第三十五章 カインの再就職

  第三十五章 カインの再就職さいしゅうしょく


 次に目をました時、世界がガラリと変わっていた。

 「カイン様!」

 「カイン!」」

 「カイン!しっかりして!」

 「カイン!起きてくれ!」

 デネブとペルセウス、それからママさんとパパさんの声がした。

 「うるさいですよ。」

 そう注意ちゅういしながら目を開けると、知っている面々めんめんがベッドの上に横たわる私を囲んでいた。

 「カイン!」

 パパさんが身を乗り出して来た。いつか見た光景こうけいだった。

 「パパだよ!?分かるかい!?」

 パニック気味ぎみにパパさんが言った。

 「分かります。パパでしょう?」

 「そうだよ!カイン!」

 目をウルウルさせて私の手をにぎるパパさんを見て、育ての親なのだなあと思った。

 「マーラから出て来てくれたんですね。ありがとうございます。」

 パパさんがママさんをともなって拝領はいりょうしてもない領地りょうちほうって来たということは私の容態ようたい余程よほど危険きけん状態じょうたいだったんだろう。

 たおれる直前ちょくぜんに何が起きたのかおぼえている。私はまんまとマリウス王子のわなにかかり、毒を飲まされた。記憶きおくたしかならば王子自身も半分飲んでいたはずだ。


 「マリウス王子は?」

 私はたずねた。

 「マリウス王子は死んだよ。」

 答えたのはペルセウスだった。

 「え?」

 「マリウス王子は毒を飲んですぐに死んだ。俺が部屋にみ込んだ時にはもう息をしていなかった。」

 ペルセウスがうつむいてそう言った。

 「だって毒の半分は私が飲んだんだから、死ぬわけない。」

 マリウス王子にはベゾアールがある。半分なら解毒げどくできたはずだ。

 「でも死んだんだ。」

 ペルセウスがつらそうに言った。

 「そんな!私、確認して来る!」

 私はベッドから起き上がった。

 「もう葬儀そうぎは終わった。マリウス王子ははかの中だ。カイン、お前は一か月近くていたんだ。」

 ペルセウスがあきらめの悪い私に強い口調くちょうで言った。

 「そんな・・・」

 サラサラの黒髪に灰色はいいろひとみ。頭に牛のやした生意気なまいきな口をきく私の王子様。死んだのか。


 「まだ寝ていなさい。」

 パパさんがそう言って私をベッドに戻した。私はおとなしくしたがった。マリウス王子が死んだのなら、私がやらなければならないことはなかった。


 再び寝ついた私だったが、それから一時間もしないうちにまた起こされた。

 「カイン様、起きて下さい。」

 そう言って私の体をすったのはデネブだった。

 「起きた。起きました。何ですか?」

 私はベッドの上で目をこすりながらデネブに尋ねた。

 「シリウス王子がお見えです。」

 「え?何で?」

 「カイン様が目を覚ましたと聞きつけてやって来たようです。」

 美しいメイド姿のデネブが言った。そういえばデネブにはベテルギウスを人間界にんげんかいに送り届けるように頼んであった。ここにいるということは無事ぶじ任務にんむを完了したということだろう。

 「分かりました。着替きがえるので部屋の外に出てもらえますか?それから後でベテルギウスの件がどうなったのか報告ほうこくして下さい。」

 「はい。」

 デネブはそう返事をすると静々しずしずと部屋から出て行った。

 一人でベッドから起き上がって床の上に立った。吸血鬼きゅうけつきの体と言えども弱っているらしく、立ちくらみがしてふらついた。デネブではなくて、本物の女のメイドが欲しいと心底しんそこ思った。

 何とか一人で着替きがえて階段を下りて行くと、リビングルームのソファーでシリウス王子と見覚みおぼえのある王子の側近そっきんがパパさんとママさんと談笑だんしょうしていた。全員目が笑っていなかった。


 「シリウス王子、お待たせしました。」

 私がそう言って登場すると、シリウス王子は首を長くして待っていたという様子ようすで私に話しかけた。

 「おそかったな。カイン。待ちくたびれたぞ。」

 「申し訳ございません。」

 こっちは病人びょうにんだ。迷惑めいわくな王子め。

 「まあいい。ゆるそう。み上がりだからな。今日来たのは他でもない。お前に仕事を与えてやろうと思ってな。」

 シリウス王子は王子らしい尊大そんだい態度たいどで言った。

 「仕事ですか?」

 「マリウス王子が死んで、無職むしょくになっただろう?」

 「まあ。」

 無職むしょくといえば無職むしょくか。マリウス王子の家庭教師かていきょうしの仕事をまともにやっていた訳じゃないし、そんなに失業感しつぎょうかんはないんだよな。それにしてもシリウス王子は一か月経ってマリウス王子の死を完全に吹っ切ってるな。もともと仲のいい兄弟でもなかったか。

 「俺がかかえてやるから、このハダルのしたで働いてみないか?」

 シリウス王子はそう言って隣に座っている男を見た。ハダルにつのはなく、人間ぽかった。

 「ハダルは昔から俺についている側近そっきんの一人だ。俊足しゅんそくほこるケンタウルスぞくの出身で、俺の私兵しへい統括とうかつはこのハダルにまかせている。武芸ぶげいだけではなく、頭もキレる男だから自然と軍部ぐんぶ以外の仕事も回ってくる。それでちょうど事務方じむかた補佐ほさを入れたいと思っていたところなんだ。」

 シリウス王子はハダルのことをベタめだった。それだけ信頼しんらいあついということなのだろう。


 「シリウス王子、せっかくのお話ですが、体がまだ本調子ほんちょうしではないので考えさせて下さい。」

 私はそう言った。マリウス王子の件がなければ喜んで受けていたと思う。私はわがままなマリウス王子振り回されるのにうんざりして、マリウス派からシリウス派に乗りえたいと思っていたのだから。

 「俺はかまわないが、引き受けないというのであればアベルの一件の口添くちぞえはしないからな。」

 シリウス王子はそう言った。何のことだろう?

 「アベルの一件と言いますと?」

 「お前の部下ぶかが、正確にはお前のメイドと思われるそこに立っている吸血鬼きゅうけつきの女が、キグヌスぞく一団いちだんしたがえて、人間界にんげんかいとのさかい突破とっぱしてアベルをったという一件だ。この話は当然リゲル近衛兵隊長このえへいたいちょうの耳にも入っている。城でリゲルと二人きりにならない方がいい。殺されるぞ。」

 シリウス王子はデネブの方をチラリと見て言った。寝耳ねみみに水だ。デネブ、どうなっているの?私はデネブの方を見たが、デネブは動揺どうようする様子ようすもなく、まるで他人事たにんごとのように、いつものようにすました顔で、美しい横顔よこがおさらして立っていた。

 私のかんが引き受けた方がいいと言っていた。


 「お引き受けいたします。宜しくお願い致します。ハダル様、宜しくご指導しどう、ご鞭撻べんたつのほどお願い致します。」

 私は手のひらを返した。

 「そうか。良い返事を聞けて良かった。」

 シリウス王子は満足そうに言った。

 「カイン、明日から出仕しゅっしできるか?」

 ハダルが口を開いた。

 「できます。ってでも行きます。」

 私はやる気に満ちあふれる返事をした。すべては保身ほしんのため。

 「では明朝みょうちょう私の執務室しつむしつへ。」

 ハダルは静かにそう言った。武人ぶじんにはめずらしく物静ものしずかな男のようだ。

 「承知致しました。」

 私は新入社員しんにゅうしゃいんみに気合きあいの入った返事をした。


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