第68話

翌朝。

とは言ってもまだ空には星が瞬き、周囲は闇に包まれている。

目を覚ました俺は、巨木の枝の上で身を起こした。俺がこれ程早い時間に目が覚めたのは、何もワクワクして起きたとかそういった子供じみた理由では無い。多分。

今日の早起きは意図的なもので、もし何時もの時間に目を覚まして早朝の鍛錬を経て都市に向かった場合、門を通過するまでに相当の時間待たされることが予想されるからだ。俺は特別な理由が無い限り、早朝の鍛錬を疎かにする気は毛頭無い。


俺がこの世界に飛ばされて来てから数年。必要に迫られた結果、俺の体内時計はかなり正確な時を刻むようになった。今では寝る前に頭で強く念じながら就寝すれば、おおよそ狙った時間に目を覚ますことが出来る。但し、酷く疲れている場合や体調が優れない場合はあっと言う間にその時計は狂ってくるのだが。


木から降りた俺は、何時ものように早朝の鍛錬に励んだ。勿論人目に付かない森の中でだ。俺は剣筋や磨いた技を気安く他人に見せるつもりは無い。尤も、ファン・ギザの町では普通に町の広場で模擬戦してたけどな。


鍛錬が終わり、回復魔法でリフレッシュする頃には、漸く空は薄っすらと白み始めていた。その後、背負い籠から取り出した干し肉を齧り、皮臭い糞不味い水の入った水筒で喉を潤す。本来なら湯を沸かして白湯で喉を潤したい所だが、この辺りは水源が無い。いや、探せば有るのかもしれないが、探し回るのは面倒くさいし、其れでは折角早起きした意味が無い。なので、とっとと支度をして目的の迷宮都市ベニスへと向かうことにする。

着替えて手早く荷物を纏めた俺は、停泊する荷鳥車達や眠そうな見張りを横目に足早に広場を離れた。


街道をかなりの速度で歩き進んでおおよそ1時間ほど。

俺の歩く先に遂に迷宮都市の巨大な門が見えてきた。

それは門と言うよりは、巨大なゲートと言ったほうが相応しいかも知れない。最早記憶にぼんやりと霞が掛かりつつあるが、日本の某テーマパークの入口が思い浮かぶ。

アレを更にデカくしたような感じだ。刻限はまだ朝にも関わらず、其処には既にかなりの行列が出来つつあった。こりゃ早起きして正解だったぜ。この世界の連中ならいざ知らず、せっかちな日本人の俺には耐え難い苦痛を味わう所だった。


ゲートには其々仕切りがあり、入市希望の通行人はその目的や職業や身分によって

並ぶ場所が違うのだろう。手前の方で衛兵たちが次々と通行人や荷鳥車などを振り分けている。


遠目にその様子を見た俺の警戒心がハネ上がった。

目の配り方、体格、さり気ない所作、ブレない体幹と重心。

この衛兵達相当にやるぞ。曲がりなりにも何度も実戦を潜り抜けた俺は、まだ稚拙とはいえそれなりに相手の強さの目付は出来る。もし彼らと殺り合ったら、恐らく俺はあっという間に殺されるだろう。


とはいえ、俺は凶状持ちでは無いし、後ろ暗い所など何も無い。変に警戒すれば却って怪しまれることになりかねん。一つ深く深呼吸して気持ちを落ち着け、敢えて不必要な警戒を解く。


「おい、君。此処に来るのは初めてか?」

門に向かって歩いてゆくと、厳つい禿の衛兵が近づいてきて俺に声を掛けてきた。

この男、兜を被っているが恐らく禿だ。髪の境界線が見えねえからな。この世界の衛兵には珍しく髭も無い。因みに今の俺の姿は平服だ。流石に毛皮の姿のまま此処に来るほどアホではない。


「ああ。此処へ来るのは 初めてだ。」


「共の人間が見当たらないな。独りなのか。」


「俺一人だ。」

心なしか、禿の視線が鋭くなったような気がする。


「何処から来た。入市の目的は何だ。」


「カニバルのファン・ギザから来た。仕事 探しにきた。俺は狩人だ。」

簡単な受け答えの後、禿は思いの外とすんなりと俺をゲートの列に案内してくれた。丸太剣などを見て警戒されると思ったが、どうやらこの都市では多少の奇抜な見た目は特に珍しくも無いようだ。


入門を待つ行列は意外な程早く進んでゆく。列に並んでからひたすら待つこと体感1時間程。ゲートの手前まで進んだ俺は、衛兵からまず手荷物検査を受けた。聞かれた物に関しては都度説明してゆく。意外な事に丸太剣や弓矢、ナイフ、槍などの武器はスルーされて、スマホについて誰何された。光沢のある画面を指して、此れは姿見だと適当に誤魔化しておいた。


ゲートに入ると、身分証の提示と入市税の支払いを要求された。俺がベッコベコの狩人のギルドカードを差し出すと、受付をしていたゲートの職員と思しき男の眉がハネ上がった。いやワザとじゃないからな。そうなったの。一体何度此のやり取りすればいいんだよ。糞腹立つ。

俺は魔物との戦闘でこうなったと何度目かの経緯の説明をする。


職員には嫌な顔をされたが、どうにか納得してもらえたようだ。

その後、俺は請求された銀貨3枚を支払った。俺は独り身で、荷物も背負える程度の量なので入市税は最低価格に近いはずなのに意外と高っけえ。だが、ギルドでこの都市に所属を変えればその後の入市税は免除されるはずだ。尤も、その転属の手続きに金がかかるんだけども。


そして俺は晴れてゲートを潜り、遂に迷宮都市に足を踏み入れた。


太陽の位置から推察するに恐らく都市の北門から入った俺は、メインストリートと思しき広い道を歩く。周りを見渡すと、この場所は歪な形の巨大なすり鉢状になっており、ずっと平坦な場所ではない。ゲートから続くこの通りはどうやら都市の中でも一番低い場所の様で、左右の景色は斜面になっており、登り道やせり上がる斜面に連なる建物が見渡せる。

勿論都市の全景はとても見渡せないが、基本斜面になっていることと、周囲に階層の高い建築物が無いのでかなり遠方の景色も良く見える。数えるのもアホらしい数の建物だけでなく、ちょっとした岩山や森、通路、至る所に水路なども町の中に散見できる。自然と調和した感じの風景で中々良い感じだ。遠景に見える斜面の一番小高い場所にはやたら豪勢な建築物が垣間見えるが、あの辺りが身分の高い連中か金持ち達の居住区だろうか。


まだ朝にも関わらず、通りは物凄い人で溢れている。俺は人の波を掻き分ける様に歩く。デカイ話し声、店の呼び込み、良く分からん喚声、怒号などで滅茶苦茶五月蠅い。しかし物凄い活気だ。景気良さそうやなあ。ファン・ギザの町とはまるで雰囲気が違う。日本でもこんな活気見たことねえぞ。朝っぱらから道路脇には屋台のような露店が立ち並び、香ばしい臭いが漂ってくる。やばい。腹減ってきた。そういやこの世界じゃ基本昼飯を食う習慣は無い。なので朝からガッツリ飯を食うんだよな。


俺の周りで歩いてる人々の姿も滅茶苦茶興味深い。ファン・ギザでは見つけるだけでテンションが上がった獣人も此処ではアホみたいな数が歩いてる。まるで獣人がゴミのようだ。だが、此処で歩いて居るマジモノの獣人達の姿を眺めると、そいつらはネット小説などで見るような見た目分かり易い獣人ではない。

俺も あ、猫獣人だ~とか虎獣人だ~とかそんな台詞一度は言ってみたかったのが、現物の獣人を見ると「お前、一体何なんだ」と何処かで聞いたようなセリフの失言をぶっ放しそうになってしまう。こいつら動物が直立して歩いてるような姿をしているので獣人なのは間違いないのだろうが、一体何の動物が元になっているのか全然分からん。いや、そもそも連中の姿は何らかの動物が元になっているわけでもなく、獣人固有の見目形なのかもしれん。


何れにせよこんな動物見たことねえよ。正直、獣人と言うより直立毛深人間モドキの謎生物にしか見えねえ。俺が今までこの世界で見た中で唯一地球と同種らしき動物は猪だ。見た目猪獣人が居れば分かり易くて何となく安心できるんだが。


歩いているうちに俺は更に爬虫人類も見つけた。すっげええ。流石に獣人程の数は居ないが、のっしのっしと歩いて居て中々のド迫力だ。そして此方は元となる生物が分かり易い。多分蜥蜴だ。蜥蜴人だ蜥蜴人。地球でも恐竜が存命ならこんな進化もありえたのだろうか。こんな場所で普通に歩いてる所を見ると、コミュニケーションは可能だろう。素晴らしい。是非お友達になりたいっ。


と、周りの群衆に紛れて俺の懐に向かって素早く伸びる手を視界に捕らえた。

は~。こういった不埒な輩はやっぱり何処にでも居るんだな。

俺は懐に入ったその手を掴んで引っ張ると、慌てず騒がず体を捌いてそいつの背後に立ち位置をズラす。そして、大振りにならぬよう意識しながらそいつのケツに高速の回し蹴りを叩き込んだ。その小男は絶叫を上げながら群衆の頭を飛び越えて吹っ飛んでいった。

俺は何事も無かったように再び歩き始める。だが、内心ではかなり驚いていた。

うおおい相手はかなり小柄だったはいえ、思いの外飛んだな。自分で言うのも何だが、俺の脚力結構凄くねえか。

それにしてもあの小男、どう考えても狙う相手を間違ってるだろ。

勿論俺は強いぞなんて意味では無くて、俺はどう見ても金持ってねえぞって意味だ。考えててちょっと悲しくなってくる。


通りは物凄い喧騒にもかかわらず、意外な程清潔に見える。先程小汚い身なりのガキがゴミを拾い集めている姿を目撃したので、職業だか奴隷だかインドのカーストのようなものだか知らんが、この都市にはそういった仕事があるのだろう。

其処を漫然と歩く今の俺には情報が圧倒的に不足している。

とにかく今は衣は割とどうでもいいが食、住、便を確保せねばならん。便は勿論便所だ。俺は漫画のキャラクターでは無いので食えば勿論出るもんが出る。今朝はちゃんと大の方も出して地中に埋めてきたが、便秘ではないのでそう何日も持つモノではない。そのうち限界がきて野グ、いやここには野原は無いので野外脱糞と言うべきか。その辺の町中で発射したら怒られるどころか下手したら衛兵に捕まりかねん。ファン・ギザではよく通りの端に人糞が落ちているのを見掛けたものだが、今のところこの町ではそんなものは見ていないからだ。


俺は香ばしい臭いに誘われて道端の露店に近付くと、頭に布を巻いた恰幅の良いおっさんが焼いている香ばしい肉の串焼きを3本注文した。銅貨8枚。俺が持つ大国の通貨が露店で通用したのは朗報だが、思ったより高い。ファン・ギザより物価は高めなんだろうか。

かぶり付くと肉汁がジュワりと溢れる。ピリッと辛めの香辛料と相まって中々にうまい。このジャンクな感じ、堪らんね。因みにどんな肉や香辛料が使われているかは俺には全く分からん。ファン・ギザの町でも露店などでこの世界の香辛料を見たことがあるが、地球にあるような胡椒や唐辛子なんぞこの世界には無い。見たことも無いような怪しげなモノばかりだ。インドあたりなら類似品が有るのかもしれんが。


露店のおっさんに狩人ギルドの場所を聞くと、嫌がったり金をせびられることも無く 普通に教えてくれた。此処から割と近いようだ。


「おい、串は置いていけ。」

おっさんに礼を言って立ち去ろうとすると、背後から声を掛けられた。

ええ~串は再利用すんのかよ。それじゃ食い歩きできねえじゃねえか。


俺は気を取り直して串焼きを完食すると、屋台の親父に聞いた方向へ向かって歩き出した。兎に角まずは狩人ギルドに行って最低限の情報収集をしよう。正直、ギルドの詳細な場所までは分からんが、もし迷ったら近くの人に聞けば良いだろう。








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