第70話

情報収集の定番中の定番と言えば酒場である。英国風に言えばパブだ。ドイツ風に言えばクナイペだ。

勿論この世界にも酒はある。地球で有名な酒と言えばラガーやエール、ワインやブランデー、ウイスキー、日本酒などなど。ちょっと原始的なものではバナナ酒やヤシ酒、最新のものでは地球の親父が愛飲していたスト○ングゼロってところか。


だが、勿論この世界にそんな酒は無い。俺が見たことがあるのは良く分からん穀物を発酵させたらしい酒、良く分からん果実で作った果実酒だけだ。良く分からん穀物というのは、以前ビタの集落に居た時にこねこねしてインドのナンのように焼いたあの穀物である。尤も、実際にはそれ以外にも色々な種類の酒あるようだが、俺は積極的に調べる気にはならん。


実はこの世界に飛ばされて以降、俺は勧められて何度か酒を飲んだことがある。その結果、俺は別に下戸と言うワケでは無いことは分かったが、酒の美味さは正直まだ良く分からん。というか普通に不味い。さらに言えば、酩酊すると注意力が散漫になり、無駄な隙が出来そうであまり好きではない。それに、情報収集という大義名分があるとはいえ、昼間っから酒場で飲んだくれるというのも気分的に良くない。


と言う訳で、ギルドで教えてもらった酒場の前をスルーして通り過ぎた俺は、当ても無く街の中を歩き続けた。何と無しに周りの風景を眺めていると、路地の道の脇には至る所に水路があり、透き通った水が流れている。初めは湧水が豊富なのかと思っていたが、ギルドの受付のおっさんの話では地下から汲み上げているらしい。よもや地球のポンプのような機械でもあるのだろうか。中々に興味深い。だが、老人や子供が水路に誤って落ちたりしたら、下手すりゃそのまま昇天してしまいそうだな。


考え事をしながら路地をズンズン進んでいると、何だか奥が随分と小汚い場所を見つけた。しかも臭え。これは糞と小便のニオイだな。


「ふむ。」

俺はそれを眺めて少々思うところがあった。

その為、少々寄り道をした後、周りを警戒しつつゆっくりと小汚い路地へと進んでみることにした。


その区画は至る所にゴミが散らばり、ゴミのように人間が座ったり寝転んだりしていた。建物は薄汚れて崩れかけ、空気は澱んで饐えた臭いが漂っている。

成る程、スラムである。

こんな景気の良さそうな都市でも貧乏人どもが集まる区域ってのは自然とできちまうもんだな。日本なんかより余程明け透けで情け容赦ない競争社会だからだろうか。


などとと考えてみたものの、誠に遺憾ながら、俺の見た目は正直こいつらとあまり変わらないので、ギルドに居た時より遥かに周囲に溶け込んでいるような気がする。

誠に遺憾だ。・・・フン。昔テレビでよく聞いたこのセリフ、一度使ってみたかったんだよ。


幾ら周りに溶け込もうが、俺は頭のユルい偽ぜ・・もとい、慈悲深い立派な人物などではない。死んだ魚のような目をしたこいつ等に慈悲の手を差し伸べる気など無い。この場所に入って来たのは別に目的があるからだ。尤も、俺はこの世界に飛ばされて来て以来、金なし飯無し家無しの苦しみは散々嘗め尽くしてきた。この連中の境遇に全く同情しない訳では無いけどな。


だが、こいつ等がアホ面で空を見上げて拝んだ所で、神の慈悲とやらが降ってくる事は無いだろう。空に向かって開けた口の中に何かが降ってくるとしたら、雨水か鳥の糞くらいだ。結局のところ、この世界ではガキだろうがジジイだろうが所詮手前の身の振り方なんぞ手前で決めて、その境遇は自分自身で何とかするしかないのさ。他力本願な慈悲に縋るだけじゃ、その身が浮かばれる事なんてねえんだよ。


スラムの陰気な雰囲気に当てられたせいか、何となくネガティブな気分になりながら歩いていると・・居た居た。たむろしている小汚いガキ共が。

俺は山で鍛えた視力を利用してガキ共を遠目に観察する。日本ならおまわりさんに背後から肩ポンされそうなシチュエーションだが、この世界にはおまわりさんは居ない。・・代わりに衛兵に肩ポンされるかもしれんが。


馬鹿は論外、言葉が話せないのも駄目、目や貌が邪悪過ぎるのもアカン。スラムのガキなりに身なりがマシで、目端が利きそうで、目の光がまだ死んでないガキをピックアップして声を掛けてみる。身なりという奴は案外馬鹿には出来ん。心の在りようを写す投写機のようなものだからな。勿論俺自身の身なりには目を瞑る。羞恥で心が死にそうになるからだ。


「よう。」


「・・・・。」


「ん。喋れないのか? ならいい。じゃあな。」

反応の悪いガキはそのままスルーする。俺には必要無いからだ。群れているガキ共もとりあえず無視する。面倒臭そうだからだ。


「よう。」


「ん?何か用かよあんちゃん。」

何人目かに声を掛けて、漸く反応の良いガキと出会うことが出来た。

ガキの顔を観察すると、目つきや表情に険は見受けられない。うむ、悪くない。

だが、俺をかなり警戒しているようだ。


「まぁ そう身構えるな。コレでも食うか?」

俺は露店で仕入れておいた肉まんじゅうのような物を差し出した。ガキの表情がみるみる変わる。チョロいもんだな。


「お前に 一つ仕事をやろうと思ってな。」

俺はまんじゅうモドキをガッつくガキの隣に腰を下ろして、出来るだけ優しい声色を意識しながら提案した。


「仕事?ホントに?どんな仕事なんだい。」

俺の顔を見上げるガキの目が輝く。どうやら勤労意欲はあるようだな。良か良か。


「後で 説明してやる。俺に付いて来い。」

俺は立ち上がってガキを促した。う~んこの絵面。日本でなら完全に事案だな。尤も、此処は異世界だし、そもそも俺は此のガキをどうこうするつもりは全く無いのだが。


スラム街の中をアイドルのスカウトの如く声を掛けながら歩き回った結果、俺は結局女子一人、男子二人を選抜した。年齢は12歳前後か?外観が汚くて良く分からん。仕事を頼む年齢については、幼過ぎても知能が足りないし、逆に年齢が高すぎた場合、まともな奴な既にスラムを抜けてしまっているだろうから選別が中々に難しいところだ。


俺達は周りに人気のない場所まで移動すると、4人で車座になって仕事の説明をすることにした。


「お前ら名前はあるか?」


「ルミー!」

一人目は金髪の女子だ。だが、髪は汚れていて天パみたいにボッサボサ。あと、汚いのであまり女子には見えない。だが、快活な振る舞いのせいか不快ではない。


「スエン」

二人目は濃灰色の髪の男子。妙に髪が整っている。そして鼻水垂らした他のガキと違って、こいつの表情と目には知性と理性を感じる。もう少し成長したらさっさとスラムから出ていく類の奴だな。


「ザガルカンドス」

そして三人目。


ん?

「お前 もう一度名前を言ってみろ。」


「ザガルカンドス」

茶髪の男子は恥ずかしそうに復唱した。

俺は名前のインパクトでそれ以外の事は吹っ飛んだ。

以前世話になった商人ヴァンさんの隊商に居た少年ゴルジといい、この世界の名付け親には偶に頭のおかしいのが居るようだな。まあいい。


「俺は加藤ってモンだ。 この迷宮都市にやって来て まだ間もなくてな。色々とこの街の事が知りたいんだ。」


「ふ~ん。あんちゃんこの辺じゃ見ない顔だもんね。」

ルミーが俺の顔を見て言ってきた。興味津々て面だな。


「でも、俺達は何をすれば・・。」

スエンは何となく不安そうにしている。まだ警戒心が抜けていないようだ。


「なに、そんなに難しい事じゃない。お前ら 街の情報を集めて 俺に 教えてくれ。この街の事ならなんでもいい。そうだな、例えば安くてうまい飯屋、使える井戸、腕の良い鍛冶屋、安くて居心地の良い宿屋、危なくて近付いちゃいけない場所、ちょっとした 噂話、そんなところだ。」


「ふんふん。」

ルミーが身を乗り出して来た。顔を近づけるな。臭えんだよ。


「そうだな。この街の人間なら みんな知っているが、外から来た人間は 知らないような事がいい。お前らに父ちゃんや母ちゃんが居るなら 其処から聞いてきてもいいぞ。」

俺は半歩分くらい後ろに下がりながら、さらに説明を続けた。

どうやら3人共、俺の話はちゃんと理解できているようだ。思ったよりも落ち着いている。知能も高い。そうでもなきゃこの歳まで生きちゃ居られなかったんだろうが。


「う~ん。それくらいなら俺達でも何とかなるかも。」

すると、腕を組んだザガルが感想を口にした。どうやら乗り気なようだな。


本来なら情報収集はこんなガキどもでなくプロの情報屋とかそういう人たちにお願いしたいものだ。だが、俺にはそんなものと接触する伝手が全く無いし、そもそも情報屋なんて代物が居るかどうかも分からん。仮に伝手があって酒場とかでそんな連中と接触しようにも、先ほど考えた昼間から酒を飲みたくないという理由以前に、スラムの住人と大差ないこんな身なりで見知らぬ赤の他人に声を掛けるとか、内気な日本人である俺にはあまりにもハードルが高すぎる。


それにプロの情報屋といえば、街の裏社会だの闇の組織だの色々と連想しがちだが、俺は凶状持ちではないし、後ろ暗いところも何も無い。お天道様の下を歩く善良な一般市民である。多分。なので、そんな反社な連中と関わり合いになるつもりはハナから全く無いので、必要に迫られているワケでもないのに、無駄な危険を冒して街のディープな情報を集めるつもりは無い。勿論様々な情報を掴んでいる越したことは無いが、今は街の常識レベルの知識を集めることが出来れば十分だ。


暇そうなスラムの大人に声を掛けることも考えたが、其れは駄目だ。俺自身まだ見た目ガキなので舐められかねんし、そんな年齢になってもスラムに居付いてるような連中にロクな奴は居ないだろう。逆にこの手のガキは個の力が無い分横の繋がりが広いし、ガキにしかできない情報の集め方ってのがあるだろう。そして何より単価が安い。情報屋とか滅茶苦茶金かかりそうだし。


「少し考えさせてもらってもいいかな。」

スエンが提案してきた。


「ああ。」

特に断る理由も無いので、快く了承する。


「分かった その仕事やるよ。」

三人は俺から少し離れて場所に移動して何やらゴニョゴニョ話し合っていだが、スエンが代表して俺に仕事を引き受けることを承諾してきた。因みに話し合いの内容は耳を澄ませた俺に丸聞こえだ。俺の聴力を舐めすぎたな。

尤も、特に不穏な内容の話では無かったのでスルーしておく。


「よし。なら今からお前らに 報酬の前金を やる。」

俺は3人のガキに手早く銀貨を握らせた。投げ渡したりはしない。スラムの周りの連中の目に留まると面倒事になるかも知れんからな。


「それなりの情報を 持ってくれば 銀貨をもう一枚やる。使えない情報でも銅貨20枚やる。そして、俺にとって とても役に立つ情報なら 銀貨二枚をやろう。」

俺はガキどもの耳元に顔を寄せ、小声で報酬の件を伝えた。

うぷっ、臭いなこいつら。だが、何故かこいつらも顔を顰めている。失礼な奴らだ。俺はお前らほど臭くねぇぞ。


銀貨を握って更に報酬の事を聞くと、ガキどもの目が爛々と輝き出した。此れは良い傾向・・とは限らない。

こいつ等が素直に

このお兄ちゃん情報を集めてくれば沢山お金くれるんだ。頑張るぞー。・・などと考えてくれりゃ良いんだけど。

ほーんこいつ金持ってんな。どうにか隙を突いて全部奪い取ってやる。・・などと考えていても全然不思議じゃない。

俺は人を見る目に自信なんか無いし、こんな場所は素直で良い子ほどさっさとくたばっていく世界だろうだからな。幾らガキとはいえ、不意打ち、毒、多勢などやりようによっては不覚を取らんとも限らん。暫くの間は背後には気を付けておかねば。


「分かっているとは思うが、この仕事の件は他の奴らには言いふらすなよ。その場合は二度と俺からの仕事は無いと思え。」


「う・・うん。」

「分かった。」

スエン以外はあまり分かって無さそうだったな。大丈夫か。


「そうだな。3日後の太陽が真上に来た頃に 俺はまた此処に来る。それまでに3人共 沢山情報を集めておけ。」

俺は3人に言い残すと、さっさとスラム街を後にした。


正直に言えば、俺はガキ共の集めてくる情報に過度な期待はしていない。糞みたいな情報でも此のままバックレられても構わん。所詮はスラムのガキだし。地球に居るはずの親友の大吾も投資に失敗は付き物だと言っていたしな。

そういえば、結局スラムで俺に絡んでくる奴は居なかった。そんな気力は無い連中ばかりだったのか、もしくは単に運が良かったのだろうか。


この後は勿論俺自身も情報収集を続行する。本当は他人を上手く使い走らせて、自分は悠々自適に遊んで待ってるってのが一番楽で賢いやり方なんだろう。だが、俺としては、ガキにだけ働かせて自分は左団扇ってのはちょっと許容し難い。

ギルドに戻って情報を集めることも考えたが、おねーさん達の視線が痛いし、ファン・ギザの街の暇そうな職員達と違って、忙しそうなこの都市のギルド職員を仕事以外の都合で長時間拘束するのは難しそうだ。

と言う訳で、まずは再び大通りの露店に足を運んで話でも聞いてみるか。


俺は都市の北門のゲートから伸びる、あの大通りの喧騒に向かって歩みを進めた。




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