おおぞらのゆめ①

 レンガ造りの美しい町、トント。大きな図書館と、大きな魔法道具店にきゅっと挟まれてしまったような。隙間に差し込まれたような、小さな店があった。街路に突き出た看板には、開かれた本と万年筆が交差したような意匠が描かれている。温かみのある木彫りの看板が、今日も穏やかな風に揺れる。

 ――白く軽やかな、綿毛のような風たちの群れが、今日も町を爽やかな色に染め上げます――

 店主は静かな面持ちで、玄関先に置いてある植木鉢に水をあげていた。小さく透明な水の丸い粒が、艶やかな葉の上を滑り落ちていく。ジョウロをフックに引っ掛けると、その植物たちの美しさを、水の流麗さをつぶさに観察した。彼女は日常を大切に生きている。些細なことでも胸にひっかけて、「自分だったらこの景色をどう表現するだろうか」ということを、常に考えながら生きていた。彼女にとって文章を書くということは、趣味を超えた価値を持っているのだ。

 ――宝玉のような粒がひとつ、涙のように重力にしたがっておちていきました。けれどもそれは決して悲しみの涙などではなく喜びのそれ。土が、茎が、花たちが、まるで喜びに打ち震えるような――

「あ、あの」

 考え事をしていた店主に、ふと声がかかる。彼女は当たりをきょろきょろと見回す。右へ、左へ。視線を飛ばすが、声の主が見当たらない。彼女は下に視線をずらしてみた。

「あの、こんにちは」

 彼女の腰くらいの高さに、水色の頭。口がきけない彼女は言葉に変えて、その小さな頭に自分のそれを合わせるようにしゃがみこんだ。あわあわとした様子の幼い少年。大きな瞳をぱちくりと瞬かせながら、気恥ずかしそうにくちごもっていた。店主はせかすこともなく、ただゆっくりと首を傾げ、彼の言葉を待つ。

 しばらく待っていたからか、彼の中にある小さな勇気が実ったようだ。手をぎゅっと握りしめると、彼は弾むような声で続けた。

「あの! おてがみ、書いてもらえますか!!」

 店主は相も変わらず、水面のように凪いだ笑顔を浮かべていた。




「ありがとう」

 店主は小さな客を店の中に招き入れた。端からみれば狭すぎるくらいの店内だとしても、少年にとっては冒険のようなものらしい。一歩一歩緊張しながら歩き、降り注いでくるのではないかというほどうずたかくつまれた本の山にどきどきしていた。店主が引いてくれた椅子に腰掛ける。

「あの」

 呼びかけてもなかなか反応してくれない店主に少年は困ったような顔をしていた。ボレロを揺らしながら店の奥へ消えていく店主を見て不安そうにしていたが、彼女が格好いい機械をもってきたものだから、目を輝かせた。たくさんのボタンがついたそれを目の前に置き、店主は軽やかな動きでボタンを押し始める。

『ようこそ、文筆堂へ』

「ぶんひつどう?」

『このおみせのなまえです。わたしはしゃべることができないから、こうやっておはなしをします』

「わかったよ。えっと、店主、さん?」

『レキシアです』

「ぼく、ソラ」

『そうですか。ソラくん、よろしくね』

 ソラと名乗った少年は、思い出したように上着のポケットをまさぐった。中から取り出されたのは、イニシャルの縫い付けてある、手作りの財布だった。そこからちゃりちゃりと銅貨を零すと、不安そうに指先で広げる。

「えっと、ひとつ――ふたつ、みっつ――これで足りる?」

 レキシアはタイプライターから指を離し、その中で一番ぴかぴかに磨き上げられた一枚を手に取った。彼の心の写し鏡のようなその銅貨を、笑いながら手のひらに握りこむ。

『じゅうぶんですよ』

 少年は安心したように、初めてにっこりと笑った。レキシアはその笑顔を見て更に笑みを深めながらつづった。

『ソラくんのえがお、まるでヒマワリみたい』

「ひまわり……?」

『みんなをげんきにするってことだよ』

「そうなんだ。ありがとう! ……でも」

 眩しい笑顔をすっかりひっこめてしまいながら、ソラは寂しそうに言う。

「でも、おかあさんは……」

『どうかしたの?』

「おかあさん、最近怒りっぽいんだ。だからおかあさんを、元気にしたくて、お手紙書きたいの」

 しゅんとしながら語る少年に、レキシアは何とも言えない顔をする。彼が寂しさを訴えるにしては、少々、顔に陰りがありすぎる気もした。

 ――母を元気にしたい。

 なんと健気で透き通った気持ちだろう。ソラのような幼い子が、こんな店に一人来ることさえ、大変なことだったろうに。それに、彼の挙動を見る限り、この子は特別活動的な子ではないだろう。

 そんな子どもにここまでさせるなんて……レキシアは少し考えこんだ。

『どうしたらおかあさん、元気になると思う?』

 ソラはそれが分からずに困っているようで首を傾げた。レキシアはその様子を眺めてその水色の頭に指を差し入れる。さらさらとした、彼の心のように優しく、柔らかな髪。

『だいじょうぶだよ。わたしもかんがえる』

 レキシアは一度ソラに帰るように促した。また『あした』ここにおいでと約束してから。


 ――さて


 レキシアはボレロを脱ぐと、暗い色彩の外套を羽織った。


 ――あまり覗きはよくないけれど、見ないといけませんね。

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