第102話

意気揚々と迷宮『古代人の魔窟』に再び乗り込もうとした俺を襲ったよもやよもやのPTSD発動。痙攣したストマックからリバースしたゲロをド派手に撒き散らした俺は、その場に唯々立ち尽くすしか無かった。


その後、近くに居た衛兵に滅茶苦茶怒られた俺は、意気消沈しつつ衛兵に借りた水桶やデッキブラシのような掃除道具で自らの吐瀉物で汚れた迷宮の入口を清掃した後、トボトボと再びベニスへと舞い戻った。


人生初PTSDが日本どころか地球から遠く離れたこんなワケ分かんねえ異界で発動するとは。俺は宿屋の自室で頭を抱えた。こんな初体験は断じてノーセンキューですよ。マジで。此れからどうする。この世界にメンタルをケアしてくれるような専門医や頼れる知り合いなど居る筈も無い。


ならばいっそ今後一切迷宮に近付かなければどうだろう。だが食い扶持はどうする。今俺が持ってる大量の魔石なら、食い扶持どころか当分は余裕で遊んで暮らしていけるだろう。だが、その貯蓄も何時かは尽きる。そうなれば勿論、俺は一介の狩人として銭を稼ぐしか無い訳だ。だが、此の迷宮都市で迷宮が絡まない狩人の仕事と言ったら、其れこそギルドの掲示板に貼り出されるようなコモンな雑用紛いの依頼しか無い。そして、その報酬はブラック企業で働くリーマンがブチ切れて秒で労基署に駆け込むくらい滅茶苦茶ショボい。


だが例えばファン・ギザの町でやっていたように、毎日ひたすら薬草でも狩って納品していれば只食うだけなら困らないかもしれん。しかし、遥々迷宮都市までやって来て其れではあまりにも空しい。今後の事を想像して、俺は独り悶々と悩み続けた。・・・とはいえ、何時までも只思い悩んでいても問題が解決するハズも無い。気持ちを切り替えて、どうにか対策を練るしかあるまい。


と言う訳で。意を決した俺は、試しに迷宮都市の二大迷宮の片割れである迷宮『神々の遊戯場』に潜ってみることにした。今回のPTSDの原因は、俺にトラウマを植え付けたあのハグレが居座る迷宮『古代人の魔窟』にある。となれば、他の迷宮ならもしかしたらどうにか内部へ潜れるかもしれないと考えたのだ。そして徐々に慣らしていけば、何時かは脱PTSDへの突破口が見えてくるかもしれない。


だが、其の結果は惨憺たる物であった。正直、その時の事は記憶は不鮮明であまり覚えていない。迷宮の入口付近は随分と賑わっていたような気がするが、俺は其のど真ん中で胃の内容物を盛大にリバースして大惨事となり、鬼のような形相で猛然とダッシュしてきた衛兵に思い切りぶん殴られたのだ。あの場所には『古代人の魔窟』のような物々しいゲートが無かった為、殴られた俺は錯乱して、まるでゴ○ジェットを噴射されたGの如く、涙目になりながらその場から遁走した。あの状況で我ながら良く逃げ切れたとは思うが、今は衛兵の人達に申し訳ない気持ちで一杯だ。俺があのゲロを片付ける立場なら、逃げた俺を絶対にぶっ殺したくなるだろう。


その数日後。PTSDの上から更に心に深い傷を負い、暫く宿屋の自室に引き籠ってベッドの上で膝を抱えていた俺だったが、地球の親父の毛根並に脆く繊細な俺のハートが漸く持ち直してきた。そこで早朝の鍛錬を終え、宿屋の食堂で朝餉を済ませると、気分転換にベニスの町を散策してみる事にした。あと、ついでにポーター斡旋所に出向いて休業中の俺の登録を抹消してもらうつもりだ。当所の目的であった迷宮の情報収集については、不本意ながらいきなりしゃぶり尽くす程に堪能させられた上、当分はポーターの仕事をする気にはなれないからだ。


宿屋を出てから暫く歩いて、露店が立ち並ぶ北門から続く中央通りに辿り着いた俺は、程なく周囲の異変に気付いた。通りは相変わらず群衆でごった返して喧騒に包まれているのだが、それに加えて街全体が妙に浮付いた雰囲気に包まれているように感じられるのだ。俺はさり気なく周囲を見回すと、治安維持の為に街中に配備されている衛兵の数が以前と比べてかなり増員されており、周囲に睨みを利かせている。それに、明らかに商人のモノではないと思われるゴツい荷鳥車の往来がどうにも目立つ。


一体この都市で何が起きている?もしや祭りか何かだろうか。だがそんな話は誰にも聞いていない。もしやあのハグレが原因・・いや、違うか。あの一件は既に軽い事態では無くなりつつあるものの、所詮は数ある内の一つの迷宮の内部の出来事に過ぎない。其れが原因で、街全体が突然こんな物々しい雰囲気になるとはちょっと考え辛い。ならば何故。


何れにせよ、判断を下すには情報が足りなさ過ぎる。取り敢えずは狩人ギルド向かい、受付のおっさん職員に話を聞いてみることにした。今迄色々と話してみて分かったが、あの赤毛のおっさんは他のギルド職員と比べてもかなり耳が早い。もしかすると、ギルドの上層部や都市の有力者に関係する何かしらのコネでも持っているのかも知れない。なので、今の異変についても何かしらの情報を掴んでいる可能性がある。


「おっ カトゥー君。今日はどうしたの?」

ゴツイ扉を押し開けて狩人ギルドの建物の中に踏み込んだ俺は、何時ものようにくたびれた赤毛のおっさんのカウンターに直行した。おっさんも俺の姿を見るなり、親し気に目を細めて声を掛けて来た。そういえば、俺は初めて此のギルドを訪れて以来、他の美人受付嬢達と一度も言葉を交わしたことが無い。まあ彼女等とは俺が熱望するような仲には成れそうも無いし、今更他のカウンターの列の最後尾に並ぶ気にもならんが。


「町の様子が随分と騒がしいようだが。 何か あったのか?」

今日は雑談に興じる気分では無いので、俺は早速おっさんに訊ねてみた。


「ああ、実は大変なんだ。思わぬ事態になってしまったよ。」

眉を八の字にした上、カウンターに肘をついて身を乗り出して来たおっさんは、声量を落として俺に囁き掛けて来た。・・・どうでも良いが顔が近過ぎる。おっさんがいきなりキスして来たら多分躱せないヤバい距離だ。俺は気取られぬよう摺り足で半歩後ろに下がった。


北方における大規模な動乱の兆し。おっさんの話によれば、迷宮群棲国ではそれに備えて国内の各都市から遊軍を招集。北側の国境付近の防備を固めていたんだそうだ。だが、どうやらその隙を突いて迷宮群棲国の南に国境を接する隣国の軍勢が、突如南方の国境近くの城塞都市に現れて奇襲を仕掛けて来たらしい。近年では南方の隣国とは殆ど衝突が無かった事もあり、不意を突かれた都市側はロクな抵抗も出来ずにあえなく陥落。都市を治めていた迷宮群棲国の王位継承権を持つ一等貴族の縁者達は、脱出を試みたものの厚い包囲網から逃れることが出来ず捕縛され、一人残らず処刑されてしまったそうだ。


迷宮群棲国側も南方を全く警戒して居なかったワケじゃ無かったんだろうけど、僅かな隙が出来るや否や躊躇無くいきなり攻め込んで来るとは。戦争に対するフットワークが軽すぎるだろ。しかも、都市を攻め落とすや否や間髪入れず王族を丸ごと処刑しちまうとは。久々にこの世界の国々の蛮族ムーブを目の当たりにした気がするぜ。そういえば以前世話になった行商人のヴァンさんの話によれば、この辺の地域って年中戦争してる蛮族が治める辺境の地だったんだよな。今、俺が居るこの都市は比較的平穏で文化的なのでどうにも忘れがちなんだけど。


そしてこの非常事態を受けて、迷宮群棲国では王命により即時討伐軍が編成され、攻め落とされた都市を奪還すべく進軍を始めたらしい。そして、此の迷宮都市ベニスからも南に向けて出兵することになったようだ。因みに迷宮群棲国では主要な都市の領主が何年かごとに持ち回りで君主となる為、現在のベニスの領主は一等貴族で王族扱いではあるものの、迷宮群棲国の君主では無い。


粗方事情が分かった上で町の様子を眺めて見れば、確かに周りの住人は浮足立っているように見える。だが、パニックになる様子は微塵も見られない。露店や商店も通常営業である。矢張りいくさ慣れしてるんだなあ此の都市の連中は。一見長閑に見えても、完全に平和ボケしていた故郷と全然違うのだ。だが、其れが果たして良い事なのかどうかは何とも言えないけどな。それに、此処の住人達が平静を保てているのは、此のベニスが迷宮群棲国の中でもかなり北寄りにある都市なお陰なのかもしれん。


俺は露店で購入したまんじゅう擬きにかぶり付きながら通りをブラブラしていると、何人もの衛兵がバカでかい怒鳴り声で、恐らくは先触れを始めて大通りを歩く群衆を散らし始めた。特に逆らう意味も無いので、俺は群衆の波と共に大通りの端へと引き下がった。無論、どれ程揉みくちゃになろうが、魔石の入った皮袋からは一瞬たりとも目は離さない。


その後、大切な魔石袋をかっ攫おうと伸ばされた指を二度ほどへし折る程に時間が経過して、俺のイライラが限界を迎えそうな頃合いにソイツ等は現れた。


俺はソイツ等を見たことがある。いや、正確にはそれに似た連中を、だ。其れはファン・ギザの町で従軍した時の事。ソイツ等が身に纏う独特な空気には覚えがある。軍隊だ。しかも粗野な傭兵などの類では無く、見るからに正規軍であろう。


ソイツ等は4列縦隊になって迷宮都市の北門の方から現れた。確か北門の近くには大きな広場が有ったので、そこで隊列を整えていたのだろうか。先頭には栗色の髪を短く切り揃え、銀色に輝く派手な甲冑を着込んだ優男風の顔をしたイケメンと、その手前に御者らしき顎が太っとい厳つい男が、地球のチャリオットのような戦車?に乗っており、威圧感を撒き散らしながら此方へ近付いてきた。そして、其の戦車?を牽引するのは馬では無く、黒い甲冑を身に纏った滅茶苦茶デカい2羽の荷鳥だ。


続いて行進してくる兵士達は、素材不明な黒光りする揃いの意匠の甲冑の上から丈の短いコートのようなものを羽織っている。背中には大きな荷物入れと、武器は先の割れた刺股のような長物を背負い、其れとは別に刺突武器のような武器を腰から下げている。此奴もお揃いだ。其の体格に注目すると、以前カニバルで見た軍隊と比べると全体的に小柄な兵士が多いように見える。(それでも俺よりはデカいが)だがその行進は良く統率されて乱れが無く、動きが滅茶苦茶キビキビしている。こいつは良く訓練されてて相当に強そうだ。


この国の正規軍は精鋭揃いと聞く。どれ程の物か興味深い。俺は連中が目の前を行進してゆくのを無遠慮にジロジロ眺めた。だが、音を拾うのは無理そうだ。周りのアホ共が喚声を上げまくって超絶五月蠅いからだ。そして暫くすると、思ったより早く兵隊の列は途切れてしまった。正直、都市の規模を考えると全体の兵数は少ない様に思える。戦闘要員は千に届かないのではないだろうか 。急報から出兵までの準備期間が殆ど無かったと思われるので、此奴らは即応できる精鋭部隊なのかもしれんな。


それに、先ほどの兵士達の後に続いて来た恐らく補給部隊と思われる隊列の規模が小さい。物資と思われる荷物を担いだ軽装の短い隊列に続き、荷鳥が牽引する荷鳥車が最後尾に数台見えるだけだ。此れで兵站が賄えるのかと気になったが、俺はその時此の都市に来た時の事を思い出した。確か此の都市に来るまでの幹線道路とも言うべき広い街道はなんと舗装されており、物流用と思しき専用道まで存在していたな。街道の専用道を補給線として物資を後方からピストン輸送出来るのであれば、ワザワザ足の遅い大規模な補給部隊をチンタラと随伴させる必要は無いのかもしれん。陥落した都市の奪還については恐らく一刻を争うだろうからな。


俺の前に現れた軍勢は、式典やら大げさな訓示が行われることも無く、実に統制の取れた行進を見せつつあっというまに迷宮都市の南門の方へ姿を消してしまった。


何日か前の狩人ギルドのおっさんの話によれば、ハグレの討伐には軍の討伐隊が出張るかも知れないとの事だった。だがこうなった以上、この先どうなるかは予測が付かない。おっさんは北の情勢を危惧していたが、こうも事態が急展開するとは。


俺はどうもあの迷宮『古代人の魔窟』のハグレは当面放置されそうな予感がしている。正直、此のまま奴を放置し続けると迷宮都市の経済活動に少なからず影響が出そうな気はするが、それ以上にこの国の周りの国際情勢がキナ臭いからだ。この都市は大丈夫なんだろうか。いきなり戦争とか正直もう勘弁して欲しい。尤も、ヤバくなったらまたギルドで指名される前に何処ぞへトンズラするだけの話だが。


更に言うなら、暗黙のルールこそあれど此の都市周辺に存在する迷宮内は基本治外法権であり、其処で起きた出来事は自己責任である。そして、この都市は迷宮内でのトラブルは基本迷宮探索者自身の手で解決してきた歴史があるのだそうだ。但し、場合に依っては衛兵の世話になったり、外で裁判沙汰になる程度の事は良くある話らしいが。とはいえ、流石に表立って正規軍が介入するような事態は滅多に無いらしい。因みにこの国にはちゃんと裁判所がある。とは言っても、判決を下すのは専門職の裁判官では無く、どこぞの教会の坊主なんだと。何とも胡散臭い。癒着と腐敗のニオイがプンプンするぜ。坊主Get out。Please六法全書。


てな訳で、あの迷宮のハグレに関しては各ギルドも都市の行政府も当分は放置で手出し無用と見た。その為、俺は当面は憎っくきPTSDのリハビリに努める腹積もりだ。それに、先日購入した武器だけじゃなく防具も買い揃えたいしな。ただ、ソチラは今の所満足のいくものが見付けからずに停滞している。特に鎧関係は高額なので、下手に妥協したり迂闊に衝動買いすることなどとても出来ないのだ。


その後、ポーター斡旋所で登録抹消の手続きを終えた俺は、改めて今後の作戦を練る為に宿に戻ることにした。



だがその翌日。俺の全然当てに成らない予感は、早くも裏切られることとなった。


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