彼女の能力

 レンガ造りの街並みの中を、冷え切った風が抜けていく。青空に少し不釣り合いにも思えるほどの空気は、冬の訪れを感じさせた。重量感さえ感じるそれを割り開くようにしながら、一人の青年が歩いていた。短い髪を揺らし、風を睨むように眉間に皺を寄せて、彼は一つの店の前で足を止める。

「ここか」

 独り言のように呟きながら、彼は扉を開いた。店内はどこか心が安らぐ木の香りがした。からん、ころん。響く鈴の音が軽やかだ。青年は店内をぐるりと見まわす。壁一面に並べられた本の群れだけが圧巻だが、それ以外は至って簡素な造りとなっていた。だが、彼が目当てとする人物の姿が見えない。

「あの、すいません」

 おずおずと声を出す。部屋が狭いせいでよく響いた。光のあまり差さない店内だというのに、不思議と暗い印象を受けない。白木でできた調度品がそうさせるのだろうか。

「あの~……うわ」

 びくりと肩を揺らして、彼は声を上げた。妙齢の女性がいつの間にかそこに立っている。深い茶色の髪を、腰のあたりまで伸ばしている。本の群れの中に埋もれていたのかもしれない。女性はとても穏やかな表情だったが、何も返事をしてこない。雰囲気と釣り合わない接客態度に、青年は首を傾げた。女性は菫色の目を細めて、すっと人差し指を出して彼の視線を絡めとった。そのまま壁へと導いていく。

 『店主は喋ることができません。文字での応対を致します』

「あ、あぁ、すいません」

 女性はこくりと頷くと、今度は彼に椅子を示した。指示に従って腰かけていると、店主は一度奥へ入ってタイプライターを持ってきた。肩にかけている上着を後ろへ払い、小気味よい音を立てながら文字を打ち始める。ぱちぱちという金属音が耳ざわりよく聞こえた。この店は心地のよいもので満ちているような気がした。

『お仕事の依頼ですか?』

「はい。恋人に手紙を書いてほしいんです」

 青年がはにかんだように笑う。彼が取り出した擦り切れた写真には、金髪の女性が映っていた。

『素敵な女性ですね』

「はい。付き合って一年になるので、そのお礼に」

 店主は微笑ながら青年を見つめていた。しばらく彼女の瞳に吸い寄せられたようにして、視線を交わらせていた、その時だった。ごう、と風が吹く音が聞こえた気がした。


「っ」

 少しくすみがかっている金色の髪は、日光に照らされてこそ眩しく光り輝いた。美しさの増した髪を豊かに震わせて、女性が小道の向こうを歩いてくる。彼女の笑顔は花が咲くようで、彼女の歩みのひとつひとつはどこまでも軽やかで楽しげだ。彼女は空色のドレスをひるがえしながら――


 とん


 はっとした青年が店主を見ると、彼女はにこりと笑いながら

『写真から分かるのは、ここまで』

と。

 青年が驚いて目をぱちくりさせているのを見て、店主は楽しそうにしていた。店主がタイプライターで打ちこんだ文書を見せてくる。それを覗き込み、青年は驚いた。まさに先ほど、彼が感じた情景そのものの描写がそこに綴られていたからだ。これが、この、店主の能力。店主の使うことのできる力なのか。

『さあ、もっと詳しく、彼女のことを教えてください』

 彼女はそう、伝えてきた。

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