第142話

その日の魔法の指導は結局そこでお開きとなった。婆センパイの怒りが発情したチンパンジー並に制御不能となったからだ。センパイ、幾ら何でもあんなにキレ散らかさんでも。


そら俺も怒りに任せてちょっぴりお茶目した気はするが、先に挑発して来たのはセンパイの方だし、そもそもあの時センパイは「火を消してみろ」とは言ったがその手段については何も言及していない。つまりは如何なる手段を用いても火を消せと解釈できるのだ。なので俺はその意向に沿った形でランプの火を消しただけである。ほんのちょっとだけ消し方に勢いが付いたのは、あのバカ笑いに対する微々たる余勢にすぎぬ。それに対していきなりブチ切れてパンチを繰り出されるのは甚だ不本意であり、大変遺憾だ。


それにしてもあのゾルゲといい婆センパイといい、この世界の老人は常時キレ芸でもしてんじゃないかと思う程にキレ易いな。故郷のキレる十代なんて目じゃねえぞ。それに以前その辺の爺婆どもの殴り合いの喧嘩を何度か目撃した事があるが、どいつもこいつも異常に喧嘩慣れしてやがる。或いは生き延びるだけでも甚だ苛酷なこの世界のお陰だろうか。老齢に至るまで迄生き抜いた爺婆連中のタフさと荒々しさは、斬れるナイフどころか極太の鉈並みのヤバさである。仮に姥捨山にポイなんぞしようものならば、返り討ちで山の中に埋められてしまいそうだ。


翌日。魔術師ギルドを訪ねた俺に対して、婆センパイは昨日の出来事などまるで何も無かったかのように出迎えてくれた。その様子から単に根に持たない性格なのだろうと一見気楽に考えがちだがさにあらず。俺はその時、心中暗雲の如く広がる別の懸念を抱いた。


この婆さんよもや痴呆入ってねえかこれ?


ええと、この世界で痴呆って何て言うんだっけ。思わずセンパイに訊ねそうになってしまった俺だが、よくよく考えればそんな事を面と向かって口に出すのは流石に憚られる。何も自ら虎の尾の上で雄叫びを上げながらストンピング高速連打する事はあるまい。なので一先ずセンパイの呆け疑惑は棚上げすることにした。


そんな婆センパイは昨日とは皿が違う色のランプを取り出すと、(昨日のランプは猛り狂うセンパイにより破壊された。)再び超の、もとい火魔法を俺の目の前で披露した。そして息を吹きかけてあっさりとランプの灯を消すと、俺に向けて言い放った。


「さあ、やってみな。」

いやいや、待て。いきなりさあやれとか言われても。


「いや、待ってくれ。もう少し具体的に分かり易く、一から手順を教えてはくれないだろうか。いきなりやれと言われても、何をどうすれば良いか 良く分からないのだが。」だがそんな俺の要望を聞いた途端、婆センパイの表情がみるみる険しくなった。うっ何か不味ったのだろうか。別に可笑しな事は言って居ないと思うが。


「なあ小僧。あたしゃが何時そんな事聞けと言ったよ。」


「う・・。」


「あたしゃと言ったんじゃよ。」


「それは・・。」


「お前さぁ。あたしゃ達・・いや、世の中舐めてんのかい。」

椅子に座る婆センパイは耳に小指を突っ込んで穿りながら、焦る俺を一瞥した。昨日とは打って変わってまるで虫でも見るかのような、醒め切った目で。


「・・・・。」


「小僧、お前は甘ったれ貴族のボンクラ息子か何かかい。アホ面下げて訊けば人が何でも教えてくれると、只突っ立っていれば何時でも親身になって手取り足取り指南してくれるとでも、本気で思ってんのかい。」


「いや、それは・・。」


「あたしゃボンクラ相手でも魔法の指導をしてやる気高く美しく心優しい魔女じゃが、木偶なんぞに教えてやる気は無いね。何か勘違いしとるようじゃが、あたしゃお前の指導なんぞ何時だって放り出してもええんじゃぞ。此の歳で今更ギルドの評価何ぞどうでも良いし、別に金に困っとる訳でもないしの。」


成程、婆センパイの言う事も一理、いや十理ある。考え無しで甘ちゃんな俺が間違っていたのだ。この世界に飛ばされてから既に何年も経つ。にも拘らず俺は未だ地球の、いや平和な故郷の温い感覚が抜け切って居なかったらしい。


「済まないセンパイ。俺が間違っていた。」

謝罪の言葉と共に、俺は婆センパイに頭を下げた。一瞬、賄賂の魔石のことが脳裏を掠めたが、此処でそいつにを出すのは悪手であろう。勿論自重する。


「ええか小僧。魔法の指導なんて代物が、安易に誰でも受けられると思うなよ。そして例えチーチク並みの馬鹿でも、少しは自分で頭を使え。思考と想像を巡らせ、模索せい。考え無しに只聞いた事をこなすだけじゃ、結局上っ面しか身に付ける事は出来ないんじゃ。」


「ああ。分かった。」


そして俺は気を取り直して手を翳すと、先ずは火の消えたランプの紐に向けて練り上げた魔力を注ぎ込んだ。



____それから地球で言う処の一週間余りが経過した。


その間、魔法の修練がどれ程捗ったか問われたならば、その成果は芳しくない。というかハッキリ言って何も出来ていない。今教わっている火魔法で火を放ったり操ったりするどころか、その切っ掛けすら掴めないような現状である。そして俺は今、独りで婆センパイの研究室兼自室にて魔法の練習を続けて居る。因みに婆センパイは室内の物を盗んだら殺すぞと5回ほど念押しした後、何処ぞへと出掛けて行った。


婆センパイは気紛れに俺に手本を見せてくれたり、助言をしてくれたりするが、かつて俺が回復魔法を教わった森の集落の少女ビタのような献身的な指導など望むべくも無い。俺が此処で火の消えたランプと悪戦苦闘している間、センパイはある時はゴロゴロしながら本を読み耽り、時には胡散臭さが青天井な来客と博打に興じたり(ソイツ等もセンパイも負けが込むと糞五月蠅ぇ)、またある時は超絶酒臭い息を振りまきながら千鳥足で部屋に現れる事も有った。


こんな時、故郷の漫画や小説なら表向き醜態を晒しつつも、実は密かに可愛い教え子の為にコッソリとあれこれと裏から手を回すのが有能な師の在りようだと思ってしまうのだが、生憎と婆センパイはそんな生易しいタマでは無かった。


試しに魔術師ギルドで聞き込みを敢行してみたところ、センパイはギルドの舎弟達と連日夜の繁華街で、普通にヨロシクやっていたらしい。因みにその舎弟はどんな人達かと言えば、婆センパイが魔術師ギルドに出入りするようになって間もない頃、暴虐無人の化身のような婆センパイを〆ようと敢然と立ち上がった魔術師連中なのだそうだ。だがその結果は敢え無く返り討ちに合い、ボッコボコにぶちのめされた挙句カツアゲされて身包み剥がされ、更にはその上で舎弟させられたんだそうだ。実にお気の毒な人達である。


そしてその話を聞いてほぼ確信に近い疑念に思ったことがある。婆センパイは恐らくギルドに入る前から、いや誰に教わるでもなく元々ある程度魔法が使えていたんじゃなかろうか。聞き込みの過程で耳に入った様々な武勇伝が、マトモな人間としてはあまりに常軌を逸していたからな。ならばあの婆さんは言わば野生の魔術師ってトコロなんだろう。


その後、俺はついでに婆センパイのギルドにおける評判を聞いてみたが


「不世出の魔術師。」

「目が合っただけで殴りかかって来た。あの老人は狂ってる。」

「傷心だった私と一緒に四日四晩浴びるように飲み明かしてくれました。優しい人ですよ。」

「人の皮を被った魔物。人間扱いしちゃいけない。」


情報が錯綜しすぎてバグッたので、俺はそれ以上考えるのを止めた。





「だああっ!糞っ全然駄目だあ。」

他に誰も居ない魔術師ギルドの婆センパイの部屋にて。俺は思わず日本語で悪態を付くと、無用の品で散らかった床にゴロンと仰向けに寝転がった。


正直、完全に煮詰まってしまった。

此れまで様々に試行錯誤してみたものの、火魔法を使う切っ掛けすら掴めねえ。分かっちゃ居たが、回復魔法と同じ遣り方とは行かねえ。一体どうすりゃ魔力で火が出せるように成るんだよ。火どころか煙すら出せる気がしない。


此のままじゃ不味いな。無論この程度で諦める気なんぞサラサラ無いものの、この調子じゃそんな意志とは無関係に何の成果も無いまま教育期間が終わっちまいかねん。金さえ払えば延長を申請することは可能らしいが、婆センパイが申請を受けてくれるかどうかは甚だ心許ない。


それにその婆センパイのその助言とて


お前の魔力を火種とするんじゃ だの

灯火の中に潜む、炎の精と魔力を以て戯れるのじゃ だの


地球人かつ文明人である俺からすれば、そんなオカルトでフワッとした事言われても何だかな、て感じだ。炎の精て精霊の一種なのか?そんな謎生物の事なんぞ知る訳ねえだろ。大体日属性って何なんだよ紛らわしい。火を出したり操るんだから素直に火属性で良いだろ別に。全然名前にそぐわねえじゃねえか。


俺は部屋の天井をボンヤリと眺めていると、我知らず溜息が口をついて出た。そのまま顔を横に向けると、床に魔道具と思しき照明具が無造作に転がっているのが視界にに入った。この世界でもいつか暖炉だのランプだの火を使った照明器具は廃れてゆくんだろうか。此奴なら薪を集めたり面倒な火起こし何ぞしなくとも、故郷の電池みたいに魔石を取り付けるだけで明るくなるんだからな・・・て・・。


・・・ん?

あれ?


其れは前触れも無く唐突に、天啓の如く俺の脳裏に閃いた。


あれ。もしかして、違うのか?

火じゃ、無いのか。


・・・ひょっとして俺は、勝手に思い込んで居たんじゃなかろうか。

火魔法と言えば魔力や魔素を以て火に換える代物だと。


仰向けに寝転がったまま、俺は思い浮かべる。

この異界でも燦々と輝く太陽の光、暖かさ。

俺の回復魔法。婆センパイが見せてくれた火魔法。

あの光無き部屋で鮮やかに感じた魔力と呼ばれるエネルギーの流れ。

魔石の力を様々に応用する魔道具。

魔動なる力。


「ちと、試してみるか。」


其れは唯の的外れな思い付きなのかも知れない。本当の正解は全然別の場所に在るのかも知れない。だが思い付いちまったとなれば、検証せずには居られない。やらないという選択肢は考えられない。ならば早速実験だ。


そんな訳で。床から跳ね起きて部屋を出た俺は、センパイに教えられた通りに借り物の杖で部屋の扉を2回叩くと、逸る気持ちのままに魔術師ギルドを後にした。




その後、ゲートを抜けて迷宮都市の外に出た俺は、都市に程近い人気の無い森の中へと足を踏み入れた。何故こんな場所に移動したかと言えば、火を使う実験なので少々危険なのと、もし失敗した時に他人に見られるのがちょっと恥ずかしいからである。


俺は持参した荷袋から雑貨屋で購入した金属製のコップを取り出すと、両手で抱え込みながらその場に座り込んだ。そして懐から秘蔵の地球産ライターを取り出し、その先端をコップの中に突っ込んだ。そして、点火する事無く着火レバーを押し込み、微かな放出音と共にLPガスをノズルからコップの中へと送り込む。此のライターに使われているイソブタンガスは確か空気より重いハズ。なので、この惑星の大気の組成が地球に近いものならば、コップの中にガスが溜まるはずだ。


因みにこの手の知識は地球に居るであろう親友の大吾から仕入れたものだ。奴に言わせればキャンプするならその程度の知識は常識らしいが、奴にとっての常識は普通の人間とはかなり懸け離れている気がする。

 

俺は頃合いを見てライターを懐にしまうと、再び両手でコップを包み込んで目を閉じた。そして精神を次第に研ぎ済ませてゆく。


今の俺には未だあのランプは荷が重い。なので、可能な限り発火し易い実験材料を拵えた。咄嗟の思い付きで俺が仕込んだのは、この世界で俺の周囲に存在する最も発火し易いであろう可燃性物質、大気とLPガスの混合気体だ。


俺は両手から魔力を放出し、コップの中へとジワリと流し込む。そういえば、魔力は精神の働きに影響を受けるんだったな。魔法をイメージするというのもそう馬鹿にしたモノじゃないのかも知れねえ。とは言え、適当に妄想するだけじゃ恐らく駄目だ。イメージよりも、もっと遥かに確固たる・・確信に近いモノを思い描く。出来る、ハズだ。今迄散々回復魔法をぶっ放して来た俺なら。


それに婆センパイが点けたランプの火を強引に消火したあの時、俺が左手で感じていたのは何も火傷の痛みだけじゃない。回復魔法の鍛錬を何度も錬磨した俺の左手は確かに感じ取ったのだ。手中に拡がる婆センパイの魔力の、確かなうねりを。最近左手で回復魔法を鍛錬していたのは僥倖だった。それに、魔力変化の模倣ならビタと一緒に死ぬ程鍛錬したからな。今の俺ならお手の物だぜ。尤も、先程迄は全然上手く行かなかったけどな。


だが、俺が改めて思い描く火魔法とは火を操る魔法にに非ず。

その本質は多分・・エネルギーだ。


そして火魔法の属性は日。火では無く日。日の力と言えば光、そして熱だ。先程、俺は天啓によりふと感付いたのだ。日属性とは火を操るのでは無く、実は魔力に拠って熱エネルギーを操る代物なんじゃないかと。


俺は脳裏に明瞭な魔法の軌跡を思い浮かべながら、あの時の魔力のうねりの再現を試み続ける。


さあ。踊れ踊れ混合ガスの分子達よ。その為の力なら俺が幾らでも分けてやるから、楽しく一緒に遊ぼうぜ。そらもっと、もっと、もっと、もっと・・・。


そして、暫くの時が流れた次の瞬間。


パアンッ

破裂音と共に、俺の視界が閃光に染まった。


「ぎゃあああっ目がっ目がああっあっ熱っつうううっ!!」


突然の激痛と失われた視界、そして何かが焼ける異臭。俺は悲鳴を上げながらのた打ち回った。その後、どうにか視力は回復したものの、悲しいかな、俺の前髪はチリチリに。いや、直ぐに回復魔法で治したけどな。


さて、未だ恐ろしく稚拙で効率は悪いが、遂にやってやったぞ!

漸く日属性の魔法を使う為の方向性が見えたどおおおっ!先ほども言ったが、俺は魔力の変質に関しては今迄死ぬ程鍛錬してきたからな。その方面には一日の長がある。コツさえ掴むことが出来れば、或いは一気に火魔法を使い熟せるように成るやも知れん。実に楽しみである。


そして其れから更に3日後。

俺は再び魔術師ギルドの婆センパイを訪れた。その間、受付嬢に言伝を頼んで、集中する為に独りで魔法の鍛錬に励んでいたのだ。


再び婆センパイの部屋に踏み込んだ俺は、そのままセンパイが座る机へと近づいてゆく。そして、俺は無言のまま机の上に置かれたランプの紐に指先を近付け、集中力を高める。その直後。


ボッ

火の粉が散り、ランプの紐に結構派手に火が灯った。

此処に至るまでに、虎の子のライターのガスは全て使い切った。俺は故郷の残滓を供物として、また一つ新たな力を手に入れたのだ。


「ほ~ん、小僧。己の力だけで扉をぶち破りおったか。」

火を灯したランプと俺を交互に見比べた婆センパイは、ニタリと不気味な笑みを浮かべた。



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