第138話

閉ざされた暗闇の中、俺は身体中を這い回る悪寒と痺れに震えながら、意識の混濁と戦っていた。


「あががガガ・・・。」

身体の変調は加速度的に進行しつつある。ヤバい。此のままでは非常に危険だ。


俺は咄嗟に唇を噛み切って気合を入れ直すと、左手を胸に当てて急遽回復魔法を発動した。すると、全身を苛む強烈な痺れと倦怠感が、若干とは言え薄らいで行くのが鮮明に感じられた。


よし、いいぞ。効いている。


手応えを感じた俺は力を振り絞ってうつ伏せになると、胃に残った秘薬を懸命に吐き出した。そして、回復魔法と嘔吐を何度か繰り返すうちに、未だ万全とは程遠いとはいえ、どうにか危機的であった症状が落ち着いて来た。


俺はそのまま深く深く深呼吸を繰り返し、更に体内回復魔法を胃の辺りを中心に何度もぶっ放した。




「ふ~やれやれ。あのババア、とんでもねえな。」

そして幾許かの時が経ち。漸く人心地着いた俺は、どうにか身を起こしてその場に座り込むと、思わず深い嘆息が口をついた。


ホンマになんちゅう事をしやがるんだ。たまたま俺だったから良かったものの、普通なら恐らくあのまま昇天しとるぞ。楽しい楽しい魔法のレッスンのハズなのに、いきなりレッツ即身仏みたいなエグい真似させてんじゃあねえぞ。そもそも俺が立派な坊主なんぞになれる訳ねえだろ。史上稀に見るイカ臭い生臭坊主が誕生するに決まっとるわ。


とは言え先程のババアの狂気の蛮行、結果的には貴重な経験になった事も否めない。何故なら回復魔法の新たな効果を試すことが出来たからだ。かつて俺がビタの集落で暮らしていた頃、回復魔法の効能は何度も動物実験で試してはいた。だが人体実験ともなると外傷ならばともかく、毒に関してはおいそれと敢行する訳にはいかない。下手すりゃそのままくたばっちまうしな。あの秘薬はどうやら神経毒の類と思われるので、この度の臨床試験の結果は、回復魔法の更なる貴重な実験成果となった。


因みに先程回復魔法で利き腕を使わなかったのは、最近は専ら意図的に左手で回復魔法を行使している為である。その理由は、初めてあのハグレと遭遇した時に右手を砕かれた手痛い教訓を今後に活かす為だ。お陰で今では左手の回復魔法の練度も相当に上がって来た。余談だが、今の俺は未だ片手で数られる程ではあるが、右足での回復魔法の発動にも成功している。今後も足や頭、尻からの回復魔法発動の鍛錬は継続していくつもりだ。


それはさておき。


俺は自分の周囲を見回してみる。フクロウ並(自称)に夜目が利くようになった今の俺ですら、この暗さでは流石に周りの様子は全く分からない。其れどころか自分の手すら全く見えない、完全な闇である。尤も、イザとなれば回復魔法で周囲を照らす手も有るには有る。だが、その手法はすこぶる燃費が悪い上、こんな場所に魔物や危険な猛獣の類など居る筈も無いので、無理を押して周囲を照らす必要性は薄い。なので、出来れば回復魔法は温存しておきたい。


俺は暗闇の中、腕を頭の後ろで組んでゴロンと仰向けに寝転がった。さて、此れからどうすっかな。先程は緊急事態だったとはいえ、秘薬はもうすっかり身体から抜いちまったので、特にする事も無い。暇なので肉体の鍛錬でもしようかと考えたものの、この後婆センパイが何時戻って来るか定かで無い。周囲には当然食い物や飲料水などあるとは思えないので、飢えはともかく、下手に動き回って渇いてしまうと非常に拙い。先ほど下痢便と共に少なからず水分を放出したからな。今はなるだけ身体の動きを控えて余計な消耗を避け、此の部屋からの脱出の機会を伺うのが得策だろう。


それならいっそ、俺をこんな目に遭わせた婆センパイをシバき倒すフルコースでもじっくりと考えてみるかな・・とはいえ、今の俺は婆センパイに対して強烈な憎しみとか、よくもやりやがったなぶっ殺してやるとか、自分でも意外だがそういった昏い感情は抱いては居ない。いや、あの原液ぽい下剤を無理矢理飲まされた後や憤懣極まる童貞煽りを食らった時にはちょっと抱いたけど。


何故なら婆センパイからは早くも何度か酷い目に遭わされたものの、彼女には悪意・・は在ったかもしれんが、俺をぶっ殺すとか再起不能にしてやるとか、そのような一線を越えた害意は無いように感じられたからだ。あの秘薬の原液にしても、確かに俺には普通の腹下しは全く効果なかったし、普通より効き目の強い薬を飲ませる理屈は分からなくも無いのだ。その加減が少なからずぶっ飛んでたけど。


てな訳で。あんな一見狂ったババアでも、この世界の荒波に揉まれて荒み切った俺の心に辛うじて残された良心の偏向レンズを10枚重ねくらいにして眺めてやれば、元気で陽気な楽しい婆さんに見えなくも無い。それに、無言で滅茶苦茶に殴る蹴るの暴行をカマしてきたあのゾルゲに比べりゃ遥かにマシである。なので、シバくのはまあいいや。


それにしてもこの部屋。暗くて何も見えないハズなのに、何処だか妙に懐かしい感じがする。お陰で何だかよく眠れそうだ。


そして俺は何時しか、睡魔に誘われるままに深い眠りに落ちて行った。




____俺が婆センパイに一服盛られて謎の部屋に閉じ込められてから、結構な時間が経過した。その間、俺は暗闇の中で婆センパイから教わった魔法の知識を反芻したり、今後の事を考えながらゆったりと寛いだ時間を満喫していた。


するとその時。部屋の入口があったと思しき方角から、ゴゴゴッと重い扉が開く擦過音と、部屋の外から差し込む細い光が目に飛び込んで来た。そして、


「お~い小僧。ま~だ生きちょるか~?」

未だ記憶に新しいよく通る声が、俺の耳に飛び込んで来た。


おっ、来たか婆センパイ。俺は仰向けに寝転がった状態から素早く身を起こした。腹時計の具合によれば、俺がこの部屋に蹴り込まれてから体感で丸一日程度経過した頃合いだろうか。思ったより早い再登場だったぜ。


「おうよっ!」


とはいえ漸く外に出られる。久々に十分な惰眠を貪ることが出来たこともあり、ハイテンションになった俺はダッシュで光源に近付くと、勢いに任せてぶ厚い扉にウキウキで掌底をぶちかました。


バァンッ


「お゛っ!?」


「あっ」


ゴッ


いきなり怒涛の勢いで開いた扉に盛大に吹っ飛ばされた婆センパイは、俺の目の前で階段に頭頂部を綺麗なブリッジの体勢で豪快に叩き付けていた。


「ギョエエエエッ!」

次いでセンパイは、頭を抱えて猿の遠吠の如き奇声を上げながら転げ回った。


あばばば・・や、やばい。正直俺にあんな代物を飲ませた因果応報な気がしなくもないが、老体にこの勢いは流石に際ど過ぎる。よもやポックリ逝かねえだろうな。


「お、おおいセンパイ、大丈夫か?」

俺は慌ててセンパイの元へ駆け寄り、今度はうつ伏せになってプルプルしている老体を助け起こした。


「いきなり開けて済まなかったベッ!?」


パゴッ


猛烈な勢いで起き上がったセンパイの放ったショートフックが、俺の顎を正確に捉えた。ぐああっ痛ってええぇ。何だ此の腕力、皺くちゃの老人とは思えねえ。


「手前えぇ小僧ォォよくもやりおったなぁ!ぶっ殺してやるぞおおぉ!!」


そして間髪入れず、婆センパイは目を血走らせまくった般若のような表情で俺に殴りかかって来た。


「ま、待ってくれ。これは不幸な事故だ。ワザとじゃないんだ!」


「きえええええっ!」


それからしばしの間、甲高い奇声と肉が肉を打つ生々しい音が、暗い部屋に響き渡った。


「ぐ、ぐむう・・。」

痛ったたた。顔が腫れ上がってパンパンだ。罪悪感のせいか、変に躱したり受け流し辛かったお陰で結構な勢いでボコボコにされてしまった。


「ぜぇっ・・ぜぇっぜぇっぜぇっ・・ゲホッ、ゲホッ。こ、こ、此れが魔法の力じゃあ。ぜえっ、思い知ったか、ぜえっ、こんのクソ餓鬼めがぁ・・。」

えぇ・・此れが魔法・・なのだろうか?何だか少なからず釈然としない気分だが、圧倒されてしまったのは間違いない。


「ああ。だから 済まなかった。」

俺は殴り疲れたのか息も絶え絶えなセンパイに向けて、改めて誠心誠意謝罪をして頭を下げた。


「ぜぇ、ぜぇ・・フンッ、まあええわい。どうやら無駄に元気そうじゃの。」

・・・切り替え早えな。だがそんな婆センパイ、嫌いじゃないぜ。


「ああ、特に問題は無い。」


「で?肝心の魔力はどうなんじゃ。」


「全然駄目だな。何も感じない。」

俺は再びすっとぼけた。


「キヒヒヒッ。そうじゃろう。そうじゃろうて。あたしゃそんなこったろうと思ってたよ。小僧、お前にゃ才能は無いんじゃ。潔く諦めたらどうじゃ。」


「そうだな。なので もう一度だ。」


「ほえ?」


「だから今から もう一度だ。センパイ、直ぐに秘薬を 用意してくれ。」


「な、何言っとるんじゃ小僧。殴られ過ぎて気が触れたのかえ。」


んな訳ないだろ。先頃センパイに部屋に叩き込まれた時は速攻でクスリを抜いてしまったので、魔術師ギルドによる本来の魔力感知の鍛錬が何も出来なかったからな。かといって間を置いたらまたあのヤバい下剤を飲まなきゃならん。恐らくは部屋でブリブリさせない為の処置なのだろうが、アレだけは真っ平御免だ。そんな訳で、今すぐ秘薬を飲み直して再突入じゃあ。


俺は戸惑う婆センパイを強引に引き連れて元の部屋まで戻ると、センパイを急かしまくって再度秘薬を準備させ、ついでに水桶を借りて水場の井戸で水分補給を済ませた。そして再び、二人で先ほどの部屋の前までやって来た。


「センパイ、早く秘薬をくれ。」


「ん、んむ。」

俺は秘薬の原液がたっぷりと注がれた杯を受け取ると、井戸の水を汲んだ水桶を抱えて今度は自ら真っ暗な部屋の中に足を踏み入れた。


「じゃあ、何日か経ったら また来てくれ。」


「・・・んむ。」


俺は水桶と秘薬が入った杯を部屋の中に置くと、中からブ厚い扉を押し閉めた。


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