第140話

「お~い小僧、もう気が済んだかえ。」

重い扉が開く音と共に、再び婆センパイの声が聞こえて来た。


その声を耳にした俺は頭で倒立したまま光が差す方向に向き直り、更に腕を組み胡坐をかいて、僅かな期間で修練を完遂したドヤ値やや高めのポーズで婆センパイを正面から出迎えることにした。


婆センパイは、しかし。扉を開いた体制のまま、まるで彫像と化したかのように其の動きを止めた。そして、


「な、ななな何しとんじゃああ手前はあぁぁ!!」

眼球が今にも零れ落ちそうな程に目を見開いて、更には顔面がまるで茹でダコのような有様になって其の口から絶叫を放った。


妙だな。いくら俺が逆さになっているとはいえ、些かリアクションが過剰すぎやしないだろうか。


「むっ。」


そういえば。

俺は組んだ腕を解き、自らの肌をサラリと撫でてみる。そして思い出した。今迄周囲が一寸先も目視出来ぬ闇であった為全く気にも留めていなかったが、今の俺の肉体は一糸纏わぬ姿、所謂全裸であったのだ。


無論、俺は意味も無く裸族になった訳では無い。暗闇の中で絶え間なく鍛錬を続けるうち、いつしか身体が火照ってしまったのだ。それにこの部屋の懐かしい空気がまるで嘗て故郷に居た頃の自分の部屋のように感じて、少々気が緩んでしまったせいもあるだろう。


其れはともかく、此の状況は些か不味いな。だが、此処で変に焦ってはいけない。焦ったり羞恥により不用意な言動をすれば、事態は却って悪化してしまうだろう。俺はこの世界で叩き上げた強靭な精神力に拠り、明鏡止水の心持で平静を保つ。さて、此の状況をどう乗り越えるか。


セクシーとセクハラは紙一重。いや、セクハラにあらずんばセクシーである。自分でも何を言っているのか正直良く分からないが、要は目の前で固まる女性に不快な思いをさせなければ何の問題も無いのだ。然らば此の身に浴びせられるのは侮蔑や罵倒では無く、盛大なる拍手と喝采と化すであろう。


俺は焦らず騒がず床に手を付いて綺麗な倒立の体勢に移行する。そして腕で弾みをつけてポンと倒立したまま飛び上がると、身体を真っ直ぐに伸ばしたまま、前方倒立回転跳びの要領で優雅に足から着地した。この際、後方回転をしなかったのは理由がある。この態勢から後方回転をすると、俺に残された秘境迄丸見えになってしまうからだ。愛する愚息は既にババアの視線に晒されてしまったものの、せめて尻穴だけは守護まもりたい。それは俺の、秘められしささやかな拘りだ。


そして俺は婆センパイに背を向けたまま両腕を孔雀の羽の如く優雅に振り上げると、静かにBack Double Biceps のポージングをキメた。大殿筋を引き締め、プリップリケツを強調することも忘れない。幸い、先程迄継続していた筋トレにより、俺の僧帽筋と広背筋は十全にパンプアップされており、その上飯抜きの減量によりカットもキレも申し分無し。腰の高さにさえ目を瞑れば、今の俺の首から下は、古代ギリシャの彫刻すら霞む程の自慢の美肉と化している。


臀部に背後からの熱い視線を感じつつも、俺は婆センパイに背を向けたまま、悠揚として声を掛けた。


「うむ。全身で魔力を 感じていたのだ。」


「え?あ・・ん、んむ。そうか。」

すると、背後からセンパイの気勢を削がれた様な、戸惑ったような声が聞こえてきた。どうやら俺の咄嗟の策略は功を奏したようだ。


「で?その様子だと魔力は感じられたのかえ。もし駄目ならもう諦め・・。」


「うむ。問題無い。センパイのお陰で、十分に感じられるようになった。」


「ぐむう、阿呆が無為に大口を叩いている・・ワケでも無さそうじゃの。」

ポージングを解き、綺麗に折り畳んで足元に置いてあった衣服を焦らずゆったりと身に付ける俺の背に、何故だか悔しそうな声が掛けられた。


「ああ。あと、感じ取った魔力を 動かせるようになった。」


「あ、ああ!?んな訳あるかい!一体どうやったんじゃ。」


「糞を我慢してたら、出来るようになった。」

センパイが平常心を喪って居る今こそ絶好の好機。俺はすかさず与太話をゴリ押す。


「ぬぎぎぎぎっ・・・まあええじゃろ。なら直ぐに成果を見せて貰うぞい。だがもし今の言葉が嘘っぱちならどうなるか、分かっとるじゃろうなあ小僧おぉ。」


「分かった。」

衣服を身に纏った俺は、漸く振り向いて婆センパイを正面から見据えた。


センパイは苦虫を噛み潰したような表情をしているが、心なしか顔全体が紅潮しているように見えた。そしてその目を真っ直ぐに見返すと、スッと目を逸らされた。此れはひょっとすると、先程とは別の意味で些か不味いのかも知れんな。・・まあいっか。俺は何も知らぬ存ぜぬ。


「あたしゃの部屋に戻るぞい。付いて来い小僧。」


そしてセンパイが顎でクイと指示すると、俺達と入れ違いで水桶とモップのような物を持った小男が部屋の中へ入って行った。てっきりそれは俺がやるものだとばかり思っていたが、ギルドにはちゃんと部屋を掃除する小間使のような連中が居るらしい。此処は巨大な建屋だしさもありなん。因みに俺は排尿は我慢の限界を迎えて何度か部

屋の隅で致したが、事前に腸内を空にして置いたお陰で脱糞はせずに済んだ。




そんなこんなで、俺達は再び婆センパイの部屋に戻って来た。だが婆センパイは部屋に戻るや否や、その奥に鎮座する棚の中を豪快に漁り始めた。そして暫くの後、婆センパイは何やら厳つい代物を巨大な机の上に雑にドンと放り投げると、そのまま背に高い椅子にドカリと座った。俺はその前に立ち、センパイとは机を挟んで正面から向かい合う体勢となった。


机の上に雑に置かれたその物体は、目視で直径30センチ程ある金属の土台に黒光りする岩の塊が据え付けられており、その上部の平らな箇所には砂が敷き詰められている。そして更には其処から水晶の結晶体ような透明度の高い鉱物?がニョキッと生えていた。


「センパイ。此れは何だ?」


「んむ、ソイツはとある魔石じゃ。」

そう応じるセンパイはニタリと邪悪そうな、何とも意味ありげな笑みを浮かべた。


「さて小僧。世間一般に知られている、あたしゃ等が行使する魔法の殆どには、属する性質が有る事は以前教えたじゃろ。」


「ああ。そしてその大半が、主要な四つの性質の何れか或いはその派生の中に含まれているんだっけか。」


「んむ。それじゃその属性を言ってみい。」


「ええと魔法の主要な四つの属性は日、水、風、土だっけ。火じゃなくて日属性なんだな。」


「最近では火属性と称する連中も多いがのう。じゃが厳密に言えば、火属性は太陽の力を源とする日属性の派生じゃ。んでもって日、水、風、土の属性は合わせて四大属性と呼ばれておる。そして更にその下には数多の派生が連なっておるんじゃ。一見すると埒外の性質に見える魔法も、実際には四大属性の派生に含まれてる場合が殆どじゃな。」


「ふむふむ。」


「尤も、あたしゃに言わせれば既存の魔法は属性に囚われているとも言えるがの。まあチーチク並みの鼻垂れ小僧のお前はそんな面倒な事考えんでええぞい。」


「うむ。」


「で、新米魔術師は最も取っ付き易い四属性の何れかの魔法の修練から入るのが一般的なんじゃが、小僧はどの属性の魔法を修めたいんじゃ。」


「俺が学びたいのは 水魔法だ。」

此れについては以前から決めている。他の属性も出来れば学びたい所ではあるが、最優先は水魔法一択である。


「ん~・・小僧、お前水属性が希望なんじゃな。」

えぇ、何だか微妙な反応だな。ひょっとして人気無いのか水属性。


「うんにゃ。人気じゃぞ水属性。行商やら土木工事、迷宮探索、戦などと至る所で引く手数多じゃ。そしてそのお陰で其れなりの水準まで習熟した水魔法の使い手は、まず食うに困る事は無いからの。ただ、お前のようなアホで血の気の多い若造は、大概真っ先に日属性の魔法を覚えたがるモンじゃが。」

試しに訊いてみると、そのような失礼な答えが返ってきた。


「とはいえ、希望したからと言って小僧に水属性の適正があるとは限らんからの。そこであたしゃの秘蔵の此の魔石の出番なのじゃ。此の魔石は無垢なる獣と呼ばれる希少な魔物から採れる特別な魔石じゃ。無垢なる獣は魔物領域にしか居らぬからの。大いに値が張る一品じゃて。そして此の魔石はお前が最も相性が良い属性を明らかにする為の代物じゃ。ついでに此奴で早速修練の成果を見せて貰うぞい。」

それって婆センパイ秘蔵じゃなくてセンパイの師匠の所有物だろ。と突っ込みたかったのだが、ぐぐっと堪える。


「センパイの説明は分かったけど、俺は具体的に何をすればいいんだ?」


「此の魔石に手を当てて、己の魔力を流し込むんじゃ。魔力は無垢なる力などと言われてはおるが、実の所その性質には個人により僅かながら偏りがあるんじゃよ。それを暴き出すのが、この石じゃな。」


「へえ。」

俺は目の前に置かれた魔石をまじまじと覗き込む。こうして間近で見ると、魔石というより只の鉱物にしか見えんな。中々に綺麗だ。


「この魔石こそ、世にも珍しい一切の偏りのない魔素の結晶なのじゃ。此の魔石に魔力を流し込むと、その特異な性質により一時的に様々な現象が石に顕れるんじゃよ。例えば日属性に偏った魔力を流し込めば石は暖かくなる。水属性なら表面が湿る。更に風属性なら石の周囲の空気が流れ、土属性ならば砂が表面に張り付くんじゃ。因みに四大属性以外の希少な属性となると石の色が変化したり、音が鳴ったり、煙が出るといった現象が確認されておるの。」


「ふむふむ。じゃあ、もし此の魔石で適性が無かった場合、俺はその属性の魔法は 使えないのか?」


「うんにゃ。此の魔石は一番親和性が高い属性が分かるだけで、それ以外の属性が使えない訳じゃないぞい。ただ、其処らに居る一般的な魔術師が使える属性は精々一つか二つじゃし、普通は一番適性のある属性やその派生の魔法を学ぶ事が推奨されるのう。」


「成る程。因みに婆センパイは どの属性が使えるんだ?」


「ん?あたしゃ全部使えるぞい。」

・・・マジかよ。実はセンパイって結構凄いんじゃ。確かに此の婆さん、見た目だけなら熟練の大魔術師に見えなくも無い。喋り出すとアレだが。


「じゃあ、センパイの一番適性が高い属性って どれなんだ?」


「あたしゃの適正が一番高いのは風属性じゃな。一番得意なのは土魔法じゃが。」


「えぇ、何で土魔法なんだ。」


「あたしゃが何十年土と向き合ってきたと思っとるんじゃ!」

むむむ・・成程。そういえば婆センパイは最近までずっと農婦やってたんだよな。長年の経験と積み重ねた実績があれば、適性なんぞぶっちぎる事も可能て事か。


「んじゃ小僧。此奴に手を当てて、さっさと魔力を流すんじゃ。先刻あたしゃにあれだけデカい口を叩いたんじゃ。勿論、今更出来ないとは言うまいの?」

ニタニタと笑うセンパイは、俺に向かって魔石をズズイと押し出して来た。尤も、野獣のようにギラギラと光るその目は全然笑ってねえぞ。


「分かった。」


ううむ、正直滅茶苦茶緊張するぜ。どうか水属性に適性がありますように。

俺は祈りながら魔石を包むように手を当てると、素のままの魔力を流し込んだ。

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