第137話

魔術師ギルドでの婆センパイとの邂逅と、魔法の教育が遂に始まったその翌日。


俺は早朝である一の刻に、再び魔術師ギルドを訪れた。婆センパイからこの時間に来るよう厳命されたからだ。老人の朝は早い。とはいえ、俺は生活が落ち着いてからは日が沈む頃には就寝する上、早朝の鍛錬後に回復魔法で身体の疲労を吹っ飛ばして来たので何ら問題は無い。


ギルドの門の前までやって来ると、其処には相変わらずのアホ面門番が居た。だが、何故か何時もの獣人のお兄さんの姿が見られなかった。代わりに其処に佇んでいたのは・・な、何と。獣人のお姐さんである。だが、その姿には故郷でお馴染みの獣の耳と尻尾が備わった可愛らしい獣人娘の要素は何処にも無く、盛り上がったブッ太い筋繊維と頑強そうな骨格、そして毛皮で覆われたハイレベルな恵体が俺を出迎えてくれた。リアル過ぎるその獣毛と厳つい体躯には、かつて故郷で夢見た可憐さなんぞ欠片すら存在せぬ。俺が彼女をお姐さんと判別できたのは、ひとえに自己主張の激しいその胸部からである。


恐らくは同じ種族なのであろうか。その顔は昨日までの獣人門番のお兄さんと殆ど見分けが付かない。更に観察してみると、その頭部の髪の毛?に申し分程度のアクセサリーが飾り付けられているのが目に留まる。だがしかし、そんな薄っぺらな可愛らしさの装甲では、全身から漲る威圧感を全く抑制出来ていない。


俺は自分より頭一つ分高い所に在るその顔に向かって、思い切って声を掛けてみた。


「俺は加藤。今日は魔法の指導を受ける為に 此方を訊ねてきたのだが。」


すると、獣人お姐さんは俺の上腕二頭筋と前腕の筋肉をジッと眺めた後


「フフッ。体格はともかく、良く鍛え込んであるね。」


グワッと破顔?(歯をムキ出した。怖い。)して突如として気さくな感じとなり、色々と話をしてくれた。話を聞くに、どうやらこの異界の獣人ワールドでは、鍛えの足りないモヤシ男は酷く冷遇されているらしい。何とも世知辛いのう。


お姐さんの話では、どうやら昨日までの獣人兄さんは所用で来られない為、今日は代理でお姐さんがギルドの門番を務めて居るのだそうだ。故郷の血縁関係で言えば、お姐さんは獣人兄さんの従兄妹に当たるらしい。


その後、魔術師ギルドの受付で昨日の帰り際に貰ったゲスト用のギルドカードを見せると、あっさりと中へと通して貰えた。そして其のまま放置されるかと思いきや、ちゃんと案内係?の老婆が俺を先導してくれた。まあ一応監視も兼ねているんだろうけど、どちらかと言えばギルドのセキュリティはかなり緩い。尤も、イザとなれば俺独りくらい魔法でどうとでも出来ると考えているのかも知れんな。


俺は目的の部屋の前で案内の婆さんに礼を言って別れると、昨日婆センパイから預かった黒い杖で、扉を三回叩いて声を張り上げた。


「婆センパイ、俺だ。加藤だ。約束通りに来たので、中に入れて欲しい。」


すると、扉の向こう側から婆センパイの良く通る声が聞こえて来た。


「入んな。」


俺が部屋の中に入ると、婆センパイは顔を合わせるなり琥珀色の謎の液体が入った銀色の容器をズズイと差し出して来た。


「遅れずに来たな小僧。まずはコイツを飲むんじゃ。」

婆センパイは碌に挨拶も無しに、俺の頬に湯呑のような形状の容器をグリグリと押し付けて来た。


すると、容器を押し付けられている頬のあたりからツーンと鼻を突く刺激臭が漂って来た。コイツは婆の加齢臭・・じゃねえよなやっぱし。


「一応聞いておくが、何だ この液体は。」


「腹下しじゃ。」

婆センパイは事も無げに答えた。いや、其れどころかニヤニヤと邪悪な笑みを浮かべている。実に楽しそうだ。


「・・・・。」


俺は受け取った容器を両手で抱えて覗き込む。正直、もう嫌な予感しかしない。


「何故 そんな物を俺に 飲ませるんだ。」


「必要だからじゃ。」


「いや、今からどんな事をして 何故俺が腹下しを飲む必要が有るのか。もっと具体的に 教えてくれ。」


「ああ~ん?頭悪そうな面しとる癖に、一々うるっしゃいのう。別に嫌なら飲まんでもええんじゃぞ。それならば此れであたしゃの魔法の指導は終わりじゃな。あたしゃはその方が楽でええがのう。ケヒヒヒッ。」


ぐううっ、ムカつく。しかし謎のババア汁、飲むの嫌すぎる。下剤でも充分嫌なのに、本当に下剤なのかどうかも定かでは無いし。しかも此の液体の見た目と刺激臭は、ババアのシ〇ンベンと言われた方がしっくり来る。もしそうならば、テトロドトキシン系の恐るべき毒物と同義だ。どうする?いっそ婆センパイにこの液体を叩き付けておうち帰るか?い、いやしかし。今更そんな事をすれば今迄の苦労が全て水の泡になっちまう。其れは嫌だ。もう大金も払っちまったし。そ、そうだ。幾ら婆センパイが邪悪な見た目をしていても、自分の部屋でいきなり教え子を毒殺するなどとは流石に考え辛い。死体の処理も面倒だろうし。其れに仮に毒を飲まされたとしても、イザとなれば加藤流消化器回生術でどうにか出来るかもしれん。其れでも駄目ならババアを締め上げて解毒薬を・・いや回復魔法は万能では無いし、都合良くババアが解毒薬を持って居るとは限らん。そもそも解毒薬など存在しない毒かもしれんし、或いは単なる毒でなく強酸や強アルカリ系の劇物なのかもしれん。糞ッ、ならばどうする。どうするどうするどうする?行くべきか、引くべきか。いや、既に俺の中では答えは決まっている。無駄に危険に満ちたこの世界で、魔法なんて御大層な代物を身に付けようってんだ。ある程度のリスクは踏み越えねばならんのかも知れん。虎穴に入らずんば虎子を得ず。思い切ってやってやるぞ。そうだ、やってやるぞ糞ったれ。此れは唯の下剤。下剤下剤下剤。決してババア原産の汁では無いのだ。唯のお通じの良くなるお薬なのだ。俺全然便秘じゃねえけどきっとそうなのだ。さあ行けっ。一気にグイッと喉越していけ!


俺はションベ・・いやいや琥珀色の液体に目を落としながら高速で思考を巡らせる。既に覚悟は決まったはずなのに、手はプルプルと震え、全身から脂汗が噴き出すのが止められない。だが、この世界で叩き上げられた精神力を総動員した俺は遂に。


あらゆる思考と息を一瞬止めて、そのヤバそうな液体を一気に飲み干した。


味?知らねえよ。今は何も考えるな。無念無想。只、心を無にして来るべき事態に備えるのみ。そして俺が固く閉じた瞼を開くと、目の前にはババアの顔面が視界一杯に広がっていた。ぐうっ、顔近えっ。息臭えっ。早くも無我の境地が叩き破られた。


「ケヒャヒャヒャッ。飲みよったか~。飲みよったか~。小僧、此れが本当は何の液体か教えてやろうかのう~。ケヒヒヒッ。」だが、婆センパイの厭らしい笑みを目の当たりにして、却って俺は冷静となった。どうやら毒の類では無いらしいな。もし万が一シ〇ンベンなら、ババアに魂の往復ビンタをぶちかますだけだ。別段死ぬわけでは無い。


「腹下しだろう。さっき聞いた。」


「・・ケッ、詰まらん奴じゃのう~。」



____其れから小一時間程。婆センパイは初め俺に魔法の事を色々と訊ねられて非常に面倒臭そうにしていたが、ほんの少し過去の男の事に触れると、途端にハイになって喰らい付いて来やがった。其れからはひたすら婆センパイの過去の男性遍歴の独演会を聞かされ続けた。いや、其れは其れでかなり面白い話なんだけど、魔法全然関係ねぇよ。そして。


「どうじゃ。そろそろ腹がキリキリと悲鳴を上げてきたじゃろ。」


「いや、特に何とも無い。」


「嘘を吐くんじゃないよ。本当の事を言うんじゃ。」


「本当に 何とも無いのだが。」


「・・・・小僧。」


どうやら山や迷宮で叩き上げられた俺の自慢の消化器は、何時しかステンレスの如き耐久性と耐食性を備えてしまったらしい。何せあのゲロマズスカベンジャー共すら消化し切ったからな。フハハハッ。其処らのチャチな下剤など歯が立つ訳があるまい。


俺がそんな感じで心中イキッていると、ブチ切れた婆センパイに今度は先程とは粘度及び刺激臭500%マシな液体を、半ば無理矢理喉に流し込まれた。すると間も無く、俺の内臓はマグマの如くせり上がる恐るべきアノ感覚に、抜き差しならぬ絶叫を上げ始めた。


「ババア殺すババア殺すババア殺す。」


その後、俺は怒りの呪詛を延々と反復しながら便所の住人となっていた。行為の最

中、入口の扉が何度かガンガン叩かれた気がするが、無論応じるどころでは無い。だが膀胱と腸内物質を粗方発射した後に落ち着いてよくよく考え直してみれば、婆センパイは別段嘘を言った訳では無い。よもや怒りに任せて彼女をSATSUGAIする程の事態ではないだろう。余りの下剤の効き目に、少々冷静さを欠いていたようだ。此処に辿り着くまでにほんのちょっとだけ漏れてしまった事は、取り敢えず水に流そう。


その後、フルマラソンを全力疾走した手芸部員並みに全てを出し尽くした俺は、通り掛かりの人に教えて貰った勝手口から建屋の外に出て水場でこっそりと下穿きを洗うと、改めて婆センパイの部屋に戻った。すると、センパイは部屋の外に出て俺に後を付いて来いと言い出した。


俺は下剤の後遺症で多少フラ付きながらも、婆センパイの後を付いてギルドの建屋内を歩き続けた。すると、センパイは突如足を止めて、顎で通路の右手を指し示した。其の先には結構な広さの薄暗い部屋があった。部屋の入り口や窓には戸の類は備え付けられておらず、その中を外からでも眺める事が出来る。そしてその内部では幾つかの油台に灯された火が、その様子をボンヤリと照らし出していた。更にその部屋の床を眺めて見ると、一面に奇妙な紋様が描かれているのが垣間見えた。


好奇心の赴くまま部屋の中を覗き込んでみると、其処では恐らく年齢10歳にも満たないであろう、貫頭衣のような粗末な衣服を身に纏った3人の子供が、まるで祈りを捧げるようなポーズで部屋の中央に鎮座する謎の立像に向かって膝を折っていた。そしてその背後には、魔術師と思しき一人の男が佇んでいる。


「あの餓鬼共は小僧と同じで魔法の教えを受けている連中じゃよ。ああやって己の精神の奥深くへと向き合い、長い時間をかけて少しずつ自身の魔力の存在を知覚していくんじゃ。」


「ふむ。」


へえ、何だかチマチマやってんな。流石にあのお子様達に混ざってお祈りポーズをするのなど、恥ずかし過ぎてお断り願いたい。それに、あんな事で本当に魔力を知覚できるんだろうか。所詮素人考えとは言え、甚だ疑問である。


「本来魔術師の修行は、あの位の年齢なら至極当然に始めているものじゃ。お前みたいにデカくて生意気な糞餓鬼じゃ本来始めるには遅すぎるし、大概モノにはならん。其の辺りよっく自覚しとくんじゃぞ。後で文句垂れてもあたしゃ知らん。」

いや、その台詞は婆センパイにだけは言われたくねえぞ。其れに糞とか一言余計だ。別に良いけどな。


そして、俺達は再び歩き始めて子供達がお祈りポーズをしている部屋を通り過ぎると、そのまま暫くの間歩き続けた。体感で数分程歩いたであろうか。婆センパイは恐らくは地下?に通じる古ぼけた下り階段の前で立ち止まった。無論、後に続く俺も立ち止まる。その階段を下った先は薄暗くなっているが、視力が発達した俺の目には其の先に何やらゴツい金属の扉が有るのがハッキリと視認できる。


婆センパイは腰に下げた革袋から程々に高価そうな杯と木製の水筒を取り出すと、水筒の蓋を外して杯に中身を注ぎ始めた。その物体はドロリとしたヨーグルトのような白い液体だ。正直、もう嫌な予感しかしない。


「飲みな。」


「今度は何だ。」

杯を頬にグリグリと押し付けられながら、俺は一応訊いてみた。


「コレは魔力を感じ易くなる秘薬じゃ。さっきお前に見せた見た餓鬼共も同じものを飲んでおる。」

またかよ。だが、今度は先程とは異なる。主に俺の精神状態が。


「むう、そうか。」

そんな都合の良い秘薬が本当にあるのか疑わしいが、今度は躊躇いなく一気に飲み干す。先刻アレだけ盛大にブリブリさせられたのだ。既に腹は括った。今更グダグダ文句を垂れても始まらん。毒食わば皿迄よ。


其れから幾許も無く、その効果は覿面に俺の肉体に現れ始めた。突如として鈍痛と共に身体全体が痺れはじめ、思考にも霞が掛かり始める。下半身に力が入らず、俺は思わず膝を付いて崩れ落ちた。


「あ・・アガ・・。何だ、此れハ。」

舌が痺れて呂律が回らねえ。な、何だ。何が起きている。


「此の秘薬は本来は薄めて飲むんじゃがのう。小僧は普通の腹下しも全然効かんかったから、特別に原液をそのまま飲ませてやったぞい。この秘薬高いんじゃぞ。大盤振る舞いで嬉しいじゃろ?ケヒヒヒヒッ。」


おいおいおい嘘だろ此のババア、何て事するんじゃ。お薬の配分が杜撰すぎるだろ。しかし此れは秘薬というよりやはり毒の類か。魔力を感じ易くなると聞いた時は胡散臭いと思ったが、此の症状ならある意味納得は出来る。今感じている身体の痺れと知覚の麻痺は、地球でも再現する事は出来そうだ。などと一周廻って却って妙に冷静になってしまったが、ヤバい。普通に危機的状況だ。


婆センパイは老人にあるまじきパワーで動けなくなった俺を担ぎ上げた。そして、そのまま階段を下りて地下の扉の前まで来ると、俺を雑に階段に放り出してまるで金庫の扉のような分厚い扉をズゴゴゴッと引き開けた。そして更に、這い蹲る俺を暗い部屋の中に情け容赦無く蹴り込んだ。


「あたしゃチマチマしたのは嫌いなんじゃ。何日か経ったらまた来てやるから、其れ迄にこの部屋で己の魔力を掴んでおくんじゃ。その時もし出来てなかったら、もう一度じゃ。」


「が、ま、まテ。死・・ぬ。此のままジゃ。」


「ケヒヒヒッ案ずるな小僧。大丈夫じゃよ。」

婆センパイは開いた扉を背にしながら、実に嬉しそうにその口の端を釣り上げた。


「もし次来た時にお前が死んでたら、あたしゃがちゃんと墓を作ってやるからの。」


そして扉が閉まり、俺の周囲は暗闇に包まれた。


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