第141話

無垢なる獣とやらの魔石だったか。

俺は水晶の原石のような透明度の高い石に掌を乗せ、魔力を注ぎ込む。すると、まるで内部で不可視の火が灯ったかのように、石に手を置く俺の手の平に石の内部から暖かい熱がホカホカと立ち昇って来るのが感じられた。


「暖かい、な。」


「ほ~う。出来おったか。確かに空言を吐いていた、という訳でも無いようじゃの。で、小僧に最も適正が有るのは日属性かい。」

婆センパイは椅子から身を乗り出して、俺の手元をジロジロと覗き込みながら明言した。


日属性・・・かぁ。う~む。そうなると矢張り水属性の習得は・・駄目なのかなあ。正直微妙である。火魔法で人間チャッカ〇ンに成れるのも悪くは無いかも知れんが、今の俺の筋力と瞬発力ならば、一番面倒な摩擦による火起こしですら10分もあれば余裕で出来るのだ。それに地球から持ち込んだ虎の子のライターのガスも未だ存命である。だから日属性とか別にいらねぇ・・てのが忌憚の無い俺の正直な感想って奴だ。


気落ちした俺は石から手を離し、何とも言えない気分で魔石に触れていた己の掌を見詰める。そしてセンパイに訊ねてみた。


「なあ婆センパイ。ならば俺は水属性の魔法は 使えないのだろうか。」


「フンッ。餓鬼ってのはどうしてこう結論を急ぐのかねえ。小僧、もう一度その魔石に触れてみな。」そんな俺の元へ返って来たのは、センパイの予想外な一言だった。


「・・・ああ。」


俺はセンパイの指示に従い、再び指先を石に軽く触れてみた。


あ、これは。

指で触れた箇所に、痕が付いた。此の痕は恐らく皮脂では無い。そして指先に残るこの湿り気は。僅かではあるが、石の表面が曇っているのだ。薄っすらと結露していたのか。


「センパイ、此れは。」


「んむ。お前の適性は水寄りの日属性ってトコロじゃな。」


「水寄りの日属性って、そんな風に現象が顕れる事も 有り得るのか。」


「フンッ。その程度別に珍しくも無いぞい。例えば子供から大人に成長すると適性が変わる何て事もあるし、場合に依っては其の日の体調や精神状態によって適性が変化する奇特な者すら居るんじゃからの。」


「むううっそうなのか。それと日属性ってのは水属性とは相性が悪いモンだと 思って居たのだが。」


「うんにゃ。別にそんな事は無いぞい。確かに火魔法は水魔法とは相性が悪いがの。だが使う側となれば話は別じゃぞ。日属性の魔法を巧みに使う魔術師は、卓越した水魔法の使い手でもある場合も多いからの。」


「ふむふむ、成る程な。なら、例え適性が日属性でも 俺は問題無く水魔法が使えるようになるんだな。」


「しるか。」


「え?」


「あたしゃが知るか阿呆っ!ちぃっとばかし魔石に水滴が付いたくらいで、あたしゃがそんな事保証出来る訳ねえじゃろうが。魔力を感じられるように成ったくらいで調子に乗るなよ此のボンクラがぁ!」


「ぐっ。」

俺はセンパイの無慈悲な罵声を浴びせられながらも、その口蓋から飛び散る汚臭と唾から辛うじて身を躱した。


「ええか小僧。あたしゃ前にも言ったじゃろ。魔術師に成り得る素質の有る者は精々十人に一人じゃと。今、お前の居る場所は、其の一人が立つ最低限の出発地点に過ぎないんじゃ。此処から先はさらに狭き道じゃぞ。更に歩み続けて一端に魔法を使うまでに至る者は、重ねて十人集まった内の一人残れば御の字じゃろうて。」


「ぐ、ぐむう・・。」


「少しは身の程を弁えるんじゃな。それにあたしゃの見た所、お前のアホ面は見るからに素質無さそうなんじゃが。まぁ、精々足掻いてみるんじゃな。どうせ無駄じゃろうけどなぁ。ゲヒャヒャヒャッ。」


小指で耳糞を穿りながらずけずけと言い放つセンパイには少なからず腹は立つものの、言われた通り俺も自身にはあまり素質は無さそうな気がするので特に反論する言葉は無い。


そんな訳で俺が無言のまま怒りに震えていると、次いで婆センパイは再び何やらゴソゴソと奥の棚を漁った後、机の上にランプをゴンと置いた。この世界じゃ見慣れた形状の其のランプは小さな陶器製の皿に獣脂だか植物性だかの油が注がれており、更にはその中央に立つ金属製の針に紐が括り付けられて出来ている粗雑な造りである。此の町では徐々に魔道具のランプに置き換わりつつあるものの、庶民の大多数には高価な魔道具よりも未だ此のようなランプの灯りが主流である。因みに火を付けると滅茶苦茶臭い。


そして更に。センパイは指先からポッと火を灯してランプにその火でもって着火して見せた。無論、マッチもライターも火打石も使用していない。おおおっこうして改めて火魔法の現物を目の当たりにすると、人間チャッ〇マンも中々に便利で悪くないように思えてくる。


「小僧。先ずは日属性じゃ。手始めに、此の鼻糞程度の火を操る所からやっていくぞい。」


「ちょっと待ってくれセンパイ。先にも言ったが俺が学びたいのは 日属性の魔法じゃなく 水属性の魔法なんだが。」有無を言わさぬ口調で事を進ようとするセンパイに対して、俺は思わず口を挟んだ。


「んなこたぁ分かっとるわい。じゃが、お前に一番相性が良いのは日属性じゃからの。初めは日属性の魔法の修練から入って、其れを足掛かりに他の属性を習得したほうが効率が良いんじゃ。魔法に限った話じゃなく、何事も習得するのに一番難儀をするのは最初の取っ掛かりじゃからな。」

成程。センパイの言う事には一理ある。


「成る程、分かった。」


「んむ。じゃあ、今から手本を見せてやるからの。まあ見とれ。」


そして婆センパイが無造作にランプの火に人差し指を向けると、何と触れてすら居ないにも拘わらず、蝋燭の火程度だったランプの火勢が突如倍くらいに膨れ上がった。そして、


「うおっ。」


油を吸った紐の先に灯るランプの火が、音も無くスーーーッと長く伸びて婆センパイの人差し指の先端にくっついた。その長さ目測でおよそ200mm程。うおおおコイツは凄えっ。でも、本音を言えば目の前で見せ付けられたコイツは、魔法というよりは手品とかアレに見えてしまう。そう、アレだ。所謂Psychokinesisって奴だ。もしかすると俺って奴は魔法を使う魔青年じゃなくて、実は超能力青年に向かって道を盛大に踏み外そうとしてるんじゃなかろうか。それに、もう一つ気になるのは。


「センパイ。ソレ、熱く無いのか?。」


「うんにゃ。」

マジかよ。一体どうなってるんだ。確かにセンパイの指から不味そうな焼肉の臭いが漂ってくる気配は無いが。


そんな事を考えているうちに、今度は長く伸びた帯のような火がセンパイの指先から離れると、あっという間に縮んで元の形状に戻ってしまった。俺は思わず何度か瞬いた後、ランプに灯る火を改めて凝視してみる。だがどれだけ見ても、何の変哲も無いランプの火である。まるで一瞬白昼夢でも見せられたかのようだ。


「どうした小僧。呆けた面しおって。どうじゃ。少しはあたしゃの凄さが分かったかの。ゲヒヒッ。」くっムカつく。このババア、何というドヤ顔をしやがる。


「いや、何でもない。」


「ほ~ん。ならば小僧、次はこの火を消してみるんじゃ。」

婆センパイは全身からドヤオーラを放ちつつ、再びランプの火を指差した。


「分かった。」


一体何をさせたいんだ。と不審に思いつつも、俺はランプの火を吹き消した・・と思ったのだが、火は消えていない。成程。察しの悪く無い俺は、直ぐにセンパイの邪悪な意図を悟った。此れも魔法か。消せるモンなら消してみろと。ならばと思い切り息を吸って、相当な勢いて吹きかけてみたものの、火は激しく揺れるだけで消える素振りは全く無い。


「なんじゃ小僧。消えんのう~全然消えんのう~。貧弱じゃのう~。」

婆センパイはニヤニヤと下卑た笑顔を俺に向けて来た。


その様子を見た俺は目を閉じ、合掌しつつ肺から空気を絞り出す。そして意識が朦朧とし、ブラックアウト寸前になるまで全てを吐き切った後、横隔膜の動きを意識しつつ、大気を少しずつ体内に取り込んでゆく。どこまでも、どこまでも。


暫しの後。俺の上半身が風船のように膨らみ、胸骨が軋みを上げ、まるで肺が破裂するかのような錯覚に陥る。体内の各所で毛細血管が破断し、目が充血してゆくのが手に取るように分かる。


これで、どうだ。


「噴ッッ!!!」


俺は蛸のように唇を突き出すと、上半身を目一杯反らせた状態から一気に前方に加速して、同時に肺胞内の全空気を口から一気に射出した。狙いはランプの火元の辺り。唇を蛸のように窄めたのは、口から射出するエアバレットが拡散しないようにする為である。射出する空気には、威力向上の為に唾も少し絡めておいた。すると射出と同時に机の上に置かれていた紙束が盛大にぶちまけられ、婆センパイの帽子が後方へと吹っ飛んだ。が、しかし。


「ゼエッゼエッ。ゲボッゴホッ。」


其れでも尚、ランプの火は健在であった。息が、苦しい。ランプごと破壊するくらいの気持ちで息を吹き付けたのに、なんというしぶとい火だろうか。これが魔法の威力って奴なのか。


「ヒャ~どうしたんじゃ小僧ぉ~顔を真っ赤にしおって。ホレホレ~早く火を消すんじゃ。無理かのう~小僧じゃ無理じゃのう~。ヒャ~ッヒャヒャヒャアアァ~!」

センパイは獲れたて新鮮なブラックタイガーの如く踏ん反り返りながら、むせる俺を見て爆笑していた。


「・・・・。」


次の瞬間、俺は床を踏み抜く勢いで踏み込みながら懐に忍ばせたナイフを鞘からぶっこ抜くと、火の付いたランプの紐を瞬時に切断した。そして間髪入れず、火が付いたまま切断された紐の先端を左手で握り込んだ。其れと同時に、ナイフを手放した右手で掌底をランプの皿に叩き込んで空気を遮断する。


だが其れでも尚、左手の中の残り火は燃え続けた。ありえねえっ。俺は心の中で呻いた。だが、拳から伝わる強烈な痛みに、此れが確かな現実であると思い知らされた。


「おおおおッ!」

俺は激痛に耐えながらも、左拳を更に全力で握り込む。肉が焼ける嫌な臭いが充満すると共に、左の拳がミシミシと嫌な音を奏でる。爪が肌に食い込み、拳の中で血液が溢れ出す。


そして数瞬の攻防の末。遂に、左手を蝕む残り火は完全に沈黙した。


「ふ、ふふん。消えたが。」

俺は顔を上げると額から流れ落ちる脂汗を拭う余裕も無いまま、渾身のドヤ顔を婆センパイに向けて披露した。







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