彼の家に背を向けた。帰りがけにまた、あの店の前を通る。少年が目を輝かせて眺めていた、魔法具箒の店。

「……」

 ばきっ。という鈍い音が、いつまでも彼女の耳に残っていた。家族の、親子の絆さえも引き裂いてしまうような、苛烈な音。

 相変わらず見事な箒が並んでいる。これを利用するとなれば、魔術師の中でも一流の技を持つ者たちか、あるいは空を飛ぶことを専門にする者に限られるだろうほど。

 ――空を飛ぶことを、専門とする者。

 レキシアは弾かれたように駆け出した。自分の店へ向かって。だが、彼女は店を通り過ぎてしまう。玄関先の草花が、彼女を応援するように揺れた。




 彼女が目的としたのは、店の隣にある大きな図書館だった。

 新聞記事のコーナーにすっ飛んでいくと、片っ端から読み漁り始める。彼女の読みこむ速さはなかなかのもので、新聞を引っ張り出しては仕舞いこんでいく。大手の新聞会社から始まり、その記事の末端までしっかりと。もしかしたら、探しているものは大々的な物ではないかもしれない。自分でも耳に挟んでいるわけではないのだから。

「あの、お客様、すみませんが、もうすぐ閉館の時間になりますので……」

 レキシアははっとしながら、慌てて筆談用のペンを取り出す。タイプライターはさすがに持ち運べない。

『どうしても今日中に調べたくて』

「ですが……」


 ――ふと、窓の外を見る。そこには茜色の景色に染められた街並みがあった。向かいの建物のレンガは、茶色に赤色を重ねられ、不思議な色彩に見える。私はこれからの業務の残り時間のことを考えながら、一度事務室へ戻ろうと踵を返すのだった。――


「……あら?」

 館員が気付くと、先ほどの女性は目の前におらず、事務室へ戻っていた。

「君、閉館処理はできたかね?」

 館長に穏やかに尋ねられ、彼女はまた慌てて新聞コーナーへと向かう。しかし、その頃には座席にも、新聞を広げる女性の姿はなかった。


 ――ごめんなさい

 ぼんやりとしながら事務室へ向かう館員の後姿に内心で謝罪をする。自分のためにこの能力を使うことは憚られるが、今日はどうしても、調べ切りたいことがあったのだ。このやり方ではほんの少ししか時間は稼げない。なんとしてでも見つけなければ。

 そして最後の勢いで、地元新聞の片隅を見た、その時。

 ――あった!

 『季節風の変わり目か。空便配達者の男性 死亡』

 慎重に記事を読み進めていく。今から二週間ほど前に、この街に暮らす空便配達者――箒で空を飛び、郵便物を運ぶ仕事だ――の男性が、突風に煽られて地面へ。即死亡したという内容。レキシアは指でなぞりながら、最後、その男性の顔写真に触れる。柔和な笑みを浮かべる、ソラと同じ水色の髪をした男性が、そこにはいたのだ。


 レキシアは店の中で一人思い悩む。

 お母さんを、元気にすること。けれど、それでもしもソラが元気でなくなるのだとしたら……誰かの元気を奪って、誰かを励ますことは……本当に、良いことなのだろうか。


 ――できることなら、二人ともを救えるような文章を。

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