第109話

此方にも言い分は色々とあるが、ともかく先に手を出してしまったのは自分である。しかも相手は女だ。誠心誠意謝罪せねばなるまい。あ、手を出したと言っても別にエロい意味じゃないぞ。文字通りぶん殴ってしまったのだ。いや、頑張って威力を減衰させたのでぶん殴るという表現は正しく無いな。チョイ殴るくらいだ。デコピンの延長ってところだ。きっとそうに違いない。そして、勿論ワザとではない。俺にはDV的な趣味趣向など皆無だ。散々魔物を撲殺しまくっておいて、今更そんな事を言っても激しく疑いの目を向けられそうだが。


とはいえ、マジでヤバいのはこの女がその辺に居る普通の小娘では無く、迷宮都市の王女様だということだ。一口に王女と言っても、その立場は一様ではない。国や種族、体制、文化、時代などによっても異なるだろうし、血筋や人間関係によっても変化するだろう。更に言えば、この女は第五王女らしい。第五王女って継承権的にはかなり微妙な立場だ。しかも、今のベニスの領主は迷宮群棲国の君主ではない。


だが本当に大事なのはソコじゃない。俺にとって重要なのは、彼女が市井の民に対して実際どの程度の権威権力を保有しており、どのような関係性なのかということだろう。市井どころか、この世界の人間ですらない俺には一切不明だ。迂闊な言動をすればどんな目に合うか分かったモンじゃねえ。・・・動の初手からいきなり特大の対戦車地雷を踏み抜いた気がするけど。


だが今は非常時だし、此処は魔物がウヨウヨしている迷宮の中だし、不用意に突進してきた彼女にも非は有る、筈だ。そうに決まっている。だから俺はあんまし悪くねぇ!多分。


どの道やっちまったモンは仕方ねえしな。俺の見立てでは頭蓋骨は無事なようだし、被害は精々デカいタンコブ程度だろう。タッチの差でセーフだ。俺的には。この国の法的にセーフかどうかは、知らん。


瞬きの間、俺は転げ回る彼女を見下ろしながら高速で思考を巡らせていた。だが、今は兎に角彼女を介抱して謝罪せねばなるまい。


むう、しかし王族に対する謝罪ってどうやれば良いんだ。いきなり「不敬だ!貴様は死刑とする。」などと言い出す手合いとは思いたくは無いが。・・・正直面倒臭え。一個の異性として観察すると、確かにその容姿は素晴らしい。だが、立場を合わせて考慮すると、お近付きになりたい判定はマイナス方向にぶっちぎる。正直言って、この世界の王族なんぞに関わり合いたくは無い。今はまだ情報が足りな過ぎて、その利点欠点が全く不明だからだ。


ともかく、上から見下ろす目線のままはでは宜しく無いな。俺は中腰になって目線の高さを低くする。そして、出来るだけ優しい声色で彼女に声を掛けた。


「おい、大丈夫か。殴って すまなかった。」

仮にも王族に対して、あんまりな言い方だと思われるかも知れん。だが、俺は此の世界の言語で敬語の使い方なんぞ知らんのだ。つうか敬語が存在するかどうかすら定かでない。一応丁寧な言葉遣いというのは有る様なんだが、勿論俺には使えない。因みに自分では気付かないが、俺はちょっと訛っているらしい。


すると、転がるのを止めて涙目で頭を抱えながら呻いていた彼女は、俺が掛けた声に対してビクンと鋭敏に反応した。そして、


ガバアッ

ドフッ


「ぐぼっ!?」


彼女は俺に向かっていきなりタックル、もとい抱き着いて来た。

あれ?おかしい。俺が想像していた反応と違う。

てっきり テメエぶっ殺すぞゴラアァ、死刑だ!とブチ切れるか或いは ヒイィィ人殺しいぃ!とかビビってドン引きされるかだと思ったのだが。


「あ~・・。」

彼女は俺の腹を両腕でガッチリとクラッチしている。良く見るとその身体はブルブルと震えていた。俺は行き場の無い両腕でバンザイした。どうしよう。此れが小説や漫画の主人公達ならすかさず彼女を抱きしめて、気の利いた慰めの言葉の二つや三つポンポン出てくるんだろうが、童貞の俺にそんな機転が利く訳が無い。此のまま迂闊に抱き返したら、故郷でなら完全にセクハラだろうし。


それにしても。ああ、俺は今、こんな美女に固く抱き付かれているのに。

これ程嬉しくない抱擁がかつてあっただろうか、いや無い。相手は女なのに、柔らかいどころか鎧の突起が当たって痛えし。


それに、この世界での長いサバイバル生活で発達した俺の五感が、捉えたく無いモノを否応無く捉えてしまったのだ。彼女の臀部からホンワカと漂ってくるこのスメルは。ああ、この世界には日本のような立派な温水便座や柔らかいトイペなど望むべくも無いのだ。大都市であるベニスですら、便所には粗末な繊維状の尻拭きしか備えられてはいない。俺の発達した嗅覚が、通りを歩くちょっと可愛いおねーさんや、ある日ギルドの受付嬢から微かに漂うスメルを捉えてしまった時は、何とも言えない気分になったものだ。ましてこの場所は、魔物共が跋扈する迷宮の真っ唯中である。


そうか、滅茶苦茶怖かったんだろうね。分かる。


俺は何ともいたたまれない気分になった。不敬かもしれんが。

まあ俺としても、こんな美女で王女様な人と二人きりでも常に冷静になれそうなので、却って助かるかもしれない。勿論、此の事は一切表に出す気は無い。他の誰にも口外する気も無い。武士の情けだ。俺の先祖は農民だけど。


俺が所在無く両手を上げたまま固まっていると、俺の胴を締め上げる彼女が滅茶苦茶震える声で呻き始めた。俺の脇下に頭が有るので表情は良く見えない。


「__頼む、__助けろ!__死にたくない__!」

なんだ!?一部何を言っているか聴き取れんぞ。何か頼んでる割に命令形だし。王族だからか?だが、口調と態度が何となく食い違うような気がする。


「落ち着け、死にはしない。俺は加藤。ベニスの狩人ギルドに所属している。」

兎に角落ち着かせよう。俺は彼女の背中をポンポン叩いて先ずは自己紹介をした。


だが、彼女は震えながら何事か呻き声を上げ続けている。此のままゆっくり落ち着くのを待ってあげたいところだが、生憎と俺は先を急いでいる。


俺は足を後ろに伸ばしながらゆっくり彼女の背中に伸し掛かると、上からパワーを込めて両腕のクラッチを切った。そのまま素早く背中の上で身体を回転させて背後を取る。そして、蹲った状態の彼女の肩を掴んで此方を向かせた。王女様は何が起きたのか良く分からないのか、目を丸くしてポカーンとしている。


「落ち着け。俺は加藤。ベニスの狩人ギルドに所属している。」

俺は彼女の眼を見据えながら再度自己紹介をした。

すると漸く多少は落ち着いたのか、王女様は大きな目を真ん丸に見開いたまま、俺の言葉にコクンと頷いた。




____「カトゥー、礼を言う。お主のお陰で助かった。」


王女様は俺が差し出した非常食をもっちゃもっちゃと頬張りながら、礼の言葉を口にした。どうにか落ち着いた王女様との質疑応答の結果、色々と分かったことがある。


先ず先程聞き取れなかった言葉について。どうやらベニス王族の皆さん、下々の者に何かを頼むときは、言葉は全て命令形らしい。但し、丁寧に頼むときは頼むとか特定の修飾語のような語句を付けると・・め、面倒くせえ。更に、一人称と二人称と三人称の一部が独特だ。あと、語尾も庶民の話し方とは異なるそうだ。


彼女の話をうまく聞き取れずに俺が困惑していると、意図を汲んだのか向こうからすぐに理由を教えてくれた辺り、この人頭が良いな。いや、教育が行き届いていると言うべきなのだろうか。流石はロイヤルファミリーだ。更に俺が此のままじゃ話を良く聞き取れないと訴えると、彼女は直ぐに下々の話し方に切り替えてくれた。但し、人称と語尾はやはりちょっとおかしい。


例えば先程彼女が言っていた自己紹介は

「我は プラ・エ・テラニスの迷宮都市ベニスの第五王女。アリシス・ヴァルハン・< 長いので忘れた >じゃ。宜しくなカトゥー。」こんな感じだ。

実は正確に訳すと、 朕は~でおじゃる。 とか言ってるのかもしれんが、彼女の外観で其れは俺の精神衛生上あまり宜しく無いので、細かいニュアンスや語尾などは勝手に脳内変換しておく。意味さえ取り違えなければ問題無いのだ。


彼女があのような場所で徘徊していた理由は、凡そ俺の想像通りだ。紫目のハグレを討伐した後、彼女達はハグレの巣の調査の為に迷宮の奥に向かっていたが、敵を倒して油断していた所をあの緋色目のハグレに襲われたらしい。あんな怪物に不意打ちを食らったら、いくら腕の立つ騎士達でも一溜りも無かっただろう。彼女は二人の護衛と共にどうにかその場から逃れることが出来たが、護衛の二人は既に深手を負っており、暫くして息を引き取ってしまったそうだ。


その後、地図を持っていない彼女は無暗に迷宮内を動き回らずに、出来るだけその場所を動かず物陰に隠れながら救助を待っていたらしい。成る程。彼女が俺を発見したのは偶然じゃない。今、俺達が居るのは中層に向かう最短コースの通路だ。10層へと向かう彼女の討伐隊も恐らくは同じ経路を辿っていたと考えられる。ハグレから逃げる際に大きくコースを外れなかったのは僥倖だろう。


しかし面倒な事に成ったな。彼女をどうするか。何時までもクズクズしている余裕は無い。早く決断せねばならんだろう。すると、


「カトゥー。お主に我の護衛を命じる。我を迷宮の外まで連れて行って欲しい。」

王女様が何事か命じて来た。ううむ、流石他人に命令するのには慣れているご様子。日本人の俺にはイマイチピンと来ないが。

さて、どうするか。


「少し 待っててくれ。」

俺は王女様に一声かけると、背負い籠から紙片と木炭を取り出して、地図と見比べながらメモを書いてゆく。但し、読み書きは出来ないので図を写す。自分が迷った時の為に使うつもりだったが、念の為持って来ておいてよかった。そして、書き終わった紙片を王女様に差し出した。


「俺は連れて行けない。だが、既に地上からあんたの救助隊が向かって来ている。」


「え・・。」


「この図の通りに進めば、此処に 小部屋が有るはずだ。アリシス・・ええと様は此の小部屋に隠れて 救助を待って居てくれ。幾らか食料と水も置いていく。救助隊があんたを見付けてくれる可能性は 高い筈だ。」

俺は紙片を指差して説明しながら、王女様の命令を丁重にお断りした。あまり不興を買うと後が怖いので、一応対案は示しておく。


「嫌だっ!!」

それに対する王女様の反応は思いの外激しかった。うわあ、でかい目が滅茶苦茶ウルウルしとる。


「カトゥー!我を連れて行ってくれ!頼む。もう、独りはいやじゃ。我を独りにしないでくれ・・。」


「悪いが、俺は下でやることがある。地上には 連れてはいけない。」

ぬおおお罪悪感がハンパ無い。が、優先順位を変える気は無い。


「じゃあ、じゃあ・・・。」


「我も、一緒に行きたい。下に行くのでも良い。我もカトゥーと一緒に連れて行ってくれ。命・・いや、頼む。」


えぇ・・困ったな。どうしたもんか。

今更地上に向かうのは論外だが、彼女を連れて行くには色々と問題がある。出来ればあのイケメン近衛率いる救助隊にさっさと身柄を預けてしまいたいのだが。


まず問題なのは食料と水だ。一応俺とルエンが二人居ても十分な量持参してきてはいるが、三人となると節約しないと若干厳しいかも知れん。王女様立ち上がると俺よりデカいし。身長175センチくらいはあるだろう。一体どの位食うんだこいつ。俺があげた不味い携帯食を文句も無く食ってるのを見るに、食事の質について不平不満を言われる心配は無さそうだが。


次の問題は、もし彼女を連れた状態でハグレに遭遇してしまった場合だ。俺独りならどうとでもなるが、その場合彼女の命は保証できん。というか多分死ぬ。もしどうしても一緒に行く気なら、其処の所は覚悟してもらわねばならん。


最後の問題は下へ潜るペースだ。高貴な身分の王女様なんぞ連れて行ってチンタラ歩いたら、どれだけ進行速度が落ちるか分かったモンじゃない。例え連れて行くにせよ、俺は進むペースを可能な限り落とすつもりは無い。場合に依っては文字通り担ぐか引き摺ってでも先を急がねばならんだろう。


こいつの様子から引く気は微塵も無さそうだし、グダグダ問答してても埒が明かんな。よし。幾つか取り決めをして同意を得られたら連れて行くか。嫌なら泣こうが喚こうが物資と地図を渡して置いていく。


ハッキリ言ってこの王女様を連れて行くのは滅茶苦茶邪魔だ。だが、俺にはどうしても彼女を邪険にし切れない理由がある。何故なら彼女と同じく俺もまた、この迷宮を死の恐怖と戦いながら徘徊した経験者だからだ。我儘などとは決して言うまい。今の彼女の気持ちは痛い程分かる。いや、分かり過ぎるのだ。


それに、先ほどタック・・もとい抱き付かれた時のこいつのパワー。俺の鍛えに鍛え抜いた腹筋は、その辺の女が全力で胴タックルをカマしたところで微動だにするものでは無い。油断していたとはいえ、衝撃で俺に声を上げさせるなど並の人間の脚力と瞬発力では断じて不可能だ。更に、こいつは俺の正拳に対してまがりなりにも反応していやがった。あの瞬時の間で、もしこいつが咄嗟に悲鳴を上げていなければ、俺はそのまま頭部を拳で打ち抜いていたハズだ。


以前話に聞いた通り、こいつは唯の御輿ってワケでも噂が全てプロパガンダって事も無さそうだな。でなければ、浅層とは言え魔物がウヨウヨ徘徊するこの場所でたった独りで生き残れるワケが無い。少なくとも、こいつには浅層の雑魚なんぞ問題にならん程の戦闘能力はあるってコトだ。その実力は高性能な装備込みって事も考えられるが、棒切れ一本振り回して野生動物や魔物を殺傷するってコトは頭だけで考える程簡単じゃない。安く見積もっても、平和な故郷の軟弱な連中とは比べ物にならんだろう。連れて行っても思いの外、役に立つかもしれん。


「分かった。ええとアリシス様が良いのなら、一緒に行こう。但し、その為に幾つか取り決めをしておきたい。」


俺の話を聞いた王女様は、文字通り光輝くような笑顔を見せた。

うおっ眩しい。青い瞳がキラキラして、なんつーふつくしい笑顔だ。

童貞にこれはキツい。


落ち着く為に、少し臭いを嗅いでおこう。

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