第139話

自ら部屋の入口の扉を閉めると、俺は再び暗闇の住人となった。


「おっと、此れじゃ何も見えないな。」


肚から左手に練り上げた魔力を流し込み、回復魔法を発動させる。すると、部屋の中が発光する左手によって薄ぼんやりと照らされた。目線を下に向けると、覚えの有る奇妙な紋様が床に描かれているのが見えた。


俺は床に置いておいた杯を手に取る。秘薬の服用は凡そ前回の三分の一ってところか。随分と適当なモンだが、こんな場所で正確な計量など出来るハズも無いので致し方無し。尤も、仮にヤバい事態になったとしても、回復魔法でどうにかなることは既に実証済みなので気楽なものである。


そんな訳で。俺は躊躇いなく杯をグビリと煽り、次いで水桶の水を一口喉に流し込む。そして未だ秘薬の残る杯と水桶を蹴倒さない様邪魔にならない場所に置くと、以前吐き散らかした秘薬の残骸を避けて座禅を組んだ。すると、程なく秘薬を飲んだ症状が身体に顕れて来た。


全身に痺れ、倦怠感、そして意識にも霞がかかったようになる。


視覚

聴覚

嗅覚

味覚

そして触覚


悉く麻痺し、薄れ、拡散してゆく。意識だけが、ボンヤリと取り残されていく。まるで臨死体験か、幽体離脱でもしているかのようだ。そして自らと周囲の闇との境界が曖昧となり、闇に身体が溶け出していく。ああ、成る程。きちんと用法を守ればこ此のような症状になるのか。・・いや、以前と量こそ違えど秘薬の原液を直飲みしとるから、今回も用法は全然守られてねえな。


そんな事をボ~ッと考えている間にも、俺の五感は更にどんどん薄れてゆき、そして。遂に闇の中に意識だけがボンヤリと浮かんでいるような感覚となった。


そして、あらゆる肉体の感覚を喪失したかに思えた俺は、意識的にその焦点を切り替えた。焦点を向けた此の感覚はこの世界に来てから獲得し、以前俺が滞在していた森の奥深くの集落で出会った少女、ビタと共に鍛えた代物だ。いや、正確には鍛えたというよりは、衰え切った代物をリハビリしたと言った方が相応しいかも知れない。新たに鍛え直したこの感覚は、五感を超える第六感、或いはそれ以上の感覚というよりは、五感に一つ付け足した言わば五感プラス二分の一的な感覚と言った方が良いだろう。今の俺にはそれ程に生々しい感覚なのだ。


そして俺の五感αとでも言うべきその感覚に、まるで脈動する光・・いや、視覚じゃないので熱量の集合体というべきだろうか。エネルギーの流れが、俺のをゆったりと廻っているのが鮮明に感じられた。おおっ普段と違い、まるでノイズを排除したように滅茶苦茶クリアに感じ取る事が出来るぞ。ちょっと感動。


更にその流れに意識の手を伸ばせば、其の微細な熱の塊達が向けられた俺の意識に反応を示し、流れの速度を変えたり、一か所に集めたりと制御できる事が分かる。但し、逆流は出来なかったり、俺の意識をするりと躱して制御できない生意気なヤツも居て、何だか面白い。成程成程。確かにこいつは魔力が滅茶苦茶クリアに感じ取れるな。俺は秘薬の効能に得心がいく。


そして更に。今の俺には何となく分かる。この部屋の空気がどうにも懐かしく感じられた理由が。恐らくは、この部屋には魔素が全く無い。この異界の大気には、あらゆる場所に魔素が溶け込んで漂っていると聞いた。人間領域は魔素が薄いと言われてはいるが、薄いだけで魔素が全く存在しない訳では無いのだ。そして俺がこの部屋に放り込まれた時にとても懐かしく感じたのは、この部屋の空気が魔素の無い場所、つまり俺の故郷である地球の大気に非常に近い故であろう。そして更に言えば、室内に魔素が全く無い事により、まるでノイズが無くなったように俺の中の魔力がよりクリアに感じられるのだと思われる。


そして俺は刻が経つのを忘れて己の魔力と飽きること無く遊び続け、そして気が付くと、一時的に喪っていた身体の感覚が幾らか戻って来ていた。どうやら秘薬の効能が切れ始めているのだろう。魔力は勿論継続してビンビン感じてはいるが、秘薬を飲んだ直後程に鮮明では無い。


今ならこんな事も出来ちゃうかも。俺は練り上げた魔力を微細な制御で丁寧に指先に集め、回復魔法を発動してみた。瞼を開けて回復してきた視覚で指先を見てみると、指先に光が灯って、まるで指からビームが出てるみたいだ。うはは面白ぇ・・別に何の意味も無いけどな。


そして結局、婆センパイに貰った秘薬を飲んで魔力感知の修練をしたことにより、凡そ二つの事が分かった。


一つはこの修練は俺には何の意味も無かったという事だ。ま、初めから想定して居た事ではある。この部屋にせよ婆センパイから貰った秘薬にせよ、其れ等は所謂魔力を感じ取る修練において、魔力を感じる感覚を補強する為のものであった。言うまでも無く俺は以前から自称魔力をビンビン感じまくっていたので、其れがこの世界で言う処の魔力に相当するのであるならば、一時的にその感覚が鋭敏になるに過ぎない。そしてその結果は・・此れで断言してしまっても良いだろう。俺が今迄感じていた自称魔力はこの世界の魔術師達の言う魔力と同一の代物であり、回復魔法は魔法の一種で間違い無い。俺は自称では無く、既に魔青年加藤となっていたワケだ。


そしてもう一つ。

俺には本来魔力を感じ取る素質は無い。ハッキリ言えば才能が無い。先程まで、秘薬を飲んで魔力を感じていて良く判った。


仮に、この世界に飛ばされた俺が其のままあの秘薬を飲んでこの部屋に籠ったとして、何時か魔力を感じ取る事が出来るようになるかと問われれば。恐らくは不可能だろう。例え何十年続けたとしてもだ。この修練を行うことにより、逆にソレがハッキリと判ってしまった。婆センパイの見立ては正しい。俺は何処まで行っても所詮、唯の一般人に過ぎないのだ。其れに地球人である俺が、この異界の住人より魔素や魔力との親和性が高いとは思えない。尤も、親友の大吾やあの才賀ならばどうにかしてしまいそうな気もするが。


ならばそんな俺が魔力を感じ取り、回復魔法などを行使できるようになったのは何故か。只者では無く異常なのは一体誰なのか。


其れは無論俺では無く、アイツだ。ビタだ。アイツはあの幼さで、しかも誰からも教わる事無く魔力を感じ取り、あまつさえ驚嘆すべき回復魔法まで行使して見せた。そしてもしビタの献身的な手ほどきが無ければ、元々素質無き俺は、魔力を感じ取る事すら絶対に不可能だったと今なら断言できる。其れに今思えば、ビタと互いの魔力をグリグリ動かしていたのも明らかに普通では無い。更にはアイツは何時だったか、何だか神様と話が出来るとか電波な事を言っていたような気もする。確かその時の俺は狩りの罠作りで忙しかったこともあり、あっそと適当に流したらブチ切れ散らかしてたな。まあ例え其れが本当だとしても、あっそとしか言い様が無いけど。


そしてビタが持つ途方も無い特異性、希少性、或いは異常性と言うべきか。その大本は実の所回復魔法を使える、などと言う事ではない。其れは些末な事でしかない。いや、些末と言うのは語弊があるが、其れはアイツの特異性の枝葉に過ぎない。何なら教会の坊主共でも似たようなことは出来るらしいからな。


ならば本当にヤバいのは何か。それは俺のような異界の持たざる者ですら、ビタのお陰で魔法を使えるようになったという事実だ。であれば無論、この世界の連中ならば誰もがアイツの手ほどきを受ければ魔力を感じ取り、魔術師への道が拓ける可能性は高い。もしそんな事実が公にでもなれば・・想像するだに恐ろしい。下手すりゃビタの血の一滴すらが、黄金の山と同等以上の価値を持つかも知れねえ。そしてもしそんな事態になれば、アイツが身の毛もよだつ巨大な闘争の中心に巻き込まれることは想像に難くない。無論俺としては、そんな事は断じて許容出来ぬ。


ならばアイツの身の安全の為にも、その存在は墓の下まで持っていかねばなるまい。


そんなこんなで。魔力感知とその修練については大体判った。予想される魔法修練の次の過程は、恐らくは魔力の操作だろう。だが魔術師ギルドによる正式な魔力感知の修練を経て、其れも既に身に付いていると判った。ならば此処は適当にすっとばしても良いだろう。婆センパイには便意を我慢してたら出来ましたとでも言って、適当に誤魔化しておこう。




____俺は暗闇の中、三点倒立をしてバランスを取りながらそっと両手を離す。

すると、頭だけで倒立を維持している格好となる。腕は背中で組み、額の上辺りを床に着けて身体を支えている状態だ。その状態から首をグイッと傾け、首へ凶悪な負荷を掛けつつ側頭部に近い部分で身体を支える。此奴は負荷はともかく、バランスを取るのが非常に難しい。崩れて倒れそうになった際は、脚を振って重心を立て直す。そして充分に首に疲労が蓄積した頃合いに、反対側にグイッそして更にグイッ。体幹とバランス、そして首の筋肉を鍛えるトレーニングだ


魔力感知の修練を終えて再びやることが無くなった俺は、意味も無く再び秘薬を飲んで魔力と戯れたりしていた。だが、秘薬は直ぐに尽きてしまったので、その後はひたすら筋トレ筋トレである。自重トレは既に非常に効率が悪くなってしまっている為、婆センパイの再登場がとてもとても待ち遠しい。今ならババアに恋、できるかも。


首をグイグイしながらそんな事を考えていると、ゴゴゴッと扉と開く重い音と共に、暗闇に再び光が差し込んだ。

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