第二十一章 美しきコウモリ男

  第二十一章 美しきコウモリ男


 分からない。本物のカインの考えが分からない。なぜいとこのクラウスを殺そうとデネブを送り込んでいた?仲が悪かったのか?いや、初めて会った時、クラウスの口ぶりだと男の友情が芽生めばえていた感じがする。二人は仲良しだったはずだ。なのになぜ・・・分からない。考えても、考えても堂々巡りだった。


 「カイン、俺にかくし事してる?何かなやんでるよね?」

 朝食の席でクラウスが言った。最近、クラウスの仕事が落ち着いているらしく、朝は一緒にダイニングで食事をした。

 「いや。何にも。」

 私はにわとりのようにくび不自然ふしぜんよこって言った。

 「言いたくないなら、べつにいいけど。」

 クラウスはそう言って新聞しんぶんひろげた。朝食を取りながら新聞を読むのが日課にっかで、一番落ち着くと言っていた。見た目はこんなに綺麗きれい美少年びしょうねんなのに、すっかりおじさん的習慣しゅうかんいたについている。まあ、そんな姿すがたさまになるっていうか、になるな。うん。


 「何ジロジロ見てるの?」

 クラウスが新聞しんぶんから視線しせんはずして怪訝けげんそうに言った。寝起ねおきの私のボーッとした視線しせんが気になるようだ。

 「クラウスを見ています。」

 「何かついてる?」

 若干じゃっかんイラついた声だった。

 「いや、べつに。ただ綺麗きれいだなっと思って見てただけです。」

 寝起ねおきで頭の回転かいてん感受性かんじゅせいにぶくなっている私がずかしげもなくそう言うと、クラウスの方がれた。

 「そりゃ、どうも。」

 クラウスはそう言って顔をかくすようにまたひろげた新聞しんぶんに目を落とした。


 「カイン様、紅茶こうちゃをどうぞ。」

 デネブがわざわざ熱々あつあつのやつを持ってきてくれた。私は激熱げきあつ紅茶こうちゃ激熱げきあつのミルクたっぷり入れた紅茶こうちゃが大好きなのだ。こんなわがままを聞いてくれるなんて、なんて素敵すてきなメイドさん・・・ではなくて、正体しょうたいは私が送り込んだ暗殺者アサシン!忘れるところだった。


 「デネブ、いつもありがとうございます。」

 「いえ、とんでもございません。ところでカイン様、本日もあの木の下に九時でよろしいですか?」

 デネブが特訓とっくん日時にちじ確認かくにんした。

 「はい。」

 「では、九時にお待ちしております。」

 デネブはそう言ってにっこり微笑ほほんで、ダイニングから出て行った。


 「何だ?逢引あいびきか?うちのメイドに手を出すとはいい度胸どきょうだ。」

 クラウスが新聞しんぶんりたたんで、からかうように言った。

 「違いますよ。筋力きんりょくアップの特訓とっくんを手伝ってもらっているんです。」

 「メイドに?応援おうえんしてもらったり、汗拭あせふいてもらったりしてるの?お上品じょうひんな顔して、とんだ女好きだな。」

 クラウスがあきれたように言った。

 「違います。庭にある一番高い木の枝に引っかけてもらうんです。落ちたら死ぬかもっていう環境かんきょうで木のえだにぶら下がって、懸垂けんすいして、腕力わんりょくたかめているんです。

 私はクラウスに説明せつめいした。

 「何それ、おもしろそう。」

 クラウスは少年のように無邪気むじゃきに笑った。

 「この特訓とっくんあなどってはいけません。私はぶら下がり懸垂けんすいを始めてから飛躍的ひやくてき腕立うでたてせの回数かいすうが伸びたんですよ。今では五十回までいきます。」

 私は得意とくいげに言った。

 「へえ、それはすごい。じゃあ、今日の特訓とっくんは俺が手伝てつだってあげるよ。」

 クラウスが無邪気むじゃきな少年の笑顔えがおを残したまま言った。

 「え?でも仕事は?」

 「いいよ。後でやるから。じゃあ、着替きがえてこようっと。」

 クラウスはご機嫌きげん様子ようすせきを立った。


 三人とも時間をきっちり守る立派りっぱ社会人しゃかいじんで、特訓とっくんは九時きっかりに始まった。

 「この木の一番上にカインをっかけるんだな?」

 クラウスが庭の一番高い木を見上げながらさわやかな笑顔で言った。

 「そうですが・・・私がカイン様のお手伝いをいたしますので、大公たいこうはどうか公務こうむにお戻りください。」

 デネブが丁寧ていねいに言った。

 「いい。気にするな。」

 クラウスがデネブに言った。デネブはしずかにくちびんだ。


 「カイン様!」

 デネブが近寄ちかよって耳打みみうちして来た。

 「何?」

 「私は吸血鬼きゅうけつきのふりをしてこのドラキュラ公国こうこくしろまぎみましたが、カイン様の身に危険きけんせまったその時は正体しょうたいをバラしてでもお助けいたします。たとえそのあとはねをむしられ、きにされようともいてください。」

 デネブが私にとんでもないことを耳打みみうちした。『ええーっ!?』と心の中でさけんだ。耳打みみうちしていい内容ないようじゃないよ。


 「ほらカイン、うえまでれてってあげる。」

 クラウスがそう言ってべた。私がその手を取ると、クラウスの背中せなかから大きなコウモリのつばさえた。黒く、つややかで、ピンと張った大きなつばさ金髪きんぱつに青い目には白いつばさ似合にあいそうなものだが、この黒いつばさも美しかった。体のせんほそいがガッシリときたええ上げられているのが服の上からでも分かった。彫刻ちょうこくのような体に黒いコウモリの翼。まるで堕天使だてんしだ。


 「クラウスって本当に綺麗きれいですね。」

 私は思わず口走くちばしっていた。

 「何言ってるんだ。同じ顔してるくせに。」

 私が見とれていると、クラウスがれているのをかくすために茶化ちゃかしながらそう言った。クラウスはれるとすぐほおが赤くなる。普段は冷静沈着れいせいちんちゃくですました顔しているのに、められるとずかしそうに目をらしてほおを赤くめるのだ。可愛かわいいところがある。


 「カイン、準備じゅんびはいい?」

 クラウスが私の手をしっかりとにぎりながら言った。

 「はい!」

 「飛ぶよ!」

 クラウスがごえとともに黒いコウモリのつばさを広げてばたいた。手が上に引っ張られ、足がちゅういた。地上ちじょうからぐんぐんはなれてあっという間に天辺てっぺんの木のえだにたどり着いた。


 「ここでいい?」

 クラウスがたずねた。

 「はい、ありがとうございます。」

 私は木のえだに手をばしてうつった。

 「懸垂けんすいやるんでしょ?目標もくひょうは何回?」

 クラウスが私のしがみついている木のえだとりのようにとまってたずねた。

 「百回です。」

 「分かった。百回できたら下におろしてあげるね。それまで俺はここで見てるから。頑張れ、カイン。」

 クラウスは親切しんせつそうな笑顔えがおかべてそう言った。


 私は木のえだにとまるクラウスに見守みまもられながら懸垂けんすいを始めた。最初はぶら下がるだけでもつらかった。自分の体のおもみでうでられていたくて、すぐに手が木のえだからはなれた。手がはなれた時は落ちて死ぬかもしれないのに。


 地面じめんに向かってりんごのように落下らっかしていく私をいつも助けてくれたのはデネブだった。空中くちゅうでキャッチして、ふわりとやわらかい地面じめんに立たせてくれた。そしてまた木のえだまでんで私をっかけてくれた。私はこれを何度もかえした。


 今日はクラウスが見ているからデネブは地上ちじょうで私を見守っていた。心配しんぱいそうな顔をして見上げている。そんな顔しなくても大丈夫。ちゃんと百回できたらクラウスが地上ちじょうろしてくれるんだから。


 「・・・九十七、九十八、九十九、百!」

 目標達成もくひょうたっせいだ。

 「クラウス、百回できました!」

 私はいきはずませて言った。もう手とうでがジンジンしていた。

 「・・・・・・」

 「クラウス?」

 「・・・・・・」

 「クラウス?百回できました。」

 私はもう一度言ったが、クラウスの反応はんのうはなかった。だまって私を見下みおろしていた。その目は冷たく、その表情ひょうじょうこおりのようだった。黒いつばさそなえた悪魔あくまのようだった。私を見捨みすてて殺すつもりだ。直観的ちょっかんてきにそう思った。


 木のえだにしがみついて上半身じょうはんしんせようともがいたが、手があせすべって体がの上までがらなかった。もう手とうで千切ちぎれそうだった。

 落ちたら、デネブが助けてくれる。でもそしたらクラウスにデネブが吸血鬼きゅうけつきでないことがバレて、デネブが殺されてしまう。いや、デネブが助けてくれるかどうかなんて分からない。自分の命とえに私を助けてくれるだろうか。自分の命より大切なものなんてないのだから。このままだと落ちて死ぬ。

 私はしびれるうでえだ必死ひっしにしがみついていたが、じわじわとうでゆるみ、ついに力尽ちからつきてえだにかけた手がついにはずれた。


 死ぬ。落ちた瞬間しゅんかんにひんやりとした死の恐怖きょうふを感じた。風を切って急速きゅうそく落下らっかする体。聞こえるのは風の音だけで、目は開けられなかった。こわい。死にたくない。


 そう思った時、背中せなかに血がながれてくるようなあついものが走った。神経しんけいかよい、背中せなかうでおさまっているような感覚かんかくがあった。それがつばさなのだと確信かくしんした。


 『飛べ!!!』

 私がつよねんじると、ふわっとちゅう感覚かんかくがした。背中から黒いコウモリつばさえ、風を受けて、落下するスピードがよわまったのだ。目を開いて下を見ると、地面じめんまで距離きょりはわずか。風を受けてスピードをよわめるだけじゃ助からない。でもこのつばさを動かして、べれば助かる。私は懸命けんめいに翼を動かそうとした。神経しんけいかよってつばさ感覚かんかくがあるのに、おもどおりに動かない。

 『動け!動け!動け!動け!』

 私は必死ひっしつばさを動かそうとしたが、動かない。もうダメだ。地面じめんはすぐそこ。私を目の前にせまる死を覚悟かくごして目をつぶった。


 地面じめんたたきつけられる衝撃しょうげき覚悟かくごしていたが、その前によこから何かがぶつかって来た。いや、地面じめんたたきつけられるまえに私をかかえてたすけようとしたのだ。だが失敗しっぱいして、私をめた衝撃しょうげきえきれず、ふたたび上がることはできなかった。一緒に地面じめんたたきつけられ、ころがった。


 「デネブ!?」

 私は起き上がって目を開けた。見えたのは白鳥はくちょうではなく、私と同じ金髪きんぱつで青いひとみのこの上なく美しい吸血鬼きゅうけつきだった。

 「クラウス!?」

 クラウスはふくやぶれてどろだらけだった。私をかばって下敷したじきになり、最初に落下らっか衝撃しょうげきを受けたのだ。


 「クラウス!?しっかり!死なないで!」

 私もどろだらけでふくやぶれていたが、そんなことは気にしてられない。

 「イテテテ・・・」

 クラウスはそう言いながらき上がった。

 「クラウス、良かった!生きてた!」

 私はそう言って思わずクラウスをめた。

 「大げさだな。吸血鬼きゅうけつきがこれくらいで死ぬものか。人間じゃあるまいし。」

 クラウスが笑って言った。

 「助けてくれるとは思わなかった。」

 私はクラウスに言った。

 「それがねらいだったからね。そう思わせないと本気ほんきでないでしょ?でもちょっとやりぎた。」

 クラウスはお茶目ちゃめな笑顔で言った。少しパパにている。


 「カイン様!」

 デネブが血相変けっそうかえてって来た。

 「デネブ、大公たいこうの俺をいてカインの心配しんぱい?」

 クラウスがからかうようにデネブに言った。

 「も、もうわけございません。」

 デネブはあわててあやった。

 「冗談じょうだんだよ。カインの手当てあて着替きがえを手伝てつだってやって。俺は大丈夫だから。」

 クラウスはそう言って一人ひとりで飛んで城へ戻って行った。

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