第108話

「シイィッ!」

ジュビビィ


刹那、雷光のごとく一筋の影が一文字に眼前を奔る。

次いで鈍い音と共に、魔物の頭部が4体纏めて胴体からオサラバした。


此処は迷宮『古代人の魔窟』の地下3層。

俺は凶悪な魔物である通称「ハグレ」に拉致された幼い少年ルエンを救出すべく、魔物共が跋扈する迷宮の内部へと乗り込んだ。


止めを刺された魔物の身体が間を置かずにボロボロと崩れ去ってゆく。この迷宮を徘徊する魔物特有の現象だ。今、俺がぶっ殺したのは四足歩行の毛の無い犬のような身体に、蛞蝓のような飛び出た目玉を備えた不気味な魔物だ。見た目がかなりキモいので余りお目に掛かりたくない奴である。所詮は浅層の雑魚だけどな。


勢い込んで迷宮に乗り込んだ俺ではあったが、早速厄介な問題にぶち当たった。まだ地上からごく近い階層にも関わらず、襲ってくる魔物の数が余りに多すぎるのだ。どうやら暫くの期間この迷宮に迷宮探索者達が潜ることが殆ど無かった為、間引きが出来ずに魔物共が異常増殖してしまったようだ。いや、異常というより此れが本来の此の迷宮の姿なのかもしれん。


俺は崩れた魔物の残骸から手早く小さな魔石を回収した。本当は魔石なんぞ放っておいて先に進みたいところだが、此れだけ数が多いと放置した魔石によってハグレに戦闘の痕跡を辿られる危険がある。殺した魔物の肉体は崩れ去って殆ど痕跡が残らないのは有り難いが。


今の俺には浅層の雑魚なんぞ何匹掛かって来ようが敵ではない。無論油断は一切しないが。とはいえ、此れだけ数が多いと如何しても進行のペースが落ちる。マメに回復魔法で疲労を飛ばしつつ、この階層まで一度の休憩も挟まず超ハイペースで雑魚どもを蹴散らしながら進んできたが、焦りが募る。俺自身が遭難しては本末転倒なので、時々地図を確認しながら進んでいるのも遅滞要因の一つだ。今の所、日本語で注釈を入れた迷宮の地図が正確に位置と経路を示しているのは一安心だが。


今回ルエンを捜索するにあたり、俺が目指しているのは以前10層で目撃したハグレの巣のような場所だ。生存の可能性は低いが、もしルエンがまだ生きているのならあの場所に放り込まれている可能性が一番高い。10層には階層守護者の大部屋と中層に続く階段が4か所ある。そして、以前俺がリザードマンズと共に通過した場所は中層への最短コースの部屋だ。だが、あの部屋は今回除外しても良いだろう。俺達が中層に向かうときは巣なんて無かったし、そもそも上層からあの部屋に入る為の通路はあのハグレのサイズでは狭すぎて通れない。


となると、他の3か所のどれかということになるが、記憶と地図を照合しても上手く判別できない。あの時はかなり切羽詰まった状況だったしな。朧げな記憶と勘を頼りに一部屋ずつ調べていくしか無いだろう。だが、不確定要素も多い。ハグレの巣があの部屋一つとは限らないし、それ等が必ずしも階層守護者の部屋に造られているとも限らないからだ。とはいえ、この迷宮は途方もなく広い。僅かでも可能性の高い場所から探ってゆくしかあるまい。


攫われたルエンの身柄で一番最悪のケースはルエンがとっくに食われてしまい、死体どころか僅かな痕跡すら残っていない場合だ。そして残念ながら、此の可能性が圧倒的に高いだろう。魔物が人間の生命に忖度なんぞするわけないからな。身体が小さいので、奴に食い応えが無いとでも見做されれば一縷の望みがあるかもしれん。


次いで最悪のケースなのが、ルエンが連れ去られたハグレの巣が中層より深い場所にある場合だ。今の俺は恐らく中層の魔物のどんな集団相手でも殺って殺れないことは無い。だが、中層でも此れだけ増殖した数の魔物に襲われた場合、先へ進むのには戦闘云々よりも水と食料が絶対に保たない。


俺はルエンを助ける為に命を懸ける事を厭う気は無いが、命を懸ける事と命を捨てる事は話が全く別だ。平気で自分の命を投げ捨てる行為なんぞ、それこそメタ的に生命が保証された小説の主人公でもなきゃ命が幾つあっても足りないだろう。


最悪のケースの場合は撤退するしかあるまい。だが、もしその最悪になってしまっていた場合、手掛かりが無いので判断のしようが無い。なので、先ずは10層の奴の巣の捜索から始める。その後は、一階層ごとに地上に向かって水と食料が続く限り探索の手を広げてゆく。もし水と食料が尽きたら一旦迷宮の外に出て、補給をしてから再度迷宮に戻って未捜索箇所を順次捜索してゆく。この繰り返しになるだろう。


運悪くハグレに出くわした場合の逃走方法はいくらか想定して居るが、奴の場合は此れだけ魔物の数が多いと逆に助かる部分もある。奴の周囲では魔物の気配が無くなる為、接近が非常に分かり易いからだ。懸念事項は奴以外にもハグレが複数存在する場合だが、紫目のハグレは王女の討伐隊が始末したと思われるので、既に居ないものと見做して良いだろう。一応警戒はしておくが。


もし奴が接近して来たら、気配を消して天井に張り付いてやり過ごすのが一番楽な方法だが、実は蜥蜴4号が持っていた毒煙玉をベニスの市中で購入することが出来た。此奴を使ってみるのもアリだろう。


この煙玉、スラム街の路地裏で汚い露店を開いていた怪しげなババアの店で売っていた。スエン達を尋ねる際にこの店を発見できたのは実に幸運だったぜ。俺は速攻で煙玉を全部買い占めた。勿論、まとめ買いしてやったので限界まで値切り倒した。但しこの煙玉、何度か試してみたがかなりクセがある。本来はそれ程便利な代物じゃないのだ。まず火を付けてから十分な発煙効果が得られるまでに数分は掛かる。地球のスタングレネードやスモークグレネードのように、ピンを引いて数秒で効果が出るような代物ではない。


更に言えば、まずもって火が滅茶苦茶付きにくい。蜥蜴4号は火種を余程上手く使っていたのだろう。だが、普通の人間には着火が相当に困難だと思われる。但し、俺には地球から持ち込んだ秘蔵のライターが有るので全く問題は無い。あと、湿気ると煙が出にくくなるのと、結構個体差がある。点火して暫く待っていてもあまり煙が出ないショボイ個体が有るのだ。ソコは故郷の日本のような均等な品質の製品などこの世界じゃ望むべくも無いので致し方無い所だろう。其れ等の問題は予め天日干しして十分に乾燥させたり、一度に複数使うことを心掛けて対応する。


相棒の槍の穂先はかなりの業物なのか、それとも材質のお陰か、刃が欠けたり潰れたりする様子は微塵も無い。実に可愛い相棒だ。頬ずりしたくなる。だが、いい加減雑魚相手にお上品に槍で斬ったり刺したりするのが面倒臭くなってきた俺は、ぶん殴ったり蹴りをぶち込んだりして魔物共を撲殺する方向に切り替え始めている。だってその方が早いし。それに、この迷宮の魔物ってぶっ殺すと死骸が崩れ去って服や身体が汚れにくいから遠慮なく接近戦でフルボッコできるのだ。




___一本拳を眼球にぶっ刺して、怯んだ所に肘を叩き込んで頭蓋を粉砕する。

その後ろから飛び掛かって来たもう一匹にテンカオを合わせて顔面を破壊。更に背後から迫る残敵のテンプルに振り向き様肘をぶち込む。元弱小空手部員の俺だが、気分はルンピニー・スタジアムのムエタイ戦士だ。拳や足を使っても良いのだが、固い肘や膝を使ったほうが怪我をしにくいし、相手を仕留めるには効率が良い。まあ怪我しても回復魔法で治せるんだけど。


此処は迷宮『古代人の魔窟』の地下4層目。俺は攫われた少年ルエンを救う為、迷宮の10層目に存在するであろう魔物の巣に向かって絶賛進行中である。


半呼吸の内に3体の魔物の頭部を粉砕した俺は、小さく一息付いた。今ではこの程度の戦闘なら何度繰り返しても呼吸が乱れることも無い。相手を倒すより相手を殺す動きに少しずつ最適化しているような気がして自分がちょっと怖いけど。因みに武器屋の金パツから購入した盾は素晴らしい。こいつでぶん殴っても全然手が痛く無いし、浅層の雑魚ならほぼ一撃で相手の頭部を十全に粉砕できる。まだ一度も盾として使用してない気がするが、細かい事は気にしない。重要なのは使えるかそうでないかだ。


崩れかけた魔物の死体から魔石を素早く毟り取った俺は、歩く速度を緩める事無くそんな事を考えていると、通路の陰から俺に向かって突進してくる新手の影を視界の端に捕らえた。やれやれ。急いでるのに本当にうじゃうじゃと湧いて出るな。


「しゃあっ!」

素早く振り向いて必殺の正拳を叩き込む。鳴く事無く即、死ねいっ。


「ひいぃっ!」

瞬間、その影は迷宮内では異質な金切り声を上げた。なんだとっ。


うおおお魔物じゃねえっ!?ヤバ  イ

脳内麻薬がドバドバ分泌され、周りの景色がスローになる。くああぁ間に合うか。


俺の身体と拳は影の頭部に接触する寸前で停止し


ゴッ


いやっ止め切れてねえ。だが、この手応えはセーフだ!

あっぶねえええ。危うく勢いのまま頭蓋を粉砕する所だったよ。


この異界に飛ばされてから随分と経つ。この殺伐とした世界で、とっくに人間を殺傷する覚悟なんて済ませたつもりの俺だが、こんなうっかりで初めての殺人なんて冗談じゃねえぞ。


「ぎゃああああぁ!」

俺の足元では、恐らく人間らしき何者かが悲鳴を上げて転げ回っている。いや、実は殴る時に俺の発達した動体視力がその容姿をハッキリ視認できてしまった。下を見るのが怖い。だが、あの手応えなら頭部のお鉢は割れてない。大丈夫なハズだ。多分。


俺は覚悟を決め、恐る恐る顔を下に向けた。


其処には一人の女が藻掻き苦しんでいた。

頭を抱えたその人物はプラチナブロンドの髪を振り乱し、青い瞳から涙を垂れ流しながら転げ回っている。・・鼻水は出とらんな。俺の記憶にある外観よりも随分と薄汚れているが、こんなヤバい状態なのに尚滅茶苦茶美人だよ。その異様に整った容姿は最早見間違い様が無いだろう。


ああ、やばい。あの何とかいう第五王女様じゃねえか。


生きとったんかい、ワレェ。


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