(閑話6 前)

私の名はアリシス・ヴァルハン・ディ・ウェネティ。

迷宮群棲国ことプラ・エ・テラニスに所属する有力都市の一角である迷宮都市ベニスの領主の娘だ。また日々己の未熟さを痛感し、道に迷える一介の小娘でもある。


今でこそベニスの領主の5番目の娘として城の中で暮らしている私だが、今から17年近く前。私は小さな商家の娘としてこの世に生を受けた。家族は私を生んでくれた母と祖父が共に暮らしており、そして行商人である叔父の一家が時折私達の家を訪ね来ては商材を卸してくれていた。


幼い頃の私は市井の子供達に混ざって路地を駆け回り、竈を囲んで共に学び、時に大人達の目を盗んで悪戯をしては手酷く叱られたりもした。また、主に油や布製品を取り扱う祖父と母の仕事を幼いながら良く手伝ってもいた。幸い私は目端が利き物覚えも良く、母は自慢の娘だと時折私を抱きしめて褒め囃してくれた。小さな商いで生計を立てていた私達の暮らしは決して楽では無かったが、母の腕の中はとても暖かく、私はいつだって幸せな気持ちになることが出来た。


商家、特に行商を大陸の辺境と呼ばれるこの地で営むという事は、常に様々な危険と隣り合わせであることを意味する。野党の類や獣、魔物、商売敵、そして時には兵士や市民、貴族でさえもが隙あらば薄汚い悪意と共に襲い掛かって来るのだ。そしてその跡には石貨どころか肉と骨すら残らぬ。更にそれが女ともなれば、胆力も才気も人並程度では生き残ることすら到底覚束無い。


だがそれでも尚、母は一人娘であった私が何処かの家に嫁ぐことよりも、女商人として独り立ちすることを望んでいたようだ。私もいずれ何処かの知人の商人の元へ下積に出て、将来は商人ユニオ・アーデムの一員となって家の仕事を継ぎ、一端の商人になることを疑ってすらいなかった。


だが、漠然と抱いていた将来へのその想いは、母の死と共に唐突に断ち斬られる事になった。元より病弱だった母が流行り病でこの世を去ってから太陽神と月の女神が十程空を巡った後。私達が暮らす小さな家の前に突如、場違いな程に豪奢な装いの走鳥車が姿を現したのだ。


そして母の死によって悲嘆に暮れるまだ幼い私の前に、使者を名乗る上等な衣服を身に纏った男達と、彼らを出迎えたと思しき祖父が現れた。使者達は私の前で膝を付くと、抑揚のない声と表情の無い顔で一言告げた。貴方様をお迎えに参上した、と。


彼等の話で私は初めて自分の父親の本当の事を知った。他の多くの子供達と違って父親が傍に居なかった私は、母や祖父に父親の事を訊ねた事があった。その時、私は念を押すかのように二人に何度も言い聞かされた。私の父親はとうに亡くなってしまったのだと。


だが、その話は事実とは異なっていた。その時改まった使者達と祖父の話では、かつて祖父は仲間の商人達と連座で、一度だけベニスの領主に直に目通りして風変わりな貢物を献上した事があった。その際、祖父に随伴していた母を領主は一目で見初めたのだそうだ。その後間もなく、妾として領主の城へと召上げたられた母は、領主との間に子を身籠った。その子供が私なのだそうだ。詳細は使者達も知らされては居ないようだが、母は私を身籠った事が分かると強引に暇を貰い、城から逃げる様に小さな商家へと舞い戻り、そして私を生んだのだという。


私が生まれた後、領主である父は何度も私と母を城へと呼び戻そうとしたが、母は謝意を述べ頭を垂れつつも、頑としてそれを受け入れる事は無かった。無論、父は領主として命を下し、強権を以て私達を召上げる事もできたはずだが、父は其れを是とはしなかったようだ。また、祖父も何度も母を説得しようとしたそうだが、それも結局は功を奏さなかった。その話を聞かされても私にとっては別段驚く事では無かった。普段はマリニアの花のように小さく可憐な姿をしていた母だったが、その芯には鋼鉄のような強い意思が秘められている事を、赤ん坊の頃から母を見ていた私は良く知っていたからだ。


母の死の直後にも拘らず、あまりに急な出来事と突如知らされた自身の出自に関わる話により私は暫しの間混乱し、自失していたように思う。だが、辛うじて落ち着きを取り戻した後、背後に居た祖父の顔を一瞥した私は、直ぐに自分の家族と思い出の場所と決別し、祖父の強い勧め通り使者達の迎えに応じる覚悟を決めた。唯一の心残りは物心ついた頃から良くしてくれた叔父の一家であったが、それから手早く身辺整理を終えた私はそのまま迎えの走鳥車に乗り込み、恐らく二度と帰ることの無いであろう生家を後にした。



____城に召出されてから間もなく。私がベニスの第五王女として迎えられた事が、領主により正式に布告された。形式上、私の身柄は以前より祖父の所へ預けられていた事とされており、母の死と共に親権を持つ父の元へと返還された体裁で処理されたのだそうだ。とはいえ、庶子である私に与えられたベニスの領主の継承権は、3親等内でも最下位に留め置かれた。


領主である父は本当に母の事を愛していたのか、初めて直に対面した私を満面の笑みで歓待し、些か大仰な程に声を弾ませていた。


だが、そんな事は私にとって何の慰めにもならなかった。私の脳裏には生家を出る前に見た祖父の欲に濁った眼と醜悪な笑みが粘り付いて離れず、恐らくは母と同様に身を売られたという思いが何時までも心を苛んだ。生家を出る際、私は部屋の隙間から目の当たりにしていたのだ。祖父が使者の男から、金子と思われる豪華な刺繍が施された布袋を受け取る姿を。此れは後で知った事だが、あの時祖父は博打にのめり込んだことが原因で、知己の商人達に対して多額の負債を抱えていたのだそうだ。


そして決して裕福では無かったものの、穏やかで充実していた私の日常は、その時を境に一変した。


私は日々の衣食住のやりくりに頭を悩ませる必要は無くなった。それどころか私は専用の部屋と異様に柔らかな寝心地の寝台を与えられ、此れまで身に付けたことの無いような豪奢な生地の衣服を付き人に着せられた。今迄は偶に公共浴場を訪れるだけだった湯浴みは、毎日城内の広大な浴場で付き人に身体を清められるようになった。食事の際はどのような調理法か想像すら付かぬ豪華だが冷めた料理の数々が、広過ぎるテーブルに幾つも並んだ。私は他の兄姉達と一緒に食事を摂ることは許されず何時も独りであったが、己の立場は理解していたので特に気にする事は無かった。だが、小さな身体では到底平らげ切れない余った食事の行方はどうしても気になった。周りの使用人達にしつこく訊ねた結果こっそりと教えて貰ったが、どうやら余った食事は城の給仕や使用人達の間で処理をしているらしい。私は心の底から安堵した。毎日捨てているなどと聞かされたら、余計な心労が積み重なって身が持たない所だった。


こうして貧しさとは無縁な生活を送る事になった私だが、だからといって遊惰な日々を貪っていた訳では無い。どの道私の気質ではそのような暮らしには耐えられなかっただろうが。私の前には連日教育係と称する大人達が入れ替わり立ち代わり現れて、私に対して様々な教育を施したのだ。その内容は貴婦人としての立ち振る舞い、言葉使い、舞踏、社交、裁縫、医術、音楽等々多岐に渡った。だが、教育に関して物心付いた頃より母から厳しく指導を受けていた私にとっては、其れ等の指導は如何ほどの苦痛でも無かった。いや、寧ろ無償で教えを請うことができるなど私にとっては望外の喜びであり、大変有難い事であった。


その結果として、私は教育係が驚くほど短期間で貴人としての振る舞いや作法、一般常識などを一通り身に付ける事が出来た。但し、プラ・エ・テラニスの主な貴族の家名はともかく、各家の人名や役職まで記憶するのは大変苦労した。その理由として単純に覚える人数が多過ぎる事も無論あるが、何しろ貴族の名前は長い上、縁者が多い事もあり似たような名前の人物が多いのだ。


領主である父は庶子である私に対しても愛情を注いでくれたと思う。私を半ば強引に城へ迎え入れたのも、母の死を知らされて私の将来の身の振り方を危惧したからであろうし(これも後に知った事だが、私が生まれる以前より母には密かに護衛と監視が付けられていた)多忙な身にも拘らず、暇を見つけては私の顔を見に来てくれたのだ。だが、当時の私はその愛情に対しては無関心であった。突如現れた父親という存在に対して、表面上は最低限の愛想を振りまいていたものの、内心はただ困惑するだけであった。


だが、父からの愛情は私にとって有難い事ばかりでは無かった。その愛情は私の血縁、とりわけ血の繋がった兄姉の妬心を煽ったのだ。其れは彼ら個人の感情のみでなく、その後ろ盾である貴族家の意向もあったのだろう。年の離れた兄達はまだしも特に4人の腹違いの姉達は、私に対して取り繕う事すら放棄した剥き出しの敵意を向け、陰湿な虐めが連日に渡って繰り返された。


無論、父の目の届く範囲では私に対する暴力や嫌がらせの数々は巧妙に隠蔽されたが、私のまだ小さな身体は市井で暮らしていた頃よりも生傷が絶えず、服の下は何時も青痣だらけであった。結局のところ私にとってこの煌びやかな城の中は、ひと時も安らげる場所ではなかったのだ。


とは言え、彼女等とて領主の娘として私と同様連日厳しい教育を受ける身である。何時までも混ざりモノ(私は彼女等にそう呼ばれた)ごときに構い続ける程暇では無いはずだ。そう考えた私は姉達から浴びせられる悪意と虐待に耐え忍びながらも、何れは解放されるかもしれぬと淡い期待を抱いていた。だがそんな期待も空しく、私の心身を虐げるその仕打ちは、私が成長するにつれて更にその悪辣さを増していった。


私自身関心が薄かった為に長らくその原因に気付けなかったのだが、どうやら身体が成長するにつれて私の容姿が城中で褒め称されているのを耳にした姉達は、私に対する憎悪を益々募らせてしまったらしい。


そしてある日の晩。


その膨れ上がった悪意は、遂には私の食事に毒物が混入される事態にまでなってしまった。幸い、その頃の私は既に傍仕えや一部の城中の者達と随分と馴染んでおり、彼等は私を慕ってくれていた。そして、彼等の献身的な働きにより危機は辛うじて回避された。私の食事に毒を仕込んだ者は捕縛され、苛烈な拷問の末に罪を自白して速やかに処刑された。だが、背後でそれを命じた者達についてはうやむやのまま、捜査は早々に打ち切られた。


その出来事を契機に、私は自身の身を受け身では無く積極的に守らねばならぬと考えるようになった。また、それまで殆ど無関心であった自分の容姿の問題に対しても向き合わなくてはならなくなった。件の出来事に加えて、肉体の成長と共に異性からの単純な好意ばかりでなく地虫が身を這い回る様な下卑た視線までも明確に感じられるようになるにつれ、嫌でも意識せざる得なくなってしまったのだ。


ある時、私は戯れに傍仕えに対してかつての想いの欠片を零した事がある。本当は私は王女などではなく、一介の商人となりたかったのだと。だが、恐れながらと前置きした上で、彼女は明確に断言した。其の望みが叶うことは、恐らく不可能であったでしょうと。彼女の言によれば、私の容姿は市井の中で平穏に生きるには、あまりにも際立っているのだそうだ。


私は以前、祖父から聞いた話を思い出した。私の母の血筋には森人の血が流れていると。森人とは主に深い森の奥で生きる種族で、暫し吟遊詩人などによって謳われる程美しい容姿がその特徴の一つであると言われている。人族とは激しく敵対しており、その姿を人族の領域で目撃することはまず有り得ない、半ば伝説の種族である。森人と人族の間で子を成すことは可能だが、その子供は両親の特徴を受け継ぐ事は無く、必ず森人か人族どちらかの子が生まれると言われている。だが、一つだけ例外がある。その血を受け継いだ子孫には、極稀に相手側の種族の特徴を色濃く受け継いだ子共が生まれることがあると囁かれているのだ。祖父は私がソレではないかと母と密かに話していたのを盗み聞きしたことがあったのだ。


となれば、私が半ば強引に城に迎え入れられたもう一つの理由もおおよそ察しが付く。父である領主は子無しと言う訳では無い。にも拘らず、争いの火種にしか成り得ぬ庶子を末席とは言え継承権まで与えて王女として迎えるなど、普通ではまず有り得ない話である。愛や情だけでそのような事をする程呆けてはおるまいし、それ以前に周囲が其れを許すはずが無い。私のこの無暗に褒め立てられる容姿がいずれ外交、とりわけ婚姻関係に利用できると踏んだのであろう。


高位貴族の結婚は、僅かな例外を除いてほぼ全てにおいて政略結婚である。ならば当事者たちの器量は重要視されないのかと言われれば、無論そんな事は無い。器量が良ければ縁談は円滑に進みやすいし、余りに器量が悪い場合はそれ以外の条件が良くても相手に断られる場合もある。加えて結婚後も相手に対して影響力を持つ為には夫婦仲が円満な方が望ましいし、更には結婚相手当人のみならず、家中の他の者達に取り入る為には器量は出来るだけ良い方が都合が良い。


理由は幾つも上げられるが、貴族達にとってはその容姿もまた己が所持する力の一部なのだ。それは血統が重視されるその理由の一端であると同時に、優れた器量の血筋を積極的に取り込もうとする事もまた、貴族の責務と言えるのだ。


何れにせよ、今後の事を考えれば自分の身は自身で守らねばならぬ。

一度そうと決めた私は、それまでの鬱屈した日々を振り払うように次第に武の道へと傾倒していった。身を守る為には力が居る。だが、庶子である私には父以外に後ろ立てが何も無い。例えそれを求めて手を巡らそうにも、私には碌に伝手が無い上、打算も無しに未熟な小娘の訴えをまともに取り合ってくれる奇特な者など、有力な貴族にはまずおらぬ。それに、権力闘争に関しては百戦錬磨な連中に巨大な借りを作るのは

下手をすれば後々致命的な泣き処にも成りかねない。ならば今は自らが力を付け、強くなる方が望ましい。最後の最後まで信じ、頼れるものは己自身が磨き上げ、身に付けた力だけなのだ。


私は城に入ってから父に対して直接我儘の類を訴えたことは一度も無かった。だが、その時初めて父を説き伏せて、剣術を始めとする武芸全般の優秀な師を付けてもらうよう強請った。


そしてその結果、私に宛がわれたのは一人の老人であった。その老人の名はルイスト・ハン。「破片のカール・ダカ・シーカ」という一風変わった二つ名で呼ばれる老シーカである。その二つ名の由来が、常軌を逸した戦いぶりからあの頭蓋の中には折れた剣の欠片が刺さっているに違い無い・・だの敵兵を鎧が破片に成るまで何度も叩き潰した・・だの些かならず物騒な噂であると私が知ったのは、その時からかなり後になっての事だ。


老シーカの顔には目立った戦傷こそ無かったが無数の深い皺が刻まれており、真っ白な頭髪と相まってその激しい労苦と戦歴を伺わせた。だが、重い甲冑に身を包んでいるにも拘わらず、立ち上がった際の真っ直ぐに伸びた背筋と、私を見据える異様に鋭い眼光が強烈に印象に残った。老シーカを私と初めて対面させた時、側に居た父は苦虫を噛み潰したような表情をしており、兄姉達は何が楽しいのかニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべていたのを覚えている。


そして初めての鍛錬の日。老シーカの顔を遥か頭上に見上げた私は、開口一番に言ってやった。


「今迄、お主の部下達に施してきたものと同じ鍛錬を我に課せ。」


「承知致しました。」

無表情のまま膝を折って頭を垂れた老シーカは、その命を静かに受諾した。


老シーカは私の命令を忠実に実行した。その日以来、私は来る日も来る日も重い金属鎧を担いで(私の小さな身体では装着できなかったのだ)吐瀉物に塗れて気絶するまで城の裏庭を走らされ、腕がチーチクの尻尾程も上がらなくなり手の豆が潰れて血塗れになるまで金属の棒を振らされ、身体中が痣だらけになるまで模擬戦で叩きのめされた。


鍛錬が終わればいつも城に勤めている薬師達の回復薬や薬草の世話になり、毎晩軋む肉体で枕を濡らした。さりとて他の教育も休むことは許されなかった為、私は素振り用の金属棒を杖代わりにまるで老人のように城内を歩き回る羽目となった。勿論、立ち振る舞いの教育係には厳しく説教を受けた。私が次第に朝起きるのが苦手になっていったのはこの頃である。毎日限界まで肉体を酷使していた為、少しでも長くフカフカの寝台に潜っていたかったのだ。


そんな姿を見た兄姉は私をせせら笑ったが、其れでは済まなかった人物が居た。領主である私の父である。ある日、偶然鍛錬の様子を目撃してしまった父はその光景を見て暫し呆然とした後、激怒してルイストを斬ると絶叫した。だが、私は怒り狂う父にしがみ付いて必死で止めた。確かにルイストから受ける拷問紛いの鍛錬は苦しい日々であったが、彼は私の命を忠実に実行したに過ぎない。それに、私にとってそれは存外に充実した日々でもあったのだ。


この城に迎えられて以後、私は多忙ではあるが空虚な日々を過ごしていた。幼い頃より、私は商家を継ぐために研鑽を積んで来た。だけどあの日。私は唐突に道を失ってしまった。それ以来、私は云われるがままに日々を過ごし、只何となしに教育係の教えを受け、何の意味も目的もない日常を只、生きていた。更には血を分けた肉親からは毎日虐められたが、私は別に自分が特別不幸とは思わなかった。生家で暮らしていた頃は、私などより余程薄幸な人達を数え切れないくらい見て来たし、城での生活は衣食住全てが満ち足りていた。いや、其れどころか毎日尻込みする程の贅を尽くした暮らしであった。市井の人々が私のそんな不遜な思いなど聞こうものなら、即座に怒り狂うに違いない。


多分、自分は普通の人間よりも欲が深いのだろう。そんな満ち足りた暮らしのはずなのに、私は毎日胸の奥に穴が開いたように空虚な気分を味わっていた。何故だか幼い頃の貧しい暮らしが、妙に懐かしく眩しく感じられた。だが、ルイストとの鍛錬が始まってからは違った。それはとてつもなく苦しかったけれども、久方振りに幼い頃の日々を忘れさせてくれる、充実した日々でもあったのだ。それに、毎日ルイストに叩きのめされて何もされずとも身体中痣だらけになっていた所為か、姉とその取り巻き達からの暴力的な虐めはすっかり影を潜めていた。



____其れから幾年かの時が過ぎ去り。私の武への傾倒は、遂にカール・ダカ・シーカの試練への挑戦へと至った。その時、私は齢13歳になった頃である。


屈強な偉丈夫ですら赤子の様に泣き叫び、悶死することも珍しくないと言われるカール・ダカ・シーカの試練である。無論、父や教育係一同、そして傍仕えなどの私に近しい者達は揃って顔を真っ赤に染めて猛烈に反対した。逆に兄姉達は、顔に薄笑いを張り付けながら賛成の意を唱えた。


私は其れ等の反対を強引に押し切った。それが叶ったのは、師である老シーカのルイストや、彼を介して縁を紡いだ幾人かの高名なシーカ達の後押しのお陰でもあった。それに王族や貴族にとっても、カール・ダカ・シーカの試練を乗り越える事は大変な栄誉である。其の恐るべき試練に挑むのは勇気を讃えられる行為であり、試練に挑む勇気に対して反対の意を唱えることは、例え領主であろうとも臆病者との誹りを免れないのだ。


結果として、私はカール・ダカ・シーカの試練を乗り越える事が出来た。其の報に周囲の人々は大いに沸いたが、あの時の私はそれに応えるどころか、暫くの間は思考する気力すら残って居なかった。正直に白状すると二度とあんな恐ろしい真似は御免だし、例え今後あの試練を受けても二度と乗り越えられる気がしない。恐らくはあの時の異常に高揚した精神が、たった一度だけ起こしてくれた奇跡のような気がするのだ。


そしてその結果、其れまで殆ど無名であった私の名はベニスにおいて一躍時の人となり、試練の突破に付随して即座にカール・ダカ・シーカの称号が与えられた。カール・ダカ・シーカの試練を乗り越える事は特別な意味を持つ。人族としての限界の枷を強引に外したその戦闘能力は、種族は元より性別の制約すら完全に超越する。逆に言えば、試練の突破無しにどれ程厳しい鍛錬を積み重ねようが、女性である限り鍛え上げた男性シーカの戦闘能力に近付く事はほぼ不可能である。それは男女の肉体の構造の違いにより、逃れる事の出来ない事実なのだ。事実として歴史上、貴人でありながら武人として名を遺した女性達は、伝説や神話等を除けば私の知る限り一人の例外も無く試練を乗り越えている。


更には其の戦闘能力と希少性により、試練を突破した本物のカール・ダカ・シーカの発言力は、昨今カール・ダカ・シーカ部隊の主流となっている名ばかりのシーカとは比較にならない。とはいえ、身体に凄まじい負担を掛ける試練を乗り越えた直後のカール・ダカ・シーカの戦闘能力は、通常試練の前より寧ろかなり落ちている。その為、期待される程の力を身に付ける為には更に長期間の厳しい鍛錬が必要となる。


____それからの私は、自身の立場と膨らんだその発言力を利用して、魔物の討伐や隣国との小競り合いにおける戦場で武功を上げ続けた。戦場では辛い出来事も数多く経験したが、城では姉達の虐めはすっかりと鳴りを潜めた。相手の背後関係を考えると下手に返り討ちにする訳にもいかないので、その事で私も胸を撫で下ろした。


姉達の他に私には腹違いの兄が四人存在する。そのうち嫡子と次男の二人は私に触発されたのか、突如学業を投げ出して何とカール・ダカ・シーカ部隊に強引に入隊して武芸に励み、何と二人共試練を突破してしまった。ただ余程悲惨な体験をしたせいか、或いは私と辛い思いを共有したせいか、二人は以前とはまるで人格が変わってしまったかのように私と打ち解けて良く顔を合わせて話すようになった。


暫し危険な戦場に赴く私に対して、父は容姿端麗で将来有望な腕の立つシーカ達を私の護衛として付けてくれた。彼等とは何度か戦場を共にしたが、皆名門の出自な上、実直で私などをとても慕ってくれる忠実なシーカ達である。もしかしたら父は他の虫除けのつもりで彼等を私に付けたのかもしれないが、私としても端整な顔立ちの護衛達は大歓迎である。その好意は有り難く頂戴しておくことにした。



____そしてあの日、各地で騒乱の嵐が吹き荒れる中。私は父から迷宮『古代人の魔窟』に現れた異形の魔物、通称ハグレの討伐を拝命した。




そこで、私は運命と出逢うことになる。



















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