第128話

勝利の余韻に浸る間もなく、「ソイツ」は俺に襲い掛かって来た。


「ぐがっ」

突如、覆い被さる様に全身に広がった皮膚が泡立つような感覚に抗えず、俺は地面に這い蹲った。何だ!?一体何が起きた?


だが思考する間も無く、俺は全身を灼けつくような熱と痛みに襲われた。


「ぎぃえああああっ!」

あ゛あ゛あ゛あ゛っ痛い!痛い!痛いっ!


耐え難い苦痛に苛まれ、頭を抱えて転げ回る。まるで全身の皮膚が燃えてるようだ。

あがががっ痛いっ・・痛いっ・・うごごご何・・何が起きてる!?


俺は激痛の最中、涙と鼻水で塗れた顔を辛うじて上げて周囲を見回した。其処で見たモノは・・。


「あ゛っ」


少しずつ崩壊してゆくハグレの巨体から、まるで大量の生きた黒い煤が俺に襲い掛かって来るかのように、大量の魔素が俺に向かって流れ込んで来ている光景であった。


ぎいいいっ魔素だとっ。何で、何で魔素が流れて来るだけで。ぐがああっこんなに糞痛えんだああ。


余りに突然の出来事に俺は軽いパニックを起こしていた。だが、激しい刺激により脳内の海馬が刺激されたのか、苦しみ藻掻く俺の脳裏にかつての記憶が閃いた。以前俺が滞在していたファン・ギザの町で、狩人ギルドの教官と称して未だ見習いだった俺を滅茶苦茶にシバき倒したゾルゲという憎っくきジジイ。以前俺が奴から聞いた話によれば、自分より分不相応に強力な魔物にトドメを刺すと、場合に依っては流れ込む魔素によって身体に変調を来したり、最悪の場合肉体が腐り落ちて死に至る事すらあるらしい。


ぐぎぎぎっまさか、コイツが其れなのか!?嘘だろ・・。嫌な記憶を思い出し、俺は愕然とした。そして、まるで灼熱の炎がジリジリと皮膚を通り抜けて肉や骨へと浸食してくるような激痛の中、俺の心まで蝕むのは果たして恐怖、嘆き、絶望、後悔、或いは諦念なのだろうか。


いや、断じて否である。その時、俺のハートを瞬く間に占拠した唯一つの感情は、燃え上がる憤怒であった。つい先程、ハグレに嘲笑された時に燃え上がった以上の奴だ。先程から立て続けにプッツンと切れ過ぎたせいで、脳の血管がブチブチ切れる音が聞こえる気さえする。


オイ、何だそりゃ。マジでふざけんな。


ソコで転がってるハグレの野郎は、俺がタイマンで完璧にブッ倒しただろうが。

誰にも文句を言わせねえ程の、俺の、パーフェクトな完全勝利だろうが。


こんな、こんなワケの分かんねえ最後っ屁で相打ちだと・・・。


「うごあああっ 冗談じゃあああねえぞっ!」


んな詐欺みてえな置き土産で死ぬ気で捥ぎ取った完全勝利をひっくり返されるとか、そんなアホな最期で人生終わりとか、死んでも死に切れるかっ!!


ズザッ


激痛により蹲っていた俺は、怒りと共に素早く身体を回転させて座禅を組み、姿勢を整えた。そして、左手を片合掌の形にして右手を心臓付近に押し当てる。


何も当てずっぽうな賭け・・て訳でも無い。俺の身体を蝕む此の痛みが、奴から流れ込む特濃の魔素が原因なのだとすれば。俺の中の魔力の流れには、今迄取り込んで定着した魔素の一部が混ざっているのだとすれば。其の魔力を変質して身体の修復機能を異常促進させるのが俺の回復魔法ならば。


今、俺の中に流れ込んでくる魔素による身体の変調に、対抗出来る可能性は十分にある。幸い、ハグレとの戦闘で回復魔法は全く使っていない。肉体はズタボロで朽ちる寸前だが、魔力は全快フルパワーだ。


瞑目して集中すると、ハグレから暴風の様に流れて来る漆黒の魔素と、まるで真冬の日本海のように荒ぶる俺の中の魔力の流れを鮮明に感じる。だが、此の程度ならば魔力の練り上げは可能だ。いや、むしろ魔力が潤沢な分やり易いまである。


「おおおおおっ!」


俺は出し惜しみなく魔力を限界まで練り上げると、右手で発動した回復魔法を体内に一気に流し込んだ。すると、まるで強酸にでも浸されたかのように灼け爛れていた俺の体内の組織が、魔法を流し込んだ場所から瑞々しく活力を取り戻してゆくのを感じる。心なしか、全身の痛みも引いたように感じられる。


いけるっ。


思った通り、回復魔法なら魔素の肉体への浸食に抵抗出来るぞ。


手応えを感じた俺は更に集中を高め、回復魔法を続けて発動し続けた。フルパワーによる回復魔法の連続行使は、ルエンの治療の際に既に経験済みだ。


回復魔法のお陰で、俺は理不尽極まるハグレの最後っ屁から逃れることが出来たかに思えた。だが、事態はそれ程甘いものでは無かった。始めこそ辛うじて魔素による浸食と拮抗していた回復魔法であったが、徐々にその浸食に押され始めたのだ。


不味い。一体どんだけ流れ込んで来るんだよ。しかもこの調子で回復魔法をぶっ放し続けたら、もう魔力が長くは持たねえ。このままじゃヤバい。だが、一体どうすれば。ヤバい事は分かってるのに、他に有効な対応策が思いつかねえ。其れどころか今、回復魔法を途切れさせちまったら、恐らく体が一気にあの特濃魔素に浸食されちまう。かと言って此の場から逃げようにも、もう身体がロクに動かねえし。うぐぐぐ不味い不味い不味いっ。


だが無情にも、俺は身体に今迄とは違う倦怠感を感じ始めた。魔力が遂に枯渇し始めてきたのだ。


あああ糞おおぉ。このままじゃ俺の方が押し負けちまう。ぐぐぐ此処まで来て負けたくねえ。こんなワケ分かんねえ置き土産に屈服したくねえ。例え死ぬにせよ最後の最後まで足掻き抜いて・・せめて、せめて男らしく、前のめりに死んでやらあ。


「ぬおおおおっ!」

俺は座禅の体勢から、立ち上がろうと力を振り絞った。最早何がどう痛むのかも良く分からない。兎に角全身滅茶苦茶痛え。息が苦しい。激しい倦怠感で足腰に力が入らない。まるで120歳を超える老人になったかのようだ。


だが、痛みも苦しみもこの世界に飛ばされてからゲロ吐くほど程味わった。俺は回復魔法が齎す僅かな活力と漲るド根性で、身体を無理矢理引き起こした。そして最後の力を振り絞り、左拳を再び天に向かってジリジリと突き上げる。


勝ったのは、この俺だ。例え此のまま死んだとしても、其れだけは譲らんぞ。


だが、その時。


今、まさに俺の肉体を焼き尽くさんとしていた激痛が、フッと不意に消え去った。まるでそんなもの今迄無かったかのように、唐突に。


「あ・・何・・?」

余りに突然の出来事に、俺は暫し呆気に取られて立ち尽くしていた。だがその時、俺はふと誰かの視線を感じた。その視線の方へ目を向けると。


其処には、崩れゆくハグレの巨体があり・・・何故か俺を見詰める奴の目と俺の目が合った。既に息絶えたと思っていたのだが、その瞳には確かに何らかの意思の光が感じられた。


「・・・んだよ。俺の、勝ちだろ。」

だが、言葉を持たぬ魔物は結局何も答えぬまま、その顔も直ぐに崩れて消えていってしまった。


その最後を見届けた俺は、再び床に崩れ落ちた。先程立ち上がったのは気力と根性を限界以上までフル稼働してドーピングしたに過ぎない。人間の身体て意志の力だけでも結構動くモンだなだとボンヤリと考えた。だが、直ぐに思考を切り替える。土壇場の窮地は辛うじて脱したが、未だ危機が去ったワケじゃあ無い。肉体はズタボロな上、頼みの魔力も枯渇寸前になっちまった。徐々に視界が暗くなり、耳も聞こえ辛く、思考が鈍くなってきている。意識を失う寸前だ。


俺にはもう立ち上がる力は残っていない。回復魔法も使えない。ズルズルと這い進む。こんなに限界ギリギリになるなんて完全に想定外過ぎだ。あの野郎をブッ倒した時はもうちょっと余裕あったハズなのに。何でなんだよチクショー。


俺はハグレが崩れ去った場所まで這い進むと、視界が色を失い、霞み始めた目でどうにか見付けた奴のモノであろう馬鹿デカい魔石を回収した。そして更にズリズリと目的の壁際まで移動すると、先程床から引き剥がした武器を隠す為の偽装の板を身体に被って壁に背を預けた。


階層守護者は討伐した直後だから当分は現れないだろう。それに、此の大部屋には階層守護者以外の魔物は入って来ないハズだが、身を隠したのは念の為だ。胸に手を宛がい、最後に残った魔力を練り上げる。身体の倦怠感から見て、あと一発回復魔法を放てば、俺の魔力は完全に枯渇するだろう。だが此のまま下手に失神してしまった場合、次目が覚めたらあの世でした・・なんて事態に今度こそマジでなりかねん。それ程に今の俺の肉体へのダメージは深刻だ。そして身体の末端部分の損傷は後からどうにでもなるが、もし内臓に損傷があった場合、そのまま寝るのは危険だ。なので、最後の一発は胴へぶっ放す。


俺は練り上げた魔力の塊を右手に流すと、最後の回復魔法を発動させた。




____次の瞬間、激痛と共に目が覚めた。


「ごはっげほっ、げえええぇぇ。」

目が覚めるとほぼ同時に、俺は盛大に胃の内容物をリバースした。俺はどうやら回復魔法を発動したと同時に気絶したらしい。まるで手術で全身麻酔を掛けられたように一瞬で意識を喪失したようだ。


いくら探しても痛くない箇所が分からない程に、全身隈なくズギズギと痛む。その上、熱っぽくて滅茶苦茶に怠い。この世界に飛ばされて以来、此処まで体調が悪化したのは初めての事かも知れん。あのゾルゲのシゴキでも此処までなった事は無い。強いて言えば以前この迷宮で飢えて死にかけた時だが、飢えと渇きで死に掛けるのと肉体が破壊されて死に掛けるのでは苦しさの方向性が全然違う。この世界に来てからまた一つ、新たな発見だ。全然嬉しく無いけどな。


肉体は相変わらずズタボロだが、魔力は睡眠によりどうにか回復したようだ。魔力枯渇による倦怠感が無くなっている。それは疲労による怠さと混同しがちだが、こうして肉体と魔力を同時に極限まで損耗すると、その違いが良く分かる。何れにせよこのままでは地上まで生きて戻るのは到底不可能だろう。今は回復魔法が唯一の頼りだ。

俺は覆い被さっている偽装用の板を取り除くと、胸の辺りに手を置いて再び回復魔法を発動させた。


「ぎゃああああああっ!」

発動と同時に、身体に凄まじい激痛が走って身悶えた。

あがががががこれは耐えられる限度を超えてる。魔力を抑えながら少しずつやっていこう。





「ふ~、やれやれ。」

あれから回復魔法を連発しまくることで、どうにか肉体の損傷は治癒することが出来た。全快とは言わぬまでも、両腕が少々怠いくらいでほぼ動きに支障は無い。まだ魔力に余裕はあるが、念の為温存しておくか。


俺は道具入れから戦利品を取り出して改めて眺めて見る。ハグレの魔石、デカ過ぎだろ。どのくらいデカいのかと言うと、故郷の野球の硬球くらいある。因みに浅層の魔物はマー○ルチョコくらいで、中層の魔物はチ○ルチョコくらいだ。しかも角度をほんのチョット変えるだけでキラキラと色と輝きが変わって、凄まじく綺麗だ。


以前ギルドの受付のおっさんに聞いたところによると、紫目のハグレの魔石はかつてこの世界にも存在するオークションで金貨数百枚で落札されたらしい。ならば緋色目のコイツは一体幾らの値が付く事やら。だが、此れで俺も小金持ちだとヒャッホイ出来るかと言えば、んな訳は無い。これ程のブツになると、俺には売却する為の伝手が無いのだ。故郷と違ってこの世界では、高価な物品の売買には相応のコネクションが必要だ。オークションに出品するのも然りである。でなければ恐ろしく買い叩かれるか、或いは命が狙われる。


俺はランク最下層の10級狩人だ。扱いとしてはその辺のチンピラに毛の生えたようなモノだ。そんな俺がこんな魔石を所持していると嗅ぎ付けたならば、それを手に入れる最良の方法は俺を殺して奪い取る事だろう。狩人ギルドとて例外ではない。仮にギルドに持ち込んだ場合、預かった後に密かに暗殺者でも差し向けて何処ぞに埋めてしまえば、身寄りのない俺に抗議する術は無いからな。それどころか、例え身寄りがあっても一家揃って埋められかねん。手に入れたのは良いが、正直扱いの面倒な代物だ。


次いで哀れな階層守護者の魔石も忘れず回収する。そしてズタボロの柄だけになった俺の相棒と、ハグレの残骸から見付けた予備の槍もだ。予備の槍はくの時に折れ曲がり、穂先は真ん中から折れて無くなっていた。此方も恐らく修理は不可能だろうから、地上に帰ったら相棒と一緒に供養してやろう。俺は得物には拘るし愛着もあるが、執着はしない。イザというときは躊躇いなく捨てられるくらいの心持で居ないと、下手すりゃ命を失う事態にもなりかねんからな。


化け物槍はもう地上に持ち帰る気にはなれないので、部屋の隅に放置しておく。トワーフ親方には一応口止めしてあるが、コイツを運搬している俺の姿は大勢の人間に目撃されている。もしかするとハグレを殺った人間を俺と結びつける輩も現れるかもしれんが、その時はその時だ。


肉体の損傷は治癒できたものの、服はまたしてもズタボロになってしまった。幸い、愚息がポロリすることは無さそうだと安堵していたのも束の間。やけにケツがスースーすると思っていたら、尻の部分がパックリと裂けていたのだ。心当たりは・・ある。ハグレの最初の攻撃を避ける際、ケツが地面に付く勢いで思い切り腰を落としたあの時だ。迷宮の中で防具が破損する事など珍しくは無い。なので、迷宮の中でならマッパで徘徊しようが特に気にする必要は無いのだが、ベニスの町中でケツ丸出しは流石に恥ずかしい。だが、俺は一計を案じた。今の俺は以前の俺とは違う。死闘を乗り越え、心身共に成長しているのだ。俺はクッション代わりに使用した干し草入りの布袋を探し出して回収すると、故郷のパレオのように腰に巻いて露出したケツを隠蔽した。良い具合だ。これで当面は誤魔化せる筈だ。


さて、漸く地上に戻れるな。生きて帰れる事を地球の神仏に感謝しよう。水と食料は迷宮の各所に念入りに設置しておいた為、抜かりは一切無い。地図は戦闘の前に天井に吊るしてある。とはいえ、俺の現状には一つ重大な問題がある。金が無いのだ。俺はハグレをぶっ殺す為に、所有する財産を全て投入してしまったからだ。武具どころか服を買う金も無い。当面の生活費は階層守護者の魔石と、地上に戻るまでに魔物をシバいて魔石を回収する事で十分賄えるだろうが、其れだけでは全然足りない。なので当面は金稼ぎに従事する必要がある。幸い、今この迷宮は他の迷宮探索者が殆どおらず、間引きされない魔物が溢れかえるボーナスステージである。俺はハグレを討伐したことを吹聴する気は一切無いが、其れでも遠からずハグレが居なくなった事は世間にバレるだろう。其れまで迷宮に籠って、出来る限り金を稼ぎたい。その後は服や装備の新調と、そして・・・。


ハグレ討伐ととある理由で頓挫していた迷宮都市での最後の目的。魔術師ギルドでの魔法の習得にいよいよ乗り出すつもりだ。そうと決まれば。


意気揚々と立ち上がった俺は、ふと迷宮の壁が目に留まった。そういえば、俺ってば緋色目のハグレを討伐したことで実は滅茶苦茶強くなってるんじゃなかろうか。あんな死に掛けるような特濃魔素が流れ込んで来た位だし、ゲーム脳的に言えばレベルが10位一気に上がってても不思議じゃない。


俺は迷宮の壁に向かって半身になって構えると、思い切り正拳で叩いてみた。


「せりゃあっ!」


ベキィ


「ぐあああっ!?」


壁は俺が期待していたように円形にベコンと凹む事は無く、俺の手から骨の折れる渇いた音が響き渡った。くおおお痛っててて。やっぱし幾ら大物でも、一匹ぶっ殺したくらいでそう簡単に強くなれる訳ないか。



ガックリと肩を落とした俺は折れた指を回復魔法でくっつけると、荷物を詰め込んだ背負い籠を担ぎ直して、地上に向けてトボトボと歩み出した。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る